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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第四章:栄華の都の娼女〉
119/157

4

 決闘の後。

 遠巻きにざわつく観衆をよそに、灰髪の王弟殿下が歩み寄ってくる。

 ……頬を痙攣させていらっしゃる。

 

「殿下、申し訳ありません」

「何があった?」

「あ、あの、恐れながら、殿下。ウィリアムさまを、お叱りにならないで下さい」

 

 ルナーリアさんが、無礼を承知で、という風に会話に混じった。


「ウィリアムさまは、わたくしを庇って……」

「……神への誓いか」

「はい。こればかりは破るわけには参りません」


 ならば仕方ないか、加護もちの神官とはそういうものだ、とエセル殿下は深く息をついた。

 正直、激怒されても仕方ないと思っていたのだけれど――このお人は、とても話が早い。

 叱責しても無意味だと思えば、無意味なことはしない。


「どこの誰だか知らんが、異様に荒っぽい手を選んだな。……しかし、なかなか優雅に切り抜けたじゃあないか」

 

 と、エセル殿下は小声で語り、にやりと笑った。

 

「サンフォード男爵家のサミュエルといえば、宮廷でも五指に入るレイピア使いだぞ」

「筋力の鍛錬が足りません」

 

 同じく小声でそう答えると、殿下は手を叩いて笑った。

 それからルナーリアさんに笑いかけると、観衆を見回し、


「お楽しみのところ、我が騎士がお騒がせしてしまったようだ! 首都に上って早々、美女をめぐって果たし合いとは、まったく羨ましい男だな!」

 

 両腕を開いて大仰に、冗談めかして語る殿下。

 好意的な笑い声が起こる。

 

「どうやら美女の好意を勝ち得た、このけしからん男には、私から後でよく言って聞かせておこう。――だがひとまずは、誇りある決闘に拍手を!」

 

 そう言うと、ぱらぱらとまばらな拍手が起こり、やがて大きな拍手となった。

 それをきっかけに、決闘騒ぎで止まっていた楽器の演奏が再開され。 

 夜会の雰囲気が戻ってくる。

 幾人か、ダンスホールの中央あたりで手を組み、ゆったりと優雅に踊り始めた。

 

「――ふむ。卿も踊ってきてはどうだ?」

「……ご冗談ですよね?」

「冗談なものか。卿は勝者だ、勝者らしく堂々と振る舞わねばならん」

「そもそも踊る相手が」

「いるではないか」

「…………」

「いるではないか、そこに」

 

 思わず顔をしかめてしまった。

 ええと、おっしゃることは理解していますが。

 

 

「――分かって(・・・・)いらっしゃいますよね?」

 

 

 少しだけ眉間にしわを寄せて言うと、殿下は肩を竦めた。

 

「分かっているとも。だからこそだ」

「嘘はつけませんよ」

「構わん」

 

 手早くやりとりをすると――僕は覚悟を決めて、振り向いた。

 虹彩異色症(ヘテロクロミア)の印象的な彼女に、そっと微笑みかけて、恐る恐る手を差し出す。


「ルナーリアさん。――よろしければ、踊って頂けませんか?」

「はい、喜んで。ウィリアムさま」

 

 花の咲きほころぶように、彼女は笑う。

 ……本当に、絵面だけ見れば、なかなかどうして立派な英雄譚めいている。絵面だけ見れば。




 ◆




 奏でられる曲は、優雅で、スローテンポの、明るい曲だった。

 壮麗なシャンデリアには、《光のことば》が刻まれ、辺りを明るく照らしている。

 

 美しく滑らかな石の床の上。

 僕はルナーリアさんの白い手を取って、踊っていた。

 腰に手を回すと、ずいぶんと細い――というかくびれた体型をしているのが分かる。

 

「…………」

 

 どうにも、若干ながら動悸が早まる。

 都に上がると決まった時から、踊りについては簡単なものを、一通りは習っていたので、踊る分には問題ないけれど――

 

 正直、女性に対する免疫が、僕には無いに等しい。

 完璧に着飾った肉感的な女性と、手を取りあって踊るなんて、本当にガラじゃない。


 戸惑いがちな僕の様子に、目の前の彼女は可憐な唇をつり上げ、悪戯っぽく笑いかけてくる。

 僕は苦笑を返し――


「それで、貴女もグルですよね」

 

