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(あれが……神様……?)
柱だと思ったそれは、何かの塊だった。ゲームのラスボスみたいに、不可解な融合を遂げた『何か』だ。神ですら、ない。さくらは息を飲んで、ラティスの服をぎゅっと握った。
見えてしまった。何かの足が、そこにあった。何かの羽根が、腕が、触覚が、は虫類のような顔がそこにあって、蠢いている。ありえない形に、震えが走った。
とん、とラティスが再度つま先で地面を叩く。光がもう一筋走った。キメラ神の右側に向かって伸びた光の筋は、その先でやはり何かにぶつかって、上に伸びる。
「……よし」
ほっとしたようにラティスが呟く。それからもう一度、地面をつま先で叩く。キメラ神を覆っていた光が強まった。と、同時にじりじりとキメラ神が右側に向かって動いていく。
「ラティス……」
「大丈夫だ。一番いい場所に繋がった。このまま引っ張るから、もう少し待ってろ」
ラティスはリズムを取るように、続けざまにつま先で地面を叩いている。軽快だが、不規則なリズムは緊張感が漂っている。察するに、右の光が、別の世界への道なのだろう。キメラ神を絡め取っている光は明滅を繰り返している。こちらの光が、別世界へ追い出そうと引っ張っているようだ。
――……
計画はうまくいっている。二つの光が重なれば、追い出し完了だ。そのあとは、〈柱〉の力をもって道を封じれば、異形と成り果てた神は二度と戻っては来られない。トーディフ帝国の最後の負の遺産は、これで消えて無くなる。
――……か。
吐息が、聞こえたような気がした。
(……?)
ラティスではない。自分でもない。そうすると、この場で残る候補はアレしかない。さくらは深呼吸して、ラティスの背中から顔を出した。
「――っ!?」
大勢の何かが、こちらを見た。
その全てと、目が合った。
――誰
――どこ
――何
――まだ
――もう
数え切れない声が、同時にぶつかってきた。耳を塞ぎたくても動けない。唯一、ラティスの服を掴んでいた指だけが動いた。力を込めて握り直すことしかできなかったけれど。
――また
――……
――永遠に
胸を突かれたような気がして、さくらはラティスの背中を叩いた。
「……ラティス……待って」
光と光が重なるまで、一メートルも無い。
「なんだ?」
「待って……あのままじゃ……」
右手の甲が熱を持っている。呼ばれているような気がした。
こんなものを握りしめている場合じゃない――ラティスの服を離すと、腰に差しておいた棒を取り出した。
「おい、何する気だ! 戻れ! 止めろ!」
ラティスの制止を振り払って、さくらはキメラ神に向かって走った。
あのままじゃ放り出しちゃダメだ――キメラ神という名の塊は、蠢いていた。光から逃れようとしているのでない。ただ、苦しいからもがいているだけだ。
トーディフの魔術師たちは、いったいどれだけの『神』を集めたのか。人型だったり獣型だったり、植物のようなものも見える。それらは魔獣のように、何かを掛け合わせて別の存在になっているのでは無く、手足をねじ曲げて縛り付けるように、無理矢理つなぎ合わされていた。ぶつかってきた声は、そう訴えていた。さらにまた付け加える気なのかと、向けられた視線にそう問いかけられた。
(外さないと……!)
ラティスが放った光の中に、見覚えのあるものがぼんやりと見える。神々をつなぎ合わせているのは、印だ。〈柱〉から作られたものと良く似た印――剣の所持者のように名前が浮かんでくることはなかったけれど、これならわかる。これなら、自分にもできる。
右手の甲が熱くなった。じりじりと引きずられているキメラ神の前で、さくらは棒を掲げた。視線がまた、集まった。腹に力を込めていないと、視線の圧力に負けてしまいそうだ。
(できる。あたしは剣の――印の回収者だから)
「サクラ! よせ!」
ラティスが叫ぶ。さくらも叫んだ。意思を持って、一番近くの印に向かって棒を突き出す。
「――回収します!」
叫ぶ必要は無かったかもしれない。恥ずかしさに気づいたとき、衝撃が走った。
「はぅっ?!」
おかしな声が出て、さくらは後ろにひっくり返った。決して恥ずかしくて自爆したわけではない。
「馬鹿野郎、何やってんだ!」
身を起こす間もなく、後ろに引っ張られた。ラティスがすごい形相で見下ろしてくる。ぽかんとして見つめ返すと、一瞬、ほっとしたように表情が緩んだ。
「ラティス」
「ラティスじゃない。早く立て。んで、あっちに戻れ。ったく、いきなり何をやり始めるんだ、お前は」
さくらを急かす合間に、ラティスはポケットに手を突っ込む。中から何かを取り出すと、周囲にぽいぽいと撒いた。撒かれた何かは、地面に当たると花が開くように印を描く。灰色の世界に、可憐な花が咲いた。
綺麗だな――場違いな感想を思い浮かべながら、さくらは立ち上がった。
「ラティス」
「よし、とにかく引くぞ」
「でも、あれ」
「アレ?」
さくらの腕を掴んだまま、ラティスは振り返って、固まった。さくらだって、目に見えるものが信じられない。
「何だと思う?」
ラティスが床を踏むのを止めたせいか、光は二つとも消えてしまっていた。再び灰色一色に染まった中にあるのは、巨大な異形と、その前で、ぺたんと座り込んだ幼女だった。ふわふわの金髪に、フリルのピンクのドレスを身につけて、糸の切れた人形のように、俯いている。
ラティスがゆっくりこちらを見た。それから、同じ速度で首を横に振る。わけがわからないと、言葉よりも表情が物語っている。
「お前、なにやったんだ……?」
「何って――」
――誰
――どこ
――何
――まだ
――もう
――……?
