魂
昔はよかったなぁ。
何も考えず、ただはしゃいだ。
そんなことを、古びた校舎を見ながらしみじみと思う。
それに比べ、今はただなんとなく生きてるだけ。楽しみ方も忘れた。
校門前、さすがにこの位置で止まっていると目立つ。
周りの生徒達が鬱陶しげに陽助を避けていく。
陽助が着ているものはいつもの制服。
学校側から制服を買うように要求されたが、ちょっと説得すると納得してくれた。どんな説得の仕方をしたのかは、彼とその説得された校長しか知らない。
咲は先に登校し、教室に行っていることだろう。
ふと、奇異なものを見るような目線を浴びせられていることに気付いた。
目を合わせると、誰もが目を逸らす。
気分が悪くなったので、さっさと校舎の中に入ることにした。
「今日、転入生がやってくる。」
朝のHRは担任の一言で始まった。
今まで煩かった教室が、さらに音量を増す。
「静かにしろ。では、入ってこい」
担任が廊下にいるだろう転校生に言うと、ドアがガラリと開く。
咲は、ぼーっとしながら視線の先を教室に入ってきた人物に向ける。
まだ知り合って少ししか経っていないが、心を完全に許せる相手。
「伊津陽助だ。自己紹介を頼む」
担任は、教壇の上に上がった陽助に言う。教室内が水を打ったかのように静まり返る。
「伊津陽助です。短い間、よろしくお願いします」
さっさと挨拶を済ませ、陽助が一礼して言葉を切る。
再び教室内が騒がしくなる。
「静かにしろ。伊津は、ご両親の都合で、短い間しかいられないらしい。もしかしたら、明日にでも転校するかもしれない。それまで、仲良くするように。では、HRを終わる。伊津、席は空いているところに適当に座れ。以上」
陽助に簡潔な指示を出すと、クラスの学級委員長が号令を出す。
両親の関係というのは、いろいろ事情があるんだろう。
また、後で聞こう。
遠くの席で女子に囲まれてる陽助を見ながらそう思った。
昼休み。
陽助は既に疲れ果てていた。
普段全然話すこともないし、そもそも人間と関わる機会が少ない。
陽助はぶっきらぼうに答えていただけだが、女子達は延々と質問を振っかけてきた。
親の仕事は何なのか、家はどこか、好きなものは何なのかなどなど。
前二つは適当に誤魔化し、あとの一つは、甘いものとはっきり答えた。
何か貰えるかもしれないから。
別に昼食など必要なかったが、気分だけでもと、咲が気を遣い、買ってきてくれた。
学校の屋上で、ソーセージの挟まったパンを食べる。
咲は、隣でフランスパンをムシャムシャと食べている。
久しぶりの食事は案外、おいしかった。
「ねえ、陽ちゃん。両親の都合って? 両親どこいるの?」
横に座った咲が聞いてくる。
陽助は口の中にあるパンを胃の中に押し込んでから、口を開く。
「ん、いないよ。聞いてくれないほうがありがたい。あれは口実。どうせ、僕はすぐここからいなくなることになるだろうし」
陽助が何気なく言った一言に、咲の表情は強ばる。
「なんで……いなくなっちゃうの?」
両親のことに関心を持たず、自分のほうへ来たのは驚いた。
確かに優先順位はこちらのほうが上だろうが。
それでも両親のことで一切動揺しているようには見えない。
それも、自分の錯覚だろうか。
「聞かないでくれるとありがたい」
手に残ったパンを一気に口に放り込む。
「知りたいの。教えて。両親のことは聞かないから」
今回は咲も追い縋ってくる。一応ちゃんと伝わっていたようだ。
少し息を吐いてから答える。
「僕は、魂の力をもう回復できないんだ。それがどういうことか分かる?」
もう答えに近かった。
いきなり慣れない言葉を聞いた咲は少し戸惑っている。
魂の力が回復することすら知らなかっただろう。だが、咲は答えを導いたのか、顔がどんどん暗くなっていく。
「……どうなるの?」
分かっているはずなのに、聞く。
信じたくないんだろう。
当たってる、その代わりに陽助の口から出た言葉は、
「さあね」
咲を突き飛ばす言葉だった。
分かっているのに、わざわざ再確認させる必要はない。
