その3
稲の切り株がどこまでも整然と並ぶ。あぜ道の土は、今日は固く凍てついている。旭は、田んぼの中にぽつんとある塗りの禿げた小さな鳥居を潜った。常緑樹の濃い葉が空を覆い、昼なのに暗い。そこここで、小さなあやかしたちが息を潜めている。鳥居の正面に、小さなお社と、それを守るおきつね様が二対あるだけの、ささやかな空間だ。身体がほんの少し、軽くなる気がした。地脈の力だろうか。祀られている神様の力だろうか。
お社に手を合わせた。瞼を閉じて祈る。そして、お社を守るお狐様に手を触れる。
冷たい。冷たくて、硬い。
「焔、ごめん」
石のおきつね様に額を押し当てた。太陽のにおいはしなかった。変わりになにかが焦げるにおいがした。
焦げて、落ちる。そして残ったものが腐っていく、そんなにおいだ。旭は隠し本を開いた。鳴瀬が変わらぬ姿で笑む。春のにおいが、背後から押し寄せる悪臭にかき消されていく。くちびるを強く結び、ゆっくりと振り向いた。
「鳴瀬サマヲカエセ」
「返すよ」
旭が本を掲げた。地からふくれ出た闇の影が、ぶくらぶくらと揺らめく。闇の馬が、旭の広げた本を恐れるように、ずるりと後退する。
「どうしたの? 鳴瀬さまに会いたかったんでしょ。ここにいるよ」
「オオオオオ」
地響きのような声が漏れる。蹄がじりじりと伸びてくる。本に触れる前でびくりと留まる。触れることを躊躇っているようだ。
「鳴瀬サマ。鳴瀬サマ。ナルセ。ナルセ」
泣き声のように聞こえる。
「今、鳴瀬さまを出してあげる」
旭の指が鳴瀬に触れる。
「ヤメロォォ」
黒い闇が伸び、旭の手を掴む。ものすごい力で腕を引かれ、身体ごと引きずられた。掴まれたところが熱い。皮膚がぴりぴりと引き攣る。
「離せ」
「ダメダァァ」
「なんで嫌がるの? 会いたいっていったじゃないか」
「会エナイ」
どんっと地の底から音がした。旭の身体が硬く凍てついた地面へと叩きつけられた。声を出す間もなく、闇に飲み込まれていた。
(第八章その4へ続く)