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『ケミッシ兵遭遇時応対マニュアル』

 馬車に揺られながら考案したさくらの傑作は、幸か不幸か、披露されることなく王都ミオーリに到着した。何もないのが一番とはいえ、帰り道のことも考えると、よりよい改定が必要だ。

(やっぱ、実例が必要だよねー)

 遠くに見えてきた王都の周囲は高い壁で囲まれており、入るには五カ所ある門のいずれを、開門時間内に通らなければならないそうだ。これこそが正しい門限だと感動したが、ラティスには可哀想なものを見る目をされた。いつかラティスが自分の世界に来たらことあるごとに同じような目をしてやろうと、心の日記帳に書き留めておく。

 それはさておき、検問といえば、兵士がいるというのがさくらのなかでは常識だ。実際、馬車の前で止まれと手を振っているのはどこからどう見ても、槍を持った兵士だ。

(マニュアル更新開始!)

 荷台で静かに意気込んでいたさくらの横で、ラティスは近寄ってきた兵士に軽く手を上げて挨拶をした。

「よお、久しぶりだな。通るぜ」

「あんたか。荷物は……そっちの妙な格好のは新入りか? まあいい、いけよ」

「ああ、またな」

 さくらの熱意に全く気づかず、あっさりと通されてしまった。

「ここでもマニュアル不発とは……!」

 遠ざかる門を見つめて呟くと、ガセンがのぞき込んでくる。

「まにゅある? なんだそれ……魔法か?」

「そいつが魔法なんか使えるわけないだろ」

 魔法をなめんな――そう言わんばかりの目つきで、ラティス。事実その通りなのだが、頭ごなしに言われるのも腹が立つ。

「魔法じゃないけど、これさえあれば誰でも何でも解決って言う、魔法なんかよりもっとすごいものなんですー」

「ほんとか?」

「そんなものがあるならさっさと全部の剣を回収してきてくれ」

「マニュアルに掲載されていない事項については責任を負いかねます」

 真顔で返すと、ガセンが首を傾げた。

「意味わかんねぇ」

 一生わかることはないので無駄な説明はしないことにする。それよりも、気になることがある。

「夜になってもお城って入れるの?」

 見上げた空はいつしか半分以上が朱く染まっていた。街に入る門限よりも城の門限の方が厳しそうに思えるので、城の前で野宿というのは御免被りたい。

「さすがに今日は別の所に泊まるさ」

 ルコーが馬車を向かわせたには、古めかしい建物だった。汚れに消えかけた看板には、『ニーリの泉』と書いてあるようだ。言葉だけでなく、異世界の文字も読めるようだと感心していると、建物からひょいとラッドが顔を出した。

「あ、きたきた」

 あっけにとられていると、ここはケミッシに昔からある宿屋で、いつの間にか先回りしていたラッドが部屋を確保していたという。その根回しに感謝しつつ、その晩はゆっくり休んで、翌朝、改めて王城に向かった。

(着替えに三日……四日か。で、ここで一泊して――)

「何してるんだ?」

 ラティスに尋ねられて、さくらは手元から顔を上げた。今日は宿を出るときから上着のフードを被っているので、視界が狭い。

「王様に呼ばれてから何日経ったのかなーって。こんなにゆっくりしてて良かったの?」

「急ぎだったら迎えを寄越すだろ」

 伝言だけ残して使者が帰ったのなら気にしなくていいと、割り切った答えだった。なんとも気長な人たちだ。

(呼んだことを忘れられてなきゃいいけど)

 ここまで用意してそれは悲しすぎる。

 ぜいはあ、と肩で息をしながら上った坂道の先に現れたのは、頑丈な両開きの門と高い塀だった。当然だが門は閉じていて、門番がこちらをずっと睨んでいる。

「キューディス王から呼び出しを受けたラティスだ。取り次ぎを願いたい」

 ラティスがそう告げると、門兵は背後の小窓を開けて中に居る誰かと会話をする。ほどなく門が細く開いて、別の兵士が隙間から出てきた。

(あー、これは間違いなくアレだ)

「お前が王がお呼びの者だという証拠は?」

 思ったとおり、ふんぞり返って尋ねてくる兵に対して、ラティスは笑っていい返した。

「キューディス王は俺の顔を知ってるんだから、本人が出てくりゃ早いだろ」

「そんなことを陛下にさせられるか、馬鹿者が」

「なら、俺はこのまま帰るだけだ。王様は、ずっと待ちぼうけしてればいい。使いが来てから何日も経ってるし、いらいらしてるかもしれないけどな。ああ、そっちのあんた、待ちぼうけの原因はこの兵隊さんだと覚えておいてくれ」

