17
扉が開かれると、視線が一斉に飛びかかってきた。
反射的に身を引いたさくらの背中を、ラティスが叩く。
「待て待て。あっちのほうが、お前さんのことを怖がってるんだぞ?」
「……うん」
ラティスの言うとおりだ。
王城の大広間に集められた人々は、〈柱〉の剣の所持者だ。大半がケミッシの貴族だと聞いている。見学者も招待されているはずだが、皆、異質なものを見るような目でこちらを見ている。
これから大事な剣を取り上げる相手に好意的な視線は投げられないと言うことか。
(それなら仕方ない)
納得して、さくらは歩き出した。今回は服に合わせて靴も作ってもらえた。革で作ったバレエシューズといった感じか。当然のように、キラキラとした飾りが品良く取り付けられている。ラティスが言うところの『それっぽい雰囲気』も割り増しされたようで、最初の不審そうな視線は、急速に畏怖を含んで逸らされていく。
広間にいる人々は整然と並んでいるわけではなく、思い思いの場所に立っているだけだ。さくらたちが前に進むと、自然に人垣が左右に分かれて、道ができあがる。先にいるのは、王座に座るキューディスだ。
「よく来た」
王座の前で一礼すると、キューディスが立ち上がった。ヒルビオが恭しく剣を主に差し出す。キューディスがそれを掴むと、エッカーゼが声を張り上げた。
「これより、剣の返還式を始める」
ざわついていた広間が、一瞬にして静まり返る。張り詰めた空気の中、キューディスは用意された台座の上に剣を置いた。豪奢なビロード張りの台に乗るには似つかわしくない、使い込まれた剣だった。一瞬だけ、剣を見下ろすキューディスの目が、名残惜しそうになる。
「世界を支える〈柱〉の番人の代理人サクラ殿。番人殿より借り受けた、世界の不浄を払う剣、今ここにお返しする」
キューディスは剣の横に右手を置いた。
さくらはその前に立つと、大仰に棒を振り上げた。横見でラティスを伺うと、小さく頷くのが見えた。昨日のリハーサルどおりにできているようだ。ほっとして、次のステップに進んだ。
「……ミオーリのキューディス・リガン・ノーバエンズ」
静まり返った広間に、さくらの声は思ったより響いた。敬称を使わなかったことで、広間がざわつく。エッカーゼが咳払いをすると、打ち合わせがしてあったように一瞬で静まり返る。
これも昨日わかったことだが、右手から伝わってくる情報は、剣の所持者の出身と名前だった。持ち物には名前を書きましょうとでも言うことなのか。ともかく、一切の肩書きが無い辺り、剣の所持者には地位は関係ないというのは明らかだった。それを知らしめるためにも、読み上げろというのがラティスの主張で、キューディスもそれに同意した。
「〈柱〉の番人の代理人として、預けた剣を回収いたします」
厳かに告げて、棒の先端をキューディスの右手の甲に当てる。広間中で、ごくりと息を飲む音が聞こえてきそうだ。
棒の先端が光り、キューディスの右手の甲に印が浮かび上がる。
「……おお」
どよめきが起こる。
瞬き一つする間に光は消え、印と、剣が消え去った。剣が戻されたのは、誰の目にも明らかだった。
キューディスは印の消えた右手の甲を高く掲げた。どよめきはぴたりと止まり、替わって歓声と拍手が広間を占拠した。
「キューディス王万歳!」
「神の平和の訪れに感謝を!」
いったい何人が心からそう叫んでいるのか――ややしらげ気味に目を伏せると、肩を叩かれた。口の端に、皮肉げな笑みを乗せたキューディスがいた。が、すぐに笑みを消してしまう。
「代理人殿。この場に集った所持者たちも返還を望んでいる故、よろしく頼みたい」
「承知しました」
大掛かりな茶番劇なのは、お互い承知の上だ。大歓声の中、キューディスが王座に戻ると、最初の『返還希望者』が台座の前に剣を置いた。さくらは深呼吸して気を引き締めた。ここからが、本番だ。
*
「つ、疲れた……」
あてがわれた部屋に入るなり、さくらはソファに沈み込んだ。できることならこのまま寝入ってしまいたい。
「だいじょうぶ?」
付き添ってくれたハーティーアが、水をついだグラスを差し出してくれた。式典にはハーティーアも出席していたのだが、ガセンやルコーと共に、広間の隅っこに立っていた。
「ありがと。はっちゃんもずっと立ってたんじゃ疲れたでしょ」
本日はセザの予告どおり、ハーティーアも着替えていた。飾り紐と一緒に編んだ髪を背中に垂らし、飾り気の無いシンプルなドレスに大ぶりのブローチを付けただけだが、ハーティーアという素材をよく活かしていると思う。返還式の途中でも、ハーティーアに見とれている若い男性の姿を何度も見た。
「あたしは立ってただけだから。サクラ、ほんとに大丈夫?」
「何とか生きてる」
グラスをありがたく受け取って、一口含む。ぬるい水だったが、身体にしみこんでいくのがよくわかる。
「棒でつつくだけがこんなに大変だと思わなかった」
「思ったより大勢だったしねえ。でもみんな満足そうだったわよ」
ケミッシの諸侯で剣の所持者は21人だった。他国から流れてきた者で回収に同意した者が36人。総勢57名の剣を回収することになったのだが、いちいち盛り上げてくれと頼まれた。つついて終わり、では、集まった者たちの面目が立たないからというのが理由だったのだが。
「あと何本あるだろ……もう、一生分の回収をした気分なんだけど」
残りを飲み干して、グラスを返すとハーティーアはけらけらと笑った。
