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2nd Mission ディアレスト  作者: 時幸空
第七章
15/21

その4

『妖怪、物の怪、あやかし。呼び方はいろいろあるが、それらはこの世界に確かに存在する。動植物よりは人に近いため、昔から人との接触は途絶えなかった。全国各地に多くの神話や逸話があるが、たいていのものは真実を伝えているといわれる。

 人と妖怪の違いは、その生まれ方である。人間は人間から生まれるが、妖怪は妖怪から生まれない。光や闇、水、風、土、火、植物、動物、あるいは人の作った物から生まれる。生まれたときから妖怪だったものや、なにかが変化して妖怪になったもの、神や人が妖怪になったものなど、その成り立ちは多数ある。種族によって生活習慣や価値観が大きく違うため、相容れない種族も多い。

 人の知る妖怪の名前は、種族全体を示す総称である。妖怪は個体名も持っているが、妖怪にとって名は、その妖怪そのものを縛る力があるため、隠すのが常識といわれる。』


 妖怪事典はそんな風に始まっていた。

 ナルセサマというのが総称ならば、この事典に載っているはずだ。黄ばんだページを繰り、妖怪名リストから探す。

「あった。鳴る瀬って書くのか」


『水から生まれし妖怪。清流に住み、せせらぎを生み出す。女人の姿をしている。水面を舞うように歩く。地中の水源へと潜り、別の水源へと渡り歩くこともできる。鳴瀬の訪れる水源は、人間の世界のものによって汚染されない。いつまでも美しい流れを生むことから、東北のある地方では水神さまとして崇められている。微笑む姿に、人は惑わされ、水辺へと誘い込まれる。近づいた人間の魂を食する。触れられた人間は、魂が抜け、自分で歩くことも、しゃべることもできないなど、抜け殻となってしまう。』


「あの人だ」

 旭の脳裏に桜の花びらが音もなく舞う。薄桃色の着物、長い髪、そして笑まう姿。

 夢で見たあの人が鳴瀬だ。

 鳴瀬を捜していたあの闇の妖怪はなんだろう。名前もわからない。わかっているのは、あの闇を混じり合ったような馬の姿形だけだ。

 分厚い事典をめくる。かじかんだ指は、思うように動かない。それでも索引を追い、情報をもとめ、じりじりとページを探した。

 

『妖怪の姿形は変化する。強い思念により、変わる、あるいは変えることができる。力が強ければ、人などに化け、人と同じように生活することもできる。恨み、妬み、憎しみに囚われると、闇と化す。元の形をなくし、正常な心を忘れ、妖怪の中でも異形のものとなる。永遠に光と闇の間を彷徨う。闇の異形に触れられると、触れられたものも闇に変化する。それを留めるには』


「旭?」

 床を軋む音と声にぎくりとした。慌てて本を閉じる。太郎が立っていた。悪さしているところをみられたようで、居心地が悪い。瞬きをする。

「ちょっと事典、読んでたんだ」

「そんなとこで読んでたら寒いよ。居間で読めばいいのに」

「もう終わったから。それより、お父さんは寝てなくていいの?」

 寝間着の上に、セーターとちゃんちゃんこを重ね着し、首にはマフラーを巻いている。細い身体がもこもこに膨れあがっているが、顔色は悪くない。

「だいぶ楽になったよ。三井さんの薬が効いたんだね。熊鞍さんのお鍋もおいしかったし。それから、なにより、旭が来てくれたからね、元気が出てきたよ」

 笑顔とともに繰り出される父の言葉が、旭の中のどこかを引っ掻く。

「焔は?」

 思わず問うていた。父が意図的に、焔の名を外したような気がしたのだ。

 焔は、ぼくよりも父のことを知っている。この店にも何度も来たことがある。父は焔を待っていたんじゃないんだろうか。本当は、焔に来て貰いたかったんじゃないんだろうか。なぜだかそっちへいってしまう。父の言葉を疑っているのではない。けれど、どうしようもなく、流れてしまうのだ。

