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あとは、同じことの繰り返しだった。
神々をいびつに繋ぐ印を棒で突ついて、順番にほどいていく。縛めをとかれた神々は、様々な形を持ってさくらの前に現れた。
「神様って、こんなにたくさんいたんだね……」
「『世界』を『神』が作ったんなら、世界の数だけ神がいるのは道理だろ」
絵に描いたような美男美女が現れた。、よちよち歩きの赤ん坊、長い髭の老人もいた。つぶらな瞳のモフモフ獣系は、収まる前に一通りモフモフさせてもらった。役得である。
「見栄えに関しては、神々を崇める人間が形を決めるんだがな」
「そうなんだ……ぅおっ!」
うっとり眺めたり、ほっこり和んだりできる姿ばかりではなかった。は虫類や昆虫型は、さくらも少々、態度が硬くなる。ドラゴンが出てきたときには、息が止まるかと思った。
――ヨロシクタノム
向こうから望んだことなので、グレミアの二の舞にはならずに済んだ。さくらが硬直している間に、さっさと挨拶を済ませて収まるべき場所へと進んでいく。どうやらこの一言挨拶というのが、さくらの中に入り込む鍵になっているらしい。
「これで、おしまい」
いくつ印を突いたのかは、途中から数えるのを止めてしまった。目の前に残った最後の一つをほどいて現れたのは、巨岩と、アマガエルだった。どちらも難なくさくらの中に収まって、キメラ神は完全にほどかれ、消滅した。
神々の姿を決めるのが人だというなら、いったい何を思って、これらを神々の形と決めたのか問い質してみたい。が、さくらの口から出たのは質問ではなく、吐息だった。ようやく終わった。そう思ったら、膝から力が抜けた。
「ぴったり収まったな」
へたり込んださくらを、ラティスはじっと見下ろす。視線を追うと、右手にあったはずの回収者の印が無い。さらに〈柱〉の力も綺麗に使い切ったと言われると、不安がじわじわと押し寄せる。
(なんかあったら、今度はあたしがキメラ神になっちゃうとかはないよね……?)
不安の欠片は、一つ落ちると水面の波紋のように次々と心をざわつかせる。まさか、が、もしかして、になり、もしかして、は、やっぱりきっと、になり、泣き出したいような恐怖に取り変わる。
――ここで、いい
ごくりと唾を飲み込んだとき、ぽんぽんと、頭を撫でられたような気がした。
――なにも、しない
意識を向ければ、最後の巨岩が、巨木の隣でひなたぼっこをしている光景が浮かぶ。いつの間に作られたのか、アマガエルは池の中で泳いでいる。隣に見える魚影は、魚型の神々だ。その池に、薄桃色の花びらが舞い落ちたのを見て、さくらは微笑んだ。桜の花びらとは、粋なことをしてくれる。
心をざわつかせていた波紋は、静かに消え去った。
「うん……みんな仲良くしてくれてるみたいだし、一件落着?」
どうだろうかと見上げれば、ラティスは首を傾げた。
「……あんたとは、見え方が違うんだな……」
きっと魔法を使えるかどうかの違いだ。異論は認めない。
「まあいい。立てるか? いつまでもこんな所にいる必要もないし、出るぞ」
「うん」
差し出されてた手を素直に借りて立ち上がる。こうして手を借りるのも、もう最後かもしれない。
「長い間、大変だったね」
「うん?」
印を描こうとつま先を出したままで、ラティスは振り返る。
「ああ……あんたもな。まあ巻き込んだのは俺たちだが、手を貸してくれて助かった。感謝している」
「個人的に巻き込んで欲しかったから、大丈夫」
魔王は倒されていて、チート的な能力で大活躍もしなかったけれど、と小さく付け加えると、ラティスは苦笑した。
「あんたの世界の『てんぷれ』ってのは一度見てみたいもんだ」
「……見たら色々絶望するんじゃないかな……」
「逆に興味がわくな」
笑いながら、ラティスがつま先で地面を叩く。澄んだ音がいくつも重なって響き渡り、音が消えると同時に、灰色一色の景色は青空に取って代わった。
「あー、眩しい」
そこはいつもの崖の上だった。両脇には、二本の石柱が並んで立っている。
「これも用済みだ」
ラティスが指先で押しただけで、石柱はぼろぼろと崩れた。
「え、待って、ディアンは?」
「砦にいるだろ」
もう一本の石柱も崩しながら、ラティス。
「あんたが戻ってないか確かめるときに一緒に連れてったんだ」
セザとナルバクが引き受けてくれたと聞いて、ほっとする。
「ならいいけど。あ、ネフィは?」
いつまでも手を振る姿と、ぱたぱたと尻尾を振る子犬の幻影が記憶の中で重なる。
「そっちは島に戻ったはずだ」
「島?」
「果ての島だ。俺たち、帝国の末裔が住むところ。名前ほど遠くはないがな」
番人の交代要員として生まれたネフィは、グレミアが〈柱〉を壊したために行き場を失い、島に留まっていた。グレミアがさくらを第三の〈柱〉跡に連れて行った可能性に気づいて、ラティスはネフィを〈柱〉に向かわせるように島に住む仲間に連絡したのだそうだ。使命を無事に果たしたので、来た道を引き返して島に戻っていると言うことらしい。
「その流れでいくと、ティルハーはリンちゃんの村に?」
「ああ。多分村長のところで落ち着いてるはずだ」
グレミアがいきなり残り二つの〈柱〉の力を動かし始めたので冷や汗ものだったと、ラティスはぼやいた。
「そっか……じゃあ……うん、やっぱり終わったんだね」
くるりと視線を回して、青い空と、断崖から望む海を眺める。最初にこの世界に来たときも、この場所だった。
(後始末の手伝いみたいな話だったんだけどな)
死霊王が倒れてからのこのこやってきた。剣の所持者が動けなくなってからやっと出番になる。大活躍とはお世辞にも言えない役回りを、それでも念願の異世界に来たのだからと引き受けて。
――……?
