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 大陸を縦に三分割したうちの中央部分――かつてクレガン王国の支配地域だった部分はとても広い。

「ここからここまで、全部一つの国だったんだ?」

 ようやく目の前に現れた地図は、がさがさした革のようなものでできている。羊皮紙というものだと聞いて、さくらはひとり感動していた。ゲームアイテムで名前だけはよく見るが、こうして手で触るのは初めてだ。紙は存在するが、死霊王との闘いで生産地が大打撃を受けたために、流通が滞っているそうだ。

「そうだね、もともとここいらは領土争いが絶えないところでね、三十年くらい前だったかね、クレガンの王様が次々と取り込んでいったんだよ」

 馬車の荷台でセザが広げてくれた地図は、大陸全図だった。といっても、きちんと測量して書き上げたものでは無く、どこそこには何という国がある、ここには山がある、といった話をつなぎ合わせた「大陸予想図」だ。地図は死霊王が攻めてくる以前に作られたものなので、中央部に『クレガン王国』の名前が入っている。

「まあ、この辺はまだ境界線がはっきりしてなかったかもね」

 縦に長い王国の北の方を指してセザが言うと、リンナーリシュが頷いた。

「北部はサウドマ候を含むコーザ族の領地争いが絶えませんでした。が、王国に帰属することは意見が一致していたはずです」

「国が広いと大変そうだね。リンちゃんが住んでたのは、この辺だっけ?」

 王国を南北に二分するのが、ソーシャンタス山脈だ。北に向かって盛り上がる円弧をなぞると、リンナーリシュは「ここです」と南の部分を指した。

「ソーシャンタス樹海と呼ばれています」

 山脈の端から端まで、森が続いているという。かなり広く、そして深い森のようだ。

「この樹海に魔獣が棲みついてるんだっけ」

 ラティスの説明を思い出しながら尋ねると、リンナーリシュは頷いた。

「魔獣の生息地は他にも数カ所ありますが、この樹海が一番多く棲みついていると言われています。マリオーシュは昔からこの樹海から這い出る魔獣を狩ることを生業としてきました。セザが言うように、領土争いは各地でありましたが、マリオーシュには関係ないことでした。クレガン王が併合を申し出てきたときは、魔獣を狩る以外、中立を保つことを条件にマリオーシュは王国に帰属しました」

「実際にはマリオーシュの国って言ってもおかしくなかったね。戦になっても無理矢理兵隊に取られることはないし、税も取られてなかったはずだよ」

 セザの説明を、リンナーリシュは肯定した。かなり優遇されていたようだ。何を差し置いても退治すべき存在だったということがわかる。

「まだ見たこと無いんだけど、魔獣ってどんなの?」

「そう、ですね……大型の獣、というのが近いでしょうか」

「熊とか狼とか?」

「ええ……ただ実際にいる獣とはかけ離れた姿ですから……」

 リンナーリシュは困ったようにセザに視線を向ける。セザは肩をすくめた。

「狼っぽい、熊っぽい、でも狼でも熊でもない獣さ。牙も爪、獣よりずっと大きいし、毛皮も硬いし、トゲがある奴もいる」

「……ふむ」

 トゲの生えた牙と爪の長い熊を想像してみた。とてもじゃないが、普通に歩くことも困難そうな生き物しか思いつかない。

(いや、普通に歩かないのかもしれない!)

「……空を飛んだりする?」

 試しに聞いてみると、セザとリンナーリシュは顔を見合わせた。そんなのいたっけ、いるかもしれません――そんな会話を目でしている。

「まあ、いろいろ種類はいたと思うよ。あたしが知ってるだけでも両手の指じゃ足りないくらいだ。共通してるのは、そいつらはほっとくと樹海から出てきて無差別に人を襲うってことだね」

