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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第四章:栄華の都の娼女〉
120/157

5

 そうして夜会は終わり、僕はエセル殿下とともに彼の屋敷に帰還した。

 殿下のお住いは、あの白亜のお城ではなく、お城の近傍、貴族街にある大きな邸宅だ。

 

 というのもエセル殿下は間違いなく先王の第二夫人の子であり、現王たるオーウェン王の弟なのだけれど、王室には籍を置いていない。

 兄であるオーウェン王の即位とともに、臣籍に降下――つまり王位継承権を放棄して、家臣の身になったのだ。


 賜った姓は、サウスマーク。

 そう、《南辺境大陸(サウスマーク)》だ。

 

 もともとファータイル王国という名前は、かなり古くまで遡れる。

 《大連邦時代(ユニオンエイジ)》に連邦に名を連ねて、グラスランドとサウスマークの二大陸に跨がり、中つ海周辺を広域に支配していた強国だ。

 

 その王国の傍系王族――自称――が、《大破局》後の混沌の中で興した国が、現在の(・・・)ファータイル王国ということになる。

 だから現ファータイル王国は、かつて連邦に所属していた前ファータイル王国の、正統な継承者を自称している。


 ……実際のところ、それがどれだけ歴史的に確かで正当性のある言い分なのかは、ちょっと怪しいとも聞く。

 けれど、僕はそこにはあんまり興味がない。

 ここで注目すべきは、現ファータイル王国はそれなりに成功していて、かつその支配の正当性として前ファータイル王国の存在を掲げているという点だ。


 前ファータイル王国は、グラスランドを基盤としながらサウスマークにも広大な領土を有していた。

 そこを治めていたのが、王家の血族たるサウスマーク公家を筆頭とする諸侯だ。

 このサウスマーク公家は二百年前の《大破局》、つまり《上王》率いる悪魔たちの起こした争乱で断絶したのだけれど――


 豪腕で知られた先王エグバード二世は、この辺りの失われた前ファータイル王国の領土を奪回、再興し、王国にかつての威光を取り戻すという大義名分でもって、南方開拓を開始した。

 ただそれも十数年ほどのことで、彼は志半ばにして急死してしまった。

 その後、温和な嫡子であるオーウェン王が即位すると、前王の強権でもって成り立っていた施政への不満が噴出。

 現王の優柔不断さもあって、政局は割と荒れ模様らしい。


 ただ、オーウェン王は有能でないかもしれないけれど、無能でもなかった。

 途上の南方開拓が明確な方針もなしに空中分解すれば、王国にどれだけの被害が発生するかを、彼は理解することができた。

 だからエセル殿下に失われたサウスマーク公の家名を与えて、南方に派遣したのだ。


 周囲はこれを、「王は王位を争うかもしれない利発な弟を臣籍に降下させ、王弟はその対価としてサウスマーク公の名と開発可能な領土を得る」という取引が行われたのだと見たらしい。

 だから、このあたりの手続きは意外とすんなり進んだそうだ。


 前置きが長くなったけれど、そういうわけでエセル殿下は《涙滴の都(イリアスティア)》の貴族街に屋敷を有していて、お城には帰らない。

 彼は厳密に言うと《南辺境大陸(サウスマーク)》北部を治めるサウスマーク公爵であって、お城に住まう王族ではないのだ。


 そしてこれは、僕にとっても幸いなことだった。

 エセル殿下のお屋敷を管理しているのは、エセル殿下が選んだ信頼のおける使用人さんたちだ。

 割と気を抜くことができる。

 

 ……今日は、疲れた。

 あてがわれた広い客間で、ふかふかのベッドに横になると、僕は深々と息をついた。


 きらびやかな夜会。

 火花舞い散る決闘。

 油断のならぬ陰謀。

 そしてあの、黄金と紫紺の瞳の艶やかな女性。


 色々とありすぎて、本当に疲れた。

 肉体的な疲弊は竜の力が補ってくれても、精神の疲弊ばかりはどうしようもない。

 目を閉じると、すぐに心地よい眠りが訪れる。

 ……その晩は、泥のように眠った。




 ◆




 翌朝は早朝に目が覚めた。

 窓を開けると、夏の明け方特有の、清冽な空気が漂ってくる。

 顔を洗って口をゆすいで、それから跪いて三十分ほど祈った。

 

