7
誰も大したケガはしていなかったと、戻ってきたルコーはそう報告した。実際、遠くで数人が上体を起こしてぼんやりしているのが見える。
「俺の手加減もうまくなってきたな」
満足そうなラティスに、さくらは不安な視線を送る。
「以前はどうだったのか、訊いてもいい?」
「死人は出なかった」
怪我人は手当もしてやったと、ラティスを胸を張った。評価に迷っていると、
「手当てしたのは俺とナルバクだ」
ルコーの修正が入る。
「ついでに、よく巻き込まれたよな」
さらに、ラティスの拳が届かない位置で、ガセンが呟く。
「まあ、そういうこともあったな」
ラティスは遠い空に向かって頷いていた。けっして、視線を合わせようとしない。
「なるほど。よくわかった気がする」
これ以上は訊かない方がいいことが、とてもよくわかった。
「それじゃ、ナルバクって誰か訊いてもいい?」
「ん? 仲間だよ」
堅物の修行僧だと、ガセンは付け加えた。
「他にも仲間がいるの?」
「俺が知ってるのは、ナルバクを入れてあと……四人だな」
指折り数える姿に、さくらは首を傾げる。
「知らない仲間もいるの?」
「いるんじゃないか? なあ?」
ラティスはまだ明後日の方向の観察に忙しそうだったので、ルコーに尋ねる。
「かもな」
ルコーの答えは素っ気ない。
「用が済んだなら、村に戻るが」
ルコーに呼ばれて、ようやくラティスは振り返った。
「ああ、そうだな。ま、初陣はうまくいったってことで祝杯でもあげるか?」
「うっわー、ラティスがそんなこと言うなんて珍しい」
「お前のだけ腹下しの薬を入れておくから好きなだけ呑め」
ラティスに笑顔で言われて、ガセンは慌てて口を塞いだ。口は災いの元ということわざを地で行くタイプのようだ。
「村って、どこにあるの?」
さっきから疑問しか口にしていないなと、心の隅で思う。自力で解決できないかと、周囲を見回してみるが、建物の影はどこにも無かった。
「もう少し先だな。あの林を越えたくらいか」
ラティスはセルキドたちが潜んでいた林を指した。
「ふーん。あ、ちょっと待った」
歩き出し始めた一同を、さくらは止めた。全員が同時にぴたりと足を止める様子に、吹き出しそうになる。
「えっとね、あたしもこれからそこで寝泊まりする感じ?」
「そうなるな。ああ、着替えとか、なんかごちゃごちゃ言ってたな。とりあえず村に行ってから考えるから――」
「うん、その前に持って行きたいものがあるんだけど」
〈柱〉に続く門柱を指すと、ラティスが渋面になる。
「さっきの鞄か? だから持ってこいって言っただろ」
「全部じゃないし。あの平べったい岩に触れば戻れる?」
「ああ。転ぶなよ」
ラティスの注意を背中で聞き流して、さくらは門柱の間を通り抜けた。途端に空間が広がる。明らかに、外から見るよりも中は広い。
(目の錯覚じゃ無いよねえ)
第一に空気が違う。外から中が見えないし、潮の香りが全くしないので、完全に異なる空間に入り込んでいるとしか思えない。
(ワープポイントとか、そういうのかなあ)
ラティスかディアンなら理由を知っているだろうか――そんなことを考えながら岩壁に手を伸ばす。触る前に深呼吸を一つ。強く引かれる衝撃に、今度は耐えられた。
「心臓に悪いことには変わらなかった……」
息をひとつ吐いて、さくらは周囲を見回す。見覚えのある霧の景色に安心しつつ、途方に暮れた。
(〈柱〉はどっちだろ……)
道が分からない、というより、ディアンとラティスに付いてきただけで、まったく道を覚えていない。道があったかどうかすら不明だ。天を仰いで嘆息する。霧が晴れれば〈柱〉が遠くからでも見えるかもしれないが、望むだけ無駄のようだ。
(〈柱〉を守ってるんだっけね)
霧にも存在する意味があると、そう言ったディアン自身も、〈柱〉の番人だ。そう考えると、ここには、〈柱〉を守るものしか存在しない。
さくらはしばらく立ち尽くして、手の中の棒を見下ろした。
「……こうなったら」
確かこれは、魔法の棒だ。
棒と言ったら、あれしか無い。
さくらは棒を地面にまっすぐに立てて、手を放した。ぱたり、と棒が倒れる。
「よし、こっちで」
「どこにいかれるのですか?」
叫びながら振り返ると、ディアンが驚いた顔で固まっていた。
「いきなり……どうしたのですか」
「それはこっちの台詞! なんでいるの!」
「なんでと言われましても……いけませんでしたか」
「いけなくはないけど、むしろ迷ってたから来てくれて嬉しいけど、一声かけてよ!」
「ですからどこに行かれるのかと声をかけましたが……」
「うん、そうだね!」
返す言葉が無くなったので、さくらは話を強引に変えた。
「さっき預けた鞄を取りに来たんだけど!」
そこでようやくディアンが納得した顔になった。
「ああ、戻れなかったんですか」
「そこで気づくとか……嫌み?」
倒した棒を拾い上げてぶつぶつ言っていると、ディアンが不思議そうな顔をした。
「地面に刺そうとしたんですか?」
え、と振り返ると、ディアンが棒を指した。
「あ、これ? どっちに行こうか迷ったとき、棒が倒れた方に進む、っていうのはやらない?」
「道に迷ったことがありませんので」
「引きこもり相手に訊くことじゃなかったよねー」
精一杯の嫌みで返すが、残念ながらディアンには通じなかった。
「ひきこもり……?」
「気にしなくていいから、鞄の所に案内して」
むしろ具体的に聞かれる方が腹が立つ。前に進めと追い立てるさくらを、ディアンは止めた。
「また、外に戻るのですよね? よければ持ってきましょうか?」
