第八話 パテルーシャ家 母の復活
次にウォレスが向かったのは、パテル自治区。
その中央に居を構えるパテルーシャ家だった。
まさに貴族の館といわんばかりの、豪華絢爛な、しかし時に控えめな、上品な調度品が館全体を飾っている。
パテルーシャ家のサテレス。それは二十台前半の、黒髪の、大志を抱く好青年であった。
ウォレスとサテレスは象牙と銀で縁取られたテーブルを囲み、お茶を飲む。
「あなたのリリオットでのお噂は、我々の観測者網を通じて、かねがねお聞きしております。ウォレス・ザ・ウィルレス殿。丘の上に住む、いや住んでいた、不老不死の魔法使い。いちはやくクックロビン卿の計画に気付いた者。教会に火を放とうとした公騎士団をあっさりと返り討ちにした男。ダザさんに一度殺されてなおよみがえった怪物。サルバーデル氏の仕組んだ『劇』の役者にして、いと古々しき武具『希望』の守り手」
「既になにもかもお見通しというわけかの?」
「いやそれでも私には分からないこともある。なぜあなただけが不老不死なのか。なぜあなたはヘレン教に属するのか。なぜそこまでリリオットを守ろうとするのか。聞きたいことは山ほどありますね」
「なんじゃ。そんな若さで不老不死について知りたいのか? 儂はたまたま魔力が上手い具合に突き抜けて『リッチー』になっただけじゃから、あまり参考にはならんぞ?」
「ヘレン教については?」
「ヘレン教を信じたふりをし、インカネーションに属することで、金と立場を得ていた。じゃが世間的には死んだので、それも終わった。いまでは『白の教師』ウォレス。ヘレン教の上層部≪受難の五日間≫からは、デスクワークに専念するようにとのお達しを受けておる。要するに左遷された身じゃ」
「なぜそこまでリリオットを守ろうとする?」
「若いものには分からんじゃろうが、まあ長いこと住んでると愛着も湧くもんじゃよ。儂にとっては、まあ、リリオット自体が盆栽みたいなもんじゃな」
「ふむ。嘘はついていないようだ」
「儂はあいにく、すぐバレる嘘はつかん主義でな」
サテレスはティーカップを脇にどけ、はしたなく身を乗り出す。
「さて、なんでもあなたは、死人をリビング・デッドにすることもできるとか?」
「まあ準備さえすれば出来ないことはないが……非道いぞアレは……かなり鬼畜……いや拷問……それ以上かも……」過去に自分でやったこととはいえ、一抹の後悔が無いわけでもないウォレス。
「どうか私を産んだ時に死んだ母を復活させて欲しい」
「ダメじゃ」
「なぜ!?」
「ダメなものはダメじゃ。儂は悪魔の代理人ではない。そういうくだらない願い事を引き受けていたらキリが無い」
「くだらない? 私の母の復活がくだらないと!?」
「ああ、くだらない。人は皆いつか死ぬ。全員仲良くおっ死んで、ヴァルハラでハッピーパラダイス。いつかヘレンが来たりしときは、天使がラッパを吹き鳴らす!!」ウォレスはヘレン教の教義を皮肉って要約してみせる。
「……すまない。誤解させてしまったようだ。そういう意味で言ったのではないのだ」
「ではどういう意味じゃ?」
「私は父の、実の息子ではないかもしれぬのだ。黒髪の私にはパテルーシャ家の相続権が無いとまで言われている。今の私の正体は、財産にたかる乞食だ。しらみだ。サテレス……私は『衛星』と名付けられた。だから私は母に問いたい。私は誰なのか! 私は何なのか!」
「つまらん」一刀両断するウォレス。
「お前と言う男を見損なっていたようじゃ。儂は帰る。黙って辞書のページでも見ておれ、ちびの小僧っ子よ」
ウォレスは席を立った。
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しばらくして。
ふと思い立ち、サテレスはウォレスの言うとおりにした。
母の死後、ずっとそのままにしてあった母の書斎の鍵を開ける。本棚を探し、古い辞書を取り出し、ページをめくる。ほどなくして見つかる衛星という単語。そこには――母の手によって――大きく丸印が描かれ、二箇所にしっかりとした傍線が引かれていた。手が震えるのを押さえつけ、サテレスはそれを心の内に読み上げる。
「楕円軌道」
「すなわち美しい卵の形」
サテレスはウォレスに言われたとおり、黙って辞書のページを見て、ひとり泣き崩れた。
そうして袖で涙をしっかり拭って立ち上がったとき、そこにいたのは以前のサテレスではなかった。
「私は『楕円軌道の』サテレス……私は『卵の』サテレス」
いま確かに子供から大人になった青年が、そこには立っていた。