予選開始
「はーい! 天覧武道会予選参加者のみなさま! おはようございまーす! 本大会の司会進行兼実況役を勤めさせていただきます、パセリと申しまーす! これから数日間の短いおつきあいではございますが、よろしくお願いいたしまーす!」
突貫工事で作られたであろう木造の特設ステージ上で若い女が元気いっぱいに挨拶をしている。シンをはじめ、予選参加者は全員砂浜に集められていた。ざっと見積もっても、千人以上はいるように思える。
「本日の参加者はなんと総勢千三百八十四名! たくさんのご参加ありがとうございます! しかーしッ! この中から本戦に進むことができるのは、見事予選を勝ち抜いた八名! たったの八名! 狭き門でございます!」
身振り手振りを交えて元気いっぱいだ。大きな声に、滑舌も良く聞き取りやすい。申し分ない司会進行と言える。けれども、シンはある点が気になって仕方なかった。
耳がぴこぴこ。尻尾をふりふり。
彼女の動きにあわせて、頭から生えた猫のような耳とお尻に繋がっている細長い尻尾がせわしなく動いていた。非常にチャーミングなのだが、実際に生えているのだろうか。演出のひとつだとは思うのだが、はっきりさせてくれないと、気になって夜も眠れそうに無かった。
「予選会場はあちらの孤島。通称キメラの島です!」
パセリが右手を掲げて示した方角には、ぷかぷかと波間に漂うようにして、ぽつんと小さな島が浮いていた。かなり遠い。そのせいで小さく見えるだけかもしれない。実際のところどれくらいの広さがあるのだろうか。目測がつかなかった。
「それでは」
パセリは大きく息を吸った。
「予選開始!」
号令ひとつ、それを合図にして参加者一人一人がそれぞれ光球に包まれた。
何が起こるのかと思う暇もあればこそ。
重力から解き放たれた感覚とともに、急激に体が後ろに引き倒された。
加速していると気づいた時には、すでに空の上だった。ひたすら真っ直ぐ飛んでいく。どんどん島へ近づいている。山があり、川も見えた。思っていたよりも、ずっと大きな島だ。
どうやら着地する場所は選べないらしい。弾丸のように森に突っ込んだ。受け身を取って、地面に転がった。
「みなさまー。無事に到着しましたかー。無事だった人はおめでとうございます。けがをしてしまった人は少しハンデを背負うことにはなりますが、これからいくらでも挽回できます。頑張ってください」
青空を覆う樹冠の隙間から、白い怪鳥に乗ったパセリの姿が垣間見えた。島の上空を周回しながら、何かをばらまいていた。
「キメラの島、か」
シンは人ひとりが乗り回せる大きさの鳥など見たことが無かった。おそらくパセリの耳と尻尾も本物だろう。キメラとは合成獣の総称だ。幼馴染の性別が変化していくのを目の当たりにして耐性ができていた。耳や尻尾が生えた人間に出くわすこともあるだろう。
「それでは予選のルールを説明いたします。ルールを列挙した紙はみなさまの足元にも転がっていると思いますので、そちらを見ていただいても結構です」
シンは少し離れたところに落ちていたそれらしい紙を拾い上げた。
天覧武道会予選ルール一覧。
場所:キメラの島(予選会場)
基本ルール
「千ポイント達成で本選出場権を得る」
「本選出場権を得たものが八人になった時点で予選は終了とする」
「出場権のためのポイント使用は、パセリへの自己申告をもって完了とする」
「ポイントは他の参加者へ譲渡できる」
ポイント獲得のためのクエスト一覧。
・モダンキメラを召喚して倒す。(三千ポイント)
・ヒューリーマウンテンのドラゴンを倒す。(二千ポイント)
・メイシン湖の謎を解明する。(千ポイント)
・ファイアストーンを取得する。(百ポイント)
・ウォーターストーンを取得する。(百ポイント)
・ウインドストーンを取得する。(百ポイント)
・アースストーンを取得する。(百ポイント)
・ファイアストーン、ウォーターストーン、ウインドストーン、アースストーンを全て取得する。(五百ポイント)
・妖精を捕獲する。(五百ポイント)
・予選参加者を殺害する。(マイナス三百ポイント)
ポイントの管理方法
・島のどこかにある「フーセン」の換金所でポイント通帳を作成する。
他にも色々細々としたことは書いてあったが、要約すると、クエストを達成してポイントを集めれば良いということらしい。単純な魔法の力ではなく、問題解決能力を試したいようだ。
