27
(……なんか寒い……)
上掛けを引っ張ろうとして、鼻の奥がむずむずした。
「――っくしゅん」
「サクラ?」
そっと呼びかけてきたのはセザだ。
「大丈夫? どこか痛むところとかはない?」
「へ? 別にどこも――」
セザが何を心配しているのかわからない。起き上がって、ベッドの上では無いことに気づく。朝靄の立ちこめる中に、崩れかけた神殿が見えた。
「――あー、そっか……」
思い出した。ラティスが、ここにいたのだ。それから大量の〈柱〉の剣と、所持者の印が神殿の中にあった。クリスマスツリーみたいで綺麗だったが、大挙して襲いかかってきたところまでは覚えている。。
(あれは、どうなったんだろう……)
意思を持って棒で突いたわけではないが、回収したような気がする。右手の甲が熱を持っていた。反対の手で触れてみる。セザの視線が続く。
「痛むのかい?」
「ううん……ちょっと、熱いかなって」
「どれ。腫れてるわけじゃないみたいだけど、冷やしておこうか」
「そこまではいらないと思うけど、もうちょっと触っててくれる?」
セザの手が冷たくて気持ちよかった。目を閉じて浸っていると、足音が近づいてくる。
「げ。そんなとこで手ぇ握りあって何してんだよ」
目を開けると、ガセンがいた。がらがらと、足下に木の枝を積み上げながら、怪訝そうな顔をしている。
「そっちこそ何考えてるの。ただ冷やしてもらってるだけ」
「火傷でもしたのか?」
「んー……オーバーヒートみたいな感じ?」
「おーばー……?」
「今までって、ひとりずつ、回収してたでしょ? それをまとめて何十もいっぺんに回収したから、負荷がかかった、みたいな?」
「ってことは、あれがいきなり全部向かってきたのは、あんたが回収したせいなのかい?」
「ううん、それは違うと思う。逆に、こっちに来たからついうっかり回収しちゃったみたいな感じ」
「うっかりやるものなのかそれ?」
不可解そうに呟いて、ガセンは頭を振った。
「まあいいか。まあ、回収したってことは、やっぱあれ、全部本物だったんだな」
「名前がわかった時点で本物だとは思ったけど……でもまたよくわかんなくなっちゃったよね」
「ガセン、薪を足しておいて。サクラ、とりあえずお茶でも飲みなさい」
石で簡単に作られた竈の上で、小さな鍋が湯気を上らせていた。セザがカップに湯とお茶の粉末を注いで、渡してくれる。
「ありがと」
口の中が少しざらざらしたが、身体に染み渡る。気づかなかったが、ずいぶんと喉が渇いていたらしい。あっという間に飲み干してしまった。
「そういえばあたし、どのくらい寝てた……?」
「一晩、ってところかね。あたしらも目を覚ましたのは夕方近かったから、実際どのくらい経ったのかわからないけど」
印と剣が襲いかかってきた衝撃は、全員受けたようだ。最初に目を覚ましたのはセザで、そのときにはもう、ラティスの姿は無かったと言った。
「リンちゃんと、ルコーは?」
「見回りついでに朝ご飯になりそうなもの取ってくるって。そういや、ガセン、あんたは薪しか拾ってこなかったのかい?」
咎めるように言われて、ガセンは肩をすくめた。
「途中まで一緒だったんだけど、俺が食えないものばかり見つけるから先に帰れって」
「……あんたよく、今まで旅暮らしなんてできたわね……」
「俺、街育ちだからさ、よく知らねえんだよな。そういうのはナルバクとかに任せてたし。あとはラティスに言われたとおりのものだけ――」
はっとして、ガセンは口を閉じた。
「あー、えーと、薪、もう少し取ってくるかな」
「これ以上は要らないよ。いいから座って、あんたもこれ飲んでなさい」
無理矢理お茶を渡されて、ガセンはその場に座り込んだ。居心地悪そうに見回した視線が、神殿の上で止まる。
「……最初に見たときより、崩れそうになってるな」
「中、見てきてもいい?」
さくらは立ち上がると、返事を待たずに歩き出す。寝ていた場所は神殿の側面だったので、ぐるっと回って正面に向かうと、壊れた扉が落ちていた。追いかけてきたガセンに尋ねてみる。
