第四話 レッド・ドラゴンの噂
大量の丸太のコロを敷いた道を、骨と化したベヒモスは移動して行く。
ほぼ骨だけになっているとはいえ、ベヒモスの巨大な死骸の運搬には、かなりの手間がかかった。公騎士団の力だけでは到底足りずに、リソースガードの底辺連中までもが借り出された。
腐肉は臭気を放つ。臭気は魔物を呼ぶ。手間ではあるが、ベヒモスの死体は人の手で処分せねばならなかった。
なぜベヒモスがそこに居たのか、知るものは少ない。なぜレッド・ドラゴンがそこにいたのかを知るものは、なおさら少ない。
盗賊のロビンは、魔法使いリュート、剣士アートルムと共に、レッド・ドラゴンに遭遇したという噂話を酒場で繰り広げていた。じっと隠れて災厄が過ぎ去るのを待っていたという事実はどこへやら。酒の席では、レッド・ドラゴンはロビンのナイフに恐れをなして逃げ去ったことになっている。
「そこで俺は言ってやったのさ『死にたくなけりゃあ巣に帰るんだな』って!」「ははは馬鹿を言え! 竜に人の言葉が分かるものか!」「誰だって分かるさ! もうすぐ自分が殺されるってことぐらいな!」「わははは」「まあ実際のところがどうだかはわからんが、レッド・ドラゴンに出会って帰ってきた奴がいるってのは目出度いことだ!」「乾杯しようじゃないか!」「乾杯!」「乾杯!」
ウォレスは野暮な真似をせずに、そのまま酒場でロビンの語るがままにさせておいた。
そこに、異物が混入する。ざわざわとした喧騒が広がる。
完全武装した公騎士団の集団が現れて、たちまちロビンを取り囲んだ。その紋章はパテルーシャ家直属の証である。
「何だ!? お、俺は何もしてないぞ!」腕を掴まれ、うろたえるロビン。
「おい、正直に答えろ。レッド・ドラゴンを見たというのは本当か?」公騎士団の問いは冗談のそれではない。
「あ、ああ。西の平原であのベヒモスを食ってたんだ。絶対に確実だ。一体他の誰にベヒモスを食うなんてことができる?」
「くそ!! なんてこった……最悪だ。あの平原の周辺一帯には農場がある。一度血の味を覚えれば何度でもやってくるぞ!!」
その言葉は、酒場の温度を一気に凍りつかせるに十分だった。
「西の城壁は?」「万全です」「では、西の第二城壁と砦は?」「西側第二城壁はここ数十年ほど修繕中のままです。西側砦からは特に狼煙などは上がっていません」「人をやって見に行かせろ! すぐにだ!」言われて、伝令が走る。
「な、何が始まるんだ?」ロビンが尋ねる。
「決まっているだろう。ドラゴンが現れた。恐るべきドラゴンが現れたんだぞ。始まるのは『ドラゴン狩り』だ!! 奴が死ぬか、グラウフラルが死ぬかだ!!」
その大音声を聞いて「何を大げさな」という言葉は、ロビンの喉の奥に引っ込んだ。
魔法使いリュート、剣士アートルムが青ざめる。
矢も剣も通さぬ、千の鱗の鎧を持つレッド・ドラゴン。
十数匹の我が子のようなドレイクたちを引き連れ、空を飛ぶ要塞。
炎と死を振りまく息。放たれる雷光。
全てを切り裂く鋭い爪。
どんなものでも噛み千切る顎。
何度でも生え変わるという刃のような歯。
およそ満足というものを知らない貪欲なる胃袋。
神の作り出した獣、ベヒモスをも殺す邪知暴虐の王。
ロビンの中に、忘れていた恐怖がよみがえってゆく。
「かくして宴はたけなわに至り、英雄は杯を飲み干した!」ウォレスが戯曲「嘘吐きオッティア」の中の台詞を叫んだ。
酒場は静まり返り、応える者は誰もいなかった。