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それから僕たちは、討伐の証拠となる竜の鱗や、財宝をいくつか確保した。
ヴァラキアカの亡骸に関しては、放置して腐らせるのも問題なので、祝祷術で《防腐の奇跡》をかけておく。
レイストフさんいわく、竜の身体は全身が高級な素材となるようなので、後で機材を揃えて解体することになるかもしれない。
敵手であった相手の亡骸を解体して道具にするというのは前世の感覚では少し複雑なものがあるけれど、でも、この世界で竜を殺すとはそういうことだ。
ヴァラキアカも覚悟の上だろうし、僕も躊躇はすまい。
勝った上は、勝者の権利としてあますところなく利用させてもらおうと思う。
とはいえ今は財宝も竜も、あまりに量が膨大すぎて五人では手に余る。
悪魔の残党に奪い去られる可能性も考慮し、念入りに《ことば》と《しるし》で結界を張り、いったん来た道を辿って町に戻ることにした。
東に陸路で下りず、わざわざ西に出てから水路で回るのは、《花の国》の様子の確認と報告を兼ねてだ。
ちなみに服に関しては皆の予備やら、竜の財宝にあった《しるし》の刺繍された魔法の衣類などで、なんとか形を整えた。
もう本格的な冬も近いので、流石に半裸で歩きまわるのはぞっとしない。
加えていえば実行したところで平気な体になってしまったというのが、尚更ぞっとしない。
……道々、竜血を受けた自分の身体の性能については皆と検証したのだけれど、率直に言ってかなり人間離れしてしまった。
だいたい不死神の言っていた通りだ。
筋力も持久力も、もともと鍛えていたものが更に底上げされている。
防御力に関しては特に人間離れしていた。作業用のナイフくらいだと切れないし刺さらない。
いちおう、とても注意しながら控えめに実験してみたところ、レイストフさんが斬り付けると流石に普通に通るようなので、無敵、不死身というわけではないらしい。
《ことば》についても、唱えてみるとなんだか凄く、思い通りに効果が出せる。精度が増しているのだ。
注意深く感覚を研ぎ澄ますと、体内や体外のマナの収束プロセスが今までと若干変化している感がある。
最大威力も増した。……今ならその気になれば、叫び一つで周囲一帯を焼き払えるかもしれない。
まさに、人の形をした竜だ。
あまり良くない状況に陥れられたな、と僕は思った。
確かに戦闘力は底上げされた。
今なら不死神スタグネイトの《木霊》と再戦しても優位が取れそうだし、ヴァラキアカとだって単独で互角に戦えるかもしれない。
その辺りの魔獣が相手なら、鼻歌交じりに、身体能力だけでリスクも無く押しつぶせるだろう。
――それがいけない。
戦いからリスクが消えるというのは、物凄く危険なことだ。
この竜血を受けた肉体に馴染み、それを当然のものと受け止めてしまったら、僕の戦いかたは不遜でいい加減なものになってしまうだろう。
そうなってしまったら、いずれは死ぬ。
格上と遭遇してか、多くの敵を作ってか、あるいは謀殺されるかは知らないけれど、ろくな死に方はできないだろう。
《喰らい尽くすもの》を受け継いだ時、ブラッドからもらった警告と同じだ。
加えて言えば信仰者としても、為政者としても、まずい。
暑さ寒さを寄せ付けず、餓えも渇きも知らず、たった一人でどんな場所でも生きていける強さを持った存在が、どこまで、いつまで弱者に共感し続けられるだろう。
いずれは凍える寒さも、食べ物のないひもじさも知らない、無知で傲慢な「強くて賢いだけ」の人間になってしまうかもしれない。
このちからは、竜の祝福じゃない。――呪いだ。
ヴァラキアカは、このことを予見していたのだろうか。
……流石にあの最後の交錯の段階で、僕があの吐息から生き残ると予想していたとは思えないけれど。
でも、邪竜とは勝者を呪い、その人生に破滅をもたらすものだと、ヴァラキアカならば笑うだろう。
解きたくとも肉体と魂に混じった竜の因子なんてどうやって排除すればいいのかわからないし、わかったところでこの力が有用であることは確かなのだ。
情勢が安定するまでは手放すわけにもいかないわけで――つまりは最後の最後、完璧にしてやられた形だ。
