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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第三章:鉄錆の山の王 後編〉
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39

 薄暗い《大空洞》のなか。


【かぁッ!】


 振るわれるヴァラキアカの爪に対して――


「《加速(アクケレレティオ)》ッ!」


 僕は《ことば》とともに加速する。

 邪竜に向けて、まっしぐらに。


 剣のような爪、人間の胴のような指をかいくぐり、懐へ。

 (ごう)、と頭上を、木の幹のような腕が通過する。

 下手をすれば、この一撃で首をもがれていた。


 ……巨体は動きが鈍い、なんてイメージは偽りだ。

 大きい存在は、それだけで強いし速い。

 一歩の長さが違う。腕のひと薙ぎの範囲が違う。


 耐久力だってそうだ。

 アリが画鋲で刺されれば致命傷だけれど、象が画鋲で刺されたところで皮を貫けるかも怪しい。


 そういう意味で、ヴァラキアカはまず強い。

 単純に、物理的に、どうしようもなく強いのだ。

 そのうえ――


「《刃よ(ラーミナ)》!」


 懐に飛び込み、《おぼろ月(ペイルムーン)》の穂先からマナの刃を伸ばし、脇腹の古傷らしき跡を狙って刺突を繰り出すけれど――硬い手応え。

 身を捩った竜の、鱗に阻まれた。

 竜のうろこ(ドラゴンスケイル)


 ――仮に戦うとすれば、古傷を狙うことじゃな。

 ――竜の鱗は強靭じゃ。仮にブラッドとて、竜鱗の上から肉までは断てぬ。


 ガスの言葉が蘇る。

 ブラッドでも不可能な、竜鱗断ち。

 けれど。

 けれど僕だってもう、ブラッドの背を追うばかりじゃない!