声が始まる。視線が集まる。座り込んだ幼女も、顔を上げてさくらを真っ直ぐに見上げてくる。よく見れば、白目の無い黒一色の目をしていた。
「ラティス」
「なんだよ」
「呼んでるみたいなんだけど」
幼女は無表情のまま、小さな手をさしのべてきた。
――回収?
ラティスは舌打ちした。
「回収だって? なんなんだよ、どういうことなんだ、これは……!」
イライラしたように髪に手を突っ込んでかきむしっている。毛髪の将来を考えるなら止めた方がいいと思うのだが。
「って、よかった、あの声、ラティスにも聞こえてるの?」
幻聴だったらどうしようかと思っていたので安心した。が、ラティスは怖い顔のまま振り返る。
「ああ、聞こえてる。キメラ神が生まれてからずっと聞こえてるらしいぞ。けどな、あんなうめき声を聞いて、笑いながらふらふら近寄っていったバカは記録上、たった一人だ」
「バカってあたしのこと?」
むっとして言い返すと、ラティスはさらに険しい顔で座り込む幼女を見据える。幼女は手をさしのべたまま、微動だにしない。視線の先にいるのは、さくら一人だ。
「……記録じゃ、無理な合成のせいで、神々の知能も意識も獣以下だとある。うめき声には何の意味も無いから無視しろ、耳を傾けてると狂うぞと厳しく教えられるんだ。それなのに、なんなんだ、これは」
確かに、一斉にざわめく声には閉口気味だが、気が狂うほどではない。これで気が狂うなら、バーゲン会場には飛び込めないと思う。
「なんなんだって言われてもあたしにもよくわかんないんだけど……とりあえず、呼んでるみたいだから行ってきてもいい?」
さらに怖い顔で振り向かれた。当然だ。
「お前、状況を理解してるのか?」
「うん、たぶん。キメラ神て、別の存在を作ったわけじゃなかったんだね。ヘンな風に繋がれてる苦しいみたいだし、これで外せるなら外してあげたいなって」
ラティスは、深いため息を吐いて両手を肩に乗せてきた。
「ああ、そうだよ、俺だってわかる。キメラ神の合成は、ただのつぎはぎだってな。だがな、どんな風につなぎ合わせているかなんて、施術した奴だってもうわからないんだ。右手の位置に左足を繋いだようなもんだ。理由がもっと酷い。『そこなら繋がりそうだったから』だぞ」
「何その行き当たりばったり魔法」
「神相手なんだからしかたないだろ。だいたい、お前が今やろうとしてることだって、行き当たりばったりだろうが」
「う……」
確かにその通りだ。ラティスと違って、詳しい理論構築が基礎にあるわけではない。なんとなく、できそうな方法を取ったらできてしまったと言うだけだ。幼女が現れた結果が成功なのか失敗なのかも、判定できない。
「その行き当たりばったりで、なんで復元に成功するんだよ……おかしいだろ」
なぜか最後はちょっぴり泣き声になっている。
「へ? なにちょっと、どういうこと!」
説明求む!――遠い目をするラティスを揺さぶって引きずり戻すと、深い深いため息の後に、ラティスは言った。
「お前ほんとにわかってないんだよな……さっき回収しますとか叫んだとき」
「そこは忘れて欲しい、是非」
「……とにかくその棒で印に触ったときに、ほんとに回収しやがったんだよ、繋がれてる神ごとな! 無茶苦茶だろ!」
「へ?」
できそうだったのでやってしまったのだが、やはり無茶だったらしい。まさか命の危険があったのだろうか。
「確かにその棒と印は、お前を通して〈柱〉の欠片と力を回収して、〈柱〉を復元するけどな! でもそれだけだぞ! つなぎの印を回収して、分離した神を復元するとか、理論の応用どころか乗っ取りじゃねえか!」
「そんな具体的に怒られても八つ当たりにしか聞こえないから!」
「怒ってねえよ、困ってるんだよ……ああもうちきしょうめ」
酔っ払いがくだを巻いているみたいになって、ラティスはしゃがみ込んだ。うつろな目で、手を差し出したまま微動だにしない幼女を見据える。
「……どうやってるのかはわからないが、一つ確かなのは――お前はキメラ神を分解するに、〈柱〉の力を使ってるってことだ。これがどういうことかわかるか?」
「あー……なんとなく」
さくらの役目は、〈柱〉の力を運ぶだけ。
ラティスは計画通りにキメラ神を別の世界に追い出し、さくらが運んできた〈柱〉の力で道を塞ぐ。それをさくらが使い果たしてしまったら、鍵をかけることができずに、計画は失敗だ。残っているのは、無理矢理呼び出されて長く苦しめられた神々だけ。寛大な心でこの世界を守ってくれることを祈るしか無い。
「それは……うん、困ったね……」
幼女はまだ、手を差し出し続けている。
脅すのでもなく、懇願するのでもなく、さくらの決断だけを待っていた。
キメラ神はきっと、「俺は神を作る」なんて言っちゃった手前、やらざるを得なかった仕事の結果というか何というか。トーディフの魔術師全員グレミアと同類だったのではと推測します。
今回もありがとうございました!