「何言ってるの、サクラ。剣はまだ残ってるし、レフレンの人なんか、うちでも是非やってくださいって、やる気満々だったじゃない」
仰々しい返還式の後は、大宴会だった。さくらは国賓として、一通りの挨拶を交わすことを余儀なくされた。社交辞令で終わるからというので引き受けたのだが、最初の一人目から後悔する羽目になった。
「あー、あの人ね……ちょっと情緒不安定だよね、うん……」
レフレンの代表者として出席したのは、現国王の甥という青年だった。確かルボード子爵とかいったか。挨拶の前半はさくらへの質問攻めで、後半は返還を決意したキューディスのことをひたすら褒め称えていた気がする。途中で別の人と話し始めたので、どう締めくくられたのかはわからない。
「情緒不安定……? よくわかんないけど、でもあの様子なら、ほんとにレフレンでも剣を集めてくれそうじゃない?」
「そうだといいけどねえ……」
ハーティーアの夢は一日も早く剣がすべて〈柱〉に戻ることだ。その夢を壊さないように、さくらは曖昧に頷いた。
(あの人じゃ無理だと思うけど)
レフレンの王も王太子も剣の所持者なので代わりを寄越したのだと、キューディスが言っていた。ラティスの翻訳によると、とられても害は無い人間と、そういう意味らしい。政治というのはやっかいな虫のようなもので、どこにでも潜り込んでくる。
「次があるなら、今度は普通に回収したいな……」
「えー、もったいない。みんな恐れ入ってたんだから、もっと大げさにやろうよ」
「勘弁して」
クッションにずぶずぶと沈みながら、さくらは目を閉じた。服が皺になると、ハーティーアが騒いでいた気がするが、気づいたら夜が明けていて、ちゃんと寝間着に着替えてベッドの中にいた。
(……はっちゃんが運んでくれたのかな)
ハーティーアなら、さくらの一人や二人、軽々と持ち上げただろう。その図を想像して、反省する。大人として非情に情けない。
(あれ、まさか服は自分で脱いだよね……?)
コンコン。
思い出せずに悶々としていると、ノックの音がした。寝間着のままだったので、そっとドアに近寄ると、まるで見えているかのように声がかかった。
「失礼いたします。サクラ様、お目覚めでしょうか」
聞き覚えがある声だ。夕べ、部屋を世話してくれた侍女だが、残念ながら名前が思い出せない。
「あ、はい、起きてます。まだちょっと着替えてないのですが」
「よろしければお召し替えのお手伝いをさせていただきます」
さくらの返事を待たずに扉が開かれ、二人の城の侍女がおしとやかに入り込んできた。
「あの、着替えくらい自分でできますから」
「さようですか。ですが、陛下が朝食前にお会いなられたいとのことですので、お支度をしていただきます」
手伝いは建て前、キューディスが呼んでいるから早く支度しろと言うことだ。
(朝からいったい何事だ……)
流れ作業で身支度を調えて、さくらは夜明けの城内を密やかに進んだ。意識してそうしたわけでは無いが、まだ完全に起きていないた城の中を、騒々しく歩くのは気が引けた。
案内された先は、庭の一角に作られた東屋だった。テーブルが一つ、椅子が二脚。そのうちの一脚に、キューディスがすでに腰を下ろしてお茶を飲んでいた。
「起きたか」
「おはようございます」
座れと促されて、さくらは残りの椅子に腰を下ろした。案内してくれた侍女がさくらの分のお茶を注いでくれる。
「他に用事はございませんでしょうか」
「ない。さがっていい」
侍女がさがると、二人きりになった。朝の空気はひんやりしていて、残りの睡魔を払ってくれる。が、同時に身体が冷える。温かいお茶が、ありがたい。
「昨日はご苦労だった。よく休めたか?」
「夢も見ずにぐっすり眠りました」
いつ寝たのかもわからないくらいですとは、さすがに言わないでおく。
「王様こそ、昨日は大変だったんじゃないですか? よくこんな早起きできますね」
「早起きでもしなければ、好きに使える時間がないからな」
仕方ないとばかりに、キューディスは肩をすくめる。
「なるほど。ある意味健康的だと思いますが……そんな貴重な時間なら、ちゃっとちゃと用事を済ませましょうか」
さあどうぞと向き直ると、キューディスは面食らった様子になった。
「……せわしないやつだな」
「風情とか、侘び寂びを語りたいなら相手を替えた方がいいですよ?」
社交辞令は昨日でもうお腹いっぱいだ。
そう告げると、キューディスはますます奇妙な顔になった後に、俯いて肩を震わせ始めた始めた。
「ぶっくくっ……そう、か、挨拶から腹の探り合いをする必要は無さそうだな」
「ひとを単細胞みたいに言わないでくれます?」
「済まないな。そなたのように話をする人間、ましてや女性は、ほとんどいないのでな」
「そうでしょうね。王様相手なら、もっと畏まってなきゃいけないでしょうし」
かまわないと、キューディスは首を振った。
「それでは話がなかなか進まないからな。ちょうどいい、ここから先は王では無く、一人の剣の所持者……いや、元、所持者の独り言として聞いてくれ」
「茶飲み話ですね。了解しました」
「ああ、そうだ。それで頼む」
キューディスはくつろいだ様子でテーブルに肘を突く。身なりも見栄えもいいので、様になっている。
「私はな、サクラ、ずっと疑問に思っていることがあるんだ」
「なんでしょう」
「死霊王はどうして生まれたのだろう」
茶飲み話にしては、深い話題だった。
ガセンとルコーとラティスも着替えたんですが、詳しく描くほどでもないので省略です(酷)
読了、ありがとうございました。




