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右手の印は、差し出された剣が本物であることを伝えていた。
「……パチカーテのロマド・バンマード、さん?」
声に出してみると、バンマードは目を見張った。ぎょろっとして、子供なら泣くレベルだ。
「お見通しであったか。確かに、これはいつまでも逃げ隠れしていられるはずがない」
いきなりがっくりと、バンマードはその場に膝を突いた。
「返還がここまで遅れたのは、ただひたすらに自分が臆病だった故のこと。剣はこの通り、お返しいたす。非はすべて自分にある故、どうか、故郷の地に温情をいただきたい」
このとおりと頭を下げられて、さくらはバンマードの前にしゃがみ込んだ。できるだけ優しい声を出す。
「バンマード、さん」
「は」
「もう少しわかるように言ってくれません?」
「むぅ? 自分の言葉に何かおかしな所でもありましたか」
怪訝そうに、バンマードは他の面々を見回した。ガセンとセザがラティスを指すので、視線をそちらに向ける。
ラティスは顔を撫でながら、さくらの隣に屈み込んだ。
「あんたの言葉自体、文法も使い方も間違ってないな。おかしな訛りも無い」
「では何故に」
「言ってる内容が俺にもわからん。あんたの話を聞いてる限りじゃ、〈柱〉の番人が、剣を返さないと故郷ごと吹っ飛ばすぞ言ってるとしか聞こえないんだが?」
「うん、あたしにもそう聞こえた」
ディアンの堪忍袋の緒がとうとう切れたのか。大幅な方向転換するのなら、こんな棒を振り回している場合では無い。
(棒でもいいけど、振ったら雷が出るくらいにしてもらわないと……!)
「でも俺たち、そんなことするつもり無いぜ?」
ガセンの声が、さくらを現実に引き戻した。
「あ、そうそう、そうです、無いです」
「……今何考えてたのか、あとで聞かせてもらうからな?」
じとっとしたラティスの視線は横に流すことで回避する。
一方で、バンマードは複雑な表情を浮かべていた。
「しかし……自分はそう聞いて急いでここまで来たのだが……」
「どこでそんな話を聞いたんだ?」
「確か、ニディナの街だった」
「ニディナか。結構な勢いで話が広まったな。しかし、ニディナもケミッシの端とはいえ、パチカーテとはだいぶ離れていないか?」
「所用で、出向いたところで耳にしたのだ。〈柱〉の番人殿がケミッシの王に剣の返還を迫ったと。それを受けて、ケミッシの王が国中の剣を返還すると触れを出したと、町中の噂だった」
「迫っちゃいないぞ。向こうから言い出したんだが、今あんたに言っても仕方ないな。それで?」
「それで……これを皮切りに、番人殿はすべての剣の回収をすべての国に命じるだろうと。応じなければ所持者はもちろん、故郷の地にも災いが降りかかると」
「話が飛躍しすぎてるような気がするんだけど」
みんないったいディアンにどんなイメージを持っているんだと考えて、そもそもディアンに会ったことは無いのだと思い当たる。
(かなり真剣に〈柱〉の心配してるんだけどなあ)
外でこんな扱いになっていると知ったら、どんな顔をするのか。平然としていそうな気はするが。
「うはー、死霊王並みの扱いだな。おまえ、いつのまにそんなことできるようになったん?」
笑いながら、ガセンに肩を叩かれる。その手を払って、さくらは立ち上がった。
「この人が怖がってるのはあたしじゃなてくディアンだから。本物の〈柱〉の番人様の方。だいたい、あたしがそんなことできるくらいなら、最初から一人で力ずくで剣を回収にいけるじゃない」
「あ、うん……ていうか、そんな力があってもやることは剣の回収なのかよ……」
「平和でいいじゃないか」
なぜかがっかりするガセンを、セザが苦笑して慰めている。
ラティスも立ち上がった。
「噂の一人歩きなんてよくあることだが、すごい方向に歩き出したもんだな」
呆れたような口調にしては、顔が、すごく楽しそうだ。
「……ラティス、もしかしてこうなるってわかってた?」
「圧力が加われば、反発か帰順かに分かれるのは当然だろう? ま、ケミッシの王がやり出すのは以外だったが」
「前も同じようなこと言ってたけど、どこから始まると思ってたの」
「ここ」
真っ直ぐに指されて、さくらは首を傾げた。
「あたし?」
「お前さんが人目に付くところで回収すりゃ、噂が一人歩きするだろうと思ってたんだよ」
「するかなあ……?」
確かにいきなり棒が光ったり剣が無くなったりしたら驚くかもしれないが。
「驚くだろうね。お守りみたいにしてた剣がいきなり無くなったら、生きた心地がしないだろうさ」
そうだろう?――セザが言った。膝を突いたままのバンマードに、立つように促す。
「怖くてしょうが無いから、剣を返さなかったんだろうしね」
「……恥ずかしながら、そのとおりだ。剣があるから生き残れた。無くなってしまえば、そう思うと恐ろしくて仕方なかった」
のそりと身体を起こして、バンマードは俯いた。さくらは下からのぞき込んで言った。
「あのですね、剣を返さないからって故郷をどうこうすることは無いですよ? というか、あたしにそんな力は無いし」
「……失礼だが、貴女は何者か?」
もっともな質問だ。とはいえ、名乗る間もなかったのだが。