どうしたの、と問われた気がした。
なんでもないよと、小さく呟き返す。
(まさか……大勢の神様と暮らすことになるとはね!)
もっとも、さくら自身が神のような力を振るえるわけでもないので、やっぱり大活躍にはほど遠いのだ。
行くぞと促されて、さくらはラティスと並んで歩き出した。
「何か言ってきたのか?」
内なる存在と話していたと思っていたようだ。さくらは首を横に振った。
「ううん。最初に来たときのことを思い出してただけ」
「いきなりここで回収したんだっけな」
「うん。ルコーにさんざん言われて、実はこっそりディアンに愚痴りに戻ったんだよね」
「ずいぶん機嫌良く帰ってきたと思ったら、そんなことしてたのか。そういえば、土産とやらはもう決めたのか?」
「んー、それなんだけど、何が良いと思う?」
「俺に訊くなよ……」
あきれ顔が返ってきた。どのみち、ラティスの答えはあてにしていない。
さくらはそっと腰に手を当てた。
(ま、これは絶対よね)
最初から最後まで手元にあった棒を手放す気は無い。回収者の印は無くなったので、本当にただの棒きれになってしまったはずだ。反対されることは絶対に無い。
(あと、いくつか選んでも大丈夫かな)
大丈夫なら他は何にしよう――候補を考えていると、急に胸の辺りが苦しくなった。もう一歩も歩きたくないと、心のどこかが叫んでいる。
「どうした?」
ラティスが振り返る。さくらは数秒固まって、無理矢理笑って見せた。
「ううん……ディアンに預けてた荷物、持ってきてくれたかなって」
「それなら大丈夫だろ。あいつ、椅子まで持ち出してたからな」
「何で椅子まで……」
「さあな。戻って本人に直接訊けよ」
ほっとしたように、ラティスは再び歩き出した。鞄と鞄の中身は無事のようでなによりだが、実はそんなことはどうでもよかった。
(終わりなんだ……あたしがここにいる理由も)
用が済んだらお帰りくださいと、出会ってすぐ、ディアンに宣言された。魔王もいないし、剣も使えないならそれも仕方ないと、軽く納得してここまで過ごしていたのだけれど。
(帰るんだよね……)
元の世界に帰りたくないのかと訊かれれば、すぐに答えられない。毎日のルーチンワークに疲れると、異世界で勇者になって大活躍する妄想にどっぷりとつかっていた。平凡な日常を捨て去る自分に酔いしれていた。ある意味、それすらもルーチンワークだったと今なら言える。
望めば、このままこの世界に居続けることはできるかもしれない。砦のみんなもミベ村の人々も、きっと歓迎してくれる。しかしそれはもう、新しい『日常』が始まるだけだ。それなら、引き留めてくれる人がいるうちに戻った方が綺麗に終われそうだ。
(どっちもどっちになっちゃうしね……)
砦に戻るまで、ラティスは無言だった。あれこれ考え込んでいることは見抜かれていたと思う。
「サクラ!」
砦の前で、みんなが待っていた。ハーティーアが泣き出しそうな顔で手を振っている。
とん、と背中を叩かれた。
「俺は絞め殺されたくないからな」
「……はっちゃんだって、ラティスに抱きついたりはしないと思うけど」
ハーティーアは駆け寄ってこない。他のみんなと一緒に、その場で必死に手を振って待っている――さくらが戻ってくるのを。
「ただいま!」
終わらせないと始まらないことがある。
だからまずは、一つの終わりをみんなで分かち合おう――さくらは走り出した。
やっぱりお土産って、日常じゃ役に立たないものですよねぇ…
お読みいただいて、ありがとうございました!