 神さまにあれこれと起きたことを報告したり。

 思うことを伝えたり、感謝したり、懺悔したり。

 ……なんとなく、神さまは、隣で微笑んで聞いてくれている気がした。


 そうして伝えることがなくなると、「もう何もないという空無」さえ捧げるつもりで、無心で祈った。

 昔マリーは何かの時に、僕たちの思いを捧げ尽くしたその空無の部分にこそ、神さまは宿ることができるのだと言っていた。

 その時、僕は神さまに出会っていなかったし、よく分からなかった。

 ……今は、なんとなく分かる気がする。


 そうして祈りを終えると、持ってきた訓練用の木剣を手に庭に出る。

 準備運動をして体をほぐすと、感覚を集中し、木剣にマナを収束させる。

 重さを増加させる《しるし》が執拗に刻まれた木剣が、ずしりと重くなった。


 そうして最初は、とてもゆっくりと、重い木剣を振る。

 きわめて重いそれを構え、カタツムリが這うようなひどく緩慢な動作で、持ち上げ、振り下ろす。

 重心は低く保ち、体軸はけしてブレさせない。


 見た目に反して、じっとりと汗が滲むほどの負荷がある。

 重いものを勢いに乗せて素早く振り回すのと、保持したままきわめて緩慢に動かすのでは、別の負荷があるのだ。

 何か、とても固くて、重く粘る生地を練るようなつもりで、ゆっくり、ゆっくりと、基本の一連の動作を行う。


 それが終わると、今度は切り替えて速く。

 風を切る燕のように、弧を描いて木剣の切っ先が躍る。

 大円を描き、架空の相手に斬撃を見舞う。

 小円を描き、架空の攻撃を払い落とす。


 足捌き。体捌き。腕捌き。

 一つ一つ確認するつもりで、動作を幾度も繰り返す。

 しばらく船旅で満足に鍛錬できなかっただけに、やはり若干の違和感が体の各所にわだかまっていた。

 その違和感を消すつもりで、僕は念入りに鍛錬を兼ねた動作確認を繰り返す。


 ひたすら体をいじめ抜き、動きのキレと技を調整する作業に没頭していると、気づけばすっかり日も昇っていて。

 使用人さんに、じき朝餉の時間で御座いますが、と声をかけられる頃には、全身から湯気が吹くほどになっていた。


 ……都は、慣れない場所だ。

 慣れない場所だからこそ、慌てて付け焼き刃を振り回して、失敗するような事態は避けたい。


 いま自分が持っているもので可能なことと、その価値を、きちんと押さえておこう。

 そう思った。




 ◆




 水を浴びて、使用人さんに手伝って貰いつつバタバタと着替えて身支度を整え、朝食の席に出る。

 エセル殿下は、少し遅れてやってきて、上座に座った。

 ……待たせることにならなくて良かった、とホッとした。

 

 大きな広間に、たくさんの人が着席できる長いテーブル。

 精緻な刺繍のテーブルクロスがかけられたそこには、すでに料理が並んでいた。


 編み籠に盛られた香ばしいパンに、小さな椀に盛られたバター。

 白い皿に載せられた野菜がたくさん入ったオムレツには、茸のスライスの入った茶色のソースがかかっている。

 その脇には湯気のたつ分厚いベーコン。

 高坏には色々な果物が、見栄えも鮮やかに盛られている。

 

「はじめるか」

「……え?」

 

 と、僕は戸惑った。

 この場にはエセル殿下と、僕しかいない。

 

 ……当たり前のことだけれど、別にエセル殿下には僕しか部下がいないわけではない。

 神殿長を始め、その麾下には僕の知る限りでも、幾人も有能な人々を抱えている。


 正直に言って、小さい規模の荒事ならばともかく、この都で政治活動をするにあたっては、僕の『駒としての価値』は見せ札程度。

 実務を担当する重要な大駒は、彼らだ。僕ではない。のに――


「他の方は?」

「今回は外してもらった」

「…………」

「そう警戒するな、別に無茶なことを言うつもりはない」


 殿下はそう言って肩を竦めた。


「ただ一つ、謝っておこうと思ってな」

「謝る、ですか」

「うむ。……私はどうやら、卿を侮っていたようだ」


 エセル殿下は一度目を閉じ、言葉を選ぶようにご自分の顎を撫でると、それから言葉を続ける。


「篤い神の加護あり、いにしえの英雄に養育され、竜の力まで得た当世の英雄とはいえ。

 しょせんは辺境あがり、都に上れば戸惑うばかりでろくに対応もできまいと、侮っていた。

 ゆえ、『何もするな』などと、はしゃぎたい盛りの子供に言うような釘を刺してしまったが……どうやらそうではないらしい」

「いえ、殿下。僕は――」

「昨日のあれのカラクリを、おおよそ見抜いて無難な形に収めただろう。貴族とはいえ、皆が智謀と観察に長けているわけもなし、あれをできん者もいる。

 特に、いざ陰謀の標的ともなればな」

「…………」


 そう言われると、何も言えない。

 

