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宿

「アレで良かったのかな」

 クリスを帰したあとで、アニマが珍しく弱気に呟いた。

「どうだろうな。はっきり言って俺も自信ないよ。結局はクリス自身の問題だ。彼が自分で何とかするしかない」

「そうだよね。そうなんだけどね」

 アニマはクリスが帰って行った方向を名残惜しそうに見つめた。

 クリスのことは気にかかるが、シンにもとある問題が急浮上してきていた。空が茜色に染まりつつある。じきに日が暮れるが、今夜泊まる宿をまだ決めていなかった。

「さ、行こうか」

 行き先も告げず歩き始めたアニマを慌てて追いかける。

「行くってどこに?」

「そんなの決まってるじゃない。もうすぐ夜だよ。ボクは宿に行くつもりだけど。あ、なんか他に生きたいところあった?」

 歩きながら、アニマは折りたたみ式のステッキを伸ばし、その上に横座りすると、宙に浮かんだ。高さと速さは歩いている時と変わらない。単に歩くのが面倒になったらしい。

「宿取ってあるのか! どうしようかと思っていたところだったんだ」

「それは取ってあるよ。大会期間中はずっとこの街にいるわけだから。無理に誘った手前、宿くらいは用意しないと悪いかなって。この体で野宿は怖いし」

 膝上丈のフレアミニスカートをつまんでみせる。オーバーニーソックスとスカートの間で保たれていた絶対境界線が揺らぎ、かなり危うい緊張感をシンにもたらした。

「まぁボクみたいな男女なら襲われないかな」

「そんなことはないと思うぞ。見た目だけなら、アニマは凄く可愛い。元男だと知らないやつからしたら、充分そういう対象になりうると思う」

 シンは思うまま言っただけなのだが、何故かアニマは急停止してつんのめっていた。

「シン。誰にでもそういうこと言ってるの? 可愛いとか、彼女にしたいとか」

「まさか。全然」

 アニマに言われて気がついた。アニマは顔を赤くして目を合わせようとしない。

「お、俺は男だと知ってるから、そんなふうには見てないぞ!」

「知ってるよ! わざわざ言わなくていいよ!」

 道端で大声を出して言い合ったのは失敗だった。通りすがりのおばさまたちから、生暖かい声援を頂戴してしまった。

 一度意識し始めると、アニマのことを「男」として見るのは難しい。というよりは、不可能に近かった。見た目に惑わされているだけだと、視覚情報など無視して、内面に目を向けろと、心の中で何度叫んでみても、恥ずかしそうに俯いて顔を背けている姿を見せられるたびに、記憶はリセット、漂ってくる甘い薔薇の香りに理性は溶かされ、何故香水などつけているのだと突っ込んでみても、全く持って無意味だった。

 薄暮に輝く星の瞬きに魅せられたように、シンはアニマの姿を追ってしまう。二人でふざけあっていたいつもの空気など夕焼けとともに空に吸い込まれて消えた。停滞した生ぬるい風が二人の間を行き来する。

 一言も口を聞けないまま、チクタクチクタク、ぎこちなく歩調を合わせる。行先を知らないシンは先に進めないし、知っているはずのアニマは先走りしそうになって、何度も急ブレーキをかけていた。

 どれだけ歩いたかも覚えていない。気がつけば、アニマはステッキから降りて、白い瀟洒な建物を背に、シンの反応を待っていた。大きな格子門の奥に見え隠れする、これまた巨大な噴水は外灯の光をきらきらと反射して煌めいていた。

「ちょっと豪華なホテルにしてみました。どう? 気に入った?」

 ひとりでに開いた門を通り抜けると、正面の噴水を迂回するようにして玄関まで一本道が続いていた。道脇に植えられた背の低い樹木のひとつとして形が整っていないものはない。完璧に人の手が行き届いた庭園だった。

「こんないいところに泊まったら、罰が当たりそうだ」

 以前、シンがアニマと寝食をともにした宿は良くも悪くも庶民的だった。真夜中に転がり込んできたアニマを放り出すこともできず、なし崩し的に数日を一緒に過ごしたが、その宿とは外観からしてレベルが違う。

「前から思ってたけど、アニマの家って」

「金が有り余ってる感じ?」

 さらりと言ってのけられたせいで、嫌味も何も感じない。シンは黙って頷くだけだ。アニマは笑っていた。

 玄関扉を抜けて、エントランスホールの壁に掲げられた肖像画をなにげなく目にした瞬間、シンは目玉が飛び出しそうになった。思わず自分の隣の人物と見比べる。日傘をさした貴婦人の油彩画なのだが、似過ぎている。何度目をこすってみても、印象は変わらない。

