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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第三章:鉄錆の山の王 後編〉
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42

【オオオオオオオオオッ!!】

「あああああああああッ!!」


 咆哮と気合の声が絡み合い。

 剣と爪、《ことば》と《ことば》が交錯する。


 胸に滾る熱のままに全身を躍動させる。

 すっきりと冴えた意識が、身体の隅々まで行き渡っていた。

 指先ひとつの微細な動きまで、今なら完璧に制御できそうな気がする。


 竜の腕が、足が、次々に降ってくる大質量の存在が見もせずに読める。 

 爪を躱し、竜鱗を穿ち、回り込み、切り裂く。


 ドワーフ累代の霊剣《夜明け呼ぶもの(コールドゥン)》の刃が震え、不思議に涼やかな音を響かせる。

 竜鱗を何枚断っても刃に傷はなく、微かな返り血さえ付着する様子はない。

 ――今は鞘に収めている《喰らい尽くすもの(オーバーイーター)》と同等か、あるいはそれ以上の切れ味かもしれない。


【グォォォッ!?】


 ヴァラキアカが、苛立つように叫んだ。

 けれど、それでも接近戦を避けようとはせず、積極的に爪を振り回し僕を叩き潰そうとしている。

 これだけの軍勢が発生してしまった以上、悠長に射撃戦を行うよりも、多少の肉を切らせてでも旗頭となる僕を迅速に断つべきだと判断したのだろう。

 思い切りがいいし、迷いがない。

 巨木の幹を思わせる腕が、空気を抉る凄まじい音とともに左右に振り回された。


「……ッ!」


 それらを躱して接近の隙をうかがった一瞬。


【■■■――!】


 竜が放った聞き覚えのない《ことば》とともに、ガクリと視界が傾いた。

 強固だったはずの地面から突如として汚泥が吹き出し、右足の足首が土に沈んだのだ。


「――!?」


 前世の知識で液状化現象だとは気づいたけれど、とっさに応手の《ことば》が出ない。

 この《ことば》は現代には伝わっていない、《失われたことば(ロストワード)》だ。

 応じようにも何が効くのか分からない。

 反射で《ことば》が出せない、熟考していたら間に合わない!