 よろしくなと、もう一人の門兵にそう言ってラティスは回れ右をする。ようやくこの押し問答が無意味だと気づいた兵が、慌てて止めに掛かった。

「待て、いや、思い出した。確かおぬしは〈柱〉の番人様の使いだったろう。見たことがある」

「使いはこっちなんだが――」

「早くこちらにこい。陛下をお待たせするな。案内してやる」

 有無を言わせぬ口調で、兵士は歩き出した。

 やれやれと肩をすくめて、ラティスは振り返る。

「ということだ」

「どこにでも居るんだね-、ああいう人」

 剣の所持者だったら有無を言わさず回収したのに――兵士の背中に向かって舌を出していると、ルコーがぼそりという。

「そんなのが剣を受け取れるわけがないだろ」

「……ごもっとも」

 ルコーの声は低いがよく通る。前に立つ兵士の肩が、一瞬、ぴくりと動いたのを見たことで、さくらは溜飲を下げた。

 広い庭園を通り抜けて建物の中に案内されると、いくつも扉のある玄関ホールに入った。案内の兵士は迷わず端の扉を選んで進む。扉の向こうは薄暗い廊下だった。靴音だけがやたらと響いて、高い天井に吸い込まれていくのが見えるかのようだ。

「このお城って、人がいなそうで、実は一杯いる?」

「なんでそう思うんだ?」

「どこからか、じわーっとした視線を感じるんだけど」

 気配を感じて振り返ると誰も居ない、そんな気持ちの悪さが先ほどからつきまとってくる。

「怪しい奴を見張ってるに決まってるだろ。ほら」

 ガセンがニヤニヤしながら背後と上を同時に指す。振り返ればさっと廊下の角に隠れる人影があった。上は何も見つけられなかったが、覗かれていたらしい。

「感じ悪ーい」

「いつものことだよ。ついに王様の剣も回収されるのかって、気になってしょうがないんだろ」

「え-、だって――」

 それは一番最後だよねと言いかけて、さくらは慌てて口をつぐんだ。前には案内に立つ兵士がいる。

(危ない危ない)

 ラティスが軽く睨んできたので、さくらは口元をおさえて反省の態度を見せた。

 突き当たりの扉を開けると、打って変わって広く明るい廊下に出た。まとわりつく視線はそこで消えたが、今度は廊下の所々に立ち番の兵士が立っていて、あからさまに威嚇してくる。少しでもおかしなそぶりを見せたら最後、全員が一丸となってかかってくるのだろう。

 番兵と調度品が交互に現れて、最後に大きな扉の前で兵士は立ち止まった。扉の両脇に立つ兵士に一礼し、高らかに告げる。

「〈柱〉の番人様の使いが到着されました」

「わー、様付けだよ、今度は」

「さっきはお前呼ばわりだったのになー」

 聞こえよがしにガセンと囁き合うが、兵士は恐るべき忍耐力で無視した。

「ご苦労」

 扉脇の兵士が苦笑しながら労いの言葉をかけると、案内の兵士は逃げるように立ち去った。同じ口上がもう一度繰り返されて、ようやく中に入ることを許された。

「わ、お城っぽい」

「……お前ここ、なんだと思ってたんだ?」

 その突っ込みは聞こえないふりでやり過ごす。

 中は、広間だった。謁見の間に違いない。正面の突き当たりには一段高くなった場所がしつらえてあり、大きくて立派な椅子が置かれている。肘掛けにもたれて座っているのは、一人の青年だ。彼の背後、椅子の背に半分隠れるようにして二人の男性が控えている。一人は軍人っぽいのでおそらく護衛だ。もう一人は文官っぽいので、助言役だと勝手に判断する。

 広間の両側の壁の前にも、兵士が並んで立っていた。護衛の人と似たような軍服なので、近衛兵師団というやつだろう。黒を基調とした制服は、並んでいるだけで緊張感を与える優れた視覚効果付きだ。

(ん……何か、お香の匂い?)

