21
「うーん」
夕食後。
砦のメンバー全員が、テーブルの上に置かれたスカートを取り囲んでいた。
「ラティスが描いたんなら、やっぱ魔法の何かなんだろうねえ」
セザは、すでに夕食の前に見たことは無いと自分の記憶に片を付けて、アドバイス役に徹している。
「でも、魔法といってもいろいろありますよ。私たちが使う罠も、ある種の魔法を付与しますし」
というリンナーリシュも、目の前の模様を見たことは無いのだと申し訳なさそうに肩をすくめた。
「まあ、『魔法』で一緒くたにするわけにもいかんだろう。系統があると番人殿も言っていたそうだし」
我が教義にも、様々な派閥がある――思うところがあるのか、ナルバクは神妙な顔で一人頷いている。
「ってことは」
一同を見回してから、さくらはおもむろに立ち上がった。
「やっぱりここは何かを思い出しかけているガセンの頭を揺さぶってみるのがいいと思うんだけど」
「よくない!」
さくらの妙案を却下して、ガセンはルコーに助けを求めた。
「なあ、ルコー、俺さ、確か見たことあると思うんだけど、覚えてないか?」
「どうしてお前の記憶を俺が知ってるんだ?」
「そうなんだけどさ……そうじゃなくてさ……」
一緒に居なかったかなあと、ガセンは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。そのまま理解できない呟きを漏らしているので、放っておくことにする。
「ってことは、ルコーも見覚え無し?」
ルコーは、ちらりとこちらを見たが、すぐに目を逸らしてしまった。
「……無い」
それ以上の会話を打ち切るつもりか、「もう寝る」と言って食堂から出て行ってしまった。
(やれやれ)
ラティスが居なくなってから、ルコーとは完全に他人より遠い仲である。会話は必要最低限だし、できればそばに居たくないという感情が、ひしひしと伝わってくる。
(まさかあたしのせいでラティスが居なくなったとか思ってないでしょうね……)
ふと視線を感じると、セザだった。全部わかっているよと言わんばかりの苦笑を浮かべている。
「今日はこれでお開きにしようじゃないか。長旅の後なんだし、ゆっくり休めばまた何か思い出すさ」
さあさあお休みと、追い立てられるようにして皆、自室に引っ込んだ。
さくらも、ベッドに入るまでは眠れそうにないと思っていたが、枕に顔を埋めたときにはもう、深い眠りに陥っていた。目が覚めたときには夜が明けていた、はずだったのだが。
「――サクラ。起きて」
「……むぁ?」
目を開けて、ぎょっとした。枕元でランプをかざしたハーティーアが立っていた。下から照らす光というのは、寝起きに見るものではない。
「は、はっちゃん……?」
窓の外はまだ暗い。
ドキドキする心臓を押さえながら起き上がると、ハーティーアが手招きする。
「そのままでいいから、一緒に来て」
「なに……?」
シャツを上着代わりに引っかけて、寝ぼけ眼を擦りながらついていくと、行き先は食堂だった。薄暗い明かりの下に全員が揃っている。なぜか、ルコーが床に座り込んでいる。藪の中を駆け抜けてきたみたいに、ぼろぼろだ。
「どうしたの……」
「こっそり出て行こうとしたルコーをとっ捕まえたのよ」
リンナーリシュが答える。いつものメイド姿ではなく、つなぎの作業服のような姿だ。さらにいつもの笑顔はどこにも無く、無表情にルコーを見下ろしている。捉えた獲物が逃げ出さないように見張っている、そんな様子だ。
「さて、揃ったことだし、ルコー、どこに行くつもりだったのか話してもらおうかね」
セザが微笑む。こちらもいつものドレス姿ではなく、ウェットスーツのように身体にぴったりとした上下を身につけていた。スタイルいいなあと、余計な感想が浮かんでくる。
「……」
ルコーは、むすっとしたまま俯いていたが、ナルバクが静かにその肩を叩いた。
「おまえ、サクラがもってきたあの印について、何か知ってたんだな? それでこっそりひとりで出かけようとしたんだろ?」
「え、そうなの!?」
思わず問い詰めると、ルコーは軽蔑したような目で見返してきた。
「のんきに寝ぼけてた奴が、いまごろ来て何言ってんだよ」
「……なにぃ」
瞬時に険悪になった空気に、セザが入り込む。
「あたし達が起こさないようにしてたんだ、何も文句はないだろう。あんただって、誰も起こさないつもりでこそこそ出て行ったんだから、おあいこだろ」
「夜目が利かないなら、昼に出て行くべきでした」
リンナーリシュが無表情に付け加える。ルコーがぷいとそっぽを向く。セザはルコーの前にしゃがみ込むと顎を掴んで、無理矢理自分の方に向けた。浮かんだ微笑みは、艶やかだが、とてつもなく恐ろしい。
「ねえ、ルコー。あんたがあの模様を見たときから、あたしらは気づいてたよ。あんたがなにか隠してそうだってね」
「やっぱり、見覚えあったんだな」
悔しそうに、ガセンが呟く。
「なんで教えてくれないんだよ!」
ルコーはこれにも無言を通した。かっとなったガセンが掴みかかる前に、さくらはルコーに詰め寄った。
「どうなの、ルコー。ほんとに何か知ってるなら教えてよ。ひとりでこそこそ出て行くとか、なにそれ。すごい怪しいじゃない。もしかしてあんた、ラティスがいなくなった原因を知ってるとか? あ、まさか、あんたがラティスを――」
「……そんなわけあるか!」
ルコーはセザの手を振り払って立ち上がった。怒りに満ちた視線が、突き刺さる。
「俺がラティスに何かするわけなんか無いだろ! 何も知らないくせに、勝手なこと言うな!」