「……出るときに壊したの?」
直前に、独りでに扉が閉まった記憶があった。が、ガセンは首を横に振った。
「気がついたら壊れてたぞ。つーか、俺の記憶じゃ、もともとこんな感じに壊れてた」
「魔法で直したってことかなぁ……」
「魔法で代わりの扉でも付けてたんじゃないのか?」
魔法に疎い二人が想像できるのはその辺りが限界だったので、この問題は保留になった。
さくらは中を覗いてみた。
神殿内は静まり返っていた。時間が死んでしまったような静けさだ。入り込むと、さくらとガセンの足音だけが、響いている。
「……折れてる」
ラティスが言うところのニセモノの〈柱〉だった棒は、二つに折れて転がっていた。
「折れてるな」
ガセンは折れている棒を拾い上げてしばらく見つめていたが、いきなり振りかぶると、反対側の壁めがけて力一杯投げつけた。
「……あー、ムカつく」
「うん、ムカつく」
さくらも足下の石を拾い上げた。振りかぶったところで、セザが飛び込んできた。
「何事だい!?」
なんでもないですという答えは受け入れられず、二人揃って怒られたところに、ルコーとリンナーリシュが戻ってきた。
「これからどうしようかね」
捕ってきた川魚で朝食を済ませると、なんとなくお互いの視線を避けるようになっていた。とうとうセザが重たい空気を打ち破ると、そっぽを向いたまま、ガセンが言う。
「砦に帰る、しかないよな。ハーティも、ナルバクも待ってるしさ」
二人とも、首を長くして待っていることだろう。それからディアンにも、ラティスに会ったことを報告しなければならない。
(ラッドにも声かけてあげないと。キューちゃんも気にしてたみたいだし)
伝える相手はたくさんいる。いつまでもこんなところで座っているわけには行かない。
「……でも、その先は?」
知らず、呟きがこぼれてしまった。とたんに、沈黙がどんと音を立てて落ちてきた。
「あたしたち、何しに来たんだろうね……」
「ラティスを探しに来たんだろ」
ルコーが言う。以前と違って、ちゃんと視線を合わせてくれるのが、今は少し辛い。
「探して、見つけた、っていうか、向こうから勝手に出てきて、またいなくなっちゃったじゃない」
結局のところ、現状は何も変わっていないのだ。以前より悪化したと言ってもいいかもしれない。
「この先は自分だけでいいと、ラティスは言っていました」
静かに、リンナーリシュは残っていたお湯をカップに注いだ。セザが砕いた茶葉を入れてやる。
「言ってたねぇ……」
「私には決別の言葉に聞こえました」
「なんでだよ!」
我慢できなかったように、ガセンが叫んだ。
「なんで急にそんなことになっちまうんだよ。俺たち何かしたか? 一緒にずっと剣を回収してただけだろ!」
「あたしたちが悪いわけじゃないよ、ガセン」
安心しなよと、セザが肩に手を置いた。
「誰にもラティスがいなくなった理由が思い当たらないんだ。それはつまり、あたしたちの何かが悪かったわけじゃなくて――」
「ラティスの都合が変わったんだ」
ルコーが吐き出すように言う。絶句するガセンの肩を宥めるように叩いて、セザは頷いた。
「ルコーの言うとおりだと思うよ。何かわからないけど、あたし達がいたらマズいことがあったんだろうさ」
「ただし、サクラを除いて、です」
冷静に、リンナーリシュが訂正する。
「え、あたし?」
「ラティスはこうも言いました。あなたを連れてきてくれて感謝すると。それから、最後に……『残りはまた今度だな』と」
「残りはまた今度……? リン、それは確かなのかい?」
「セザ、それ、あたしも聞いたと思う」
意識が消える前に、右手の熱さと一緒に記憶に残っている。なぜか悪寒が走った。
「サクラも聞いたのかい? なら……他にもあの神殿と同じような場所があるってことになるのかい?」
「あるいは、これから集めるのかもしれません」
「で、集めたとして……またサクラにまとめて回収させる……?」
あれ、とガセンは首を傾げた。
「なあ……同じことしてるのに、なんでそれで俺たちがいちゃ都合が悪いんだ……?」
