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「おかえり、サクラ!」
結果から言うと、おかえりなさい攻撃を避けることはできなかった。避けるどころか、正面から受け止めてしまった。
「……は、はっちゃ……く、る……」
ハーティーア本人はとても柔らかく細いというのに、この圧迫感は詐欺だ。しかも、じゃれついてくる大型犬の子犬と同じに、乱暴に押し返せないという心理的圧迫もついてくる。
「ほら、そろそろ話さないとサクラが潰れるわよ」
セザが割って入ってくれた。空気が美味しい。できればもう少し早く止めて欲しかった。
(できれば抱きしめられる前に……)
「ごめんね、サクラ、嬉しくってつい」
しょんぼりとのぞき込んでくるハーティーアに、どうにか笑顔は間に合った。
「う、ううん、大丈夫。ただいま、はっちゃん」
方法はともかく、喜んで出迎えてくれたことには違いないのだ。
「まったく、勝手に一人でふらっといなくなるのは止めて欲しいと、以前にも言ったはずなんだがな」
隣でナルバクが仏頂面で文句をたれている。元の顔が厳めしいだけに、その迫力は推して知るべし。さすがのラティスも、及び腰で言い訳をしている。
「まあ、ちょっとばかり急ぎの用だったんでな」
「じゃ、早速そんなに急いでて理由を話してもらおうかしら」
ハーティーアも詰め寄った。ラティスがぎょっとする。
「いや、結構長い話になるから、な?」
同意を求めて振り返れば、ガセンが頷いてくれた。
「ああ、ほんとに長いから、座ってちゃんときいた方がいいと思うぞ」
「おい!」
「お茶は入れておくから、二人ともゆっくりと聞いてらっしゃいな」
セザは旅の疲れも見せずに、台所へと向かった。
「じゃ、あたしは一休みさせてもらおうかな」
「俺もそうするか」
さくらとルコーにも振られると、ラティスは一人だった。
「じゃ、食堂に行こうか、ラティス」
「そうだな。長い話なら、早速聞かせてもらおう」
両脇をがっちりと固められて、ラティスは食堂へと連行された。その様子を見送って、さくらは自室に戻った。何十日ぶりだろう。留守の間も掃除は行き届いていて、埃っぽさも無い。ベッドに腰を下ろして一息つくと、体中の力が抜けそうだ。
(このまま寝ちゃいそうだな……)
その前に荷物を片付けないといけない。着替えも済ませたいし、夕飯の支度の手伝いもしなくては――頭の中では忙しく動いていたはずなのに、次に目を開けたときには、翌日の朝だった。
「えーっと……」
カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。
「……ま、まあ過ぎたことは仕方ないなよね、うん」
日の出から間もない時間のようだが、二度寝は危険と判断してベッドから下りる。服は昨日のままだったので、皺だらけだ。どうせ洗濯しなければならないので、残っていた服に着替えて階下に下りる。顔を洗えば、さっぱりするだろう。
砦の中は静かだった。ラティスの話はいつまで続いたのか。いつもなら夜明けと同時に起きているハーティーアも、今日はまだ寝ているようだ。台所を覗いてみたが、火が入っている様子は無い。
(セザも寝てるかな)
そっと裏口の戸を開けて、裏庭に出る。井戸端で顔を洗っていると、視界の端で何かが動いた。慌てて顔を拭いて、影を追いかける。
「ラティス!」
砦を出たところで声をかけると、少し先を歩いていたオレンジ頭が、びっくりした様子で振り返った。
「なんだ、ずいぶん早起きだな」
「早寝したからね」
「優雅だな。俺は徹夜を覚悟したんだぞ」
「自業自得って、ルコーなら言うと思うな」
「言うと思ったよ」
ラティスは面白く無さそうに、歩き出す。さくらは急いで隣に並んだ。
「どこいくの」
「ディアンの所だ」
思ったとおりだった。というか、この方向に歩いていたら、〈柱〉の他に何も無い。