 少し顔を寄せ、軽い調子で囁きかけると、ルナーリアさんはびくりと肩を跳ねさせた。

 足並みが少し乱れる。


 軽く立てなおして、踊り直す。

 周りの人々から見れば、少しふらついた程度にしか見えないだろう。


 彼女は潤んだ瞳で、僕を見た。

 怯え、縋り、許しを乞うような、少しの媚びを含んだ上目遣い。


「…………」


 その、見事な演技(・・)を無視して目を見つめる。

 しばらくして、ルナーリアさんは小さく息をついた。


「恐ろしいお方」

「こっちの台詞です」


 割合にあっさり認めるのだなと思いつつ、適当に言葉を返す。

 誰の筋書きなのかは知らないけれど、たぶん流れはこうだ。


 まず、折よく単独行動していた僕の側で、ルナーリアさんが酔漢に絡まれる哀れな女性という構図を演じ、助けを求めてみせる。 

 ここであれこれと迷って彼女を助けなければ、「その行い、聖騎士に非ず」と醜聞の種に。

 助けたら助けたで、今度は場の勢いで決闘騒ぎに持ち込める。


 決闘に持ち込んだら今度は、酔漢のふりをした件のサミュエル氏が化けの皮を破り捨てて襲いかかる。

 慣れないレイピア剣術に決闘ルール、そして酔漢の演技をして油断を誘っての奇襲と、完全に罠に嵌める形だ。

 

 これでもし僕が負ければ、「酔漢に敗れる聖騎士」と実力不足を喧伝できる。

 不利を覆して僕が勝つにしたって、もしサミュエル氏をボロボロにしたり、面罵してプライドを挫いたりしていたら、「決闘の作法も知らぬ野蛮人」扱いは免れないだろう。


 そして最後。

 もしこれら地雷を踏まずに、上品に勝ったとして――ヒーローに救われたヒロインであるところのルナーリアさんは、僕に近づく口実ができる。


 絡まれている可憐で哀れな女性。

 颯爽と助けて剣を振るい、悪漢を圧倒して勝利する自分。

 そして救った女性からの、恥じらいながらも積極的なアプローチ――

 

 まぁ、うん。

 男と生まれたからには誰だって憧れるし、一度ならず妄想する状況なんじゃないだろうか。


 で、そんな状況で……自分が戦って救い出し、今も真っ向から好意をアピールしてくる女性を、どこまで疑えるだろうか。

 できるだけ信じたい、と思ってしまうのが人情ではないだろうか。

 

 ――甘い落とし穴(ハニートラップ)の一丁あがりだ。

 

 かといって、ここまで読めても彼女を露骨に拒否することもできない。

 助けて、好意を寄せてくる相手に冷淡に対応しては、今度は「女の好意を邪険にする、野暮で無粋な奴」みたいな形で悪評を流すことができる。

 だから僕はこの麗しき高級娼婦(コーティザン)に対して、それなりの対応というものを強いられる形になる。


 そして重要人物の側に息の掛かった駒を配置できれば、次に繋げられる。


「なかなか巧みだ」


 きわめて上手な策というのは、この通り、どう転んでもそれなりに得になるようにできている。

 そして、想定しうる限り最大限に悪く転んでも、大したリスクが無い。

 

 今回で言えば、サミュエル氏は僕に負けたわけだけれど、お酒に酔って女性絡みの揉め事で、しかも相手は辺境の英雄、竜殺しの《最果ての聖騎士》だ。

 そりゃあ多少は叱責や悪評もあるだろうけれど、敗北したところで格別不名誉な相手ではないし、若者がお酒を過ごしての決闘沙汰程度、苦笑で流す人も多い。

 相手は神の加護を得た神官なのだから、酔漢相手に心臓や首を狙って無慈悲な一撃を繰り出すこともない。死のリスクは限りなく低い。

 ルナーリアさんに至っては完全な被害者扱い。結託の証拠もないし、追及のしようもないだろう。


 つまり仕掛けた側はほとんどリスクを背負わず、こちらには結構なリスクを背負わせられる。

 お手本のような策だ。

 