「五十年以上前に描かれたものらしいよ」

 さらさらと記帳を済ませながら、アニマは言う。

 前言撤回。さすがは伝説級の魔法使いミレニアだ。その直系であるアニマは単なる金持ちの家の子ではない。名実ともに由緒ある、やんごとなき家のご子息さまだった。女だけど。

「部屋は三階だって。いこいこ」

 手を引かれて、階段を慌ただしく駆け上がる。その手の小ささと柔らかさに不意打ちされ、心臓がドキドキと高鳴った。アニマの顔は見えない。見えなくて良かった。見られなくて良かったと言うべきか。動揺を隠せそうに無かった。

「はい。到着」

 何事も無かったかのように、あっさりと手は離された。シンは少しだけ寂しいような、もったいないような気分を味わった。慣れないこと続きで気持ちが高揚していた。

 部屋は二人で寝泊まりするには、十分過ぎるほど広かった。リビングルームにはゆったりとしたソファーや木目調の美しいテーブルが備えられており、その奥のベッドルームには天蓋付の巨大なベッドが鎮座ましましていた。

「あちゃー。やっちゃったかな」

 あまりの豪華さに度肝を抜かれていたシンの横で、アニマが不満の声を上げていた。ため息までついている。訳が分からなかった。

「シンはこのままでいい?」

「良いも何も、文句のつけようがないと思うんだが」

「じゃ、いっか。ベッド一つしかないけど」

 改めて確認すれば、アニマの言う通りだった。広々としたベッドにふかふかの枕が仲良く二つ並べられていた。

「やー。失敗したなー。いちいち説明するのが面倒くさかったから、男女一人ずつで一部屋お願いしたんだよねー。失敗、失敗」

 アニマの棒読みになんとなく嵌められた気がした。本質的には男同士なのだから、何の問題もない。だが、やはり問題はあるような気がする。

「アニマ!」

「うん? なに?」

 抗議しようとしたが、とてもできなかった。アニマはスカートを脱ぎ捨てるところだった。シンは慌てて後ろを向いた。

「お、お前は少しは恥じらいを持て!」

「恥じらいって。シンはボクが元々男だって知ってるじゃん。気にしすぎだよ」

 背後では衣擦れの音が続いている。シンが気にしすぎなら、アニマは無頓着で無防備すぎた。一緒のベッドで寝ることにも、特に抵抗を持っていないように思える。

「着替え終わったよ」

 安心して振り向いたせいで、卒倒しそうになった。だぶだぶの服を一枚着ただけで、下はお留守のままだ。肩出し、生足、露出狂。てるてる坊主も真っ青になって、大会初日は快晴に違いない。

「いいんじゃあないか」

 シンは顔面をひくつかせながら、やけくそになって言った。うろたえれば、うろたえるほどアニマを調子づかせるようで、癪だった。

「あ、いいんだ」

 小悪魔のように挑発的な笑みを浮かべると、背中に隠し持っていた切り札を見せびらかしてきた。お椀型の黒い布が二つ並んで繋がっている特徴的な形。男には一生縁の無いはずのそれを、しかし、女になってしまった体には必要不可欠であろうそれを、アニマはすでに上半身から取り外していたのだった。

「だから恥じらいを持てと!」

「いいじゃない。誰の目があるというわけでもなし。家の中でくらい男みたいにふるまわせてよ」

 両手を合わせて頼み込まれると、アニマの心情も理解できなくはないだけに、シンは断りきれなかった。渋々ながら了承したが、すぐに後悔することになった。

「わーい! ありがとーっ!」

 両手を上げて抱きつかれ、そのままベッドに押し倒された。反射的に抱きとめたことをシンは後悔した。下着もつけていないのに、アニマは胸をぐいぐいと押しつけてくる。男にはあるはずのない二つの柔らかなふくらみがむにむにとシンの本能を刺激する。逆境に耐え、理性を総動員して、シンはアニマを放り投げた。華麗な巴投げだ。油断していたアニマに躱せるはずもなし。ベッドの反対側に落ちて、目を回していた。

「お、恐ろしい相手だった……。もう少しで犯られていた……」

 結局その夜、目を覚まさなかったアニマをベッドに寝かせてやってから、シンはソファーで横になった。が、悶々としてなかなか眠りにつけなかった。先が思いやられる大会前夜だった。

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