「ッ、ああああああああッ!!」


 足先から膝、腿、腰の捻りから肩、腕、手首。

 全身の動きを連動させて、技巧と筋力の限りを尽くし、止められた刃を更に押しこむ。


【グぅッ!?】


 ヴァラキアカが呻きを上げる。

 強靭で巨大な鱗を貫通した、確かな手応え。

 そして更に、


「《加速(アクケレレティオ)》ッ!」

【ぉおおおおおおおッ!?】


 叩きつけられる腕の一撃から逃れつつ、《おぼろ月》を刺したまま加速。

 腕全体で槍を抱え込むようにして走り、ヴァラキアカの脇腹にマナの刃で一直線の傷を描く。

 そのまま立ち並ぶ大型炉の隙間に逃れようとするけれど、それを見逃すヴァラキアカではない。


【っ、はははッ、竜鱗の護りを抜くか! ……眠気覚ましには程良い刺激よッ!】


 叫び、息を大きく吸い込む気配が背後でする。

 おそらく放たれようとしているのは、瘴気(ミアズマ)を帯びた酷熱の竜の吐息(ドラゴン・ブレス)だろう。

 いくら魔法と奇跡で幾重にも守られているとはいえ、直撃したら骨まで焼けて爛れても驚くには値しない。


「……ッ!」


 けれど、死の吐息が僕の背に叩きつけられることはなかった。


「相手はウィルだけじゃねぇぜ!」

「しッ!」


 見なくとも分かる、メネルとレイストフさんだ。

 僕が真正面から突撃している間に、すでに彼らは散開して左右に回り込んでいる。

 二人は竜に正面から突撃できるかと言えば難しいけれど、それでも竜に痛手を与えられるだけの使い手だ。


 メネルの《テルペリオンの銀の弦》が幾度も流麗な弓音を鳴らし、ミスリルの矢は《大空洞》の暗闇をその輝きで切り裂いて走る。

 レイストフさんの無銘の剣は神速の剣技とともに閃き、ガスの《しるし》が刻まれた斬撃は、くねる蛇のように伸長してヴァラキアカを襲う。


 メネルの狙いは、ヴァラキアカの黄金の隻眼。

 レイストフさんの狙いは、ヴァラキアカが重心をかけている足の、その指だ。


 それぞれに眼球を射通す程度の弓勢がある、指を切り落とすだけの鋭い斬撃がある。

 いかに太古の邪竜といえど、これは無視できない。


【ちぃッ!】


 首をひねり、足を引き、回避せねばならない。

 そうして姿勢を崩せば、今まで通りの狙いを保つことはできない。

 大型炉の隙間に到達すると振り返り、首を振り回しながら乱雑に放たれた吐息の余波を、大盾で防御する。


「……ッ!」


 吹きつけられる黒煙めいたブレスの余波は、人間一人を丸焦げにしてなお余る熱気を帯びていた。

 けれど全身にかけた防御の魔法と各種の祝祷、そして熱と毒に対する防護の《しるし》の刻まれた、魔法の大盾によって耐え凌ぐ。


 ――余波でこれだ。

 直撃したら即死どころの騒ぎではないだろう。

 魂ごと灼かれて輪廻から消えてしまうというのも、ひょっとして本当のことなのかもしれない。


【なるほど、なかなかの連携よ、なぁッ!】


 爪で床の石畳をあっさりと抉り出すヴァラキアカ。

 腕を振る勢いのまま、無数のつぶての弾丸と化しレイストフさんへと迫るそれが、ゲルレイズさんの《つるぎ砕き》の盾と鎧に叩き落とされる。

 構わず追撃しようとするヴァラキアカに、今度はなんと、《大空洞》内部に建てられた古い木造の櫓が崩れ落ちてきた。


【……!?】


 誰かと思えばルゥだ。

 《金剛力》のハルバードで、壊しやすそうな櫓の柱を叩き砕いて竜へと傾かせたのだ。

 振り払うヴァラキアカだけれど、砕けて散乱した木片に視界を塞がれる。



 ――今だ、と思った。



 長期戦は、どう考えても、不利なことにしかならない。

 神話のドラゴンがスタミナ切れを起こす、なんて考えづらい。

 ヴァラキアカの体力は無尽蔵と見積もったほうが良いだろう。


 耐久力だってそうだ。

 ヴァラキアカは何発だって、僕らの攻撃を食らう余裕があるだろう。

 だからこそ今も、本気で暴れ回らず小手調べのように、愉しみながら戦っている。

 対して僕らは、ヴァラキアカの攻撃が一発でも直撃すれば終わりだ。


 相手は何発受けてもまだまだ攻撃のチャンスがあり、こちらは一撃いいのを喰らえば終わり。

 そうと分かって挑んだにしろ、とんでもない条件の不公平さだ。


 まっとうに押し合って勝とうと思えば、まず針の穴を通すような攻防を何度も何度も成功させ……

 そうしてようやく本気になったヴァラキアカに対し、更に難度の上がった攻防を、何度も何度も成功させてようやく勝利がちらつくかどうか、といったところだ。

 高難度とか、そういうレベルじゃない。無理だ、不可能だ。

 体力がもたない。集中力がもたない。一生分の幸運を使い果たしても、なお届かないほどの幸運がいる。


 だからこそ。

 ――ここで、これに賭ける。

 僕は槍と盾を炉に立て掛け、両手を広げた。



「《縛り付け(リガートゥル)》、《結び目よ(ノドゥス)》――」



 莫大量のマナが収束し、奔る。

 極めて正確に、高速に詠唱した《ことば》は流星のようにヴァラキアカに向かう。


「《束縛し(オプリガーディオ)》、《結びつけ(コンキリアット)》っ!!」


 櫓の倒壊で視界を塞がれた邪竜を、マナの鎖で縛り付ける。

 幾重もの、強固な束縛の陣だ。


【《破壊よ在れ(ワースターレ)》!】


 即座に竜より放たれた《破壊のことば》が渦を巻き、鎖をねじ切ろうとするその瞬間には、僕は対応を終えていた。

 右手で描いた《守護》を意味する《ことば》で渦動を妨げる。

 左手で描いた《消去》を意味する《ことば》が渦動を消し去る。


【……ッ!?】


 ――三重魔法行使(トリプルキャスト)