「それだけ聞くと、死霊兵みたいだね」

 思いついたままに口に出すと、虚を突かれたようにセザは息を飲み、微笑んだ。

「言われてみればそうだね」

「……あの時、生まれて初めて、魔獣以外を相手にしました。たぶん、私だけでなく、一族全員が」

 呟くリンナーリシュは、地図をそっと撫でていた。故郷のあった、樹海の周囲を愛しそうに。

「南部で最後まで残ってたのはクレガン王国だけだったね」

「山脈が北への侵攻を阻んでいたということもあります」

 マリオーシュと山々が死霊兵を阻んでいる間に、持てるだけの兵力をかき集めたそうだが、結果は惨敗だった。マリオーシュという切り札を失ったことで敗北は決していたと、セザが憂鬱そうに言った。

「大国とはいえ、内乱続きで中身はボロボロだったからね、あの国は」

 死霊兵が襲ってこなくても、いずれ自壊したのではというのがセザの見解だった。リンナーリシュは何も言わなかった。一族とは、関係ないことだから、と。

「ま、とにかく、もう少ししたらあんたは絶対に馬車から降りない方がいいね。マリオーシュがいなくなって、魔獣も歩き放題だから」

「ってことは、人は誰も住んでない?」

「山脈の北の方はそれなりにいるんじゃないかね。南は、海沿いに街がいくつかできてきたって言うが、あんまりいい話は聞かないね」

 一人歩きは絶対にしないようにともう一度言われて、さくらは頷いた。

「で、ルコーが言ってた村の場所って、わかるの?」

「ええ、神殿が有り、国境付近で山脈の手前と言うことでしたから、該当するのは五つほどあります」

「その先はしらみつぶしに当たるしかない感じ?」

「そうですね」

「時間かかりそうだね」

 しかも目印となるはずの神殿は、今現在は人の目に見えなくなっているという話だから、難航しそうだ。

「メイバイを飛ばしてありますから、いずれ知らせが来ると思います」

「知らせって、ラッドから?」

「いいえ――私のように、逃げ延びることを命じられたマリオーシュから」

 作業服姿になって初めて、リンナーリシュは微笑んだ。


 三日後には、廃村の詳しい場所が知らされた。

「イートス村、だそうです」

 知らせを運んできたメイバイを空に返して、リンナーリシュは御者台で手綱を取った。

 クレガン王国の東の国境から丸一日進んだあたりで、道が怪しくなってきた。迷ったという意味では無く、整備されていたはずの道が途切れがちになっている。

「使う人が減ると、仕方ないね」

「あー、待った、あれどかしてくる」

 倒木や、どこから来たのかわからない岩が道を塞いでいることもあった。そのたびに馬車を止めて道を開く作業に入るのだが、これが山賊の罠だとも限らない。馬車が止まっている隙に襲いかかってくることもあるからと、さくらは幌の隙間から外の様子を覗くだけだ。幸い、魔獣にも出会わず、国境を抜けてから二日後には村に辿り着いた。

