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「い、った……!」
ラティスが横を通りすぎて行くのが見えた。大丈夫か、の一言すら無い。
恨みがましく振り返ると、ラティスはディアンをのぞき込んでいた。瞬間、痛みはどこかに吹き飛んで、さくらは駆けだした。
「ディアン!」
ラティスがディアンを仰向けに起こした。目立った外傷は見当たらない。が、目を開けない。ディアンの白い顔が、いっそう白く見える。
「ディアン……生きてる、よね?」
「ま、ぎりぎりのとこだな」
下がってろと、ラティス。何をするのか見えないのはイヤなので、さくらはラティスと垂直に、距離を取った。ラティスはズボンのポケットから何かを取り出して、ディアンに胸の上に置いた。
(石……?)
ラティスは石の上に指先を置いて、呟いた。意味がわからなかったが、石が光り始めたので、きっと呪文だったのだと勝手に理解する。ラティスは立ち上がって一歩下がった。そしてまた、つま先で地面を叩いた。
「わっ!?」
フラッシュを焚いたように光が瞬いて、さくらは手をかざして顔を背けた。ゆっくり顔を戻すと、ディアンが光に包まれていた。具体的に言うと、ザルをかぶせたようなドーム状の光の籠の中に横たわっている。中に入っているのが美形なので、とても絵になる光景だが、今のさくらには堪能する余裕が無い。
「これってどうなって……あ、ちょっと!」
ディアンがどうなったのかを聞く前に、ラティスは〈柱〉の穴の方に向かっていた。
「ねえ、ラティス! ディアンは? どうなの?」
「言ったろ、ぎりぎりのところだ。どっちに転ぶのかは、俺にもわからん」
そう言われてしまえば、さくらにできることは回復を祈ることだけだ。もう動かないとグレミアは言ったが、本当にダメならラティスもこんなことをしないだろう。だから、望みはあるはずだ。
(起きてくれないと……あたしここから帰れないんだからね!?)
帰るときに土産にする記念品の選定も済んでいない。そろそろ何か選んでおくべきだろうか。〈柱〉の欠片以外にディアンがダメと言いそうなのは何だろう。
「おい、あの棒を貸せ」
「棒は土産に入りますか――って、え?」
いきなり言われて、さくらはすぐに反応できなかった。ぽかんとしていると、苛立ったように手を突き出される。
「なんだ土産って。棒だよ、棒。印を回収するアレだ」
「あ、確かその辺に――」
「その辺? おい、落としたのか?」
「あいつがたたき落としたんだってば」
その前に棒でグレミアを叩こうとしたことは伏せておく。
見回すと、少し先に落ちていた。拾って戻って、渡す直前に、引っ込める。ラティスが、イラっとしたのがわかった。
「……なにしてるんだ?」
「うん、それはこっちの科白なんだけど」
「は?」
「ラティスは、何してるの」
勝手にいなくなって。勝手に出てきて。言いたいことだけ言って、聞きたいことは何も言わないで。
それらを一字一句に込めて言ったのに、ラティスは鼻で嗤った。
「説明する義務は無いと言ったはずだ」
そう言うと思った。ここで引いていられない。
「あたしには聞く権利があると思う」
「無いな」
「え、無いの!?」
予想外の方向に躱された。しかも反撃付きだ。
「むしろ、何であると思ったんだ」
「何でって……」
改めて訊かれると、答えに困る。関係者権限というのは存在しないのか。
「今まで仲良くやってきたのに、ってやつか? じゃあ訊くが、なんで『仲良く』やってきたんだと思うんだ?」
「な……仲良くするのに理由なんか要らないじゃない!」
カッコよく決まったと思ったのに、ラティスは残念そうに首を振った。
「聞いてるこっちが恥ずかしぞ。バカなこと言うな。利害が一致しなきゃ、『仲良く』するなんて誰もしない」
「そんなあからさまな……」
しかし一理ある。むしろ他に理由が見当たらない。
「わかったら早く寄越せ」
「うー……ちょっと待って、今考えてるから!」
「時間の無駄だ。いいから早く寄越せ。そうだ、それを寄越さないとディアンが目を覚まさないぞ」
「それ、今思いついたでしょ!」
「今思い出したんだ」
ああ言えば、こう言うとはこのことだ。が、ラティスの言葉が嘘だと断定する材料も無く、さくらは不承不承、ラティスの手に棒を乗せた。
「嘘だったら怒るからね」
「本当だったらお前がディアンに怒られろよ」
「逆ギレの方向で対応するから大丈夫」
「……踏んだり蹴ったりだな、ディアンの奴……」
当の本人は、光の籠の中で静かに横たわっている。目を覚ましてくれるなら、怒られてもいい。
憐れみの視線をディアンに投げてから、ラティスは棒を〈柱〉の穴にぽいと放り投げた。それから穴の縁を指先で叩く。どこも特に光らなかったが、ラティスの横顔がほっとしたように見えた。
