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「お手伝いがいるなら、人海戦術で相手を押さえ込んで貰うとかもできるかな」
「人海戦術って……まあ、やれないことはないだろうが……むしろあんたの場合、それしかないか」
さくらを眺めて、ラティスは一人頷く。納得しているつもりだが、改めて断言されるのも辛い。
「とにかく一度やってみるか。ちょうど、外にお客さんもいることだしな」
「お客さんて、誰?」
さくらは眉を顰めた。
「もしかして、また新たな剣の要求ですか?」
ディアンも眉を顰めた。
「もしかしなくても、だ。他にこんな所まで来る理由が無いだろ」
むくれるディアンと、それを宥めるラティスを交互に見て、『お客さん』の正体に思い当たった。
「あー、もっと剣をよこせって言ってきてる?」
「よくわかったな?」
「だいたいの話はディアンから聞いたから。で、その人どこにいるの?」
ぐるりと見回すと、ラティスが首を振った。
「ここじゃなくて『外』にいるんだ。行ってみれば分かる」
「それなら、送ります」
ディアンが言って歩き出したので、さくらは慌てて止めた。
「待って待って。いますぐ戦うってこと? あたし着替えとかまだ済んでないんだけど。あとこれ、どこに預かってもらえばいいの」
「着替えは後でどうにかしてやるが、今は諦めろ。そっちの鞄は持ってくればいいだろ」
「えー、落としたくないし……」
「でしたら、椅子の上にでも置いておいてください。戻ってきたら仕舞っておきます」
「ここに置きっぱなし……?」
これから全員で出かけるというのに、その提案は無いと思うのだが。
「大丈夫です。通常ここは番人である私以外誰もいませんから」
「誰も?」
さくらが自分とラティスを指すと、ディアンは憮然とする。
「サクラはこちらから呼び出したので当然です。ラティスは、どうやってここに入り込めたのか、私が訊きたいくらいです」
「蛇の道は蛇ってやつだ。ああ、他に入り込む方法を知ってるやつはいないはずだから、安心していい」
ラティスは笑うだけで、答える気は無いらしい。
さくらは鞄を握って考え込んだ。いくら考えても、二人の言葉を信用するしか選択肢が出てこない。
「……じゃあ、お願いします」
仕方なく、さくらは椅子の上にバッグを置いて、二人の後に続いた。何度か振り返ってみたが、そのうちに霧に包まれて見えなくなる。
「誰も盗らねぇって」
ラティスの呆れ声に、さくらは振り返るのを止めた。どのみちもう、どこを見ても霧、霧、霧、だ。
(手で掴めそう)
霧は三人の動きに合わせて、ふわりと両脇に流れていく。こんなに深い霧を見たのは初めてだ。綿飴みたいにならないだろうかと、枝を霧の中につきだしてかき混ぜてみる。霧はゆっくりと動くだけで、枝に絡みつくことも、コーヒーミルクのように回り出すことも無かった。
「ずっと霧が出てるけど、この辺って霧が出やすい地域なの?」
頭上を仰いでも、ミルク色の霧が、たゆたっているだけだ。今が何時なのかも分からない。明るいので昼間だとは思うが、すべてがぼんやりしていて落ち着かない。
「ここはいつだって霧が出てるんだよ」
ラティスが振り返ったので、さくらは小走りになって隣に並んだ。
「いつもなんだ?」
「ここは〈柱〉の守るための空間です。あの霧も〈柱〉を守るために存在しています」
「霧で隠してるんだ。って、あれ、でもここにあたし達以外、誰も来られないって言わなかった?」
他に誰も来ないのであれば、霧で隠す意味は無いように思える。
「めくらまし以外の意味があるんです」
「へぇ……」
どんな意味かを尋ねる前に、ディアンが立ち止まった。
「サクラ、その岩に手を伸ばしてください」
その声に合わせるように、前方の霧が少し晴れた。
「岩って……これ?」
霧が離れていくと、ディアンの前には平べったい岩が立っていた。前に出て、さくらは眉を顰める。
目の前にある黄土色のざらざらした岩は、高さは約四メートル、幅は約二メートルはあるのに、厚さが十センチも無い。脇からそっと覗いてみても、何の支えも無かった。埋まっているようにも見えないので、危なっかしいことこの上ない。
「触ったら倒れそうなんだけど?」
「大丈夫です。早く手を」
ディアンが急かすので、さくらはしぶしぶ手を伸ばした。ざらざらした黄土色の表面に指先が触れた瞬間、表面が変化した。薄緑の光がぱっと広がり、ヒエログリフのような記号が浮かぶ。
さくらが確認できたのは、そこまでだ。
(――ぶつかる?!)
