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「それでは、いくつかお尋ねしたいのですが」

 居住まいを正したディアンの前で、さくらも「はい」と手を上げた。

「あたしもお願いがあるんだけど」

「なんでしょう」

 先を譲られたので、遠慮無く続ける。

「何か着替えをくれない? できればこの服、汚したくないんだ。何でもいいから、動きやすいのがいいな。靴も履き替えたいし、あ、あとこのバッグ、どこかに預かっておいてもらえない?」

 ベーシックなパンツスーツ一式は、着回ししやすい優れものなので汚すのはもちろん、破くなんてもっての外だ。靴は、全力疾走可能とは言えパンプスなので、激しい運動には不向きだ。

「それと、化粧も落としたいし、ついでにどこかでシャワーも浴びたいんだけど――」

 指折り数え上げていくうちに、ディアンが頭を抱え込んで沈み込んでいた。

「……その辺りのことは少し待っていただけますか。私一人では解決できないようなので、まとめて相談します。もう、他には無いですか?」

 気力を振り絞って、ディアンは顔を上げた。白い顔が、さらに白くなっている。

「んー、まだあるかもしれないけど……相談って、誰と?」

「――もしかして俺か?」

 横合いから声がした。濃い霧をかき分けて現れたのは、中年の男だった。

 身につけているのは生地の厚そうな白っぽいシャツと、黒いベスト、深緑色のズボン、膝まであるブーツ。薄っぺらいコートは灰色で、それも含めて全部、着古してくたびれているせいで、着ている本人も冴えない印象だ。

(うーん、でも、髪の色は綺麗かも)

 唯一好感を持てるとしたら、その髪の色だ。薄いオレンジ色の髪は、夕日に透かしたみたいで綺麗だった。

(髪をとかして、シャンプーしてくれたらもっと良かったんだけど)

「ラティス。ちょうど良かった」

 ほっとしたように、ディアンが立ち上がる。ラティスと呼ばれた男は、ディアンの前に立って、しかめ面をして見せた。持っていた木の枝で、ぺしぺしと反対の手のひらを叩いている。

「どこがちょうど良いんだ? 誰がどう見ても最悪のタイミングだろ」

「そんなことはありません。繰り返して聞かなくて済みます」

 真顔で、ディアン。さくらが睨むが、気にしない。

 ラティスは手を止めて、同情心に溢れた表情になった。

「一理あるな。んで、そっちのその面倒くさそうなのは、もしかしなくてもあれか?」

「サクラです。回収役を引き受けていただきました」

 ディアンに紹介されて、さくらは立ち上がった。ラティスは軽く驚いた顔になる。

「へぇ……遠いところからはるばるご苦労さん。俺はラティスって言うんだ。よろしくな」

「ご面倒おかけしますが、よろしくお願いします」

 嫌み半分に応じながら、右手を差し出した。

「……印はまだ付けてなかったのか」

 ラティスは一瞥しただけで、手を取らなかった。握手の習慣は無いようだと納得して、さくらはそっと手を引っ込める。

「ええ、これから形と長さを聞くところでしたから」

 ディアンが答えると、ラティスは意味ありげな笑みを浮かべた。

「ふぅん……しかしまあ、聞かなくても良いかもしれないぞ?」

(形と長さ……?)

 何のことかと首を傾げていると、ディアンがこちらを向いた。

「そうですか? しかし何も持っていないようですが……」

 その視線が椅子の上のバッグに向けられたので、さくらは持ち上げて見せた。

「これがどうかした?」

「……もしかしてその中に剣をお持ちですか?」

「へ? そんなもの入ってないけど」

 A4サイズの書類も入るノーブランドの合成革バッグは、口も大きく出し入れしやすいので重宝しているが、そんな物騒なものは持ち歩かない。見られて困るものは無いので、ディアンの前で鞄を開けてやると、「そうですよね」と頷いた。

