プロローグ
天覧武道会。
優勝賞金は一千万ウィズ。賞金総額は五千万ウィズにも及び、出場資格に二十歳以下という年齢制限がある大会としては、世界最大規模を誇っている。
三年ごとに開催される天覧武道会歴代優勝者には、かの高名な炎雷の魔術師ミレニア・ヒートヘイズをはじめ、歴史に名を刻む大魔法使いが何人も名を連ねていた。
優勝者のみならず、上位入賞者には約束された未来が待ち受けている。 この由緒正しき武道大会へ、腕に覚えのある若者たちは、己の知力、体力、時の運をかけて、こぞって参加し、頂点を目指す。いわば若手魔法使いの登竜門である。
参加資格は年齢が二十歳を超えていないこと。そのほかは一切なし。
才能と欲望と熱気が渦巻く第七十三回天覧武道会、いよいよ開催!
シンは長々と書き連ねられた募集要項を読み飛ばしながら、第七十三回天覧武道会参加申込用紙に記入を続けていた。
世界各地から才能ある若手魔法使いが集結する大会に、魔法を本格的に学び始めて、たかだか一ヶ月しか経っていない自分が参加を表明するのは、どこか場違いな気がする。もし一人だったなら、絶対に参加には踏み切れなかったと断言できる。
「シン、書けた? ねえ、書けた?」
「まだ」
赤みがかった瞳を宝玉のように煌めかせ、ニコニコ満面の笑顔で尋ねてくる少女に首を振る。首の後ろで黒いリボンによって束ねられた銀糸のように滑らかな長い髪は、一本の枝毛も無く、光を受けて、さらに輝きを増している。白い肌はまるで新雪のように肌理が細かい。
参加申込に足を運んだ男たちがはっとした顔をして一瞬足を止めるほどに、注目を集めずにはいられない容姿をしている美少女の名はアニマ。れっきとしたシンの恋人だ、と言える関係なら喜ばしい限りだが、何を隠そう、この美少女は生まれる性別を間違えて生まれてきたらしい。子どもの頃に裸を見せ合ったこともある。その時は、立派なものがついていた。
「詐欺だよなぁ」
「ん? 何が?」
アニマは全く意味が分からないと言った様子で小首を傾げる。その様子がまたさまになっているせいで、シンは時々アニマの性別を忘れそうになる。何度自分に言い聞かせてみても、納得できない。
それもそのはず、たちの悪い冗談みたいな話だが、肉体に限れば、アニマの体は完全に女性へと変化を終えている、らしい。魔法使いとしてのポテンシャルを引き上げるために、女の方が有利だったから、というのが一番の理由だそうだ。アニマの体がどこまで変化しているか、身体検査の一つでもさせてもらえれば、はっきりするだろうが、シンからはとても言い出せない。断られるから、ではない。断られない、からだ。
シンはアニマと同性としての付き合いを続けている。いくら胸が膨らみ、骨盤が広がってお尻が大きくなっても、アニマの性自認が男であるならば、男同士の付き合いをするべきだとシンは思う。その信念を貫き通すならば、裸の付き合いでも何でも気軽にすれば良いのだが、薄着で目の前をうろうろされるだけでも、平常心を保つのが難しい。アニマの裸を見て、自制できる自信は無かった。
「シード権があるなら、あるって教えてくれよ。てっきりアニマも一緒に予選から参加すると思ってた」
「それはほら。一朝一夕では埋められない実力差があるのは、シンだって認めてるでしょ。この前の事件で名も少し上がっちゃったからね」
シンはアニマが参加申込を済ませた時点で、壁に貼ってある本選トーナメント表の第一シード欄に勢いよく名前が書きこまれるのを既に目撃していた。係員の手際があまりに良かったので、驚きを通り越して、笑いが込み上げてきた。アニマの位置は最初から決まっていたとしか思えない。大会に参加したがるわけだ。
