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バサバサバサ――……
力強い羽音と共に、二羽のメイバイが飛び立つ。一羽は、ミベ村の砦へ向かって。もう一羽は、ミオーリのラッドの元へ。
「無事に運んでくれるかな」
「あの子たちは、もう何度も飛んでいますから」
リンナーリシュも眩しそうに目を細めた。
メイバイは本来、長距離飛行には向いていない種類の鳥だ。雛から育てて、厳しく訓練して初めて伝書役が務まるようになる。根気と愛情が必要だとマナン村長も言っていたから、リンナーリシュが子供の巣立ちを見守るような表情なのも当然だ。
「今度はこちらが出発する時間ですよ」
「うん」
リンナーリシュに促されて、さくらは踵を返した。
ラティスも無事に捕まえたので、いつまでも長居する理由は無い。早々にミベ村の砦に帰ることとなった。
まずは砦で留守番しているハーティーアとナルバクには、メイバイで一足先に帰還を知らせてもらうことにした。特にハーティーアは心配のあまりに砦を壊していないかが気がかりだからだ。
ラッドにも飛ばしたのは、おまけだ。キューディスにせっつかれて心身共に疲弊しているのでは、というさくらの懸念故だ。もしそうなら、この知らせで少しでも楽になっていればいいのだが。
「準備はできたのか?」
馬車の周りには全員揃っていた。さくらは頷いた。
「じゃ、砦で待ってるね、リンちゃん」
今回、リンナーリシュは同行しない。他のマリオーシュの若者と共に処分が決定されて、罪を償ったら合流すると、昨晩のうちに聞かされていた。
「護衛が減ってしまって申し訳ないが、一族のこれからもきちんと話をしたいと思いますので、もうしばらくリンはこちらに留め置かせてください」
早めにケリを付けますと、見送りに来てくれたマナン村長は言った。口調からして、厳しい処罰が下されるようなことは無さそうだ。
実際、反乱はほぼ未然に防がれたと言ってもいい。不満の一つであった〈柱〉の番人への道も、ラティスが昨日のうちにあっさり開いてしまったので、決起した若者たちはますます気持ちの行き場が見つからない様子だ。これなら落ち着いて話を聞いてくれるでしょうと、マナン村長は請け負った。
「私がいない間にグレミアが来なければいいのですが」
リンナーリシュの表情は晴れない。大丈夫だからと声をかけようとして、さらに呟きが漏れる。
「何の報復もできないまま終わってしまうなんて、悔しいですから」
心配なのはそこらしい。かける言葉を失って、さくらはセザに場を譲った。
「安心しなよ。そのときは生きたまま捕まえておくから」
譲るんじゃ無かったと後悔したが、もう遅い。セザに負けず劣らずの凄みのある笑みで、リンナーリシュは頷いた。
「そのときは、何があっても駆けつけます」
「……村長の許可はとってこいよ?」
そっとラティスが呟くが、マナン村長は何かを諦めた顔で空を見上げていた。胃を痛めないといいと思う。
「えっと、村長、いろいろお世話になりました」
さくらが頭を下げると、マナン村長は我に返った。
「こちらこそ、いろいろご迷惑をおかけしました。落ち着いたらまたいらしてください」
「はい、ありがとうございます」
頷いたものの、そんな機会があるかどうかが疑問だ。
昨日、ラティスが〈柱〉の番人への道を開いた。そのまま〈柱〉の力を移すのかと訊いたら、あからさまに馬鹿にされた。
「そんなことしたら封印が外れるだろ」
その通りだ。準備ができたら少しずつ移していくそうだが、そのためにマリオーシュの村まで来る必要は無いそうだ。
「〈柱〉の守護って役目も無くなるし、マリオーシュもかなり変わるだろうな」
他人事のようにラティスは言った。そのとき初めて気づいた。〈柱〉は、無くなってしまうのだということに。