……勝利はした。
けれど僕とヴァラキアカとの戦いは、一生続くのだと、そういうことなのだろう。
邪竜の思い通りに破滅させられたら、僕の負け。
邪竜の思い通りに破滅させられなければ、僕の勝ちだ。
「……負けませんよ」
延々と続く地下道を抜け。
《西の門》を出る際に、僕は山を振り仰いで呟いた。
◆
《西の門》を下り、《くろがね山脈》の麓へと下る。
巨岩の立ち並ぶ岩場を抜けると、一気に視界が開けた。
――さわやかな風が吹き渡る。
「わぁ……」
立ち並んでいた枯れ木からは新たに新緑の芽が出ている。
毒混じりの汚泥は消えて肥沃な土となり、泥湿地はあるところは堅い地面に、あるところは豊かな沼沢となっていた。
最初に来た時の陰鬱で湿った光景とは、まったく違う。
「おおーい、おおーい!」
遠くから叫びながら、一群のエルフたちがやってくる。
先頭にいるのは金の髪にすみれ色の瞳のエルフ――ディーネさんだ。
「やっぱり無事だったのね! 竜の咆哮が何度も聞こえたと思ったら、突然静かになって、それでいきなり不思議な火が駆けたと思ったら辺りが綺麗になって――」
彼女はそう言いながら駆け寄ってきて、僕たちが誰も欠けていないことを確認すると、わっと泣きながら僕たちに抱きついた。
「……無事で良かったわ!」
彼女からも、病毒の臭いはもうしない。
ふわりと香るのは女性らしい香りに、土や緑の香りが入り混じったそれだ。
「ったく、大げさだろ」
「大げさじゃないわよ! ほんとに、もう、戻ってこないんじゃないかって……」
「けど、勝ったぜ。見りゃ分かるだろ、竜は死んだ。ウィルが討ち果たした」
メネルがそっけない態度なのに対して、ディーネさんはもうぐすぐすと涙声だ。
「死なねぇよ。まだ、やることあるしな」
「やること……?」
「とりあえず、差し当たってはここの復興とかだな。まだまだこの辺も、邪竜の毒の後遺症は残ってるだろ」
「そうですね。山の方にも瘴気の気配は各所に残っていましたし……悪魔の残党もいるでしょうし」
ルゥが頷き、気遣わしげに眉をひそめた。
確かに一見してかなりの瘴気が取り払われたけれど、まだまったくその気配がないわけではない。
それに毒々しい環境を好んで住み着いた危険な魔獣なども、すぐに去ったりはしないだろう。
《くろがねの国》と《花の国》が往年の賑やかさを取り戻すまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
「竜の財宝が山のようにありますから、当座はあれを資金として切り崩して……」
「分配の方法も考えねばなりませんな」
「大量の財が流入して、モノとカネのバランスが崩れても困る。トニオあたりと相談してみろ」
「はいっ」
「あと、山を取り戻したとなったらかつての《くろがねの国》の住人も戻ってこようとするよね」
「となると、受け入れ準備を整えねば混乱が生じるな」
やるべきことは、次々に湧いてくる。
「……俺も気ぃ進まねぇけどいっぺん故郷の森に顔出して、何人か腕のいいの派遣してもらえねぇか頼んでくっかなぁ」
メネルが眉間にしわを寄せて呟いた。
出奔したこの銀の髪のエルフが、森の王の資格を得て、故郷の英雄の遺品を持って、邪竜殺しの武勲まで伴って帰還したらどれだけの騒ぎになるかと考えると……
まぁ、それはこういう顔にもなるというものだろう。
メネルは功績を立てて故郷の連中を見返すとか、そういうことを考えるタイプではない。
居心地の悪い場所は後足で砂をかけて立ち去って、後は野となれ山となれ、もう知ったことではないと、そういう対応をするタイプだ。
わざわざ戻る気はなかったのだろう。
……とはいえ山や森の不調の調整となると、自然と精霊のはたらきを熟知した、腕の良い妖精使いが複数いたほうが良い。
メネルが故郷とつなぎを取り直せば、有益なのは確かなのだ。
「なら、私もいくわよ」
「お前が?」
「当事者が頭下げにいかないでどーすんのよ!」
「あー、まぁ、それもそうか。なら、春になったらいっぺん海渡るか。……いいよな、ウィル」
もちろん、と笑って頷いた。
なんだか騒ぎが大きくなりそうな予感がするけれど、コレに関して僕に被害は来そうにないし!
