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「ちょっと待ったーーーー!」
扉が開ききる寸前、さくらの大声に全員が動きを止めた。
「……お前な。そこで止めるか?」
不機嫌全開の顔で、ラティスが振り返る。
「いや、だって」
思わず一歩引いて、さくらは神殿を指した。
「そこに例の亡くなってた人、入れておいたんだよね……?」
「入れておいたって言うか、中で勝手に死んでたんだよな」
「ガセン、よく覚えてたな」
「俺だってそのくらいちゃんと覚えてんだよ!」
しみじみとラティスに言われて、ガセンは怒鳴り返した。
「……ルコーに言われるまで忘れてたのは誰だっけね……」
ぼそりと、セザ。とたんに、神殿を観察し始めるガセンを、さもありなんとラティスが眺めていた。
「あのね、自分で入ったのか、中に入れたのかはどっちでもいいんだけど、とにかく、それって三年も前のことなんでしょ?」
問題はそこじゃ無いと、さくらは全員の注意を引き戻した。
「んー……そのくらいになるのか?」
ごく自然に、ラティスはルコーに視線を投げた。ルコーは驚いたように目を瞠って、頷いた。
「そうか。――で、それがなんだって言うんだ?」
「なんだじゃないでしょ! 三年も前の死体があるんだよ!? その中って、相当アレじゃないの!?」
さらに一歩後ろに下がって叫べば、ようやく理解の空気が広がってくれた。
「アレって……まあ、そうだねえ。ちょっとばかりアレかもしれないねえ」
「保存状態にもよると思いますが、通常は三年も経っていれば――」
「具体的に説明しなくていいから!」
考え込むリンナーリシュを止めて、さくらはラティスに向き直る。
「とにかく、亡くなったら光になるとか花になるとか、そういう設定じゃない限りあたしは中に入るのを断る!」
「なんだ、その愉快な演出は。そんなことだったら死霊兵なんかできないだろ」
ラティスの意見も、もっともだ。しかしそれは死体が、かなり壮絶な状態で残っているということの証明に他ならない。
「まあ、そんなにイヤならここに残っててもいいんじゃ無いの?」
セザの言葉にほっとする間もなく、ラティスが言う。
「それじゃわざわざここを開けた意味が無い」
中に入れと、ラティスは嫌みたらしく笑いながら手招きした。
「安心しろ、お前が思ってるようなものは何も無いから」
「……つまり、思ってもみないものがあると」
さくらはさらに一歩後ろに下がる。
ラティスはため息を吐いた。
「仕方ねえな、ガセン、先に入るか?」
「おう……って、いや、あんたが先に入れよ!」
「ちっ、気づきやがったか」
舌打ちして、結局ラティスが最初に扉の中に入った。その様子をじっと見つめてから、ガセンもゆっくりと前に踏み出す。
「……なんだこれ!?」
ガセンの声に、ルコーがすぐさま中に飛び込んだ。
「なんだこれ……」
同じ科白が聞こえてくる。二人とも予想外のものが中にあるようだ。
「なんなのさ、いったい。ほら、二人で入り口を塞がないでおくれよ!」
焦れたセザが押しのけるようにして中を覗く。数旬の沈黙の後、振り返って、中を指さす。
「……サクラ、見てみな」
「死体ではないようですね」
「みんな思わせぶりに言いすぎだよ!」
何があるのか言ってくれてもいいのに――リンナーリシュに励まされて、さくらもおそるおそる中をのぞき込んだ。
「……え?」
神殿の中は、ひんやりとしていた。石造りの建物独特の薄暗さと重苦しさは、目の前の光景で綺麗に払拭される。
「なにこれ……」
結局、さくらも同じ科白を呟いた。
ガセンとルコーの話の通り、もともと礼拝堂だったらしいその空間は、ガラクタや瓦礫が散らばっていた。墜ちている岩は、どこから来たものか、一抱えもあって容易に動かせそうに無い。その岩の下に剣の所持者は倒れていたはずだが、何も無かった。
かわりに、というわけでは無いが、岩の隣に、棒が一本、立っていた。長さは、人の身長の倍くらいだろうか。物干し竿のように、細長い棒が、何の支えも無く真っ直ぐに立っている。
「……クリスマスツリー?」
最初に思いついたのがそれだった。
棒の回りに、いくつも明かりが付いていた。といっても、ツリーのように明かりを付ける枝があるわけでは無い。どういう仕掛けなのか、青白い光が、ゆっくり明滅しながら棒の周囲にふわふわと浮いている。明かりの数だけなら、巨大なクリスマスツリーのようだ。
(ちがう……これ、剣だ)
暗くてよく見えない。さくらは、もう一歩前に出た。
(剣だけじゃない……)
棒の周囲に浮かんでいるのは剣だった。大きさも長さも形も、様々な剣が、糸でつられているように浮いている。が、光を放っているのは剣ではなかった。剣の上で、別の何かが光っている。
(印だ……剣の所持者の)
本来なら、所持者の右手に浮かんでいる印が、空中ある。光で描かれたように、浮かぶ剣の上で青白く光っている。
「これは、なんだ」
最初に我に返ったのは、ルコーだった。入り口の横でニヤニヤしているラティスに詰め寄る。
「説明する義務は無いと言っただろ。見たまんまだ」
「あんたな――」
「剣の所持者の印と〈柱〉の剣に見えます」