「あたしは〈柱〉の番人に代わって剣の回収をする代理人なんです。剣は回収できますが、他は何にもできません」
「そこは俺も保証する」
力強く、ガセン。
「保証しなくていいから」
そこまで言われると立つ瀬が無いではないか。
「でも……気が変わったって言っても、返してもらうけど」
不意に、ガセンの雰囲気が変わった。ガセンだけでなく、セザも、なにか薄ら寒い空気を振りまき始めている。
バンマードは深い息を吐き、首を振った。
「故郷が無事なら、それでもういいのだ。剣はお返しする。二言は無い」
「そういうことなら」
さくらは棒を持って一歩前に出た。
「遠慮無く。右手を出してもらえます?」
バンマードはごつごつした手を差し出した。
「いきますよ」
さくらは棒の先端を手の甲に当てる。バンマードが目を丸くしているうちに、棒の先端が光って、印と、剣が消えた。
「はい、おしまい」
「……」
バンマードは右手の甲を撫でた。それから、深い深いため息を吐いた。
「終わったのだな」
「よかったら一休みしてお茶でも飲んでいきなさいな」
セザが打って変わって優しい口調でバンマードを誘った。
「かたじけない。しかし、水を一杯いただいて、すぐにも戻ろうと思う」
バンマードは穏やかに断り、セザがもってきた水を飲み干すと一礼して出て行った。誰も、引き留めなかった。
「故郷が無事だってわかったから急いで帰るのかな」
窓から見える背中は、とても軽そうに見える。帰宅を急ぐ新婚さんと言ってもいい。
「あの様子じゃ、二度と戻らない覚悟で出てきたんじゃ無いか?」
おそらく、そうだろう。自分の身はどうなってもいいから故郷には何もしないで欲しいと言っていた。
「故郷って、パチカーテってところだっけ。もうちょっと話を聞いてみたかったかも」
「何を話すんだよ」
「パチカーテがどこにあるのかとか、どうやって剣を貰ったのかとか……剣を持ったままどうしていたのかとか」
すべてが終わってからのこのこやってきた異界人にはなかなか突っ込んで聞きづらい。自分で剣を返しに来たバンマードなら、少しは話しやすいだろうかと思ったのだ。
「パチカーテの話は無理でも、剣を貰った話なんか、そのうちいくらでも聞けるだろ」
「そうなの? って、そうか。キューちゃんか。でもあの人って王様だし、庶民と話なんてしてくれるのかな」
「こないだ俺が止めるまでさんざん話してたのは誰だよ……」
「あれはほら、その場の勢いというか」
「――あれ、ラッドじゃねえか?」
窓の外を見て、ガセンが声を上げた。ほどなく、玄関扉が騒々しく開いた。
「おい、ケミッシから使いが来るぞ!」
息を切らして飛び込んできたのは、予想どおりラッドだった。
「たぶん、明日には、着くと思う」
「ようやく、国内の所持者をまとめあげたんだね」
セザが感慨深げに言えば、ラティスは皮肉っぽく笑う。
「失敗したからやっぱり止めたってことかもしれないぞ」
「それなら遣いじゃなくて軍が襲ってくるんじゃないかい?」
「いや、そういう動きは無かったと思うけど……」
ラッドが自信無さそうに頭を掻く。
「冗談だ。国中で噂になってるんなら、他の所持者も逃げ隠れできないと腹を括るのは間違いないだろう」
「うん、キューディス王もそれを見越しての触れ書きを作ったみたいだったし」
いつまでも剣を持っていては弱い者を怖がらせるだけ――そういった内容を大々的に書かれては、身分が高い人間ほど居心地が悪くなる。剣を持っていることを誇示して力を得ていた者も同様だ。
「それじゃ、こっちも用意を始めないとね」
「用意っても、こいつがまた着替えるだけだろ?」
ガセンの言葉で、完全に傍観者になっていたさくらは話の中心に引きずり出された。
「あー、またあの服に着替えないとですか」
「少し手直したから、後であわせてみようかね」
セザが笑顔で、両肩に手を置いてきた。
「て、手直し……?」
「王様と一緒にならんでも見劣りしないようにってリンが張り切ってね。あ、細かい直しをするだけだから、そんなに時間を取らないよ」
「はあ」
そう願いたい――少しばかり魂を飛ばしていると、ラティスに背中を叩かれた。
「ま、せいぜい綺麗に作って貰え」
「――なに他人事みたいに言ってるんだい。あんたたちもだよ」
「は?」
「あんた『たち』……」
まさか俺も――顔を引きつらせるガセンにも、セザは頷いた。
「出席者全員だよ。王様が好きに作ってくれていいっていろいろよこしてくれたからね」
「いつのまに……!?」
言われてみれば、ラッドが戻ってくるたびにいろいろ荷物を持っていた記憶がある。リンナーリシュが嬉しそうに受け取っていたから、プレゼントかと勘ぐっていたのだが。
「さ、じゃあリンが戻ってきたら早速始めようかね。ああ、逃げるんなら動けないようにしてから勝手にやるから、覚悟するんだよ」
その一言で、ラティスとガセンは諦めた。
(勝手に、ってのがいろいろ想像できちゃって怖いよね……)
セザ最強伝説が、さくらの中でまた確信を強めていった。
*
ケミッシから正式な使者が訪れたのは、翌日のことだった――。
ご愛読ありがとうございます。
なぜかバンマードの話が止まらなくなりすぎたので、思い切って端折りました……語りすぎでした、このおっちゃん(;´д⊂)
今まで出てきた人の誰よりも設定が長くついているかもしれないです、はい。