「てめ、他人事って顔しやがって……!」
「ははは」
……《くろがねの国》と《花の国》が往年の賑やかさを取り戻すまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
けれど、時間はかかっても、いつかきっと。
《くろがねの国》の炉には再び赤々とした火が灯り、槌音が響き渡るだろう。
《花の国》からは、再び麗しい歌楽の音が流れ、美しい町並みが再建されるだろう。
そう、素直に信じられた。
◆
《花の国》でひとしきり歓迎を受けた後。
僕たちは再び船に乗り込み帆を張ると、澄んだ流れとなった川を登り、湖に到達した。
湖を渡り、霧を超え、再び死者の町へと赴く。
「……おお!」
ガスが居た。
落ち着かない様子で、廃墟の街の端に浮かんでいたのだ。
――場違いな話だけれど、陽光の真下にいる幽霊というのもものすごい光景だ。
「おぬしら、くたばっとらんかったか。む?」
訝しげに僕を見るガス。
「マナの動きが妙じゃな……竜の因子、か?」
一発で当てられた。
さすがは《彷徨賢者》だ。
「呪いじゃぞ、それは」
「分かってる。納得もしてるよ、ガス」
ヴァラキアカへの勝利の代償であり。
あの誇り高き邪竜が、確かに竜としての己を貫き通した証でもある。
「ならばええわい。……ほれ、来い。ずいぶんと疲れた顔をしておるぞ!」
ガスはそう唸るように言うと、切り替えた様子で、僕たちを神殿に導いた。
ここまであまり自覚はしていなかったけれど、ずいぶんと昂ぶっていたのだろう。
ブラッドとマリーのお墓の前に膝をついて、竜との戦いを報告すると、気が抜けた僕は泥のように眠った。
戦いにつぐ戦いを終えて、ようやく、何も警戒しないでいい領域に来たのだ。
竜の血を受けた肉体はほとんど疲労を訴えていなかったけれど、何度も命の危機に晒された精神のほうが休息を求めていたのだろう。
日課の朝の祈りさえ忘れて眠った。
マリーやブラッドと過ごす、子供時代の夢を見た。
神殿の丘を駆けまわる、楽しい夢だった。
……そんな束の間の休息を終えて、《灯火の川港》へ戻ることになった時。
「お借りしていた武器をお返しします」
と、ルゥがガスに申し出た。
ガスはあっさりと手を左右に振り、
「いらんいらん。もってけ、ワシは使わん」
「しかし、大切な戦友がたの遺品では?」
「……おぬしは律儀じゃのう」
ガスは苦笑いをした。
これでガスは、けっこうこういう律儀な相手が嫌いではないのだ。
「戦友の装備なればこそ、新たな使い手に引き継がれるべきであろうよ。
武器も防具も、道具として生まれたのじゃ。鑑賞にさえ供されず、ただただ死蔵されるなぞ、無益の極みよ」
「……では、ありがたく頂戴いたします」
「うむ。新たなドワーフ王の装備となるならば、それらの武具の誉れにもなろう」
その言葉を聞いて、ふと思い出した。
「あ。……《夜明け呼ぶもの》」
なんとなく流れで、あの黄金の剣は僕の腰に提げっぱなしになっていた。
主武装の《おぼろ月》が大破してしまったし、《喰らい尽くすもの》は気軽には抜けない。
まだデーモンたちとの残党や、うろつく魔獣との交戦の可能性もあったので、ずっと身に帯びていたのだけれど……
「いえ。その剣は、ウィル殿のものですよ」
「いやそんな。ドワーフ累代の宝剣だよね!?」
正統性とかの示しをつけるのに必要なはずだとしつこく言ったのだけれど、ルゥは頑として受け入れなかった。
アウルヴァングル王は、僕にこそ、その霊剣を渡したのだと。
「ウィル殿は、英雄の星の下にある方です。これからの戦いでその命を散らさぬよう、どうかこの剣を一助として下さい」
それでも流石に、これをただ貰うわけにはいかない。
僕が死んだら《くろがねの国》に返却するよう書面に記したうえで、借りる、という形で預かることになった。
「ていうか、なんか僕のもとに、まだまだ強敵が来るみたいな言い方だけどさ! 今回は竜だよ竜! 流石にもう打ち止めだよ、きっと!」
「それはねーだろ。……神に惚れられた男が何を言ってやがる」
「どう考えても平穏はありえませんな」
「まぁ、なんだ。……強く生きろ、少しは助けてやる」
い、いや。絶対、しばらくは打ち止めだし……