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着替えが欲しいと言ったのは自分だ。
それは間違いないし、自分の言葉には責任を持とうと思う。
思うのだが。
「はい、こっち、手、上げて」
「あっ! セザ、動かさないでください」
「ああ、ごめん。このくらいならいいかい?」
「はい、大丈夫です」
「……」
本人が大丈夫かどうかを、そろそろ聞いて欲しい――セザと、今一人の砦の住人であるリンことリンナーリシュの二人の言いなりになっているさくらは、小さくため息を吐いた。欲しかった着替えは、これじゃない。
セザが気づいて、苦笑する。
「疲れたかい? もう少しだから我慢しておくれ」
「これが終われば一度休憩にしましょう。何か軽く食べられるものでも用意するわね」
待ち針を打ちながら、リンナーリシュ。今朝方、初めて会ったばかりなのだが、ハーティーアと同じにとても人懐こい。恐らく同い年くらいだと思う。化粧っ気は無く、簡素な茶のワンピースにエプロンを掛けただけの清楚な格好が、またよく似合う。金色のカールした髪は一つにまとめ上げているので、細いうなじがよく見えた。時折ふわっとただよってくるいい香りは、何の香水だろう。
「はい、是非お願いします!」
あともう少しだと自分に気合いを入れたところに、ハーティーアが飛び込んできた。
「サクラ-、これちょっと長さを合わせたいんだけど」
ゴールは蜃気楼だった。近づくと遠のいていく。
「ううう……まだ何かあるの?」
恨めしげに聞き返すと、ハーティーアは構わず興奮した様子で持ってきた物を振り回す。細く編まれた綺麗な飾り紐だ。
「うん、この組紐をね、こう、頭に巻いたら綺麗かなって思ったんだけど」
「ああ、それはいいね。あんたの髪なら綺麗に編み込めそうだ」
セザが賛成して、さくらにむかってにっこりと微笑む。
「ま、休憩の後にしようかね」
「女神様と呼ばせてください」
さくらはその場に跪こうとして、リンナーリシュにがっちり止められた。
「今動くと仮縫いが外れるから止めてちょうだい」
「……はい」
なぜかハーティーアも直立不動で頷いていた。
仮縫いの衣装を外してもらって、さくらはようやく息ができるようになった。リンナーリシュから借りたワンピースに着替えて、肩を揉んでいるとセザがまた笑う。
「大げさだねえ。さんなにきつく止めてなかったろ」
「きつくは無いですけど、動かないでって言われると、つい」
レントゲン撮影でも無駄に息を止めてしまうたちなのだ。リンナーリシュが入れてくれたお茶を飲んで、ほっとする。かすかな甘みが身体に嬉しい。
「で、あとどのくらいかかります……?」
「計るとこは計ったし、あとは縫いに回すだけかね?」
「そうね、ほとんどが直しだから……一度できあがりを見てもらって……」
「飾りはもう少し掛かりそうよ?」
「……ったく、ラティスがヘンなこと言うから……!」
やはりゴールは蜃気楼だった。それもこれも、全部ラティスのせいだ。八つ当たり気味に、さくらは甘いパンをかじる。
「それっぽく着替えろ」
思い返してみれば、ラティスが出した命題はこれだけだ。
むろん、さくらには着替えが無いのでセザたちに頼んだわけだ。ケミッシに連れて行くにあたって、それなりの格好ををさせて欲しいと。
王様の前に出るから綺麗な服を着せろと言うことかと思ったが、そうではなかった。さくらを、『〈柱〉の番人の遣い』として紹介するから、ふさわしい格好にしてくれというのがラティスの要求だった。
「それっぽいとかおおざっぱに言われても困るんじゃ……」
今現在、剣の回収をしているのはラティスたちだ。彼らもある意味で〈柱〉の番人の遣いには違いない。飾りの剣でも付けて偉そうにしてればいいのかな――ぼんやりそんなことを考えていたのだが、話はとんでもない方向に転がった。
「まったくだね。もう少し具体的に頼むよ」
同意したのはセザだった。ただし、さくらの思いとは少し違う方向で。
「見本が無いから難しいけど、どういう風に見せたいのかは言ってもらわないとね。時間もそんなに無いんだろう?」
けだるげな口調とは裏腹に、ただならぬ熱意が込められている。ラティスも怯んだほどだ。
そうして――さくら抜きで熱い議論が交わされた後に、セザ、リンナーリシュ、ハーティーアによる、さくらのイメージチェンジ作戦が決行されたのだ。
まず、その日のうちに相対的なイメージが固められた。次いで、必要な材料をかき集める為にガセンやルコーまで走らされた。こんなのじゃ話にならないとセザに怒られるルコーの様子は、ざまあみろという気がして気分が良かったが。
最終的に採用されたのは、セザが着ているような袖の無いワンピースドレスと細身のズボン。どちらも薄い生地だが、丈夫にできていて暖かい。この点が一番嬉しい。
ワンピスードレスの上には、ボレロ風の丈の短い上着。少し厚地だが、肩周りがゆったりしてるので、腕も動かしやすい。