本選十二名によるトーナメントは四枠がシード選手に、あとの八枠が予選参加者に割り当てられる。その第一シードが隣に座っている性別不詳の少年――少年と言ってしまって良いかすら不明だが――だった。
「大体ボクみたいなのが予選からうじゃうじゃいたら、シンなんて目も当てられないよ? 禁術の類をバンバンぶっ放されて一瞬でリタイア間違いないって」
まるで面白い冗談を言うのに成功したみたいにアニマはあっけらかんとして笑う。他の誰かに言われたら腹が立つかもしれないが、相手がアニマなら許せる。天才、という言葉がこれほど似合う人間はいない。そう思えるほど、アニマの実力は図抜けている。身近で肌に触れて感じてきたシンは誰よりも痛感していた。
「シンさんもそれほど捨てたものでは無いと思いますよ」
記入途中の申込用紙を横から細い指に浚われた。
烏の濡れ羽のような漆黒の髪を垂らした女が、指先でシンの記入用紙を掴み、内容を吟味するように眺めていた。白い小袖と緋袴という独特の異装を着こなしている異国の女だった。
「魔法歴約一ヶ月。あらま。正直ですこと」
「耀子! どうしてここに!」
椅子をがたりと押しのけて、アニマが立ち上がった。声こそ出さなかったが、驚いているのはシンも同じだった。
葛ノ葉耀子。異国の姫君にして魔法使い。
シンが魔法を学ぶきっかけとなった一ヶ月前のとある事件。その最中に出会ったものの、突然雲隠れし、それ以降何の音沙汰も無かった女。悪い人間では無いと思うのだが、どことなく胡散臭さを感じずにはいられない訳ありの女だった。
「どうしても何も。ここにいるということは、お察しの通りです。ちなみに第二シード」
「第二シード!? そんなはずは……」
耀子の実力ならば、第二シードでもおかしくは無いとシンは思う。しかし、それはシンが素人だから、そう思うだけなのかもしれない。アニマは怪しむようにちらちらと耀子を見ている。
「ちなみに耀子、年齢は?」
「ぴちぴちの十九歳です」
アニマがおずおずと訊ねると、耀子は笑顔で迷わず即答した。
「……サバ読み過ぎでしょ。それはない」
「ぴちぴちの十九歳です」
アニマのほっぺたをむにぃと掴み、言語を封殺する。能面のように変わらない笑顔、笑っていない目。実年齢が何歳か聞いてみたい気もするが、シンは無難にやめておくことにした。外見年齢だけなら十代半ばで十分通りそうだ。聡明そうな切れ長の瞳はまるで磨き抜かれた黒曜石のよう。整った目鼻立ちをしているが、受ける印象は幼い。発育不良ぎみの体が、それを助長している。元男のアニマの方がよほど恵まれているのは、どうなのだろうかと、シンは思った。本人たちの前で、そんなことは口が裂けても言えないが。
「シン、なんかやらしいこと考えてない?」
「あれは、失礼なことを考えていますよ。絶対です」
結託した二人の冷たい瞳に晒されて、シンは言葉に詰まった。仲が良いのか悪いのか。少なくとも二人そろって勘だけは良さそうだ。
「アニマだけじゃなくて、耀子もシードか。二人とも実は凄かったんだな」
「それほどでも、と言いたいところですけど、私はたいしたことないんです。同列に語られるとアニマさんに対して失礼ですよ。実力、実績ともに頭一つ、どころか二つも三つも離されている感じですね」
隣失礼します、と一言断ってから、耀子は席に着いた。ごく薄くほのかに葡萄の香りが漂ったように感じた。
「ところで、シンさんはどれくらい魔法が使えるようになりましたか?」
「基礎の基礎くらいは。何とか。たぶん」
アニマに教えてもらいながら、毎日基礎練習に打ち込んでいるが、比較対象が魔法の達人さましかいないので、はっきり言って自分の成長具合には自信が持てない。練習すればするほど、アニマが遠い存在に思えてくる。
「ボクの見立てが正しければ、予選参加者の連中くらいなら余裕でぶっちぎってると思うよ。運が良ければ、上位入賞も夢じゃないんじゃないかなぁ。ボクや耀子に当たっちゃったら運の尽きだと思って諦めるとしてもね」
