12
「……ふ、わぁああ……」
大きなあくびと共に両手を伸ばすのがとても気持ちいい。
仰向けのまま、両手指の隙間から見上げる青空は眩しかった。今日は空気も暖かいし、うたた寝にはもってこいの日和だ。馬車で揺られて眠るのは初めてだが、これはこれで、悪くない。
「もうすこしクッションが欲しかったなあ。背中が痛い」
「乗った瞬間から爆睡してたのは誰だよ」
ガセンの呆れたような声が頭上から降ってくる。
さくらは上半身を起こして振り返った。
「通勤電車で爆睡してこその現代人よ」
「意味がわからねえよ」
「わかると思ってないから気にしなくてよろしい」
もう一度、両手を突き上げてのびをし、そのまま肩を回そうとして袖が突っかかった。
「む」
急ごしらえだから合わないところが出るのは勘弁ね――セザの言葉を思い出して、ゆっくりと両手を引き下ろす。破ってしまっては大変だ。
「で、あとどのくらいで着くの?」
御者台ににじり寄ると、手綱を握っていたラティスが振り返る。
「起きて早々にそれかよ。まだ半分も来てないぞ」
ミベ村からケミッシの首都であるミオーリまでは、馬車で行っても半日以上かかる。日の出と同時に出発したが、到着するのは早くても夕方前だ。先ほど見上げた空の色はまだ青かったから、到着はまだ先のようだ。
「そうなんだ。じゃあ、お弁当食べよう」
「どうしてそこで『じゃあ』になるのかが俺にはわからねえ……」
ラティスのぼやきに、ガセンも頷いている。
「考えていればそのうち答えも見つかるんじゃない? うーん、どこかいい場所は……日当たりが良くて、平らな地面で、ちょうどいい木陰とかあって」
「日当たりはどこに行ったんだよ」
ガセンの突っ込みを聞こえないふりで、さくらは周囲を見回した。馬車が行く道の周囲は、起伏のある地面が続いている。しかも岩がごろごろしているので、腰を落ち着けるには向かない場所ばかりだ。
「あ、あのへんとか、どう?」
少し先の平らな地面を指すと、ラティスの横に座っていたルコーが即座に却下した。
「だめだ」
「えー……じゃ、あっち」
「だめだ」
「その向こうとか」
「ダメだ」
ルコーは振り返りもせずに却下を繰り返す。さくらは後ろから殴りつけたい衝動を堪えて、できるだけ穏やかに問いかけた。
「…………どこだったらいいのか言ってくれない?」
「まあ、待て。この辺りはのんびり弁当を広げられる場所じゃない」
局地的雷雨注意報が発令されそうな中、ラティスの声が割り込んだ。ガセンも慌てて頷く。
「セザが言ってただろ。南の街道にケミッシの兵が出張ってきてるって。ちょうどこの辺りからなんだよ」
「……なるほど」
さくらは握りしめていた拳をじわじわと開いて、膝の上に納めた。深呼吸を、数回。少し視線をずらして、ルコーを視界に入れないようにすれば完璧だ。
「ケミッシの兵士は何しに来てるの? ていうか、出会ったら何がマズいの? あたしたちそこの王様に呼ばれてるんだから、ついでに案内してもらえばいいじゃない」
無理無理、とガセンが顔の前で手を振る。
「難癖つけられて、人気ないのところでいいようにされて、ほっぽり出されるのがオチ」
「なにそのアウトローなのは」
「ケミッシの王は確かに俺たちを呼んでいるが、友好的かどうかはまた別の話だってことだな」
「どういうこと?」
ルコーに手綱を任せて、ラティスは荷台に移った。
「いいか。今大陸中で王だの貴族だのと領主だのと名乗ってる奴のほとんどが、剣の所持者だ」
「うん」
お互いに権力争いをしているのだとディアンも言っていたのだから、そうなのだろう。
「で、俺たちはその剣を力ずくで取り上げている方だ。お友達になれると思うか?」
「それは難しいかも」
むしろ不可能だろう。セルキドとのやりとりでも、果てしない平行線が引かれてた。
「今一番おれたちに近い位置にいるのはケミッシで剣を持ってる連中なんだよ。剣を奪われるのは今日か明日かって、びくびくしてるってわけだ。俺たちがまた剣を回収したなんて噂が流れると、居ても立ってもいられなくなるらしいぜ」
ガセンが鼻で嗤う。さくらは首を傾げた。話の筋が通らない。
「よくわからないんだけど、結局ケミッシの兵士って何がしたいの?」
「嫌がらせだろ」
簡潔に、ガセン。剣を返さなければならないが返したくないというジレンマを、八つ当たりで解消しているのだと。
ラティスが苦笑する。
「あとはまあ、剣を返さない理由を作ってるんだろ。こんなに兵士が見回らないと危険なんだぞってな」
「理解できない……面倒くさいからもう一気に回収しちゃわない?」
あからさまにげんなりしてみせると、ラティスは首を振った。
「残念ながら、そうもいかない事情ってのがある」
「ふーん……どんな?」
意味深な口調に思わず身を乗り出すと、ラティスはにやりと笑った。
「ケミッシの王とは取引中なんだ」
「とり、ひき?」
さくらは首を傾げた。お代官様と悪徳商人がほくそ笑んでいる場面が脳裏を横切る。
「ちなみに内容は?」
