予選申込
「何を話しこんでいらしたのですか? 随分仲が良さそうでしたけれど」
「ああ。男同士の友情を深めてたんだ。そんなに悪いやつじゃなかったよ」
「なら、ボクには隠さなくてもいいよね。男同士なんだから」
面倒な話になってきた。
「アニマのこと可愛いってさ。一目ぼれらしいぞ」
「ええ!? そんな、困るよ……」
素っ頓狂な声を上げながら、しかしまんざらでもない様子に、シンは何故か面白くなかった。多少の脚色を交えはしたが、アニマの反応はどう考えても過剰だ。
「アニマさんは罪作りですね。正体を知ったら驚きますよ」
口元を開いた扇子で隠して上品に笑う。
「そうだよ。ボクは男なのに。どうしよう。説明したほうがいいかな。ねぇ、シンはどう思う?」
「好きにすればいいだろ。自分のことなんだから」
思わず言い方が荒っぽくなってしまった。
「本当に、罪作り。妬けてしまいます」
細く短く笑う耀子につられるようにして、アニマは困ったように相好を崩した。
シンは大きく息を吸った。三秒たっぷりかけて脳に酸素を取り入れた。
「いや、悪い。俺は言わない方がいいと思う。複雑な事情だし、相手の素性もわからないからな。あっさりと気を許すのは危険だ」
「たしかに。ボクもいちいち説明したくないし、そうしよう。三人だけの秘密。約束だよ」
シンは耀子を横目でうかがった。何も知らないような顔をして首を傾げている。シンは心の中で感謝した。
「そういえば、ケイネス・アルグレイという名前に心当たりあったり?」
シンが最後まで言い終わらないうちから、アニマの顔色がみるみる険しくなっていく。答えは聞くまでも無かった。
「スカしたヤなやつだよ」
「魔法の腕は確かなのですが。あまり軽々しくその名前は口にしない方がよろしいかと思います。目をつけられると厄介ですので」
珍しく声のトーンがそろって落ちた。どうやら要注意人物らしい。
「もしかしてそいつもシード選手か」
「実力だけなら間違いなくそうなのですが・・・・・・どういうわけか、シードされていないみたいです。アニマさんと真っ向勝負をして太刀打ちできそうなのは、同世代では彼しかいないのですけれど」
「たいしたことないって。もういいでしょ。あんなやつの話は」
アニマの機嫌の悪さが一つの良い指標だ。さらに田舎から出てきたばかりのダイチでさえ知っていた。優勝候補の一人と考えて良さそうだ。
ケイネス・アルグレイ。シンはその名を忘れぬよう胸に刻み込んだ。
「それはそれとして、これ以上いない人の話をしても仕方ないというのには同感です。それよりも、私はむしろあちらの方が気にかかります」
ぱたりと畳んだ扇子で受付会場の隅を指し示す。
ガラの悪そうな三人組が少女を取り囲み、品の無い笑みを浮かべていた。少女は怯えて震えている。遠目から見ても、どちらが悪いかは一目瞭然だった。
「気になりません?」
耀子はそわそわして、すぐにでも現場にかけつけたいようだが、やたら嬉しそうなのは気のせいだろうか。厄介事ならとにかく何にでも首を突っ込みたがる彼女の悪い癖が目覚め始めていた。
だからと言って、黙って見過ごすのも後味が悪い。シンは静かに席を立った。
「さすがシンさん。男の中の男! 話がわっかるー」
完全に楽しんでいたので、シンは耀子の頭を軽くしばいた。
「いまのは耀子が悪いと思う。弁解の余地なし」
アニマにまで釘を刺されて、耀子は若干涙目になっていたが、直後に舌を出して笑っていた。
少女は白いヘッドドレスとエプロンドレスという典型的なメイド姿だ。何かお使いのひとつでも頼まれて、受付会場にきたものと思われる。肩口で綺麗に切りそろえた金髪は先の方で緩やかに弧を描き、凪いだ海のような瞳は紺碧。シンよりも少し年下のように見える。まだ子供だが、数年後美しく成長することが約束されているような少女だった。
「醜い真似をやめろ。寄ってたかって子供をいじめて楽しいか」
「あぁ? てめぇには関係ねーだろーが。引っ込んでろよ」
シンたちが現場へ到着する前に、颯爽と現れ、毅然とした態度で非難するは青年騎士。眉目秀麗、細面の目つきは鋭く、威風堂々としている。男だてらに金色の長髪を流し、それが嫌味になっていない。美貌の騎士の登場に、受付会場は色めき立った。
「あらま。いい男ですこと」
「出番奪われちゃったね」
遠巻きの最前列で出鼻を挫かれた格好になってしまった。
