22
小さな村だったと、ルコーは語った。
「クレガン王国の国境ぎりぎりにあった村だった。もう誰も住んでいない廃村だった」
床の上から椅子の上に移動して、ルコーは記憶を辿っていた。他の全員も、思い思いの位置に腰を落ち着けている。
セザがランプの油をつぎ足してテーブルの上に置いたが、それでも闇は払いきれない。電気の明かりが恋しいと、こんなとき、ふと思う。
(クレガン王国ってどこだっけな……聞き覚えはあるんだけど)
大陸一の大国だったとディアンが教えてくれたのを思い出す間にも、ルコーの話は進んでいた。
「三年くらい前だったと思う。ラティスに会って、まだそんなに経ってなかった頃だったはずだ。どうしてそこに行ったのかとか、なんて名前の村なのかは全然覚えてないけど、場所は覚えてる」
「クレガンの国境と言っても広いですが、どのあたりですか」
静かにテーブルの端からリンナーリシュが問いかける。ルコーは、しばし目を閉じた。
「たぶん……山脈の手前くらいになるんじゃないかと思う」
「それなら、私にもいくつか心当たりがあります」
それだけ言って、リンナーリシュは先を促した。ガセンが首を傾げる。
「……村か……村……うーん」
まだ思い出せないようだ。
後ろから全力で揺さぶってやろうか――誘惑に、さくらは抵抗した。まずはガセンの記憶よりルコーの記憶だ。
「じゃ、その村で、あの印を見たの?」
「ああ。村は、死霊兵に襲われたみたいで、神殿だけが残ってたんだ。外から見た感じはしっかりしてたし、ちょうどいいからそこで一晩すごそうって話になって。俺と、ラティスと、ガセンと……ナルバクは、あの時、居なかったと思う」
「そのようだな。クレガン王国を回っていたあたりなら、ほとんど共に行動していなかったと思う」
残念なことだと、名も知れない村と村人のために、ナルバクは祈りを捧げた。
「神殿の扉は壊されてて、中も荒らされてた。神殿はほんとに小さくて、礼拝堂しか無かったけど、屋根も壁もしっかりしてたから、寝るだけなら問題無さそうだった。それで、寝る場所を作ろうとガラクタを片付けてたら……人が死んでたんだ」
「……あー……なんか思い出してきたぞ」
そう言いながらも、ガセンの眉間にはまだ皺が寄っている。
「やっとでっかい岩をどけたと思ったら死体が出てきたんだよな。うん、確か……〈柱〉の剣を持ってた奴が死んでたんだ」
そうだと、ルコーは頷いた。ガセンの眉間の皺が消えて満足そうになるのと同時に、ナルバクの眉間に皺が寄る。
「待て。それは確かなのか?」
「間違いない。右手にちゃんと印があったんだ」
俺も見たぜと、ガセンも同意する。
ナルバクの眉間の皺がますます深くなる。
「……それはおかしい。〈柱〉の剣は所持者が死ぬと同時に、剣は〈柱〉に戻るはずではなかったのか」
「え、そうなの?」
思わずさくらが聞き返すと、ルコーが頷いた。
「ナルバクの言うとおりだ。俺は隠れ住んでいた村に来てくれた剣の所持者から直接聞いた。万が一、自分が死霊兵にやられたとしても、この剣はちゃんと元の場所に戻るから、敵の手に渡ることは無いんだって」
死霊兵が新たな力を持つことは無いのだと、そのときは隠れ里に居た全員がほっとした。だから覚えていると、ルコーは繰り返した。
「死ぬと、自動的に戻るの……?」
ぽかんと繰り返すさくらに、ナルバクが気づいてくれた。
「なんだ、サクラ、まさか知らなかったのか?」
ぶんぶんと、さくらは首を横に振る。
「知らない知らない。知るわけない。ディアンもラティスもそんな話してなかったし。え、なに、それじゃ、はっちゃんが、がんばって担いでこなくたって、その場でばっさりやっちゃえば――」
「それ以上言ったら、怒るからね!」
ばん、とハーティーアがテーブルを叩いた。ランプが跳ね上がって、ガセンが慌てて受けとめる。
それってとっくに怒っているよね――突っ込みを入れそうになって、さくらは口を閉じた。救いを求めて視線を動かせば、その場の全員がテーブルの心配をしていた。大丈夫、ひびも入ってないよと、こそこそと囁き合っているのが少し、寂しい。
「あたしは、剣を返さない人は大っ嫌いだけど、でもみんな死霊兵と戦ってくれた人なのよ。あたしとか、サクラみたいに剣を使えない人の代わりに戦ってやるって人が一杯いてくれたの。だから、死霊王に勝てたの!」
「……」
今現在がどうあれ、剣の所持者は英雄なのだと、実感した。
さくらは死霊兵を知らない。つぎはぎだらけの化け物だったことは、おぼろげに想像できる。そんなのが目の前に立ったら、悲鳴を上げて逃げ出すだろうと思う。逃げ出さない人がいたらきっと尊敬しただろう――きっと、たぶん、ハーティーアのように。
(死霊王が出てきたときに喚んで欲しかったなあ……)
ルコーに嫌われても仕方ないのだと、これも改めて実感した。
自分は、その場に居なかっただろうの一言で一蹴されてしまう部外者なのだ。嫌われても別にいいなんて、強がりに過ぎない。
「そう、だよね。武器があっても使えなかったら宝の持ち腐れだしね。ごめん」