周りをはばかることなく大きな声で言ってくれたおかげで、受付会場のあちこちから敵意に満ちた視線を向けられてしまう。第一シードと第二シードが仲良く談笑しているだけでも、軽く注目の的なのだ。正直、一般人への配慮は怠らないで欲しかった。
「おうおうおう。随分舐めた口聞いてくれるじゃねーの。おたくら何様よ。っと、人に名前を尋ねる前に、自分が名乗らねーのは礼儀に反するな。オレはダイチ、ハザマダイチってんだ。よろしくな」
タンクトップにつなぎ服姿、角刈りの筋骨たくましい少年に早速絡まれた。日焼けしたその体は魔法使いというより、まるで大工のような出で立ちだ。
「誰? 耀子聞いたことある?」
「寡聞にして存じ上げませんね。どこの馬の骨でしょう」
二人の魔法使いは声をそろえて首を傾げた。
「よろしくな、ってんだから、自己紹介くらいしろや。おたくらは何様なんだ?」
「アニマだよ。よろしくね」
立ち上がって太陽のように眩しい笑顔を向けた。
「ほら、握手しよ。握手」
毒気を抜かれて、戸惑っているダイチの手を取り、上下に軽く振る。その手を振り払って、ダイチは顔を赤くした。
「葛ノ葉耀子と申します。以後お見知りおきを」
耀子もすっと立ち、深々と礼をする。
「ふん。アニマに耀子、か。覚えたぜ。あん? アニマに耀子?」
ダイチはつなぎのポケットからくしゃくしゃに丸めた紙を取り出したかと思うと、二人の顔をためつすがめつ眺めている。
「アニマに耀子。それ、本名か?」
「そうだよー。ふふん。恐れ入ったか」
鼻高々に胸を逸らすアニマを怪訝そうに見ている。
「ちょっとお前。お前だよ、お前。こっちこい」
突然指差されて感じ悪いことこの上ないが、シンは素直に従った。ダイチに言われるままに、二人から距離を取る。
「あいつら、本当にアニマに耀子なのか?」
「どうやらそのようだ。この大会の優勝候補筆頭らしいな」
ダイチは口をへの字に曲げて、うんうん唸っている。そうかと思えば、胡散臭そうに二人の方を見つめている。
「もう一度聞くぞ。間違いなくアニマに耀子なんだな?」
「ああ。その通り」
「そうか」
ダイチは渋い顔をして一度は広げた紙をまたポケットに突っ込んだ。
「で、お前は? まさか、ケイネス・アルグレイ?」
「シン。シン・レイノルズだ。ご期待に添えず悪いな」
「そうか! シン、か。いい名前だな! どこにも載ってない。オレと同じだ!」
全く知らない名前を出されて気分が悪い。しかも目に見えて喜んでいる。ダイチという男はどこまでも失礼な男だった。
「しかし、まさかあんな可愛いらしい女の子が優勝候補だったとは。もっとゴリラみたいな大男を想像してたぜ。そうと知ってれば、もっと丁寧にあいさつするんだったな。ド田舎から出てきたばっかで右も左もわかんねーんだわ。すまんかった」
両手を合わせて平謝りする。平身低頭するダイチの姿に、シンの腹の虫はあっけなく収まった。見るからに単純そうだ。いまさら怒る気になれなかった。
「いいよ、もう。誰にでも間違いはあるさ。よろしく、ダイチ」
「ああ、よろしくな」
軽くお互いの手を打ち鳴らした。
「で、どっちがお前の彼女? やっぱかわいい方?」
「可愛い方ってどっちだよ。角が立つだろ。それにアニマはそういうのじゃない」
「なるほど。本命はあっちか。やっぱかわいい方であってるみたいね。黒髪美人な耀子も捨てがたいけど、アニマの方がスタイルいいもんな。わかるよ」
一人で納得しているダイチを放置して二人のところへ戻ることにした。付き合っていられない。それに、これ以上話していると、シンの方がボロを出しそうだ。既に一つ墓穴を掘ってしまった。うっかりしていた。