*
長い話をした翌日。
ラティスはマリオーシュが守ってきた〈柱〉の入り口を開いた。
「あ、そうか。〈柱〉の力を移すんだっけ」
いきなり大仕事だねと振り返ると、
「力を移すのは準備できてからだ。でなきゃ封印が外れるだろ」
あからさまに馬鹿された。
「そもそも、ここはマリオーシュが守ってきた場所だからな。まずは族長の許可が必要だろ」
「あれえ、勝手に通れなくしたのはラティスじゃなかったっけ」
意趣返しに呟いてみたら、効果てきめんだった。
「……お前はいちいち余計なこと覚えてるな」
じとっと睨まれたが、さくらは素知らぬふりだ。一矢報いたので気分がいい。隣でマナン村長が笑いをかみ殺しているのに気づいて、ラティスは舌打ちした。
「ほら、もう開けてあるぞ」
「ラティスがやらないんですか?」
一族の中で〈柱〉への道を開けるのはマナン村長だけだが、今は開閉自由なラティスがいる。ここまでやっておいてどうして、と首を傾げる村長に、ラティスは背後を顎でしゃくった。
「観客もお待ちかねだ。久しぶりに族長らしいことしたいだろ」
マナン村長は振り返って、苦笑する。村人たちが遠巻きに見つめている。番人への道が閉ざされて数年が経っている。やはり心配なのだろう。
「そうですね。では久しぶりなので、うまくいかなかったら手伝ってください」
深呼吸を一つしてから、マナン村長は道を開いた。面白いことにやり方がラティスとそっくりだ。地面に二カ所、読めない記号を書いて、その上から順番につま先で地面を叩く。
――ヒュオォオオォオ――
風の音がした。振り仰げば快晴の空があって、そよ風一つ吹いていない。大きな雲が一つ、ぽかんと浮かんでいるだけだ。
「お!」
ガセンが嬉しそうな声を上げた。音が止んだ後、マナン村長が踏んだ二カ所に、薄ぼんやりとした光の柱が立っていた。崖の上にあった二本柱と形状はよく似ている。あちらは石柱で、こちらは光柱というわけか。
「皆さん、中へどうぞ。番人殿もお待ちのようです」
言って、マナン村長が最初に走りの間を通り抜ける。柱の間に身体が入った瞬間、姿が消えた。
「消えちゃった……?」
「中に入っただけだろ」
驚くさくらに、皆、何を今更という視線を向けてくる。
「おまえ、いつもそうやって番人殿の所に行ってただろ」
「え……そうだったんだ」
ようやく納得した。さくらが崖上の柱を通っていたとき、外で待っているとこんな風に見えるのだ。
「そっか……他の人が中に入る所って、初めて見たし」
「じゃ、たまには最後に来いよ」
嬉しそうに走り出すガセン。これも同じように、ふっと姿が消える。なるほどなるほどと頷いて、さくらは期待を込めてルコーを見上げた。
「いや、あんたを最後にするのはマズいだろ」
真面目に返されて、一応、狙われている身だったことを思い出す。
「ルコーがいるならいいね。お先に」
足音も無く進み出て、セザが柱の間に消える。ラティスが続いて消えたのを見て満足してから、さくらも踏み出した。
(あー、ここは同じなんだ)
柱を越えたところで空気が変わり、静寂に包まれた。中の様子も、ほぼ同じだ。こちらは壁の色がやや茶色いように見える。真ん中に立っている平べったい岩も、同じ色だ。
「全員来ましたか?」
マナン村長の問いかけに、最後に入ってきたルコーが頷く。ちなみにリンナーリシュは、まだ謹慎中の身だからと、自ら留守番を申し出ているので最初から不在だ。
「前に入ったところと同じなのか、これ」
ぐるぐるとその場で回りながら、ガセンが言う。物珍しくて仕方ない様子だ。
「ディアンの所と、ちょっとだけ違うみたいだけど」
さくらが言うと、どこがと目を輝かせる。が、説明する前にラティスにどかされてしまった。
「基本は同じだ。ほら、邪魔になるからそこをどけ」
