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困った――正直なところ、現状はこの一言に尽きた。
黒目の幼女は相変わらず手を差し出したままの格好で止まっている。キメラ神のものと思われる無数の視線と声も、ずっと続いている。どちらにも感情がない。ただ、さくらの決断を待っている。だから、余計に困ってしまう。
(お前が決めろって言われてもねぇ……)
決断した後、どうなるのかわからないのが怖い。
かといって、このまま愚図愚図しているわけにもいかない。あとどのくらいの時間が残されているのか。
「ラティス」
「なんだ」
「仮止めってまだしてるんだっけ?」
「一応な」
しゃがみ込んだままのラティスが、問いかけるように見上げてくる。
「一眠りしてまた明日って言うほどの時間はないからな? 訊きたいことがあるならさっさとしろ」
返事に投げやりなところはなかった。ラティスもまた、さくらの決断を待っている。そうせざるを得なくなったというのが本音だろう。今更だが、申し訳ないという気持ちになった。
「……あたしはキメラ神をほどいて元に戻すことができるってことでOK?」
「ほどくってのは言い得て妙だな。確定はできないが、あんたが取った行動と、出てきた結果に推論を乗せるとそうなるとしか言えない」
「出てきた結果……」
彫像になりかけている黒目の幼女は、やっぱり神と呼ばれる存在の一人らしい。無表情だが、苦しんでいる様子も見えないので、一安心としておこう。
「じゃあ……仮にこのままキメラ神を全部ほどいて元に戻したら……他の世界に行ってもらうことはできないんだっけ」
元の世界にお帰りいただくのが一番無難だと思うのだが、話が通じる気がしない。ラティスならそれも可能かと思ったのだが、ため息が返ってきただけだった。
「ここに道をもう一度作るのはできる。どのくらいかかるのかわからないが、あんたがキメラ神をほどいていく端から、ひとつずつ追い落とすのもできるかもしれない。あくまでも仮定だぞ? 俺だって、復元された神を相手にするなんて想定してなかったからな。元いた世界に、なんてのは論外だ。俺がここにある道を用意するのに、どれだけ時間をかけたと思ってるんだ?」
「時間があれば元の世界への道も作れるの?」
「あればな。だが悩んでる時間は、ないぞ」
そろそろ時間切れだ――ラティスは険しい顔を神々に向ける。仮止めが外れれば、キメラ神と幼女神は、どう動くのか見当も付かない。
(話し合いとかできれば良いけど……恨んでる、よね?)
一払いで消し去られたグレミアのことを考えれば、楽観はできない。しかし、あれほど苦しんでいると知って放り出すのも、小心者のさくらには決断しにくい話だ。全てに都合の良い解決方法はないだろうか。
(こういう時、神頼みってするんだけど)
――回収?
「おい、いいか、もう切れるぞ」
用意しろと背中を叩かれて、さくらは反射的に棒を握りしめた。
「でも」
「決められないなら、何もしないでいい。もう一度やり直す」
ラティスは一歩前に出た。そうして、つま先で地面を叩く。それでいいのかと、己に問いかけている間に新たな印が生まれて、光が幼女神に向かって走る!
――……ない
幼女神の目が、わずかに細められる。
「え?」
光が、弾かれた。ラティスが舌打ちする。
「思った以上に力があるな。さすがは神様だ」
もう一度、地面を叩く。新たな印が
――行かない
でてこなかった。
ラティスは呆然と地面を見つめていた。
「あの……お断りされてるみたいだけど」
「うるせぇ!」
ラティスは苛立ったように何度も地面を踏むが、何も起こらない。端から見ていると、だだっ子が地団駄を踏んでいるようにも見える。中年男がやっても微塵も可愛らしくない。
「ラティス……少し落ち着いた方が」
――……そこで、いい
「そこ?」
幼女の差し出されていた手は、いつの間にか指一本を残して握られている。可愛らしい指が指し示す先は、さくらだ。
――まだ、入る
「へ? どういう意味――」
困惑するさくらの前で、幼女は微笑んだ。神々しさと愛らしさに満ちていて、やはり神様なんだなと見とれてしまった。その隙を突くように、
――よろしく
消えてしまった。
「……ラティス」
「なんだ」
「消えちゃったんだけど……」
さすがに足踏みを止めて、ラティスはさくらを上から下まで眺めた。それから、がしがしと頭を掻いた。
「そこにいるな」
「えっ」
さくらは振り返った。いや、何もいない。
「だまされた!」
「騙してねえ、お前が見てる方向が間違ってるだけだ」
「いや、知ってるけど!」
定番の怪談ネタを披露されたわけじゃないのはわかっているが、現実を直視したくない。
「なんとなくだけど! あの子供の神様があたしの中に入り込んだのはわかってるんだけど! でもそれってなんか、なんていうか……どうしたらいい!?」
「とりあえず落ち着け。おまえさんが規格外だってことは、何度も言っただろ」
ラティスは簡単に言うが、魔法に無縁のさくらには、自分の『容量』なんてものはわからない。けれども、今は、なんとなくだが感じられる。消えたしまった幼女神は、確かに、自分の『中』に存在している。
――……?
――……回収?
