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――闇に目を凝らし、沈黙に耳を澄まし、死に思いを馳せよ。
――光は闇の、言葉は沈黙の、生は死のうちにこそ、あるべければ。
『灯火の神グレイスフィールの箴言』
◆
死の、その時の記憶は曖昧で、混濁していた。
……僕は日々の大半を、薄暗い部屋の中で過ごしていた。
しくじったのだ。
どこかで何かをしくじったのだ。
しくじった結果、ほとんど家の外に出られなくなった。
家族は、生ぬるい態度で僕に接した。
叱りはしなかった。
嘆きもしなかった。
ただ曖昧に、困ったように笑いかけた。
月並みに慰め、いつも通りに遇した。
それは優しさだったかもしれない。
だが、それが僕には毒になった。
そのうちに、このままではいけないという焦燥感が、かきむしりたくなるほどに胸を焼いた時。
中途半端に居心地の良い部屋が。
植え付けられた外への恐怖が。
何も言わない家族が。
たった一歩、踏み出すことを躊躇わせた。
もしかしたらやり直しができたのかもしれない。
しくじった次の日に。
あるいはその次の日に。
一週間後に。一ヶ月後に。一年後に。十年後だって。
踏み出せば、何かは変わったのかもしれない。
だけれど、僕は踏み出さなかった。
踏み出せなかった。
ほんの一歩を踏み出す勇気がなかった。
ほんの一歩を踏み出させてくれる、『何か』が欠けていた。
あるいは『何か』が欠けているのだと自分に言い訳をした。
踏み出せないでいるうちに、諦める理由ばかり積み重なっていった。
……もう遅いから。
……もう取り戻せないから。
……もう、何をしていいのか分からないから。
……もう今さら何かしたって、笑われるだけだから。
焦燥感は募るのに、何もかも億劫で。
踏み出したいのに、踏み出すことは怖くて。
何かしたいのに、何をすれば良いのかは分からず。
生きるのは辛いのに、しかし死ぬほどの激情はなく。
僕は淀んだ水のように、与えられた食物を口にし、安っぽい娯楽を浪費し、惰性で生きていた。
失敗を恐れ、最後の破滅から目をそらし、半ばは自覚しつつ愚かしさに身を委ねたのだ。
死の記憶が曖昧なのは。
きっとその生がどうしようもなく曖昧で、混濁していたからだろう。
薄暗い部屋。
昼夜の逆転した生活。
モニターの光。
キーボードを叩く音。
断片的で混沌としたそれが続く。
そして、わずかに鮮明な記憶。
モーターの回る音がする。目の前を、白い棺を載せた台車が進む。
無機質な機械音とともに火葬炉の扉がゆっくりと閉まってゆく。
そのまま、閉まった。
それは、朧な記憶の中で僅かに鮮やかな、両親の死の記憶だった。
骨になった両親を前に。
僕は、涙を流しただろうか。
全ては靄の中だ。
ただ一つ記憶から分かるのは、それをきっかけに踏み出すには、もうすべては遅すぎたこと。
再び、曖昧な日々が戻り、いつしか途絶えた。
死の、その時の記憶は曖昧で、混濁していた。
きっとその生がどうしようもなく曖昧で、混濁していたからだろう。
――最後に、淡い灯火を見た気がした。
◆
「うぁ……」
曖昧で混濁した記憶から目覚めた。
薄暗い天井が見え……
そして、ぬっと、僕の眼前にドクロがあらわれた。
虚ろな眼窩に青い鬼火を宿したドクロが、かたかたと顎の骨を鳴らしながら僕に手を伸ばしてくる。
「う゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ……っ!?」
僕は悲鳴をあげた。