中央の平べったい岩を囲むように距離を取ると、岩がじんわりと光り始めた。
(あ、これもおんなじだ)
ヒエログリフのような記号が浮かび上がると、別の影が重なった。光が消えると、銀色の髪をした番人が現れた。なるほど、外から見ているとこんな風になるのだ。
「――お待たせしました」
こちらの番人は、ディアンよりはやや年上のように見えた。黒ずくめの衣装は全く同じだが、ディアンが少年風なのに対して、こちらは中性的だ。顎も細くて髪も長い。腰まである。なによりディアンと異なり、常に柔らかい微笑みを浮かべていた。声が低くなければ、女性と間違えたかもしれない。
「お久しぶりですの人と、初めましての人がいますね」
言われて、マナン村長は深々とお辞儀を返し、ラティスは「おう」と片手を挙げた。
「こちらのみなさんには、お初にお目にかかります。私は番人のティルハーと申します。どうぞお見知りおきを」
「こちらこそよろしく」
さくらが会釈を返すと、ティルハーは不思議そうに首を傾げた。
「あなたは……こちらの方々とは異なるようですが……」
「こいつは異世界からディアンが喚んだんだ。細かい説明は後でしてやる」
ラティスが言うと、ティルハーはわかりましたと頷いた。
「道が再び開いたと言うことは、すべて終わりましたか?」
「いや……これから最後の仕上げに入るところだ」
忘れられた帝国の、いらない置き土産を突き返すための大仕事だ。
*
(〈柱〉がなくなったら、ディアンもティルハーもお役御免か)
一通り挨拶をして、番人との面会はお開きとなった。ラティスだけが後に残り、夜まで話し込んでいた。何を話していたのか訊きたかったが、どうせ教えてくれないだろうとそのままにしてある。話の内容は今後の準備のことだと想像は付くのだが、その後のことも気になる。
(……セザたちに頼んでおこうかな……)
番人は〈柱〉専用の人形だとラティスは言っていた。〈柱〉が無くなって、引きこもりの人形二人が、居場所を失って途方に暮れる様子が今から目に浮かぶ。
「どうかしましたか?」
マナン村に声をかけられて、さくらは我に返った。いつのまにかぼーっと考え込んでいたらしい。
「リンのことなら、大丈夫です。何か役目を作ってでも、早いうちにそちらに向かわせるようにいたします」
小声で囁かれて、さくらも小さく笑い返した。
「ありがとうございます。でも、リンちゃんが納得する形でお願いします」
一人だけ特権をもらっても、リンナーリシュはきっと喜ばないだろう。
「こっちの用意はできたぞー」
御者台から、ガセンが手を振る。ルコーはすでに手綱を握っていた。
「じゃあ、村長、元気でな」
「ええ、ラティスもお元気で」
最後にラティスが締めくくって、出発となった。リンナーリシュが最後まで手を振っていたので、見えなくなるまでさくらも手を振り返した。
「メイバイって、どのくらいで着くんだっけ」
幌の中に戻って、セザの横に腰を下ろす。これから帰り道はまだまだ長い。
「さあねえ。少なくとも、あたしらよりは早く着くだろうね」
「途中でキューちゃんにも話しにいった方がいいかな。この馬車とかも用意してくれたんだし」
ついでに、あの朝の話の続きもしてみたいと思った。もちろん言えないこはと山ほどあるのだが。
「そういうのはラッドに任せておけ。お前はあんまりうろうろするな。面倒なことになる」
まだグレミアは諦めていないのだとラティスに釘を刺されて、さくらは首をすくめた。まずは、無事に砦に帰ることだけを考えよう。
(そうだ。はっちゃんに抱きしめられることだけは回避しないと)
訂正だ。
おかえりなさい攻撃を躱す方法を、最初に考えなければ、命が危ない。
だんだんハーティがただの乱暴者のようになってきました……。
今回も、ありがとうございました!