【潰れろッ!】


 足を取られ一瞬迷った僕に対して、大きなテーブルほどもある掌が、人間の胴ほどもある指が、剣のような爪が降ってくる。

 竜の体重がかかった一撃だ。

 まともに受けたらいくらなんでも支えきれないし、多少抵抗してもまとめて叩き潰される。

 逃げようにも足を取られていて、一瞬で攻撃範囲外に飛び出せる状況ではない。


「……ッ!」


 衝撃。土煙があがる。


「ウィル!?」

「ウィル殿っ!?」


 仲間たちが叫び――


【グオッ!?】


 ヴァラキアカが、はじめて明確な苦鳴を上げた。

 欠けた指(・・・・)を、信じられないものを見るかのように見つめている。


 《夜明け呼ぶもの(コールドゥン)》の刃で迎撃し、指一本だけ斬り飛ばして、その合間に身を滑りこませたのだ。

 竜の指は人の胴ほどもあるけれど、そも僕は人間の胴くらいなら、タイミングさえ合わせられれば剣一振りで両断できる。


 打ち込むタイミングは、さっきから何度もやりあったおかげですっかり掴めていた。

 ヴァラキアカは歴戦の竜とはいえ、いや、歴戦の竜だからこそ、攻撃のテンポやリズム、パターンはさほど複雑ではない。

 この理不尽な巨体と、無数の《ことば》だけで大抵の相手を圧殺できるのだ。

 そこに加えて『攻撃のテンポやリズムを複雑化する』とか『複数のパターンを持っておく』などという工夫をする必要がない。


 虎がいちいち、獲物を仕留めるために武術の鍛錬などしないのと同じだ。

 自然の強者は不自然なまでの鍛錬や工夫をしない。する理由がない。

 根本的な身体能力も、年季も劣る僕が付け込めるとしたら、そこだ。

 泥に取られた足を引き抜き、動きを繋げ、指を飛ばされた竜の動揺を突こうとするけれど、


【■■■――ッ!】


 しかしヴァラキアカもさるものだ。

 即座に束縛系の強力な《ことば》を放ち、僕の足を絡め取ろうとしてくる。

 やむなく打ち消しの《ことば》を叩きこみつつ、後方に跳躍した。


 ……補助系の《ことば》の使い方がきわめて巧みだ。ガス並かもしれない。

 恐らく武術めいた訓練をしたことがないとはいえ、練達の英雄に煮え湯を飲まされたことはあるのだろう。

 単純な、攻め手一筋ではない。


【オオオオオオオオオッ!!】

「あああああああああッ!!」


 咆哮と気合の声が絡み合い。

 再び、剣と爪、《ことば》と《ことば》が交錯する。



「射て――ッ!」



 そこに側方から、竜の巨体に向けて無数の矢が射掛けられた。

 僕が正面から竜と対峙している間に、ルゥが一隊を率いて回りこんだようだ。


「突撃――!」


 更に別方向から、もう一隊のドワーフ戦士たちが突っ込んでくる。


【ハハハ! ――それでこそよ!】


 哄笑をあげる邪竜が、更に荒れ狂い始めた。




 ◆




 爪のひと振りで、完全武装の戦士がバラバラになって宙を舞う。

 尾のひと薙ぎで、幾人もの戦士たちの上半身が、文字通りに消し飛ぶ。


 竜は《ことば》に親しき生命だ。

 霊体といえども、竜の爪牙から逃れることはできない。


「おおおおおッ!」


 けれど死せるドワーフたちの戦士たちは怯まない。

 退かず、恐れず、真っ向から竜に向かってゆく。


【ガァアアッ!】


 足に打ち込まれる剣や斧。

 次々に射掛けられる長弓の矢、弩のボルト。


 大半は竜鱗に阻まれるけれど、ここにきて僕が与えた傷が効果を発していた。

 竜の体に、少しずつダメージが蓄積してゆく。


「そこだなッ!」


 射掛けられる無数の矢に紛れ、メネルの射撃。

 元より正確無比の狙いに加え、風の妖精たちが補正を加えるそれは、僕が与えた傷口、その出血点に次々に命中する。


 その鏃は、今はミスリルの輝きを放っておらず――どす黒い(・・・・)


 何かと思えばミスリルの鏃を、沼地で採取したヒュドラの毒液にたっぷりと浸してあるのだ。

 ヒュドラの毒は、一滴で猛獣がひっくり返って痙攣するほどの猛毒だ。

 いかにヴァラキアカが瘴毒の性質を持ち、巨体で強靭であろうと、あれほどの猛毒を幾度も傷口に打ち込まれれば、流石にただでは済まない。


【ぐ、ォ……!?】


 単にメネルの矢だけであれば、対処のしようもあったのだろうけれど、今はドワーフの無数の矢の雨がある。

 メネルはそれを隠れ蓑に、竜をいいように鴨打ちにしていた。


 わずかずつ、ヴァラキアカの動きが鈍る。

 そして鈍ったところに――


「しッ!」


 レイストフさんとゲルレイズさん、そしてドワーフの英霊たちが果敢に切り込んだ。

 竜鱗が更に剥がれ飛ぶ。


 レイストフさんは、僕と違って正面から断ち切るのではなく、隙間に滑りこませて削ぎ飛ばしている。

 とてつもない早業と、熟練した技巧の為せる技だ。


【オオオオッ!】


 しなる尾の一撃が、横薙ぎに叩きつけられようとするけれど――


「皆よッ! ゆくぞッ!」


 ゲルレイズさんが中心となって、ドワーフたちが幾重にも盾を構えた。

 地面と自分の体を使って、斜めに盾を支えるような形だ。


「我ら無敵なりッ!」

「勇気の炎よッ、燃え上がれ!」


 ドワーフたちの咆哮とともに、壁のように並ぶ無数の盾。

 《しるし》の刻まれた魔法の盾が次々に効果を発動し――


【ッ!?】


 薙ぎ込まれた竜の尾が、斜め上に逸れた。

 ただのドワーフたちの並べた、無数の盾が。

 ――竜の一撃を、回避するのではなく、受けて逸らしたのだ。


「我らが故郷を――」


 そしてその時にはもう、ルゥが竜の足元に迫っていた。


「返してもらうぞッ!」


 有り余る怪力で、長柄戦斧(ハルバード)を思い切り振りかぶり――竜の足へ、フルスイングで叩きつける。

 直撃の瞬間、ものすごい音がした。

 ついにヴァラキアカの巨体が、ぐらりと傾ぎ、轟音とともに倒れこむ。


 好機だ。

 あまりに巨体すぎて狙うことのできなかった身体各部の急所を、やっと狙うことができる。

 形勢は徐々に勝利へと傾いている。

 そう考え、竜の巨体へと走り寄ろうとした僕の背筋を、ぞくりと悪寒が駆けた。




 ――邪竜ヴァラキアカは、笑っていた。





 ◆




 ヴァラキアカの口元から、黒煙が漏れていた。

 それどころか、腹や喉が赤熱しているのが見える。

 溶岩のように圧倒的な熱量を秘めた、莫大量の瘴毒の吐息が、あの腹の中に蓄えられ、はち切れそうになっているのは明白だった。


 そうだ。

 ヴァラキアカは、さっきからずっと、ブレスを(・・・・)使っていなかった(・・・・・・・・)

 ――狙っていたのだ、この状況を。


 ずっと腹の奥にブレスを充溢させ。

 主だった戦士たちを自分のもとへと引き寄せ、自分ごと全てを吐息に巻き込む、この瞬間を――!