シンは村へ行って情報収集することに決めた。
まずは現在位置と方角を調べたいが、太陽の位置からはおおよそのことしかつかめないし、コンパスなどという気の利いたものは持っていない。魔法を使って探る手もあるが、しかし、それは当面できそうになかった。島に落とされた時点から、すぐ近くに人の気配を感じていた。体にまとわりつくような気味の悪い感触は、相手が人間以外の動物ではありえなかった。
「おい。そろそろ出てきたらどうだ?」
「ふふ。きみはなかなかできそうだ」
警戒しつつ声を発すると、木々の間から一人の男が現れた。金髪碧眼、美貌の青年騎士。シンは見覚えがあった。
「お前はあの時の!」
「いつだ? 私には覚えが無い。すまない」
一刀両断に切り捨てられた。だが、いまのは自分が悪かったと思い直した。シンはあの時――クリスが予選会場で絡まれていた時――遠巻きに見ているだけだった。そのあとクリスとは仲良くなれたが、青年騎士の印象に残っていなくても当たり前だ。彼からしてみれば、シンは何もしていないのだから。
「予選会場でメイドの女の子が絡まれていただろ。あの時見てたんだ」
「ああ。あの時か。つまり野次馬の一人だな」
青年騎士は得意げな顔をして鼻で笑った。
「きみ。良かったら町の近くまで一緒に行かないか。一人よりは二人の方が何かと心強いだろう。まぁ私は一人でも構わないのだが」
完全に舐められていた。
「俺だって一人の方が捗る。助けはいらない」
シンは臨戦態勢に入った。いつでも、どこからでも魔法を放てるコンディションに体を持っていく。青年の眉間に皺が寄った。
「バカが。命までは奪わないでおいてやる。ルール違反だからな」
腰の帯剣に手をかけた。隙のない良い構えだった。
一触即発の張りつめた空気を切り裂くように、鳥の甲高い鳴き声が辺りに響いた。
シンが地を蹴ると同時に、青年も駆けだした。しかし、お互いに相手を見ていない。見ているのは、その背後。シンが気配を感じていたように、青年も気づいていた。
人の気配は一つでは無かった。
むしろ、青年の気配はその姿を見せられるまで感じ取れていなかった。
青年が駆け抜けた後を丸太のような棍棒が粉砕した。シンの背後でも地面が抉れ、土の塊が飛び散っていた。
豚のような醜悪な頭をした奇怪な男が鼻息と涎を撒き散らしながら、木陰から飛び出すやいなや、強烈な一撃を打ちつけた結果だった。
体長二メートルを超えようかという巨躯に、毛むくじゃらな肉体。耳の近くまで裂けた口からぎらぎらとした牙が二本突き出していた。
シンは臆することなく豚男の顔面を拳で殴りつけると同時に炎で焼いた。
肉体強化と魔法攻撃のコンビネーション。魔法使いの最も基本的な戦術だ。魔術で強化された肉体の動きは、豚男の反応速度を容易に凌駕した。
「ぶひひぃ!」
二発、三発と連続して打ち込んでやると、豚男は豚そのものの悲鳴を上げて逃げ出した。
シンは追わなかった。青年の方を振り返ると、向こうも同じような状況だった。ただし、あちらの豚男は片腕が切り落とされていたが。
「思っていたよりもやれるようだ」
青年は長剣を鞘に戻した。シンが女だったなら惚れてしまいかねない爽やかな笑顔だった。
「私はレイア。今度は正式にお願いする。村まで一緒にいってもらえないだろうか」
恭しく一礼する。何をしてもいちいち様になっていてなんとなく面白くないが、青年の実力は本物だった。
「よろしく頼む。俺は」
「ああ。名前なら知っている。シンだろ? 優勝候補二人と仲良く話していたからな。どれほどのものかと思って試したんだ。金魚の糞だったら目も当てられないが、お眼鏡に適ったというわけだ。喜びたまえ」
一度協力を承諾した手前、すぐに解消を言い出すのは礼儀に反する。労せず町に着けるなら難があるその性格に我慢してもおつりがくると、シンは自分に言い聞かせた。
結論から言ってしまうと、その判断は間違いだった。二人そろって森の中で迷う羽目に陥った。自信満々で歩いていくから、森から抜け出す道を知っているものだと思い込んだのが愚かだった。
「どうやら迷ったらしいな」
シンが言い出す前に自ら認めたことだけは評価しよう。尊大な態度は相変わらずだが、正直なやつだった。
ところで、レイアが全く魔法を使おうとしないのには何か理由でもあるのだろうか。もしもアニマが一緒だったなら、髪の毛一本引き抜いて、瞬時に町の方角など判明させただろうと思われる。アニマに限らず、魔法使いなら誰だってそうしそうなものだ。シンは記憶の底を浚い、見よう見まねでやってみることにした。