「念のために訊きますが……その入れ物自体がサクラの武器ということは?」

「はい?」

 さくらはバッグをまじまじと見つめた。

「……これで殴ればそれなりには痛いだろうけど……武器ってほどじゃ無いかな?」

「そうですよね……やはり作らなければならないようですが」

 ディアンは怪訝そうにラティスを見やる。ラティスはにやにやと笑いながら、さくらに言った。

「そういう意味じゃねえよ。なあ、サクラって言ったな。あんたの得物は何だ? 長剣か? ナイフか? それとも弓とか槍か?」

「へ?」

 数秒固まって、さくらはおそるおそる聞き返してみる。

「えもの、って……どれが使えるかって、こと?」

 ラティスは頷いた。にやにや笑いが消えない。イヤな予感しかしないが、さくらは正直に答えた。

「どれも使ったこともないし、見たこと……くらいはあるかな。果物ナイフとか」

 リンゴの皮むきなら自信はある。

「だそうだ」

 ラティスが視線を戻すと、ディアンは絶句していた。

「……どれも、使えない……?」

「うん、その、あたしが住んでた所って、そういうの持ってたら捕まっちゃうから」

 社会情勢のせいにしてみたが、好反応は見られなかった。救いを求めるようにラティスを見たが、こちらはもっと宛てにならなかった。

「な、必要なかっただろ」

 ディアンを慰めるように、肩を叩いている。それから、さくらに向かって手を振った。

「ああ、気にしなくていいぞ。そもそもこっちの希望どおりの人材が呼べるなんて、思ってなかったからな」

 そう言われても、気にしないではいられない。裏を返せば、『期待外れの人材』ということだ。

(まさかさっきの話は取り消しなんてことには……)

 ならないとは言い切れない。『契約破棄』の四文字が、脳裏を掠めて、さくらは慌てた。

「あの……ディアンに聞いたんだけど、印を付けて貰ったら、なんていうか、さっくり敵を倒せちゃうような、すごい力が貰えるんじゃ無かった……?」

「あ? 確かにあの印にはそういう作用があるけどな、例えば、あんたに鳥と同じように飛べる力をやったとしても、そもそも羽根が無いから飛べないだろってことなんだが」

 わかるか?――あごをぽりぽりと掻いて、ラティス。剃り残した髭が気になるようだ。

「つまり、基本とか基礎とか土台とか、そういうのが無いとダメ?」

「まあ、そういうことだな」

「そ……そんな話聞いてないけど!?」

 悲鳴混じりに言うと、ディアンもヒステリックに返してきた。

「剣が使えないのに引き受けるとは思ってなかったんです!」

「だからそれは――」

 まあまあと、ラティスが割って入った。

「落ち着けよ、二人とも。ディアン、こういう場合のことも考えておいただろ?」

「……そう、でしたね」

 息を吐きながら、ディアンは頷いた。

「要は、サクラが剣を回収するという点を保持すればいいだけのことでしたね」

「うわー、すごい引っかかる言い方ー」

「だから落ち着けって。まあ、そこに座れ。な?」

 つっかかりそうなさくらを、ラティスが無理矢理座らせた。むくれてそっぽを向くさくらに、やれやれと肩をすくめる。

「一応訊くが、剣以外で使えるものは無いのか?」

「なんにもないですっ! すみませんでしたっ!」

「おいおい、本当のことに怒ってもしょうが無いだろ」

「怒ってませんっ」

 正直、ただの八つ当たりだ。剣道でも習っておけば良かったなんて、いまさらだ。

(だってゲームなら、剣でも弓でも銃でも魔法でも、ボタン一つで全部できたし……)

 コントローラーを持って歩いても意味が無い。『異世界だから』の強力な呪文も、今回は効果が無いようだ。

 結局最後には、さくらは肩を落としてため息を吐く。

「……あたし、帰った方がいいかな……」

「ころころとよく変わる奴だな……ま、そう自棄にならなくていい。言ったろ、凄腕の剣士が呼べるなんてこっちは思ってなかったんだから、気にするな」

 呆れ混じりにラティスの声に、さくらは顔が上げられずに唇を噛んだ。

「とにかく、ディアン、最終ラインで確定だ」

 ラティスは言いながら、持っていた木の枝を差し出す。

「わかりました」

 何かを諦めたような顔でディアンはそれを受け取ると、さくらの前に跪いた。

「さくら、これを持って、右手をこちらに」

「あの……これ、なに?」

「あなたの剣です。本来であればあなたの希望どおりの形と長さで作るものですが……いえ、そうでなく、右手で持ったまま、こちらにお願いします」

「は? 剣? これが?」

 どう見ても木の棒――そこまで考えて、さくらは、はっと気づいた。ディアンは希望どおりに作ると言っていた。魔法使いっぽいディアンのことだから、呪文を唱えて綺麗な剣に作り替えてくれるのかもしれない。

(ついでにその剣を使えるような能力とか付けてくれるのかもしれないし!)