現実を見れば分かるさ、そう付け加えようとして、止めた。
目に涙を溜めて、必死にそれが溢れないように我慢している少女に言うのは、あまりにも残酷だったから。
自分のことを心配してくれるのはありがたいが、まあ、もうどうしようもない。
あの時から、変に納得してしまった。
咲に目が行かないように、空を見上げる。
青い空、雲、太陽が一気に目に入る。
眩しさに目を細め、それでも見続けた。
何か、おかしい。
この辺りの空間に、歪みを感じる。
「ちょっと中に入ってて」
「え?」
潤んだ瞳で咲は陽助を見る。
「早く」
「う、うん」
緊迫した声で陽助が言うと、咲はすぐにドアに向かって走って行った。
視線をその下に下げると、原因は分かった。
空間がグニャリと捻じ曲がり、一人の少女の姿が露になる。
昔、陽助が人間だった頃、よく一緒にいた友達だった。
唯一、信頼できた人だった。
「やあ、久しぶりだね。陽助」
彼女は、平然とそう言う。
「ああ、久しぶり」
陽助も、同じく顔に何の感情も込めずに言う。
「で、君は無理矢理連れて来られたの? それとも自分の意思?」
少女はクスリと笑い
「自分の意思だって言ったらどうする?」
と言って少しずつ陽助に近づいて来る。
こういう遊び癖があるのも、陽助は知っている。
「どっちにしろ、天に送るよ。何か言うことはある?」
陽助も、彼女に近寄っていく。
「やっぱり変わらないなぁ。千年も経ってるのに」
彼女は片手を伸ばし、陽助の頬に触れる。
「うん。大丈夫だね。君は負けない。私も、負けて欲しくない」
じっと、陽助はただ聞く。
「私も、君を倒そうなんて思わない。それじゃ、完全にあいつらの思うツボだからね。君も、私を消す気なんて、ないんだろう?」
軽く俯いて答える。
「うん、そうだよ。だから、もう……」
「分かった。じゃあ、さよならだね」
彼女はまた笑顔を作る。
その笑顔に何度癒されたかは、数知れない。
その笑顔も、見れなくなったが。
「嬉しかったよ」
陽助は、右手を彼女の右胸に当てた。
彼女は、この位置に心臓がある。
陽助が少し力を入れると、彼女は光となった。
光の花弁が飛び散り、地面に落ちて消えていく。
これをするにも魂の力は必要。これで二十日分。
盛大なため息を吐き、「何やってんだか」自分に聞く。
自分の命を削っても、何も感じない。
これは重症だった。ここまで来ると、もう治らないだろう。
死の恐怖さえ感じないのなら、生きている意味がない。
陽助はそう思っている。
「決着は明日になるかな」
その時に、司令官を殺す。
そうすれば、相手もやる気がなくなるだろう。全滅させてやりたかったが、少々骨が折れそうだった。
最近、陽助は咲の家で止まっている。
こっちの方が何だか落ち着くし、気持ちが良い、そう言っていたのを思い出す。
さすがに今日は、あまり会話が弾まない。いつも弾まないが。
陽助はソファーの足に体重を預け、俯いて目を瞑っている。
咲はソファーに座って何気なくテレビを見ていた。
いきなり消えると言われても、実感など湧くはずがなかった。
現に、陽助は今何も変わらず、この場で存在している。
それが明日にでも消えるかも知れないと言われ、話を呑み込める人などいるはずがない。
そんな状態に、咲は今なっているわけだが。
信用していないというわけじゃない、事実を否定しても無駄なことは分かっている。
それでも、認められない自分がいる。
もう、助けられないのだろうか。
そんな思考ばかりが頭を過ぎる。
最初は「助けられる」と思い込んでいたが、陽助に聞いても答えないし、インターネットで調べても出てくるはずがない。
やっぱり、どうしようもない。
夢だった、夢を見ていたと思えばいい、そう自分に言い聞かせた。
たかが一週間。すぐに忘れられる。
そもそも、何故こんなにも彼に執着しているのかが分からなかった。
もう、寝よう。テレビの電源を直接消す。
「もう、寝るよ。じゃあね。陽ちゃん」
「うん、おやすみ」
部屋の電気を消し、自分の部屋に向かった。
命は削れる。
残り、五十八日。