シンの髪の毛はアニマのように長くは無いが、それは仕方ない。レイアに頼むのも嫌だった。ぶちっと一本前髪を引き抜き、魔法をかけると、右に漫然と揺れたが、イマイチ方角が定まらなかった。
「もしかして、相当の手練れか、きみは。魔術の流れもスムーズだ」
「そうか? めちゃくちゃ下手くそだと思うぞ。時間がかかり過ぎているし、正確さにも欠ける。そのせいで、アニマにはいつも笑われる」
レイアは驚きに目を見開いているが、おそらく演技だろう。シンはその手の詐欺には引っ掛からない。自分より魔法が下手な人間などお目にかかったことが無かった。
「そ、そうだな。意外と騙されないやつだ。天覧武道会の参加者なら、それくらいできて当然だ」
釣り針に引っかからなかったのが悔しいのか、レイアは謎の強がりを言ったが、いくらなんでも餌が大きすぎるだろうとシンは思った。
「できれば、代わりにやってくれないか。見ての通り下手なんだ。手の内を晒すのは嫌だろうが、こんなことくらい出し惜しみしなくていいだろ」
長い髪の方が魔法をかけやすいはずだし、効果も目に見えやすい。それなのに、レイアは何故か苦渋に満ちた顔をしていた。
「そんなに嫌なのか?」
「そんなことはないぞ!」
レイアはさっと髪の毛を一本引き抜いた。惚れ惚れするくらい綺麗な金色だ。どうせ道標にするなら、レイアの髪の毛の方がいいとシンは思う。下手な魔法をわざわざ披露する手間も省けて万々歳だ。
しかし、いつまで待ってみてもレイアは魔法を使い始める様子が無い。
「すまないが」
「わかっている!」
シンが急かしてみても、まだ始めようとしない。いい加減シンは焦れ始めてきた。もう一度声をかけるかどうか迷っていると、ようやくレイアは魔術を開始するそぶりを見せた。が、すぐにやめてしまった。しかも、仏頂面で金色の髪の毛を一本押しつけてきた。
「今日はなんとなく調子が悪い。きみがやってくれ」
「まぁいいけど。かなり時間はかかると思うから、そこは容赦しろよ」
丁寧にひとつひとつ魔術を構成する。アニマのような熟練の魔法使いは色々ショートカットするせいで、実は参考にすると、痛い目に合うことが多い。彼らが一瞬でやってしまうことでも、シンがやると数十秒かかったりする。シンはそれでいいと思う。少しずつ、確実に差を詰めていく。それをしないといつまで経っても追いつける気がしなかった。
金色の髪がぴんと張りつめ、一方向を指し示した。
「たぶんあっちだと」
「ここまで迷ったのは私の責任だ。従おう」
やけにあっさりと引き下がったのが不気味なら、急におとなしくなって、シンの後ろを一言も発せずついてきたのは、輪をかけて不気味だった。びくびくしながら、金の道標を頼りに歩いていく。ほどなくして森を抜けた。まだ距離はあるが、遠くに人家も見えてきた。
「やはりきみは凄腕の魔法使いのようだ。半信半疑だったが、いま確信した。もし私に任せていたら、いまだ森の中をさまよっていただろう」
レイアは真顔でベタ誉めしてくる。嬉しいような、気恥ずかしいような気もするが、それ以上に不気味だった。
「どうした? 行かないのか?」
レイアは剣術に関してなら間違いなく一流だ。しかし、剣と魔法に相関関係は無い。これまでは魔法を使うような場面が無かったから、その可能性に思い当たらなかったが。しかし、本当にそうなのだろうか。現にアニマは超一流の魔法使いだが、魔法なしで戦えば、シンが圧勝する。
「まさか、魔法全然ダメなのか?」
ふとわいてきた疑問をストレートにぶつけてみた。レイアは答えない。
「魔法、できないのか」
「何を言う! 今日はたまたま調子が悪いだけだ! この私ともあろう人間がたかだか魔法の一つや二つ。使えないわけがなかろう」
乾いた笑いが怪しすぎる。
初心者のシンですら失敗しないような魔法だ。天覧武道会に挑もうという人間ができないはずはないとシンも思う。思うが……。
「使える!」
「それはそうだ。こんな魔法を使えない人間がいたら逆に驚く。すまなかった」
本当に調子が悪いだけなのかもしれない。出会ったばかりの人間を疑ってばかりいたら、何も始められない。シンはあえて気にしないことにした。
「わかってもらえたようで何よりだ。さあ、先を急ごう」
答えに満足したのか、レイアはひとつ頷くと、町に向かって歩き始めた。