「んーーーー……じゃあ、お願いしようかな」
「では、少しお待ちください」
ディアンはそう言って、霧の中に消えた。
(……どこか座るところ無いかな)
左右を見回したところで、ディアンが再び現れた。忘れ物かと思ったが、ちゃんと鞄を持っている。
「ずいぶん早いね……」
ここから〈柱〉まで、そんなに近かっただろうか。
「慣れた道ですから。どうぞ」
「ありがと」
さくらは礼を言って受け取った。鞄を開けて、最初にスマホに手を伸ばした。試しにもう一度電源を入れてみたが、やはり反応は無い。
(機械類がダメってことかなあ……)
思い出して、腕時計を外した。こちらも止まったままだったので、鞄の中にしまい込む。
「先ほど剣が一本戻ってきました」
ふいに、ディアンが話しかけてきた。さくらは顔も上げずに、頷いた。
「うん、モーゼイアのセルキドって人が外に来てたの。あと、ガセンとルコーってラティスの仲間もいて、三人でセルキドを押さえてくれたから、教わったとおりに印をつついて、そうしたら剣も印も消えたんだけど、そっか、戻ったんだね」
「はい。来たばかりでしたのに、ありがとうございます」
さくらは顔を上げた。ディアンの不思議そうな顔と、ぶつかる。
「どうしました?」
「……ううん、その、そういう契約だしね。ちゃんとやらないと、返されちゃうしね」
がんばるよと、急いで笑顔を作った。
「ええ、この調子なら予想以上に早く回収できそうです」
「そう、かな……」
毎回これでは手間が掛かると言ったルコーの言葉が、蘇る。笑顔を維持できなくなって、さくらは鞄を探る振りをして俯いた。
「あの人たち、結構強いからあたしがいてもいなくてもあんまり変わらないんじゃないかな。あたしは、ほら、最後に棒をつつくだけだし」
ディアンは無言だった。そういえばそうだと、納得しているのだろう。
(とりあえず、持って行くものは!)
考えがまとまらないせいか、持って行くものが決まらない。ぐるぐると意味も無く引っかき回していると、ディアンが言った。
「考えてみたのですが」
「うん?」
さくらは手を止めた。おそるおそる、ディアンを見上げる。
「サクラがやっていることと、私がこれまでやっていたことは同じだと思えるのですが」
「え?」
「サクラが来るまでは、ラティスたちが剣の所持者を捉えて、身動きできないようにして連れてきて貰っていましたから」
「最後はディアンが回収してたってこと?」
「ええ、そうです」
棒でつつくことはしませんでしたがと、ディアンは付け加える。
思わず乾いた笑いが漏れた。
「そっか……それって……あたしを喚んで意味ないってことじゃ……」
「逆です。確かに、私たちが求めていたのは腕の立つ人物でしたが、改めて考えてみればあなたが動けるということが重要だと思えます。ここまで所持者を連れてくるのが大変だと、ラティスはよくこぼしていました。『五年掛かって八本じゃ、まだるっこしいな』とも」
「五年で八本……?」
単純に割り算をしても一年に一本、回収できるかできないかの計算になる。世界が荒れていることを考慮しても、ずいぶん掛かりすぎではないだろうか。
「サクラが来るまで、正確には十一本しか回収できていません。そのうち自ら返還された剣を除けば、ラティスたちが回収したのは八本となります」
「なんでそれしか……あの人たち、ほんとに強かったよ?」
「ですから、最後に回収すべき人物が直接出向けるという点が大きいのではないかと。たまたま近くに所持者がいたという点を差し引いても、回収率の高さは明確だと思うのですが……なぜにやけているのですか」
「ううん、なんでも」
さくらは慌てて首を振った。
(もしかして……慰めてくれてる?)
ディアンの表情はまったくもって冷静で、本人も算出した数字を読み上げているだけだろう。そこに慰めを見つけてしまうのは、さくらの願望が反射しているだけだ。それでも、そう思ってしまうと、口元が緩んで仕方ない。
「そっかー……動ける分だけ、あたしのほうが見込みがあるかな」
逆に手間が掛かると、ルコーの声がまた聞こえてくる。今度は笑い飛ばすことができた。今までを考えてみても、どっちもどっちではないか。
「そう願いたいですね」
遠くに垣間見えた希望は、しかしディアンの冷静な声にかき消された。
「そこは嘘でも『そうですね』って言って欲しかったな……」
「それより、まだ見つからないのですか?」
ずっとかき回しているだけの鞄を見下ろして、ディアン。もしかしたら自分が暇だったから話しかけていたんじゃないだろうか――さくらは急いで必要なものを取り出した。
「もう大丈夫。あ、これ、また預かっててくれる?」
「構いませんが……」
荷物を片手で支えて、鞄を差し出すさくらを見て、ディアンは首を傾げた。
「不要な物を取り出して、鞄ごと持って行った方がよくないですか?」
「その手があった……! けど大丈夫。行ってきます!」
荷物をしっかり抱えて、さくらは壁に触れた。強く引かれる衝撃に、荷物を落とさないことだけを考える。途中で落としたら、拾いに戻れない気がする。
空気が変わった。
「今度は転ばなかったか」
目の前にラティスがいた。
さくらは得意げに答えた。
「そんなに何度も驚かないから」
「そうかい。で、何を持ってきたんだ、それ」
「うん、一泊用の洗顔セットと、手帳と、化粧ポーチ」
念のためにと買い置いておいたのが役に立った。満面の笑みを見せるさくらに、ラティスはこめかみを揉み始めた。
「……まあ、いくか」
「訊いといてその態度は無いんじゃ無い? ねえ?