「同じじゃない。回収しても、〈柱〉が元に戻ってないだろ」
「あ、そうか」
やっていることだけを並べるなら、今までと全く変わりが無い。異なるのはルコーが言ったとおり、〈柱〉が本来の力を取り戻さないという点だ。
「ってことは、俺たちが一緒に回収すると、〈柱〉が元に戻る……?」
「それも違うだろうね。ケミッシでもカギンディルでもあたしらは一緒だった」
セザが頭を振る。〈柱〉の欠片は戻ったが、力は戻らなかった。だからディアンも不安に思っている。
ガセンは天を仰いでバンザイした。
「わっかんねぇ! だいたいその〈柱〉の力ってやつは、どこに行っちゃったんだよ」
「……それだ」
はっとしたように、ルコーはさくらを振り返った。
「え、なに?」
「俺たちがいるかどうかは関係ない。ラティスの都合が変わった……いや、あんた一人だけで、都合が付くようになったってことにならないか?」
「都合が付くとか言われても」
都合のいい女なんてイメージが良くないから止めて欲しいのだけど。
が、一変した空気に、さくらは言葉を飲み込んだ。
「ああ……どうやら、最初からあたしらも『都合良く』使われてたようだね」
セザが凄みのある笑みを浮かべている。隣にいたガセンが思わず逃げ腰になるほどの迫力だ。
「ラティスの狙いは〈柱〉の力のみだったと、考えるとすべてに納得がいきますね」
静かに、リンナーリシュはカップを置いた。空になった手が、ぎゅっと握りしめられる。
「サクラが剣を回収し始めて、世情は変わりました。ケミッシの王は自ら剣を返還したし、剣を返さなければ不幸が訪れると言ったウワサまで出回りました」
「そのウワサってのは、ラティスが流させたのかもしれないね」
「かもしれません。何にしろ、剣は、私たちが回収に向かわなくても、集まるようになりました」
リンナーリシュの言葉は、ルコーの推測を裏付ける。そしてその推論の意味するところに気づいて、ガセンは愕然とした。
「え、なんだよそれ……それじゃまるで俺たち……使い捨てだったみたいじゃ……」
そこまで言って、ガセンは唇を噛みしめた。
「っ……そうなのかよ! ラティス!」
拳で地面を叩いて叫ぶ。その声にびくりとしながらも、さくらはまだ、納得できないでいた。
「まだそうと決まったわけじゃ……何か他に理由があるかもしれないし」
「他の理由って何だよ!」
「あったとしても俺たちに言えない理由なら、同じことだろ」
「それはそうなんだけど……」
反論が見つからない。結局のところ、さくらの言い分はラティスを信じたいという感情論だ。
とん、と背中を叩かれた。
「あんたの気持ちもわかるつもりだよ。あたしらの方が、つきあいは長いんだからね」
「セザ……」
「ずっと一緒にやってきたんだ。ちゃんと理由を説明してくれれば、あたしらだって笑って許せるかもしれない」
「う、うん……」
先ほどの笑顔からはにわかに信じがたいが、ここは頷いておくしかない
(早く来ないと大変なことになりそうだよ、ラティス?)
戻って、理由を話しに来て欲しい――切実に願いながらも、きっとそんな時は来ないと、さくらにもわかっていた。そんな気があるなら、いくらでも話す時間はったはずなのだ。
無意識に触れていた右手の甲に、誰かの手が重なった。見れば、リンナーリシュだった。
「サクラ、私たちの村に来てください」
「……は?」
いきなりの申し出に、誰もついていけなかった。全員を振り切ったまま、リンナーリシュは続ける。
「ここから少し距離はありますが、マリオーシュの村が再建されています。恐らく今なら、話してくれるはずです」
「話って……なんの?」
「私たちが知らない何かを」
何かの冗談のように聞こえるが、リンナーリシュの顔は大真面目だ。
「あ、うん、それはそうだろうけど……誰が話してくれるの? マリオーシュの長老さまとか?」
いいえ、とリンナーリシュは首を横に振った。
「〈柱〉の番人殿です」
ラッドはたまに王様に呼び出されていぢめられているのではないかと想像します(酷)
読了、ありがとうございました!