「貴女の立案ですか?」

「さて、どう思われますこと?」


 韜晦の笑みとともに、ステップ。

 僕も合わせてステップを踏むと、彼女はくるりと身を回した。

 ひだのある黒いドレスの裾と、艶のある黒い髪が、ふわりと翻る。

 振り向いた彼女の顔には、花のような笑み。


「――そんな恐ろしい女に、見えますかしら」


 明確な回答を口に出さないだけの分別は、一応、僕にもあった。


「……エセル殿下は甘くはありませんよ?」


 もちろん策というのは、仕掛けるほうが圧倒的に有利だ。

 好きなタイミング、好きな場所で仕掛ける権利が、先制側にはあるのだから。

 

 だから殿下もまさか、ここで決闘騒ぎを起こして僕の名誉を損なう策、それ自体を予想していたわけではないだろう。

 

 でも彼は、僕に踊れと言った。

 つまりはあれだ。


 ――どこかの誰かが敵対を表明して、仕掛けてきて、駒を配置してくれたのだから、それと分からぬよう対手として踊ってみせて、泳がせろ。


 殿下のさっきの言葉は、こういう指示だ。

 敵対者の紐付きであることが分かっていれば、分かっているなりに利用の方法はあるということだろう。

 僕が「嘘はつけませんよ」と念押ししたのは、無自覚に泳がせるなんて器用な真似はできませんという宣言でもある。


「優しいお方でもありますのね」


 ルナーリアさんは、僕の言葉に色違いの目を瞬かせ、そしてくすりと微笑んだ。

 ――たぶん、今度は本当の笑みだ。




 ◆




 実のところガスに仕込まれ、一般水準からみて卓抜した魔法使いであるところの……加えて竜の力まで加わった……僕は、嘘がつけない代わりにいくらか嘘が読める。

 《創造のことば》は力ある言葉。

 《ことば》の力は嘘をつけば弱まる。

 そして現在の西方共通語は、《創造のことば》の遠い子孫だ。


 ――だから、人が発した声のうちに「まこと」が篭もるか否か、なんとなく感覚で分かる。


 正直、辺境というのも生やさしい最果て出身の僕が、状況をある程度まで読めているのは、前世の記憶とこの力によるところが大きい。


 ……ルナーリアさんが最初、やけに怖く感じたのも、これが原因だ。 

 好意的で愛らしい言葉と仕草。

 そのいずれにも、「まこと」がないというのは、なかなか怖い。

 無表情の人間に「だいすきだよ」と繰り返し棒読みで言われている気分、と言えば魔法使いの感覚がない人にも分かるだろうか。

 だから、ある程度こうして、渡り合えている。


 ……けれど、だからといって、練達の高級娼婦(コーティザン)を手のひらで転がせると思うほど、僕は甘い認識ではない。

 僕に筋肉や魔法、神様の加護があるように、彼女には技芸と演技、交渉術がある。


 要は彼女は表情筋や、体のラインや手先を、僕とは違う方向性で鍛えているのだ。

 鍛えている人は強い。多少、初見での相性がいいからといっても、侮るべきではない。

 簡単な理屈だ。


「優れた魔法使いというのも、詩人の誇張ではなく、ほんとうのこと。……まこと無き言葉をお見抜きになられますのね?」

 

 ほら、もう読まれた。

 探るような視線に、小さく頷く。


「よくご存知で」

「あら」


 と、彼女は笑った。


「魔法使いの方と語らうことも、ありますもの」


 つまりは嘘をつかずに人を楽しませたり、何かを信じこませたり、舞い上がらせる手段も心得ておりますということですね、分かります。

 あっという間に初見の優位が消えて対応される。

 だから鍛えている人間は怖い。地力がしっかりしているし、対応の幅が広い。


 ――優雅で、スローテンポの、明るい曲が、余韻を残して終曲となる。

 

 僕は礼儀にかなった仕草で彼女の手を取り、一礼した。

 彼女も一礼を返す。


「では、また」


 去り際、彼女は僕との間合いをするりと詰めてきた。

 害意が無いのでとっさに対応しそこねると、彼女はそのまま背伸びし、僕の頬に口づけを残していく。

 

「いずれ、改めてお礼を致しますわ? 聖騎士さま」


 ――去り際、ほのかに甘い匂いがした。

 夏の花、白いフィアレの花の香りだ。


 僕は見返りざまに笑みを残し、颯爽と歩み去る彼女を、間抜け面で見送っていたと思う。

 エセル殿下がくつくつと忍び笑いをしているのが、遠くに見えた。

 

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[一言] 見事な数段構えの仕込みですね。 貴族社会の怖さが伺えます。
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