「まさかと思うけど、それで穴を埋めるとか?」
穴の直径は約一メートルはあるだろう。奥行きは五十センチほどか。何をぶつけたらこんな穴が開くのか。
「埋まるかよ。どこをどう見たらそういう話になるんだ」
振り返った顔には先ほどの安堵はどこにも見えない。馬鹿にしたような、あきれ果てたような蔑みの表情だけ。だけど――もう遅い。もう、見てしまったのだ。
「わかんないけど、よかった間に合った-、みたいな顔してたから」
「……まあ、今すぐ倒れられちゃ困るからな」
「倒れる? それ、なんかの封印なんでしょ? マリオーシュの村長さんがそう言ってたけど」
「ああ、聞いたのか」
「うん、ラティスが昔、死霊兵と一緒に戦ってくれたって感激してた」
「……」
とても、イヤそうな顔を向けられた。さくらは笑った。これならイケる。
「みんなもラティスが裏切ったなんて誤解かなーって思い始めてるかも。リンちゃんもグレミアって人に騙されてたって気づいたらしいし……あ、グレミアって、知り合い? 結構親しげだったよね。〈柱〉のこともよく知ってるみたいだったし。魔法の使い方とかよく似てると思うんだけど、同じ人から魔法を習ったとか? でも今はケンカ別れしちゃってるとか?」
「……」
ラティスが口をへの字に結んだのを見て、さくらは調子づいた。
「仲良くするのは利害が一致するからだっけ? じゃ、グレミアって人とは利害が一致してないってことでしょ? そうすると、ラティスの『利』と『害』って何かなって――」
「よくしゃべる奴だよ、ほんとに」
ラティスは額に手を当ててため息を吐いた。
「ラティスが話してくれるまでがんばる。説明する義務は無い、とかまだ言うなら、この後は適当にねつ造するけど」
「するなよ。そもそも何をねつ造するんだよ」
「うーん……あ、例えばさっきのグレミアって人は昔の恋人だったとか――」
「冗談でも止めろ」
「じゃあ全部話して。でないとその話を広めておく」
「話にならないな。お前をここから出さないことも、今ここで息の根を止めることも可能だぞ?」
凄んで見せたらしいが、さくらは笑い飛ばした。
「どっちもしないでしょ。それこそ、ラティスの利害に一致しないはずだからね」
「気持ち悪い奴だな、お前。何でそう言い切れる?」
徐々に敗色が濃くなっていることに、ラティスも気づき始めた。そろそろ決着を付けないと、また一方的に逃げられてしまう。
「んー、今までのことを考えると、グレミアって人もそうだけど、〈柱〉のことで、ラティスがしようとしてることにあたしは絶対必要なんだろうなって思ってる。しかも生きてる状態で。違う?」
グレミアも、リンナーリシュを騙してまでさくらを浚おうとしたのだから、間違いないはずだ。〈柱〉と自分は、もう切っても切れない関係になっているのだろう――できればそういう関係には人類を希望したいのだが、仕方ない。
ばかばかしい――ラティスは吐き捨てた。
「そんなこと……お前の代わりなんていくらでも喚べる」
痛いところを突かれた。しかし痛いところを突き返す用意はある。
「ん、まあ、そうかもね。でも、ディアンの代わりは喚べないでしょ。ガセンとかルコーとか、セザもナルバクも、はっちゃんとかリンちゃんとか。ラッドとかキューちゃんとかも、あとミベ村の人とか、マリオーシュの人たちも」
他にさくらの知らない、ラティスが関わった人たち全員の代わりを、誰も、ラティス自身だって呼び寄せることなんてできない。
それがきっとラティスの『利』で。
「だから一人でやるしかないって思ったんでしょ? 何するつもりかわかんないけど」
ラティスの『害』だったに違いないと思うのだ。
「……気持ち悪い奴だ、お前」
ラティスは〈柱〉にもたれかかって、盛大にため息を吐いた。
「そんなキレイゴト並べて、恥ずかしくないのか?」
「く……」
綺麗にまとめようとしたのに、なんと言うことを言うのか。実は死ぬほど恥ずかしい。なんとかここを乗り越えなければ未来は無い。
「……よし、これで大丈夫」
「何が、どう、大丈夫なんだよ」
不安に駆られたラティスに、さくらは会心の笑みを見せた。
「全部ラティスが独り言で言ったことで脳内補完しておいた」
「はあ? それでいいのかよ」
「いい。後でディアンが目を覚ましたら、語って聞かせれば記憶操作も完璧」
万が一、この場に閉じ込められたときの対策もばっちりだ。
「それは『語る』じゃなくて『騙る』だろ」
ずるずると、背中を〈柱〉に預けたまま、ラティスはしゃがみ込んだ。
「……お前なんか、喚ぶんじゃなかったな……」
「あたしは願ったり叶ったりだったけどね」
テンプレどおりじゃない異世界トリップも、悪くはない。そう、思えた。
次回は更新が少し遅れます…連休中にはなんとか。
今回も、ありがとうございました!