変化に驚いて手を引っ込める前に、何かがさくらの手を掴んで強く引いた。息を飲むのと同時に岩壁が迫り、とっさに目を閉じる。
(……?)
衝撃は、来なかった。額も鼻も、なんともない。清涼感のある風が通り過ぎたような感覚の後、いきなり手を放された。
「ぅぉっと!」
目を開けて、つんのめりながら立ち止まる。止めていた息を吐き出して振り返ると、ラティスが壁から優雅に現れるところだった。
「え? え?」
壁を指して目を丸くするさくらに、ラティスは落ち着けと笑った。
「ちょっと変わった玄関なんだ、あれは」
「玄関?! ちょっと?! 通れるなら先にそう言ってよ! すごい驚いたじゃない!」
「言っても驚くと思うがな。普通、岩をくぐり抜けると思わないだろ?」
「それはそうだけど、心構えってもんがあるでしょ」
「あっても無くても同じだと思うが……ま、心に留めておく」
ラティスは軽く請け負った。三歩歩いたら忘れそうなくらいに軽い。次に忘れたらこれで叩いてやると、さくらは棒を握りしめて誓った。
「で……ここは?」
周囲は明るい陽光に溢れていた。ぐるっと見回すと、ストーンヘンジの中心にいるように見える。屋根は無く、石造りの壁が四方を囲んでいるだけ。その壁は、先ほど触ったのと同じ材質のようだ。黄土色で、何の装飾も無い。足下は草の一本も生えていない灰色の地面で、空を仰ぐと雲一つ無い綺麗な青空が見えた。
(今って何時頃なんだろう)
さくらが家に帰ってきたのは夜の十時過ぎだったが、こちらはこの青空だ。ちなみに夕飯は帰りがけに駅前の定食屋で済ませてきたので、空腹は感じない。
(あ、ご飯のことも訊いておかないと!)
相談事リストに付け加えていると、呼ばれた。
「おい、こっちだ」
壁の一角が、人ひとりが通れる幅で開いていた。ラティスはその前で立ち止まって手招きしている。
なんでもないと頭を振って、さくらは今出てきた岩を振り返った。
「ディアンはこないの?」
「あいつは番人だから、あそこから出てこられないんだよ」
「ふーん」
それも一言言って欲しかったな――呟きながら、さくらはラティスの隣に並んだ。ラティスはさくらを招いた手で、今度は外を指した。
「見えるか?」
壁の外は、ごつごつした地面が広がっていた。ラティスが指しているのは、少し先のまばらな林だ。よく見ると、木陰に人が立っているのが見える。全部で十人ほどだろうか。
「うん、人がいるね」
「あの中の誰かが剣を持っているはずなんだが、分かるか?」
「んー……」
全員男性だろうと言うことは分かったが、それ以上はわからない。
そう答えようとして、さくらは右手に違和感を感じた。
手の甲の模様が、ぼんやりと緑色に光っている。淡い、綺麗な光だ。さくらは無意識に右手を人影の方に向けてみた。
「……真ん中辺の、背の高い人」
「一応、合格だな。じゃ行くか」
さくらの返事も聞かずに、ラティスは壁と壁の間を通り抜けた。さくらも慌てて後を隙間に滑り込む。
途端に、空気が変わった。
先ほどまで感じていた清涼感は消え、波の音と潮の香りが押し寄せる。風が、強い。ついでに肌寒い。もう一枚上着が欲しいくらいだ。
「え、海? あれ?」
もう一歩踏み出ると、細く突き出た断崖絶壁の上にいることが分かった。左右、どちらを見ても海が見える。風が強いので波が荒い。近くで波が砕ける音も聞こえる。
そして振り返ると、そこには門柱のような細い石の柱が二本、立っているだけだった。石柱の間から突端と、海と青空が見える。平たい石壁はどこにも無い。
さらに、さくらが驚いたのは――
「あ、出てきた」
柱の横に二つの人影があった。どちらも若い男で、一人はその場に座り込んで、もう一人はその隣に立っている。声を上げたのは、座っていた方だ。
「えー、あれぇ、女の人なんだ?」
予想外だよ――青年の顔には、はっきりくっきり、そう書いてあった。