 《彷徨賢者(おじいちゃん)》の十八番であり、ずっと鍛錬を繰り返してきた僕の技でもある。

 特にこの連携は、不死神の《木霊》とガスの戦いを見たあの日、目に焼き付いた――奥の手中の奥の手だ。


「《青褪めた(パッリダ)》《死は(モルス)》《等しき足どり(アエクォー・)で蹴り叩く(プルサト・ペデ)》……」


 周囲を経巡る莫大量のマナを、大きく腕を広げ掻き寄せるイメージで、一点にかき集める。

 それをするさなかにも、朗々と《ことば》を紡ぐ。

 更に同時に、流れるように《しるし》を描く。


【よもやそれ(・・)を、実戦で放つか!】

「《貧者の(パウペルム・)小屋も(タベルナース)》……」


 竜の叫びも気にならない。

 ほとんど忘我の、極度の集中状態で、僕は繊細なマナの調整と、略式の儀式動作をやりとげる。


「《王者の(レグムクェ・)尖塔も(トゥッリース)》!!」

【――■■■■!】


 はじめて、ヴァラキアカが無駄口を叩かなくなった。

 軋るような竜独特の発声で、何か《ことば》を猛烈な勢いで朗唱しはじめる。

 けれど、もう遅い。


 それは本来、数人がかりで息を合わせて行う儀式魔法。

 一人ではまず行えないはずの、究極の魔法のうちの一つ。




「――――《全存在の抹消ダムナティオ・メモリアエ》ッッ!!!」




 肉体、魂、現象。森羅万象ありとあらゆる《ことば》と《ことば》の連なりをずたずたに分断し、遊離させ、無意味化してマナに還す、無色透明の崩壊の波動。

 《ことば》による破壊の極地。

 ……《存在抹消》の破壊の波動が、ヴァラキアカへと叩きつけられた。




 ◆




 まるで巨大な獣の顎に噛みちぎられるように、クレーター状に抉られた床。

 波動により何もかもが消滅した空白を埋めようとするかのように、《大空洞》内部に風が吹き荒れた。


 竜の姿は、ない。

 波動に呑まれて消滅したように、見えたけれど――


「……や、った?」


 ルゥが、きょろきょろと辺りを見回しながら言う。


「っぽい、な……」

「勝つ時は案外、あっけないもの……ですな」


 メネルがそう言い、ゲルレイズさんも同意する。

 レイストフさんは、辺りを慎重に見回してから、頷いた。

 荒れ狂う風に、ばたばたと外套の裾がはためく。


「…………」


 竜は消滅した。

 相手が遊び気分でいるうちに。ルゥが作り出した隙をついて、極大の破壊魔法で存在ごと消し飛ばした。

 そのはずだ。

 ――そのはずなのに、どうしてか勝利を確信できないのは、あまりにあっけなく、唐突だからだろうか。


 戦いの全てが、魂を賭けた死闘で決着がつくわけではない。

 格下のはずの相手にあっさりと刺されてしまうこともあるように。

 格上の相手に、ひょんなことから安く勝ちが転がり込んでくることだってある。

 ……ある、はずなのに。どうにも、実感が湧かない。


 果たして本当に勝ったのか。

 あまりにもあっさりと転がり込んだ勝利に、誰しもが未だに実感が湧かない様子だった。


 不思議と空虚で、手応えのない皆の間を、風が吹き抜ける。

 びょうびょうと、吹き渡っている――




 風が(・・)吹いている(・・・・・)




 それに気づいた瞬間、背筋にぞっと極寒の冷気が走る。

 とっさに槍と大盾を構えると同時に、叫ぼうとした。


「駄目だッ、まだ――」


 けれど、遅かった。


「が……ッ!?」

「……ぐあッ!?」

「ごふっ」

「ぐぅぅ……ッ」


 四人分の鮮血が舞った。

 そして同時に、構えた大盾に猛烈な衝撃が走り、吹き飛ばされる。

 瓦礫の転がる床を何度も跳ねるように転げる。


 ――風から(・・・)爪が生えていた(・・・・・・・)


 わけがわからない形容だけれど、そう表現するほかない。

 吹き渡る風が、一瞬、鋭い爪に変化したのだ。


 ふと。子供の頃、ガスから聞いた昔話が、脳裏をよぎった。

 ――動物に変身したものの、動物の思考に染まりきって獣と成り果ててしまった魔法使いの話。


「《変化》の、《ことば》……?」


 愕然と、つぶやく。


【クハハ、ご名答】


 四人の血を吸った禍つ風が渦を巻き。

 再びクレーター上に、竜の姿が形成される。


 《変化のことば(メタモルフォーゼ)》。

 ……人間はまず使わない。というか、使えない《ことば》だ。

 動物に短時間変身するだけでも、思考が動物にひっぱられて帰ってこられなくなるリスクが高い。

 まして無機物に変化するなど、もう一生、人には戻れなくなる覚悟がいる。

 よほどの事情がない限り、弾丸がランダムに数発入ったリボルバーをこめかみに当てて、引き金を引くに等しい《ことば》なのだ。


 けれど、そうだ。

 そもそもヴァラキアカは、どうやってあの巨体で――この(・・)地下の王国に侵入した(・・・・・・・・・・)


【気づいたか。そうだ――】


 邪竜が笑う。

 愉しさをこらえ切れないとでもいうように、哄笑する。



【――我らは、ことばに親しき(・・・・・・・)ものなれば(・・・・・)



 ……上古の竜は神話の住人。

 《創造のことば》に最も親しき存在。


【なるほど《存在抹消》であれば、我をも消し飛ばせような】


 黄金の瞳が、僕を射抜く。

 強靭な顎から、瘴熱の吐息が漏れいでる。


【――当てられれば、の話ではあるが】


 《存在抹消》のことばの軌道を、完全に見切られた。

 見切ったうえで、直後に強風が発生することも熟知し、《変化のことば》で消滅したように見せつつ風に変化。

 炸裂後に吹き荒れる風に紛れて、爪で全員を薙ぎ倒す。


 ――究極の破壊魔法に対してさえ、対処法を熟知している。


 いや。それどころか恐らく、他のどんな《ことば》を選択していたとしても、同じだ。

 過去に遺失した《ことば》や《しるし》も含め、この竜はあらゆる戦場で、あらゆる《ことば》と戦い、その全てを把握し、打ち破ってきたのだ。


「…………」


 これが、竜。

 これが神代の、邪竜なのか。


 心のなかに、冷たい気配が、じっとりと染みこんでくる。

 僕は、それを知っていた。

 ――そいつの名は、絶望という。


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[一言] >「……や、った?」 フラグというか、王道展開が炸裂する。
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