デブ、ノッポ、チビの三人組は憎悪むきだしで、青年を睨みつけている。ことが大きくなったのが不本意なら、美貌の騎士と相対させられていることも不本意だろう。
「俺たちをクインシー三兄弟と知って」
「知らん。御託は良い。三対一で結構だ」
青年は腕を組んだまま、腰に下げた剣の鞘にすら手をかけない。勝負ありだ。格付けは既に終了した。シンたちが出る幕は無さそうだ。安心して見ていても大丈夫だろう。
シンは緊張を解いて、ほっと息をつこうとした。が、突如背後から脊髄に直接つららを差し込まれたような奇妙な感覚に襲われ、体が強張った。敵意でも悪意でもない。ただただ冷たく、内臓にひたひたと痛みを与えてくる。
「シン、振り向くな。絶対に」
いつの間にかアニマの表情からも余裕が消えていた。耀子は笑顔を保っているが、どこかぎこちない。周囲の人間は不感症かと疑うほど、何も変わっていない。それが逆に不気味だった。
「やつは値踏みしている。嫌なやつだよ、相変わらず」
ケイネス・アルグレイ。
シンは理解した。一瞬で受付会場を掌握するほどの魔法の腕。他人の努力など一笑に付して許されるだけの才能を与えられた人間。
アニマと同等の実力。
目の前では、青年騎士があっさりと三人組を片づけていた。完全に伸びているデブを残りの二人が抱えてほうほうの体で逃げ出していく。青年騎士も強い。けれど、ケイネス・アルグレイは桁違いだ。体の震えと嫌な汗が止まらない。
「なんて、なんてことをしてくれたんです!」
「お前もお前だ。男ならもっとしっかりしろ」
何故か抗議の声を上げる少女(?)にそっけない言葉を返し、青年騎士は立ち去った。
ばらばらと野次馬が散るのに紛れて、窒息させられそうな気配も薄れていき、やがて消えてしまった。
「アレが……」
「そう。アレがケイネス・アルグレイです」
全身からどっと汗が噴きだした。全力疾走したあとのような倦怠感が体を襲う。拭い去ろうとしても拭い去れない強烈な印象を植え付けられた。
「アレを感じられたなら、シンも強くなってるよ。ある程度魔法が使える人間にしか感じられないようにしてた。ヤな奴でしょ」
アニマは軽く笑うが、シンはとても笑う気にはなれなかった。
「災難だったね。ところで、きみ男の子なの?」
シンたちが場所を移さなかったせいで、困ったように立ち尽くしていたメイド服の少女(?)に、アニマは気軽な調子で声をかけた。
「……ええ。そうです」
「そうなんだ。実はボクも男なんだ」
少女の沈んだ声を気にせず、アニマは冗談めかして本当のことを言うが、それが彼女の気に障ったのか、きつく睨みつけられてしまった。
「馬鹿にしないでください! あなたのどこが男ですか!」
「うーん。本当なんだけどな。シン、バトンタッチ」
アニマは会場出口に向かって歩いていく。あっさりしているうえに、自分勝手なやつだった。
泣きそうな顔になっている少女を放っておくこともできず、シンは声をかけた。
「どうか許してやって欲しい。女みたいに見えるかもしれないけど、男なんだよアイツ。だからこそきみのことが気になったんだと思う。話を聞かせてもらえないか。俺たちで良ければ力になるよ」
少女は少しの間、迷うそぶりを見せたが、最終的には頷いてくれた。
「俺はシン。きみは? それと、男でいいんだよね?」
「クリスです。こんな格好をしていますけど、男です。すみません」
特に悪くも無いのに、深々と頭を下げる少年を見て、シンは心が痛んだ。
周囲に散らばったとはいえ、野次馬の晒し上げるような視線はいまだに残っている。
「飯でも食いに行こう。おごるよ」
シンは受付会場からクリスを連れ出すことにした。
「あ、耀子」
「いえいえ。私のことはお気になさらず。元々予定が入っておりますので、これにて」
嘘かまことか、さして気にしたふうでもなく、耀子は去って行った。
受付会場を抜け適当な飲食店に入り、丸テーブルにつくと、どこからともなくアニマがやってきた。隣に座ったクリスから捨てられた子犬のような眼差しを向けられるが、期待には応えてやれそうにない。シンは最初から合流するつもりだったし、アニマもおそらくそうだった。
「シンは女子供を手なずけるのがうまいなぁ」
「人聞きの悪いことを言うな。クリス、騙したみたいになってすまない。何も取って食おうというわけじゃない。できるだけ楽にしてくれ。何を頼んでもらってもかまわない。全部コイツのおごりだ」
「ま、そういうことだね。世の中うまくできてるでしょ」