「あたしも行っていい?」
「好きにしろ」
今日も崖の上は風が強かった。石柱の間に入り込むと、すっと風が止んで静寂が訪れる。
「そういえば」
平たい岩から〈柱〉の中へと移動したところで、さくらはラティスを見上げた。
「ラティスって、どこからでも〈柱〉に入れるんじゃなかったっけ」
わざわざここまで来なくても、砦の庭から出入りすればいいのではないだろうか。
「最初から場を作ってある方が楽なんだよ。そうじゃなきゃ、手順が色々面倒だし時間がかかりすぎるんだ」
「そうなの?」
「嘘じゃねえぞ?」
念を押すように、ラティス。さくらは、しかしまだ腑に落ちない。
「でも、一ノ村でグレミアはあっという間に〈柱〉に移動したけど。しかもディアンの所に」
ラティスが言うような面倒な手順は一切なかったはずだ。そう言うと、ラティスは考え込んだ。
「そうなのか? まあ……あの村には〈柱〉に向かう場があるからそれを使ったのかもな。ティルハーの所に向かう道は俺が塞いだから……ああ、そうか。あんたも一緒だったんだな」
それなら簡単だと、ラティスはさくらを指した。
「あんたの中にある〈柱〉の力を使ったんだろうよ」
「げ、そうなの?」
知らないうちに自分の何かをグレミアに使われたと思うと、鳥肌が立った。
「断りもなく勝手に使うとか! 失礼すぎる!」
「……俺が言うまで自覚はなかったたんだよな……?」
隣でラティスが何か言っているが、聞こえないふりである。
「――相変わらず賑やかですね」
霧の中から、ディアンが現れた。銀色の髪も、白い顔も、普段どおりだ。歩いてくる動きにおかしな所もない。ラティスから聞いてはいたが、こうして直接会って安心した。
「ディアン! 大丈夫なの?」
「ええ、ラティスのおかげで身体機能は元に戻りました……はぁ」
言いながら、ディアンは近寄ってくる。さくらをのぞき込んで、深々とため息をついた。
「え、なにそれ、人の顔見てため息とか! 言いたいことがあるならはっきり言う!」
「貴女に言いたいことはありません。ただ……己の迂闊さを嘆いているだけです」
そう言いながらまた、ため息をつく。
ため息の行列を見送って、さくらはラティスを見上げた。
「説明よろしく」
「本人に訊けよ」
「だって訊いたら追い込んじゃいそうだし?」
「……いえ、大丈夫です。ただまさか……〈柱〉の力がこんな近くにあったことに気づかないなんて……」
最大級のため息を吐いてから、ディアンはいきなり顔を上げてラティスに詰め寄った。
「ラティス、やはり私はどこかに欠陥があるのではないでしょうか。一度徹底的に――」
「無い無い。何でも言ってるだろ。お前さんは立派な番人として機能している。全然、どこもおかしくないから安心しろ」
ラティスは面倒くさそうに手を振って、ディアンを追いやる。
「でも――」
「徹底的に調べたとしてもだ、どうせもうすぐ『番人』はいらなくなるんだぞ?」
ディアンが息を飲む音が聞こえた。同時に、さくらの頭に血が上った。
「ラティス! いくらなんでもそういう言い方は酷いよ! ディアンだって、好きでこんな所にいたわけじゃないのに。ラティスたちに『お前は今日から番人だぞ』とか言われてここに来たから引きこもりになっちゃったんでしょ! 引きこもりから復帰するのも大変なのに、そんな言い方したら――」
「サクラ、サクラ」
肩を叩かれて、さくらは振り返った。ディアンが、とても悲愴な顔をしている。
「気持ちはありがたいのですが、とてつもなく酷いことを言われている気がします」
引きこもりを強調しすぎたかもしれない。さくらは軽く反省した。
「とりあえず、俺は用事を済ませたいんだが、もういいか?」
どうやらラティスは右から左に聞き流していたようだ。今度は片耳を塞いでおこうと心に留めておく。
「じゃ、用事が終わってからね」
「もう気持ちだけで結構ですから……」