――回収
いきなり、全ての声が騒ぎ始めた。ラティスがため息を吐く。
「ほらみろ。ぐずぐずしてるからだぞ」
「なにが! 濡れ衣反対!」
「濡れ衣じゃねぇ。あんたが決めないから、向こうさんで決めたらしいぞ?」
「ええっ!?」
視線が突き刺さってくる。今度は明らかな意思を持っている。幼女神と同じように自分たちを回収しろと要求している。
「待って、だってそんないくらなんでも――」
――まだ、入る
「……」
幼女神がクスクスと笑っている。それはラティスにも聞こえたようで、肩を叩かれた。
「よかったな。神様のお墨付きだ」
喜べと言われても、少しも嬉しくない。
「キメラ神をほどいてやりたかったんじゃないのか?」
「それは、そうなんだけど」
「復元した神々の後始末もできて一石二鳥だろ」
「後始末って……」
本人、もとい本神を前にして、その言い方はマズいのではなかろうか。
「それに……これで時間もできたな」
「……時間?」
ラティスは、かつてよく見た表情をしていた。何かを思いついて、予想される結果に一人で満足している表情だ。
「俺が選んだ世界はイヤだと抜かしやがったお子ちゃまが、あんたの中には進んで収まりに行った。封印なんか必要もないくらいに、大人しく、な。さらに他の神々もそうしろと騒いでる。そしてあんたは希に見る頑丈な『容れ物』だ。普通に暮らしてりゃ、あと、そうだな、五十年は生きるだろ?」
「……つまり、神様を抱えて五十年生きろと……?」
「何も特別なことをしろとは言ってない。普通に暮らしてりゃいい。なんなら元の世界に戻ってもいい。その間に俺が神々の元の世界に道を繋げば、安全に送り返せる」
「あ……!」
確かにそれなら、神々の復元と、時間稼ぎの両方が可能だ。
さくらはキメラ神を振り返った。回収、回収と、まださわざわしている。反対意見は、ないようだ。
「五十年か……」
「実際、そんなにかからないだろうな」
何か宛てがあるようだ。そういうことなら遠慮なく――棒を握り直して、そろそろとキメラ神に近づく。異様な姿を近距離で直視するのは、辛い。しかし目を向けなければ、神々を繋いでいる印も見えなくなってしまう。
「じゃ、この辺から、回収、しますね……?」
瞬間、声にならない声が、辺りに響き渡った。
さくらは棒を握ったまま硬直した。全身に鳥肌が立っている。
「大歓声だな」
顔をしかめたラティスが、後ろに立っていた。どうやらついてきてくれたらしい。
「……いまの、何?」
「大喜びの声だったんだろうさ」
悪いものではなかったようだ。さくらは安心してキメラ神に向き直った。
「よし……それじゃ順番にやるから、静かにしててくださいね!」
心からのお願いを言い添えて、手近な印に棒を突きだした。棒の先端が微かに光って、印が消える。名前と地名が浮かばないだけで、剣の印の回収と同じだ。
「ぅおっ!」
「おっと」
印が消えて、数秒すると何かに弾かれた。今度は尻餅をつく前に、ラティスが受けとめてくれた。
「ありがと」
「なるほどな。最後がやっぱり無理矢理なんだな」
「最後って?」
「こっちの話だ。調整してやるから、そちらさんを回収してろ」
言いながら、ラティスは足下を指した。
「……?」
そこにいたのは、一羽の鳥だった。鳥の種類には詳しくないが、少ない知識の中に当てはまるのは、これだと思う。
「手乗り文鳥……?」
そっと手を差し出すと、文鳥は、ちょんちょんと跳ねて、手のひらにすっぽりと収まった。顔の高さまで持ち上げると、首を傾げる。
「おお……!」
「なに悶えてんだよ。手乗りサイズでも神なんだからな?」
「でも、可愛いよ?」
「いいから早く回収しておけ」
――よろしく
ラティスの声に呼応するように、文鳥はさくらの指をついばんだ。くすぐったいと感じる間もなく、文鳥の姿は消えた。しかし、『中』にいることがわかる。先ほどの幼女の肩にちょこんと乗っている光景が浮んで、思わず笑ってしまった。
「なにニヤけてるんだ。済んだら次だ、次」
「はいはい。って、何の調整したの?」
「最後に飛ばされないようにした。その印の上でやってみろ」
言われたとおりにラティスが描いた印の上で、棒を突き出す。棒の先端が微かに光って、神々を繋ぐ印が消える。
「よし、これならいいな」
特に何かに弾かれることもなく、すんなりと終わった。終わったのはいいが、別の問題があると感じた。
「……少し、距離を取った方がいいかな……」
「……そうだな……」
復元された神は、今度は左側に現れた。ばさっ、ざざざっと音がする。さくらとラティスは、同時に見上げた。
「木だね」
「木だな」
しかも、巨木だ。〈柱〉ほど大きくはないが、樹齢数百年の威厳を漂わせている。風もないのに枝葉が揺れて、ざわざわと音を立てている。
――……
巨木は、声にならない声で挨拶をして、さくらの中に入っていった。文鳥が羽ばたいて、枝の上にちょこんと乗り、根元で幼女が安らぐ光景が浮かぶ。
「……仲良くやって行けそうで何より」
「何の話だよ」
自分で書いておいて何ですが、手乗り文鳥が神様の世界って、どうなんでしょうね……。
読んでくださってありがとうございました。