【財宝を巻き込む故、やりたくはなかったが……】



 恐らく、己のみは耐え切れる自信があるのだろう。

 ヴァラキアカは、瘴毒と硫黄の王にして溶岩の同胞と、そう名乗った。

 いかに限界以上に蓄積したものを放出するとはいえ、自分の熱と毒の吐息が死の要因にはなりえない。


 あれはヴァラキアカの決めの一手だ。

 ――あの口から、吐息が吐き出されたら終わりだ。


【勇士どもよ――】

「《最大(マクシマ)》――」


 決断するとかしないとか、そういう何もかもを置き去りにして。


【これが汝らの滅びよッ!】

「《加速(アクケレレティオ)》ッ!」


 無我夢中で、《ことば》を唱えた。

 作用反作用が異常化する。――踏み切った足の骨が、反動で砕けたのが分かった。

 めきめきと全身の骨を軋ませながら、僕は一条の弾丸のように、竜の喉首へと飛び込んだ。


 全てが灰色になり、じりじりと進む時間の中。

 ヴァラキアカが、飛び込んでくる僕に目を見張りながら、それでも吐息で迎撃しようとするのが見えた。


「ぁ、あ、あああああああ――ッ!」


 僕は《夜明け呼ぶもの(コールドゥン)》を振りかぶり、戦いの叫びをあげる。

 この霊剣のちからを引き出すのに必要な《ことば》は、この胸の、戦士たちの記憶が教えてくれた。


 ……かつて炎神ブレイズが、地下の闇へと向かう己の眷属へと与え。

 歴代のドワーフの王たちが毎年の儀式でマナを注ぎ続けた、この剣の本質はその名の通りだ。


 神造剣《夜明け呼ぶもの(コールドゥン)》。

 夜明けを呼ぶ、それの名は――




「《太陽よ、昇れ(ソーリス・オルトゥス)》ッッ!!」




 黄金のつるぎから、まばゆい光炎が吹き上がった。

 《大空洞》を覆っていた闇が、一瞬で残らず駆逐される。


 真っ白に赤熱した、光の刃が。

 無口な炎の神さまが眷属へと与えた、ちいさな太陽が。



 ――邪悪なる黒竜の喉首へと、叩きつけられた。



 竜の鱗も、強靭な首の筋肉も。

 まるでお構いなしに、光炎の刃が抜ける。

 ――その瞬間、切り裂かれた喉笛から、貯めこまれた熱毒のブレスが噴出し、あたりかまわず炸裂した。


 爆発。

 衝撃。

 体が浮き上がる。

 一瞬。邪竜が「みごと」と口角を釣り上げるのが、見えた気がした。


 暴発するように吹き出す、瘴毒と酷熱のブレス。

 それらはヴァラキアカの口から放射され、皆には向かわなかった代わり、全て竜の喉首を斬った僕に向かってくる。


 そりゃあ、噴出寸前の水の詰まったホースにナイフを入れたらどうなるかなんて、わかりきってる。

 わかりきってるけど、考える前に体が動いてしまったのだ。

 これだけ浴びたらもう、魂も残るまい。けれど、


 ――竜と相討ちなら、上出来かな。


 そう、素直に思えた。

 これが僕の終わりだとしたら、上々じゃないか。

 神代の竜の喉首を斬り、そして果てるのだ。

 なんて立派な最期だろう。


 灼けつく炎と、骨をも溶かす猛毒の嵐が、僕を襲う。

 けれど――


「――?」


 肉を灼く痛みも、骨を溶かす苦しみも、すぐにはやってこなかった。

 腕の《聖痕(くんしょう)》が弱々しく輝き、僕を守っていた。

 その輝きは、すぐに熱と毒の嵐に呑まれてゆくけれど……



 ――マリーに「諦めてはいけません」と、叱られた気がした。



「…………ッ!!」



 ついに腕の《聖痕》の護りをも越えて、酷熱と瘴毒が叩きつけられる。

 皮が溶ける。肉が溶ける。骨が露出する。眼球が、内臓が溶けてゆく。

 その苦しみの中で、僕は歯を食い縛りながら――


 《喰らい尽くすもの(・・・・・・・・)()抜剣した(・・・・)



「■■■■■■ッッ!!」



 灼け付いた喉で声なき叫びをあげながら、失われた視界のなか、ヴァラキアカの体に刃を突き立てる。

 マナの茨が走る気配。

 毒と熱に溶かされ、失われていく肉体が、修復されてゆく。



 ……それは、気が狂いそうなほどの苦痛だった。



 全身の細胞を灼き潰され、また再生され、また灼き潰される。

 それでも必死に、溶け、また蘇生する手で、《喰らい尽くすもの(オーバーイーター)》を握りしめる。


 溶ける。

 治る。

 溶ける。

 治る。

 痛い、痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――


 ――いっそ剣を離せば、楽に、


 一瞬よぎった思考をねじ伏せる。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 生きるのだ。

 痛い。

 痛い。

 溶ける。

 体が溶ける。

 治る。

 痛い。痛い痛い痛い……

 それでも、生きるのだ。

 神さまとの、約束、だから。

 最後まで。最後まで。――最後の最後まで!


 ――生きることを、諦めるな!


 全身を灼き潰される痛みの中で。

 ただひとつの約束にすがりながら、僕は意識を失った。


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