ルコーが何か言い返すより早く、リンナーリシュが答えた。
「本物かどうかはわかりかねますが」
「それは俺に訊くより、そっちに訊いた方が早いんじゃないか?」
言われて、さくらは自分の印に集中した。途端に、恐ろしい勢いで情報が流れ込んでくる。バーナのアンディ・カプ、ルテールのエンジュ・ザン、レンローのユガ・リスレンバス――いったい何人分なのか、どこまでも続くその量に、おもわず悲鳴が漏れた。
「おい!」
めまいがして、その場に座り込む。慌てたルコーに腕を掴まれた。情報が途切れて、やっと息がつける。
「ごめん、大丈夫。ここの剣の所持者の名前が一気に頭の中に出てきて、びっくりしただけ」
「な、本物だったろう?」
得意げなラティスの肩ごしに、セザが囁く。
「そのようね。でもこれはおかしいだろう、ラティス。印も剣も、その所持者がいるはずだよ。当の本人はどこにいったんだい?」
おどけたような口調と裏腹に、セザは殺気立っている。ラティスは肩をすくめる。
「所持者ならいないぜ。全員、とっくにくたばったからな。ここにあるのはそいつらの印と剣だ」
「くたばったって……まさかあんた」
「いや、俺じゃないぞ」
さらに張り詰める空気を、ラティスの右手が追い払う。
「こいつらは勝手にくたばったんだ。それこそ、最初にここにいた奴みたいにな」
「全員が、事故ってことかい?」
胡散臭そうに、セザ。頭から信用されていないことに、ラティスは苦笑するだけだ。
「さあな。事故とか、病気とか、好きに争って死んだ奴もいたんじゃないか。その場にいたわけじゃないから何とも言えないけどな」
「それを信じるとしてもさ、これは何なのかって説明になってないだろ」
不満そうにガセン。ゆらりと寄ってきた印と剣を、慌ててよける。
「説明も何も、見たまんまだ」
「だーかーらー! なんで剣がここにあるんだよって、一番最初にここで死体を見つけたときにも言ってただろ! あれからさらにワケがわからなくなってるじゃねえかよ!」
床を踏みつけて怒鳴る。それだけ見るなら、ただのだだっ子だ。
「所持者が死んだら剣は〈柱〉に還るんじゃなかったのか」
「……見るだけだって、言ったはずだがなあ」
ルコーの視線をよけて、ラティスはゆっくりと進んだ。ふわふわと、そのたびに印と剣が動く。その中心にある細長い棒に手を伸ばして、確かめるように握りしめる。
「ま、簡単に言うと、ちょっとばかりワケありで、死んだ奴の剣はこっちに集めておいたんだ」
「集めた……?」
「こいつはな、いわゆるニセモノの〈柱〉だ。ディアンが回収しなかった剣は、こいつの元に集まってくる」
「でも、あたしが回収した剣は確かに還ってきたって」
「最初だけな」
「あ……」
最初に回収した二本以外、〈柱〉に力が戻っていないと、ディアンは言っていた。
ラティスが、にっと笑う。
「あのあとで、印を付け直しておいたからな。見覚えあるだろ?」
ラティスは床をつま先で軽く叩いた。直後、棒を中心に床が鈍く光る。わっと、全員が飛び退いた。
「これ……あの印だ……」
光の筋は、床に模様を描いていた。大きすぎてよくわからないが、この複雑さは見覚えがある。〈柱〉に刻まれていた第三の印だ。
「つっても、実は全部ちょっとずつ違うんだが、お前らには見分けがつかないだろうな」
「む」
挑戦的に言われて、さくらはスカートを引っ張り出した。まず大きさが合わない。
「やめとけって。ちなみにそいつとの違いはな、第三マルクト円の比率とメジス基の有無なんだが」
「がーっ! わざとわかりにくく言ってるのがまるわかりっ!」
「魔術を囓ってる奴ならわかる話なんだがな」
残念だなあ――肩をすくめる様子は、どこも残念そうに見えない。
「ま、わからんならそれでもいい。理解して貰う必要はまったくないからな」
ラティスは周囲を漂う剣を見回した。小さく笑って、目を細める。
「ルコー!」
鋭く叫んだのはリンナーリシュだった。何があったのかと振り向く前に、さくらは後ろに引っ張られる。
「はぇ!?」
「残念。遅いぜ」
音を立てて、扉は閉じられた。扉に激突する寸前で、ガセンとセザが体当たりで止めてくれた。
「ちょ……なに……?」
振り回されて、頭がくらくらする。ようやく定まった視界の中央で、剣と印に取り囲まれたラティスが、こちらを見ていた。
「さて。仕事の時間だぞ。ちゃんと回収して行けよな」
天の啓示のように、ラティスの声が低く響く。ふわふわ漂うだけだった剣と印がぴたりと止まる。
「え」
右手の印が恐ろしいほどに熱を持っていた。何が起こるのかはわかったが、動けなかった。
「サクラ!」
何十もの剣と印が、一斉に向かってきた!
ルコーが、ガセンが、セザが、リンナーリシュが、全員で覆い被さってかばってくれた。はっきり言って、苦しい。
(手が……)
押しつぶされそうになりながら、さくらは右手を伸ばした。
そうしてはいけないと思いながら――そうしなければいけないと思いながら。
「残りは、また今度だな」
ラティスの声を聞いたのを最後に、さくらの意識はふっつりと途切れた。
見たことの無い光景を伝えるというのは本当に難しいですな……。
読了、ありがとうございました!