がっくりと肩を落とすディアンに、さくらは浮かんだ疑問を投げてみた。
「って、その前に、ディアンはもう、知ってるの? その……」
「ラティスの計画のことなら、少し前に聞きました。その際、ティルハーとも会いましたので、おおよそは把握していると思います」
「あ、そうなんだ……じゃあ問題なかったね」
無理矢理笑顔を作ると、ディアンは、ほんのわずかに笑みを浮かべたように見えた。
「あなたが我々『番人』の行く末を心配してくださっていることも、ラティスから聞きました」
「ぐっ!? おい、ディアン!」
横で盛大にむせながら、ラティスが慌てている。ディアンはすまして話を続ける。どいつもこいつもどういうことだよと、ぶつぶつ呟くラティスを横目に見て、さくらは笑いをかみ殺した。せめてもの情けである。
「ですから、貴女にお礼を申しあげなくてはと思っていました。サクラ、私と、ティルハーのことを心配してくれてありがとうございます」
「あはは……面と向かって言われると照れくさいね!」
「何で俺を睨むんだよ! 全部バラしてるのはディアンだろ!」
睨むどころか、蹴り飛ばしてやりたいくらいに、いたたまれない。ディアンの容姿がなまじ整っているだけに、恥ずかしさ倍増である。
「二人とも落ち着いてください。お互いに本音を言わないのですから間に入る者が伝えるのは当然かと思います」
「誰から聞いたんだよ、そんな余計なお世話……」
ラティスが唸ると、ディアンは、少しだけ胸を反らした。
「私もただ引きこもっているわけではありませんので」
引きこもっていることは認めるようだ。これを成長と見るか、開き直りと見るか。それよりもディアンが『引きこもり』の意味をどうやって知ったのかも気になるが、今は敢えて何も言うまい。さくらはしっかりと口を閉じることに専念した。
「では、こちらにどうぞ」
いつになく軽い足取りで、ディアンは〈柱〉の元へと案内した。心なしか、周囲の霧も舞い踊っているように見える。
(まさかここの霧って、ディアンと繋がってるとか……あ)
霧を抜けると、巨大な岩山が見えた。さくらは顔をしかめた。
「穴が開いたままなんだけど……」
棒の方は、マリオーシュの村で返してもらったので、てっきりふさがったのだと思い込んでいた。
「ええ、何度頼んでも塞いでくれないので困っています」
ディアンはため息を吐く。今回のため息はとてもわざとらしい。が、ラティスの面の皮の厚さは突破できなかった。
「もうすぐ用無しになるのに、そんな必要ないだろ」
「それはわかっていますが、落ち着かないんです」
「気分の問題かよ。もういいから、お前らは少し下がっていろ」
ラティスは肩を怒らせながら〈柱〉向かって歩いて行った。
さくらとディアンは顔を見合わせた。目が合うと、自然と笑いが浮かんでくる。
「本当に元気になってくれて良かった」
あの時はどうなることかと思った。胸が潰れそうだという表現を、実体験したと思う。
「私たちは割と頑丈にできているようです。いずれ〈柱〉の外に出るときが来ても大丈夫だとラティスも請け負ってくれました」
「そっか……」
ディアンはもう全部知っているようだった。その上で、その先を考えようとしているのだと知って、ほっとした。
「おい、ディアン!」
ラティスがディアンを呼ぶ声がした。結局、手が足りないようだ。
「少し手伝ってきます」
「うん」
ディアンが離れていって、さくらは手持ち無沙汰になった。
(鞄の中身でも見てこようかな)
勝手に〈柱〉の中に入ってもいいか尋ねようとして、いきなり足下をすくわれた。
「――ふぇっ!?」
「ああ、うまくいった」
耳元で、聞き覚えのある声が、笑う。
抵抗する間もなく、さくらは霧の中から闇の中へと落ちていった。
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