アニマと冗談を言い合ってみても、クリスは戸惑うばかりで、肩を縮ませ、カチコチに緊張したままだ。
「あの、僕に聞きたいことって、なんですか? 早く帰れないと困るんです」
腰を浮かせ掛けたところを、左右から二人で押しとどめた。
「まあまあまあ。そんなに慌てることないじゃない。ボクってこれでも有名人だから、大抵のことならなんとかなるよ。由緒ある家柄のご子息なのさ」
「こんなのでも、天覧武道会の第一シードだって言うんだから、世の中間違ってるよな」
不安そうに視線をさまよわせながらも、クリスはもう一度腰を下ろした。しかし、なかなか話し出そうとしない。アニマと一緒になってはしゃぎ過ぎたかもしれない。
「クリスは女装が趣味なの?」
「おいおい。もっと言い方があるだろ……」
聞きにくいことを、あっさりと口にする。
「ボクは女の子の服も好きだ。男だから男の服を着なきゃいけない決まりなんてない。だけど、嫌なら嫌だってきちんと言うべきだ。どうせあのバカそうな三人組に着せられたってところだろ」
アニマはためらわない。畳みかけるようにズケズケと物を言う。クリスはテーブルの一点を見つめたまま、いまにも泣きそうになっていた。
「シンだって、わかってるんでしょ」
「アニマ、ちょっと黙れ。多分お前は正しい。だけど、正しくない」
「へいへーい」
アニマはグラスに刺さったストローをちゅうちゅうと吸う。
「僕だって……僕だって好きでこんな格好してるわけじゃないんです」
クリスは泣きそうになりながら、けれどもはっきりと口にした。弱々しいが、意外と大きな声だった。そのことにクリス自身が一番驚いているようだった。
「そうか。ならなんでそんな嫌なことをしてるんだ?」
「それは……」
シンの横でアニマはあえて興味の無いふりを続けている。いつも思うが、アニマは演技巧者だ。厳しいが誰よりも優しい。
「ボクは使用人なんです。だからあの三人には逆らえないんです。彼らに逆らったら何をされるかわかりません。お情けで食わせてもらっている身の上ですから」
元々クリスの家はそれなりに名のある家の傍系に属していたらしい。
十年前に終結した戦争。その時、当主が反戦主義を貫いたせいで、当人は獄死、家は没落、幼かったクリスは成り上がり者の商人の家へ売られたそうだ。
長男トォン、次男チィン、三男カーンの三兄弟は、ことあるごとに抵抗できないクリスへ嫌がらせをしてくる上に、少しでも口答えしようものなら、執拗な暴行を加えてくるということだった。
「ふーん。なるほどね。じゃあ、会場では何で揉めてたの? 逆らえないんでしょ?」
アニマはそれまでの気の無い態度が嘘のように、身を乗り出して尋ねる。
シンも薄々矛盾に気づいていたが、アニマはとにかく行動に移すのが早かった。受付会場にいたのだから、目的など一つしかない。シンも、当然アニマも知っているはずだ。
「笑いませんか?」
クリスは一枚の紙をそっとテーブルの上に乗せた。
天覧武道会の参加申込用紙だった。
目をぎゅっとつむったまま、審判を待つように顔を伏せている。
シンは笑わなかったし、当たり前だがアニマも笑わなかった。
「ライバル、だな」
「そうだね。シンとならいい勝負になるんじゃない」
アニマとのやり取りに、クリスは驚いているようだったが、シンは気にせず大声で注文を取った。ほどなくテーブルに大皿がいくつも並べられた。
「おごるって言っただろ。食わなきゃ損だぞ」
「シンはちょっと遠慮しよう。おごるのはボクなんだから」
二人で競い合うように料理を平らげ始める。
「どうして笑わないんですか!」
「いや、笑ってるぞ。飯は旨いし、いいライバルと出会えたからな。ほら、クリスも食えよ」
シンが取り分けてやると、クリスはやっと料理に手をつけ始めた。
「この料理、塩辛いです」
「それは、クリスが笑わないからだよ。ほら笑って笑って」
アニマは馴れ馴れしく肩に手を回して、料理を山盛りにしたスプーンをクリスの口に突っ込んだ。当然の帰結として、クリスはむせた。だが、クリスは笑っていた。
前作「魔法使いの男の娘」を読むと人物関係が多少わかりやすくなるとは思いますが、お目通しいただかなくても、十分お楽しみいただけるよう精一杯努力いたしますので、どうか温かい目で見守っていただければ幸いです。
(もしよろしければ、前作も合わせてどうぞ http://ncode.syosetu.com/n7925bf/)