 どこかで香が焚かれているようだと視線を回すと、背中を軽く叩かれた。

「きょろきょろするな」

 ラティスが進んだので、一歩下がって付いて歩く。背後で扉が閉じられた。

(えーと、もう王様の前ってことでいいんだよね)

 部屋の中央まで進んだら、片膝をついて一礼する。すぐに立ち上がってもいいが、その先に進めるのは王に許された者だけ――出発前に習ったとおりの作法を取ると、ラティスが小さく頷いてくれた。

「――留守だったとは聞いていたが、ずいぶんと遅かったな」

 キューディス王は、話に聞いていたとおり若い王だった。まだ三十には届いていないと思われる。濃い茶色の髪は丁寧に梳かれて調えられているが、冠らしき物は特に付けていない。面長の顔には興味津々の様子がくっきりと浮かんでいる。視線は、ラティスを越えて、さくらの上だ。

 全員立ち上がると、予想どおりラティスだけが前に進むようにと命じられた。玉座から一メートルほどの距離で足を止めて、ラティスは肩をすくめた。

「ヤボ用がいろいろあってな。手間取った」

(……おーい)

 王様に対してその口の利き方でいいのかと心の中で突っ込んだが、助言役も護衛も、表情は苦いが特に何も言わない。心が広いのか、あきれ果てているのかのどちらかだ。きっと後者だと思うが。

「そっちこそ、聞いているのは俺が留守だったことだけじゃないだろ?」

「……一人増えたそうだな」

 キューディスの目が細められる。視線が刺さりそうなので、さくらはさらに俯いた。

「ああ。だから連れてきた」

 ラティスは振り返って手招きした。

(うーん、このまま退室にはならなかったか――っと)

 さくらは被っていたフードを外して顔を上げた。瞬間、ばっちりとキューディスと目が合ってしまう。慌てて視線を伏せて、しずしずと前に進んだ。ここで派手に転びたくはない。

「こちらが、この度正式に〈柱〉の番人の遣いとしてやってきたサクラ殿だ」

 ラティスの横に並ぶと、キューディス王はすぐ目の前だ。遠慮のない視線を感じる。

「正式に、とは?」

「〈柱〉の番人どのが直々に呼び寄せたんだ」

「呼び寄せた? 番人どのの弟子か何かか?」

「いや……代理人、みたいなものかな」

 ラティスの答えが曖昧だったせいか、キューディスもわずかに眉根を寄せる。

「代理人……もしかして、今度からその娘が直々に回収をするということか?」

「相変わらず察しがいいな。そのとおりだ」

 ラティスが肯定すると、キューディスはさくらを呼んだ。

「サクラと言ったな。お前、〈柱〉の番人殿の代理人だというなら、今ここでこれを回収していくか?」

 キューディスは右手の甲を差し出し、左手で玉座に立てかけてある剣を握った。はいどうぞといわんばかりの格好だ。

「はぁ……えっ?」

 唐突な話に慌てたのはさくらだけではない。助言役も護衛も、顔色を変えて「陛下!」と口々に呼びかけている。

「いやあの……お望みなら回収しちゃいますが」

 ほんとにいいんですかね?――周囲が騒ぎ立てる中、キューディス王はさくらをじっと見据えていた。これはもしかして試されているのだろうかと、さくらは腰に下げた棒に手を伸ばす。キューディス王の視線が、さくらの腰に注がれる。

「……それは?」

「……」

 指先が棒に触れたところで、さくらは動きを止めた。馬鹿にされたときに高飛車に返す方法練習してきたが、キューディスの態度はあくまでも純粋な質問だった。

「……あれです、番人の代理人専用の武器というかそういう感じの棒です」

「そうか」

 怪訝そうな顔をしたが、それ異常の反応はなかった。護衛と助言役が両側から覆い被さってきたからと言うこともある。

「陛下、お待ちを!」

「この者が本物かどうかということも――いやそれよりもいきなりそれは!」

「わかったから、二人とも静かにしろ。離れろ」

 うるさそうに払われて、助言役と護衛は渋々と言った体で引き下がる。

 ようやく我に返ったラティスが、まだ夢から覚めないような顔で言った。

「いきなり度肝を抜く冗談だな」

「冗談ではない」

 キューディスは剣から手を放すと、ラティスを見据えた。

「今回の提案というのは、このことだ。預かった剣、そろそろ返還したい」

なんとか今週の投稿となり、ほっとしています…。

お待ちいただいていたなら幸いです。ありがとうございました。

…どうでもいいことですが、今週もキューちゃんの出番が無くなるところでした…。


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