靴は残念ながらサイズが見つからなく、とりあえずそのままパンプスを履くことになった。全力疾走もできるので、たぶんまあ、問題は無い。
上着もズボンも全部グレーの地味なできあがりだったが、続いて身につけた装飾品で全て変わった。
貝殻や石を組み合わせて作られたネックレスとブレスレットは、つけて歩くだけでキラキラ、シャラシャラしている。大ぶりな造りと細かい造りのをそれぞれ二重に付けるので、光と音の演出になっているようだ。ネックレスは明るい色合いの石で、ブレスレットは落ち着いた色合いの石でまとめられている。
頭と腰と指に巻くのは派手な原色の組紐飾りだった。これも端に小石がついていて、やっぱりキラキラシャラシャラしている。持ち上げてみると、恐ろしく細かい造りだ。
「これって手作りですよね……?」
「そうだよ。ナルバクは手先が器用だから。時間がもう少しあればってこぼしてたけど、問題ないよねえ」
問題ないどころか立派な仕上がりだ。しかもこれをあのごつく厳めしいナルバクが作ったと聞いて、さくらは二重に衝撃を受けていた。
「一回りしてみて。なかなかいい感じにできあがったでしょ?」
「はあ、いや、いろいろびっくりです」
神秘的だが色気は無いジプシー――鏡に映った自分をそう評して、さくらはうなずいた。急ごしらえの寄せ集めにしては、ソレっぽい雰囲気が出ている。黙って立ってれば、勝手に誤解してもらえそうだ。
「あとは、出るときにはこれを着てね」
渡されたフード付きの丈の長いマントは、やっぱりグレーだが、こちらは特に見栄えは必要ないので問題ない。被って丈の長さを確認すると、セザは満足そうに頷いた。
「あとは……やっぱり剣を付けた方がいいかねえ。箔が付くと思うんだよね」
「ラティスを呼んで聞いてみたら?」
そう言ってリンナーリシュはラティスを呼びに行った。すぐに一緒に戻ってくる。
ラティスは、マントを脱いださくらを上から下まで眺めて頷いた。
「いいんじゃないか? でも剣は要らないな。代わりにあの棒を止めておけるところでも作ってもらえ」
剣の代わりに腰に棒を差すことになりそうだ。持って歩くよりは楽かもしれないが見栄えはどうなのだろう。
「棒? ああ、あれかい。それは簡単にできるけど、そんなんでいいのかい?」
セザは不満そうだったが、ラティスは再度、首を横に振った。
「いいんだ。剣なんか下手に持ってても、使えないのはすぐにばれちまう。何か言われたら……そうだな……『私の剣は必要なときに現れます。ただし、そのときは〈柱〉の剣を返していただくときです』とでも言っておけ」
「それ、遠回しにケンカ売ってるように聞こえるんだけど……」
しかも言うのはさくらである。無用な争いは避けたい。
「それでいいんだよ。度胸があるなら掛かってこいってくらいの調子で言ってやれ」
「そのくらいのハッタリがあってもいいかもねえ」
剣を持たないなら、とセザも頷く。リンナーリシュが手を叩いた。
「それなら、みんなの前で練習してみましょう」
「は?」
ちょっと待って――止める間もなく、リンナーリシュはキラキラシャラシャラのさくらの手を引いて食堂に連れ込み、その場でだべっていたガセンとラッドをぽかんとさせた。あとで聞いたところによると、まったくの別人に見えたそうだから、イメージチェンジは成功したと言っていい。
「はい、みんな、これから〈柱〉の番人の遣い様が練習するので聞いてあげて」
「いやちょっと……ここで!?」
「どうせ俺たちの前で言うことになるんだから、いいんじゃないか?」
後から入ってきたラティスはにやにや笑いながら腰掛けた。さあやれ、いまやれと言わんばかりだ。唖然としていたガセンとラッドも、なにやら面白いことが始まりそうだと、座り直してこちらを見ている。がんばってと飛んでくる声援は、ハーティーアからだ。
「くっ…………やればいいんでしょ、やれば!」
あたしは異世界からわざわざ呼ばれた回収係様――自己暗示をかけながら、ラティスの考えた科白を思い出しながら繰り返す。
「何のお芝居?」
「棒読みはよせ」
「もっと、気合いを入れないと」
「そうだねえ、もう少し、ゆっくり言ったらどうだい?」
次々と押し寄せるダメ出しに、さくらもつい、向きになる。
(これでどうだ!)
ありったけの演技力で吐き出した科白の結果は、つかの間の沈黙だった。
「なんというか」
「……あれだ、ほら」
「ちょっと違うというか」
言葉を濁す面々の中、ハーティーアがざっくりと言い切った。
「悪い人みたい」
さくらは膝をついた。
爆笑の渦の中、リンナーリシュがさくらの肩を叩く。
「しっかりして、練習すれば大丈夫!」
「え、まだやれって……」
もういいよねと逃げだそうにも、がっちりと腕が掴まれている。
清楚なメイド風のリンナーリシュは、気合いの人だった。
砦中を包む爆笑とダメ出しの後に、ようやくOKが出た頃には別の人格が生まれそうだった。
こうして支度が整い、出発となったのはケミッシからの使いが来てから四日目のことだった。