 天井知らずの期待はどこまでも膨らんで、留まることを知らない。

「動かないでください」

 浮かれていたさくらは、慌てて息も止めた。棒を握ったままの右手に、ディアンの手が伸びる。

「うっ?」

 ディアンが手の甲に触れると、じんわりと温かくなった。何かを描くように、手の甲の上を指が滑る。次第にディアンの手の輪郭が揺らめいて、炎に包まれたように見えた。さくらはぎょっとして、手を引きそうになった。

「動かないで」

 ディアンは、半眼でさくらの手の甲を見つめている。落ち着いてみれば、火傷するほど熱くなることも無く、さくらは止めていた息をゆっくりと吐き出した。

(あ……おもしろい)

 ディアンの手から炎がさくらの手に移る。ディアンがそっと手を引くと、指がなぞったとおりに幻の炎は揺れて、吸い込まれるように消えていった。

 ディアンが小さく息を吐く。

「終わりました」

 ディアンが手を放す。さくらは右手の甲をまじまじと眺めた。小花を散らしたような、幾何学模様がくっきりと浮かんでいる。角度を変えると、ホログラムみたいに揺れ動いて見えた。

「これって……」

「〈柱〉の剣の使い手たる証です。もっとも、あなたのは剣ではありませんが」

 さくらが握ったままの棒は、相変わらず棒のままだった。剣に変わったようには見えない。

(もしかして仕込み杖みたいな)

 両端を持って引っ張ってみたが、中から刃が出てくることも無かった。本当に、ただの棒らしい。

「あの、あたし好みの剣にしてくれるんじゃ無かったの……?」

「剣を使えない方に剣を与えても仕方ありません」

 ディアンの答えは的確で無情だ。

「……あたしが回収する剣を持ってる人って、それなりの使い手なんだよね?」

「はい」

「そういう人から力ずくで回収してくるんだよね?」

「そうですね」

「これで何をしろと?!」

「安心しろ。それはそれで役に立つ」

 ラティスが言う。笑いをかみ殺しているのがよく分かった。

 さくらは憮然としながらも棒を振ってみた。強く振り回せばぶんぶんと風を切る。ただそれだけ。棒を振る自分の身体にも、特に変化が起きたようには感じられない。

(え、単にすごい棒を貰っただけ……?)

 愕然としていると、見かねた様子のディアンが言い添える。

「サクラ、それは振り回すのではなく、それで剣の所持者の印を突いてください。叩いても撫でても構いませんが、あなた自身が意思を持ってその棒でやらなければ意味が無いことを忘れずに」

「印を? こんな感じ?」

 自分自身の印を、棒の先で突つく。先はあまり尖っていないので、たいした痛みは無い。

 ディアンは頷いた。

「それで相手の印が消えて、剣は〈柱〉に戻ります」

「それだけで?」

「簡単そうに言うけどな、結構大変だぞ?」

 拍子抜けしたさくらを、ラティスが窘める。

「だって、つっつくだけなんでしょ?」

「どうやってつっつくだけにするかが大変だろ」

「どうって、こう――」

 さくらはラティスの右手めがけて棒を振る。当然、ラティスは避ける。

「狙いが丸わかりだぞ?」

「うーん、ちょっとつつかせてください、ってわけにはいかないか」

「当たり前だ。印あっての剣だからな。所持者なら普通、他人に印を触らせたりしない」

 そういうものなのか――さくらは納得した。つまり相手は剣では無く印の方を全力で守っていると言うことだ。

「相手が手袋とかしてたら駄目かな?」

「いえ、問題はありません。仮に布などで覆っていたとしても、その棒の先が近づけば、布の上に印が浮かんでくるはずです」

「それなら、そんな印ありませんってしらを切られることも無いか」

「ええ、それにあなたの印と他の使い手の印は反応し合うので、すぐに分かると思います」

 ふむふむと頷いて、さくらは途中で眉を顰めた。

「……ってことは、あたしが剣の回収に来たって相手に分かっちゃう?」

「それは多分無いと思いますが……分かった方がいいですか?」

「逆。分からない方がこっそり近寄って突けるじゃ無い?」

 通り過ぎざまにさっと突くとかどうだろう――風のように駆け抜けて颯爽と剣を回収する自分自身の妄想は、ディアンの声にかき消された。

「こっそり、ですか」

 あからさまに失望している。さくらはディアンに棒の先を突きつけた。

「だって回収する剣を持ってる人って、それなりに腕の立つ人なんでしょ? 人の目に見えないくらい早く動けるようになったんならまだしも、何も変わってないんだもん。そんな、何の得意技も無いあたしが正面からやりあって勝てるわけ無いじゃない!」

「しかも、ただの棒きれだしな」

 頷いて、ラティス。肩でを息をしながら、さくらはじろりと睨む。ラティスは笑って手を振った。

「己の技量をよく分かってるって褒めてるんだぞ? まあ、こっそりってのも難しいと思うが」

「それも難しいの?……そうするとあとは寝込みを襲うとか……」

「もっと難しくするなよ。とにかく、そんなに悩まなくてもいい。ちゃんと手伝いがいるからな」

「え、そうなの? なんだ、それ早く言ってよ」

「……私が最初に言ったはずなんですけどね……」

 ぼそりと、ディアン。さくらは聞こえないふりをした。

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