「ほんとにここ、村……?」

 到着したと言われても、ぴんとこなかった。家が建っていたような跡はあるが、下草や藪が生い茂っていて、なんとなく他の場所よりは開けているように見える程度だ。

「神殿って、どの辺だろ」

「恐らく、あの辺だな」

 ルコーが指したのは、むき出しになっている一角だ。そこだけ草が生えていないのは、見えないだけで建物があるからだろうか。

「その辺、足下が悪いから注意しな」

 セザに言われて、瓦礫をよけながら進むと、ルコーが一点で止まった。

「これだ」

 ルコーの足下にあるのは、庭の敷石のような平べったい石だった。地面から出ている部分に、見覚えのある模様が刻まれている。

「サクラ、スカートを」

 セザに言われるまでも無い。鞄の中からスカートを取りだして広げて見比べる。

「同じ、かな……」

 模様の細かい部分まで同じかどうかは自信が無かった。全員が、心許ない顔で見比べている。これが同じかどうかわかるのはやはり、描いた本人しかいない。

「――そんなところで顔をつきあわせて何してるんだ?」

 最初に動いたのは、ガセンだった。次いで、ルコー、リンナーリシュ、セザと身構えて、さくらは、振り返る前にルコーに腕を掴まれて背後に追いやられていた。

「え、ちょっと、待って、今の声って――」

 ルコーの背中越しに見れば、思ったとおりの姿がそこにあった。

「ラティス!」

 駆け寄ろうとして、腕を掴まれた。振り返るとセザが無言で首を横に振る。

「いままで……どうしてたんだ」

 その間に、ルコーとガセンが歩み寄る。むき出しの警戒に、ラティスが苦笑する。

「安心しろ。チョルトが俺に化けてるわけじゃねえ。なあ、リン?」

 呼びかけられて、リンナーリシュは握っていた細い短剣を腰に戻した。

「チョルトは人の姿を借りて惑わしますが、借りられる姿は自らが食い殺した人間だけです」

「しかも出てくるときは騒々しいからな。あんなのに食われる奴の気が知れない」

 人に化ける程度の魔獣では相手にもならないと言うことらしい。

「つまり、本物ってこと?」

「だからそう言ってるだろ」

 セザが手を放してくれたので、さくらもゆっくりと近寄った。薄いオレンジ色の髪も、ぺらぺらのくたびれたコートも、最後に見たときと何も変わらない。着替え一つしていないというのも問題はあるのだが、今回は目をつぶろう。

「よかっ、た……いきなりいなくなるから、みんな心配してたんだから! はっちゃんなんか、危うくお城の壁を壊すところだったんだよ!」

「なんで俺がいなくなると城の壁を壊すんだよ」

「多分、八つ当たりじゃないかな」

 ラティス以外の全員が、頷いた。

「……あー、ともかく、ここに辿り着いたってことは、覚えてたんだな。こいつを」

 何事も無かったように、ラティスは敷石の前まで行ってしゃがみ込んだ。

「覚えてたのはルコーか?」

「サクラにそれを見せられるまで、忘れていた。印のことも……剣を持ったままの死体のことも」

 ルコーはさくらが持っていたスカートを指した。ラティスは面白そうな表情を浮かべて立ち上がる。

「旨く写したもんだな。ディアンか?」

「写すだけならできるって言うからやってもらったの。これ、どういう意味なのかディアンもわからないっていってるんだけど」

 無事だとわかると、だんだん腹が立ってきた。一言も言わずにいなくなって、何の説明も知らせも無くて、それなのにひょっこり戻ってきて。

(いや戻ってきたことはいいんだけど!)

「そりそうだろ。ディアンにも言ってないからな」

「じゃ、やっぱりラティスが付けたの?」

「俺以外にこんなことできる奴はいないだろうなあ」

 馬鹿にしたような言い方に、ガセンもムカっ腹を立てた。

「いい加減にしてくれよ! なんなんだよ、勝手にいなくなりやがって! あんなに剣を回収したのに、〈柱〉は倒れそうなんだぞ!」

「お前に言われなくても全部わかってるさ」

 ガセンの怒りもどこ吹く風で、ラティスは足下の敷石を見下ろした。

「――別にお前らなんかに説明する義務は無いんだ。この先は俺だけでいい。ああ……こいつを連れてきてくれたことは礼を言っておくか」

 手間が省けたよ――ラティスの視線は、さくらをまっすぐに捉えていた。

(え……?)

 視線が合った一瞬、いい知れない悪寒が走り抜けた。

 先ほどの人に化ける魔獣の話では無いが、ラティスの姿をした別の何かが、そこにいるような気がした。

「……どういう意味だよ」

 ルコーの背中が、ラティスの視線を遮った。さくらは我に返った。首筋に伝っていた汗を拭って、ようやく息を吐いた。

「言ったろ、説明する義務は無い――が、まあ、そうだな、ついでだから見ていってもいいぜ」

 ラティスはつま先で軽く、敷石に刻まれた印を踏んだ。

「――っ!?」

 瞬間、閃光がラティスの足下から放たれた。眩しさに目を閉じて、次に目を開けたときには、目の前に石造りの建物が現れていた。

「この先は特別サービスだ」

 ラティスが、ゆっくりと扉を開いた。

ようやくオレンジの人の再登場です。ちなみにお城の壁はなんとか無事でした。


読了、ありがとうございました!

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