ラティスは逡巡したが、まあいいだろうと、口を開いた。
「ケミッシの王には、俺たちが剣を回収するのを援助してもらってるんだ」
「援助って言うと、パトロン的な?」
思わずガセンを見やってしまう。こんなことをしても番人様は何もくれないのだと、そう言っていた青年は、肩をすくめただけだ。
「人が集まれば食い物も住むところもいるからな。あの砦だって、一応はケミッシのものだぞ」
正確には、ケミッシの諸侯の一人が、〈柱〉の剣を受け取りに来た人々をとりまとめるために建てた砦だ。剣を作れるのがディアン一人、剣を受けとるのは多数となれば、人が溢れるのは必然だった。受け取り待ちの人々を収容し、ついでに対死霊兵の総司令部にしようと考えていたらしいが、そんな必要も無いくらいに死霊兵はバタバタと倒れていった。砦ができあがった頃には死霊兵は一掃されていたというから、泥縄としか言いようが無い。
「〈柱〉に近いって以外、何の価値も無い砦だからな。おかげで気兼ねなく人を集められたぜ」
中途半端に修理された石垣を思い出して、さくらは納得した。
「なるほど。で、王様の方の見返りはなに?」
「ケミッシの王の剣は一番最後に回収する約束になってる」
「……それって最後にはキューちゃんがこの世界の王様になるってこと?」
世界の王の座をかけたバトルロワイヤルが秘密裏に開催されているようだ。
ラティスは肩をすくめた。
「〈柱〉の剣を持ってるだけで誰もが従うわけじゃない」
「それもそっか」
剣を持っていると言うことは、一種の保険だ。世界を救うために選ばれた一人なのだという立派なお題目を付けるための道具にすぎない。
当然だが、とラティスは付け加えた。
「この取引はここだけの話にしておいてくれ」
「りょーかい。でもそういう取引があるなら、ケミッシの兵が嫌がらせしてくることは無いんじゃない?」
「だから、ここだけの話だって言ってるだろ」
呆れたように、ラティス。
「……えーとつまり高度な機密扱いと?」
「お前さん無駄に難しい言葉知ってるんだな。まあ、そういうことだよ。末端の兵士が知ってるはずもない」
「てことは出会っちゃったら一触即発?」
「出会わないように祈っておくことをお勧めする」
笑いをかみ殺しながら、ガセンが言う。
さくらは馬車の行く手を見やった。視界から消していたルコーの後頭部が見える。
「……念のために聞くけど、出会っちゃったらどうするの?」
「俺たちは剣の所持者以外は基本的に相手にしない」
前を向いたまま、ルコーが言い放った。話はしっかり聞いていたようだ。
「要は自分の身は自分で守れってことだなんだが――」
「あたしの武器ってこれなんだけど?!」
ラティスの言葉を遮って棒を振り回すと、笑いながら宥められた。
「冗談だ。煙に巻く手段はいくつかあるから、とにかく立つな。落ちるぞ。あと、それ落とすなよ」
「……」
言われたとおりに元の位置に座ったが、疑惑は晴れない。
「くぅ……こうなったら出会う人間全部に今のことをばらして歩くしか」
精神的なショックを与えて逃げ出す高度な戦法を編み出していると、ラティスにつつかれた。
「賢いのか馬鹿なのかわかりにくいな、お前さん」
「いっそハーティでも連れてくれば良かったんじゃ?」
笑い転げながら言ったのはガセンだ。どういうことかと尋ねると、
「前に、たまたま一緒に居たときに、ケミッシの兵と出くわしたんだけどさ。思ったとおりくだらねえことで絡んできて、めんどくせえなあって思ってたらハーティの奴、いきなり走り出して。逃げ出すのかって、おもしろがって追いかけた兵士に向かって、一抱えもある岩をがんがん投げつけたんだよな」
さくらは馬車の横に目をやった。相変わらず、岩がごろごろしている。ハーティーアも武器に事欠かなかっただろう。
「それ以来、あいつら、ハーティの姿が見えると逃げ出していくようになったんだぜ」
「よし、今すぐ引き返してはっちゃんをつれてこよう!」
「できるか。いいから座って祈っておけ」
「うー」
荷台の減りに齧り付きそうにしていたさくらは、ふと思い出した。
「あ、そうだ。ねえ、はっちゃんがキューちゃんを嫌っているのって、その兵士のことがあったから?」
「いや、ハーティは、単に剣を返さない奴が嫌いなだけだろ。キューディス王と個人的に何かあったとは考えにくいな」
ハーティーアの故郷は大陸のほぼど真ん中の山奥だそうなので、海寄りのケミッシとは地理的に見ても、出会いがあったとは思えない。
「ハーティがこっちに来るときとかは?」
「確か北回りで来たはずだから、ケミッシは通らなかったと思うぞ。あの頃は南なんか歩けるわけが無い」
「あ、そっか」
ラティスとガセンのやりとりを聞きながら、さくらはデコボコの地面を眺めやった。この向こうに何があるのか、まったくわからない。
(……地図、見損ねちゃったな)
ハーティーアに地図を見せてもらう約束をしていたのを、今頃思い出した
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