みんなの顔を見るのが怖かった。電気の明かりが無くて本当に良かった。薄暗ければ、俯くだけで、表情が見えなくなる。
「あたしは……その、わかってくれたなら、それでいいの」
ハーティーアが気まずそうに拳を引っ込めた。ガセンがそっとランプを戻す。
「そうだよ。サクラがそう思うのも無理はないんだからね。殺すだけなら簡単なんだよ。みんな背中に目が付いているわけじゃないしね」
驚いてセザを見ると、笑顔が返ってきた。
「あたしはタダじゃそんなことしないから、安心おし」
「はあ……」
つまり金を払えば可能と言うことなのか。聞き返すこともできずにいると、ハーティーアが頼んでも居ないのに説明を始める。
「そう、そんなことないから。セザは剣の所持者の騙ってた奴を懲らしめてただけよ。二度とそんなことできないようにね。ちょっとは痛い目に遭ったかもしれないけど、殺したわけじゃないわ。あたしたちは、誰も殺したりしない約束なんだから」
「うん……それは、わかってるつもり」
セルキドから剣を取り返すとき、誰も死ななかった。手加減がうまくなったと、ラティスは自画自賛していた。剣さえ取り返せばあとは無罪放免だと知って、どこかでほっとしたことも思い出した。
「そっか……だから、なんだ」
「え、なにが?」
「剣を取り合わない理由。剣だけあってもダメだったんだね。印を持った人が生きて持ってないと意味がないから、誰も奪い合ったりしなかったんだ」
「そういうことだ」
ナルバクが重く頷く。
「その点は、そのように剣を作ってくれた番人殿に感謝してもしきれない。危うく、さらなる戦が起こるところだった」
「それでなくても人が死にすぎているというのに、それでも殺し合うなんて愚かしいことを考えるのは人だけだわ」
ぽつりと、リンナーリシュが暗がりに吐き出す。耳に痛いねと、セザが苦笑する。
「とにかく、そういうことなんだよ、サクラ。所持者が死んでいるに剣が残っているのは、だからおかしいことなんだ」
「その場に、ラティスもいたんでしょ? ラティスはなんて言ってたの?」
「わからないと言っていた」
ルコーもわけのわからない顔をしていた。
「そもそもそいつがいつ、どうして死んだのかもわからないし、どこの誰かなのかも番人殿じゃなければわからなかったし。かといって、あそこからここまで、死体を担いでくるなんて無理な話だから、あとで他にいい方法を見つけるまでここに隠しておこうって」
「じゃ、そのままその神殿に?」
「ちょうど誰も住んでないからって、その神殿ごと、消したんだ」
「え」
「消した?」
「っていうか、人の目に見えなくしたって言ってた」
ようやく思い出したと、ガセンが言った。
「魔法で、建物ごと隠したって言ってたんだ。そんで、あとで見つけられるように目印だって、足下にあった石に何か描いてたんだよ」
「それが、あの印だった」
ルコーが断言した。ガセンも頷く。が、さくらはにわかに信じられなかった。
「それって間違いなし? あれって結構複雑だから、ちょっと似てるだけとか、そういうことじゃなくて?」
「そこまで言われると自信は無いけど……」
途端にガセンの発言が弱気になる。
もう一度スカートを持ってこようと腰を浮かすと、ルコーに止められた。
「俺も自信が無かった。だから俺は確かめに行こうと思ったんだ」
一人でね、と、セザにちくりと刺されて。ルコーは気まずそうに目を逸らす。
「ねえねえ、でもちゃんと覚えてないなら、サクラのスカートを持って行かないと同じかどうかわからないじゃない?」
ハーティーアの意見は、もっともだ。なのでさくらも、特に考えもせずに聞いてしまった。
「え、あたし、スカート部屋に持って行ったと思ったけど、ここに置いていった?」
「いや……それは、ない。絶対無い」
ルコーは、ぎこちなく首を横に振った。なんだか表情が必死に見える。
(あれ……?)
気づくと、微妙な空気が食堂中に漂っている。
「……スカート握りしめてこっそり出て行くってのは、ちょっとなあ……?」
「そうだな、いくらなんでも、だな……」
ガセンとナルバクが、誰とも目を合わせないようにして呟く。ルコーの周囲が真っ暗なのは、ランプの光が弱いからだけではない。
「安心おし、サクラ。流石にルコーもそこまで墜ちちゃいなかったよ」
半端に腰を浮かしたままのさくらに、セザが慰めるように言った。
「もし貴女のスカートを持っていたとしたら、自分の足でここまで歩けない程度にしました」
今晩のリンナーリシュはとてもクールだ。口調も、身にまとう空気も。
「……ありがとうございました」
とりあえず、礼を言っておこうとさくらは頭を下げた。よくわからないが、自分の方は守られた気がする。いろんな意味で。
「あの……ごめんね、ルコー」
一方で、ルコーはいろいろと失っていたようだった。
小声で謝るハーティーアに、「気にするな」と返していたが、一番気にしているのはルコー本人に違いなかった。
身も心もぼろぼろのルコーの語りでした…。
読了、ありがとうございました!