「何も知らない……?」
瞬間、さくらの心は決まった。徹底抗戦だ。
さくらは立ち上がった。身長差があるので、結局、見下ろされているのだが。
「あったりまえじゃない。あたしはつい最近、ここに喚ばれてきたの。何で喚ばれたか、あんたわかってる? あんたたちがいつまでも、もたもたしてるから代わりに剣を回収してくださいって頼まれたの」
「俺が頼んだわけじゃない!」
「子供の言い訳か! どうせ、俺だって一生懸命やってるんだとか言うつもりでしょ」
「俺は……!」
図星だったらしい。ルコーが言葉を詰まらせた一瞬に、さくらは一気に詰め寄る。
「確かに喚んだのはラティスとディアンだけどね。でも同じことでしょ。あんた達で事足りないから、あたしが喚ばれた。うん、あんたにしてみたら、ムカつくことこの上ないでしょうね。死霊王も居なくなって、これといった敵も居なくなってからのこのこやってきて、しかもあんたには与えられなかった印まで付けて。そんなあたしのことを、あんたが嫌ってることは百も承知だから」
どうだとばかりに言い切ると、ルコーはひるんだがすぐに言い返してきた。
「ああ、そうだ。何が悪い。俺たちが、今までどれだけ苦労してきたか、何も知らないだろ!」
「ほんっと、子供のワガママと何にも変わんない」
さくらは、鼻で笑ってやった。
「では――私が何も知らないとおっしゃいますが、そちら様は私どものことをどの程度ご理解いただいておられるのでしょうか」
「なに……?」
途端に目を丸くしたルコーの顔を見上げるのは、爽快な気分だった。
「私がこれまで何の苦労も知らずに育ったと、勘違いされていらっしゃいませんか? よろしければ、こちらにお呼びいただくまでの生活の一部など、お伝えしてもよろしいでしょうか?」
しん、と静まり返る。ランプの明かりが揺らめく音すら聞こえそうな静けさだ。
「……あの、サクラ……?」
戸惑ったようなハーティーアの声も無視して、さくらは続けた。もういまさら、止められない。
「例えば、ここにくるまで私はとある会社で働いておりました。ラッシュの電車で通勤1時間半などとは、いまさらですね。ノルマが課せられれば、締め切りに間に合わせるために昼夜は関係なし。顧客の要望とあれば、人が何人潰れようとも無理を通す。どれだけはらわたが煮えくりかえる相手でも、上司と顧客の称号が着けば、相手を敬って話さなければならないんです――こんな風にね! あんたにこの苦労はわからないでしょ!」
叩き付けるように言ってやると、ルコーは息を飲んだ。
ああ、そうだった――さくらは再認識した。だから決めた。この世界じゃ絶対に、本当に尊敬できる相手にしか、尊敬語は使ってやらない、と。それは異世界トリップが実現したら絶対に実行することの最優先項目だった。
「あたしの言ってること、きっとあんたには半分も理解できてないでしょ? あんたはあたしの世界で暮らしてないんだから。あたしが、説明してないんだから」
「……」
「じゃあ、あんたは? あんたのことあたしに説明してくれた? どうせ何もわからないと思って何も言わなかったでしょ。俺が話さなくても誰かが話すと思ってた? それで何も知らないくせに何も言うな? あんただけのことなら何も言わないでもいいけど、そうじゃないでしょ!」
さくらは、ルコーの右腕を掴んだ。はねのけられるかとおもったが、ルコーは驚いた顔のまま、じっとしていた。
「あんた一人があたしを嫌うのは構わない。万人に好かれるつもりなんて、あたしには無いから。でも、ラティスは違うでしょ。ここにいるみんなに、もしかしたらこの世界に今一番必要な人じゃない。何か知ってるなら、あんた一人で隠し持ってていい話じゃない。あたしに言いたくないなら、他の誰でもいいじゃない。あたしよりは、あんたの苦労を知っている人なんだから、文句ないでしょ」
のろのろと、ルコーは視線を上げた。集まった全員の顔を一人一人見て、最後に俯いた。
「……隠し持ってるわけじゃない」
長い沈黙の後に、ルコーは低く呟いた。それでもまだ意地が残っているのか、さくらの手をはねのけて、横を向く。
「確かめてから、相談しようと思ってたんだ」
「そうして危険な目に遭って、あんたまで居なくなったら、あたしたちにはもう何の手がかりもなくなっちまうんだよ?」
わかってるのかい?――セザは肩をすくめた。ルコーを見る目は、けれども優しかった。
「……ったく、思い出したんなら、ちょっとくらい教えてくれたっていいだろ。思い出せなくって、ずっともやもやしてるんだぞ、俺は」
ガセンが口を尖らせて、ルコーを小突く。不意を突かれてよろけたルコーは、憮然として返した。
「お前の記憶力が悪いだけだろ。俺にせいにするな」
「なんだと」
「まあ、落ち着け、ガセン。良かったじゃないか、これでサクラに頭を振られなくて済むぞ」
ナルバクに止められて、ガセンはぎょっとしてさくらを振り返った。
「んー、でもルコーの話次第じゃ、やっぱり振らないとダメかも」
「ルコー、話せ、早く話せ!」
ガセンは慌ててルコーの背中に隠れた。その様子に、ハーティーアが笑い出した。
「なんならあたしも手伝ってあげる」
「絶対お断りだ! 死ぬわ!」
切羽詰まって頼み込むガセンを、ルコーは眺めていたが、最後にはかすかに口元が揺るんだ。
「ひとつ貸しだぞ」
「いくつでも借りてやるから早くしろー!」
絶叫が、深夜のミベ村に響き渡った。
ベタではありますが、書きたいと思っていたシーンの一つがようやく書けてほっとしております。
読了、ありがとうございました!