「また、卿には破りがたき誓いがある。それを忘れ、『動くな』などと命じたのは私の過ちだ」

「ええと……」

「そう困った顔をするな。ざっくばらんに言うと、もう少し『上手い使いよう』があったということだ。

 私は上役として、聖騎士殿の都市部での戦力評価をいくぶん誤っていた。そしてそれを修正した。そういうことだ。

 ……謝罪は受け入れてもらえるかな?」


 エセル殿下はそう言って笑いかけてくる。

 僕はこくりと頷いた。


「もったいないお言葉です、殿下」

「うむ」


 普通の人の頭は下げても目減りはしないけれど、王族の頭というのは下げれば下げるほど権威が目減りする。

 ――殿下は軽い調子に見えるけれど、それなりに僕に気を遣ってくれているのだ。


「というわけで、卿にもこれからは働いてもらおう」

「…………」

「働いてもらおう」


 とてもいい笑顔だった。


「ちょ、ちょっと待ってください。僕じゃ」

「卿より使えんものなどいくらでもいるぞ。都でもやらかさん程度には心得ていると分かったからには休ません」


 慌てて何か言おうとするけれど、畳み込まれる。


「み、都の詳しい実情もなにもよく分かっていないんですよ!」

「担当者に説明させよう。……そうか、内実に興味を示すとは、やる気になってくれたようでなによりだ!」

「強引な客引きみたいな拡大解釈やめましょうよ!」


 いい笑顔ですね畜生!

 なんだか何が何でも僕に仕事をさせたいようだけれど、

 

「僕が失敗したらどうするんですか!」

「私が助けるに決まっているだろう」


 何を当然のことを、という顔で即答された。

 あまりに自然に言われたものだから、一瞬、思考がフリーズする。


「勘違いがあるやもしれんが、私は何も、卿が今すぐ宮廷闘争における戦力になるなどとは期待していない。

 素養はあるようだから、情勢が安定している現在の内に実地で色々と経験させておきたいと、そう思っているのだ。……お分かりかな?」


 今回の卿のすべきことは、宮廷工作の空気を経験し、致命的でない程度に失敗しておくことだ、と殿下は僕に言い聞かせるように言った。


「…………あ」


 そこまで言われて、僕もようやく分かってきた(・・・・・・)

 確かに殿下の仰るとおり、ファータイルはここ十数年ほどは安定しているらしいと、僕も聞き及んでいる。

 二十年ほど前に幾度も干戈を交えた、西にある中小の諸王国とは和平が成立して、現在は通商も盛ん。

 悪神の眷属が南下してくる《氷の山脈》とは直に接してはいないし、大規模な南下も最近は少ない。防衛網もだいぶ整ってきたそうだ。

 東の《争乱の百王国》にも、まだ予断はならないとはいえ、それなりに安定の兆しが見え始めているという。

 

 国内の最大の問題である南方開拓だって、そうだ。

 これまでずっと、内部でじっくりと押し引きを繰り返してきたのだ。

 今年そこに僕が混じって、多少やらかしたところで、いきなり「開拓はやめよう! 全撤退!」のような極端な結論は出ないし、出しようがないだろう。

 よほどの扇動者(アジテーター)でも出なければ、大きな政治の流れがふらりと現れた英雄一人でいきなり切り替わるようなことはない。考えてみれば、当然のことだ。

 

 そしてそんな長くじっくりとした戦いの中、状況を大きく動かすのはエセル殿下のような方々で……

 彼らの戦いの結果として、「やや開拓寄りになる」か「やや防衛寄りになる」か。

 つまりは、今やっているのは、そういう話なのだ。

 

 もちろん僕が軽い駒というわけではない。

 《最果ての聖騎士》の二つ名にはそれなりの重みはあるし、使いどころもある。

 貶められれば不利になることも多いだろう。 

 けれど、僕が迂闊だと全部が負けるとか、ダメになるとか、そういう話ではないのだ。

 ヴァラキアカと戦った時のような、乾坤一擲の決戦じゃあない。

 

 つまりはその、なんというか、僕はいつかのようにちょっと気負いすぎていた……というか自意識過剰過ぎたようだ。恥ずかしい。


「状況は理解できたかな?」

「はい。……お恥ずかしい限りです」


 自分は重要で、自分が失敗したらとんでもないことになるんです! などと、本当に重要なことをしている人の前で言ってしまった形だ。

 ホントにこれは、恥ずかしい。

 穴があったら入りたいというか、このまま小さくなって消えてしまいたい。


「英雄よ、まことの勇者よと行く先々でもてはやされて、その程度で済むなら上々だ。……それより、そろそろ朝食としようではないか。冷めてしまう」


 エセル殿下は僕を気遣ってか、あっさりと話を切り替えて下さった。

 僕と殿下は静かに食前の祈りを捧げると、食事にとりかかる。


「まぁ、話もまとまったことだ。今後は各種工作でもう少し動いてもらうことになるが……」


 オムレツをナイフで切り分けながら、世間話程度の調子で殿下が話題を振ってきた。

 重要な話はもうここまで、ということだろう。


「何か卿のほうで、しておきたいことはあるか? 評判稼ぎを兼ねた慈善活動なり何なり、できるだけ誓いにも添えるよう配慮はしよう」

「そうですね」


 僕はうーん、と考えた。

 僕のできることで、宮廷工作に役立つこと、か。

 

 ここはあれかな。筋力と並んで最重要である――


 

「カネのことから始めたいです」

 

 

 殿下が目を剥いた。


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