「焔?」

 太郎が聞き返す。

「ぼくよりも、焔の方が嬉しかった? 店番できるし、料理だってできるし」

 なんだこれ。

 くちにして、初めて気づいた。嫉妬丸出しの、子どもの我が儘だ。なにいってんだ。恥ずかしい。事典を抱きしめて、俯いた。

「焔から、ぼくのこと、聞いたの?」

 父が問う。

「・・・ちょっとだけ・・・でも聞かなくてもわかるよ。焔は、お父さんにだけは敬語使うし、いつもは料理なんてしたことないのに、ここでは別人みたいに働くし」

「旭は焔が大好きなんだねえ」

「は? なんでそうなるの?」

 思わず顔をあげた。

「旭の知らない焔をみて、淋しくなっちゃったんでしょう?」

 旭の頬に朱が散る。太郎の手が旭の頭をそっと撫でた。焔の手は、くしゃくしゃと旭の髪をかき回すように動くのに、父はそっと触れるだけだ。焔に触れられてもなんともないのに、焔ほど大きくない父の手は、なぜだかむずむずした。

 耳が痛くなるほど静かすぎる空気と、慣れない古書のにおいの中で、旭は小さく身じろぎした。家の奥で、がたがたとガラス戸の開く音がする。焔が風呂から上がったのだろう。

「あのね、旭」

 太郎がちょっとだけかがみ込んで、旭の目線に降りてくる。

「焔はね、ずっと誰かを捜してるんだ」

「探してる? 誰を?」

「ぼくじゃなかったみたいだけどね」

 そういって、太郎はふふっと笑った。

「あっ! こら! そんなとこで、なにしてんだ!」

 店へと続くふすまが、ばしんと開いた。タオルで頭を拭きながら、湯上がりの焔が立っていた。またお父さんが怒られるんだろう。そう思っていたけれど、違った。焔が旭の腕を掴み、引き寄せる。

「こっちこい」

「え?」

 焔は、自分の来ていたフリースを脱ぎ、その中に旭を包み込む。両腕の中に閉じこめて、旭の腕やら背中やらをさすってくる。焔の顔を見上げた。紫の色が濃い。本気で怒っている証拠だ。父の顔をみた。こっちは笑っていた。

「ああ、もう。こんなに冷たくなって。風邪引いても、知らねえぞ。すぐに温かいミルク用意するからな。それとも、もう一回、風呂はいるか?」

 焔に抱えられたまま、店から奥の部屋へと引きずられていく。

 店番の台に上がったところで、焔が太郎を振り返る。

「それから、太郎さんもちょっと良くなったからって、こんなとこにいないでください。太郎さんが風邪引くのは、太郎さんの不摂生のせいだけど、旭まで巻き込むのはやめて欲しいですね」

「はいはい」

 太郎がふふっと笑う。

「なんですか、その笑いは」

「あいかわらず、うちの息子にべったりだね。ちょっと妬けちゃうな」

 え?

 旭は思わず、焔の顔をみた。本気で困った顔をしている。

「なにいってんスか、もー・・・」

「ねえ、焔。そんなに旭が好きなら、うちの息子の嫁に来ない?」

「・・・太郎さん、まだ熱あるんですね。ぶっとい注射して貰ったほうがいいみたいっスね。明日、医者行きましょう」

「えー、やだやだ。ぜったい行かないからね」

「太郎さん、あんたいくつですか」

「お父さん・・・」

 そのあとの父はすごかった。

 にこにこと笑顔のままで、風邪とその治療方法について、いかに医者から処方される薬が役に立たないかを、実証例を織り交ぜながら、語り尽くした。父の本当の姿を垣間見た気がした。


「旭はもう寝ろ。おまえまで風邪を引く」

 ようやく太郎を布団に追いやった焔が、旭の頭をくしゃりと撫でる。

「風邪ひかないおまじないが効いてるんじゃないの?」

「それは、太郎さんのが移らないようにだ。自分で引く風邪の面倒までみれるか」

「なんだ、そうなんだ。どうせなら、絶対引かないおまじないとかしてくれればいのに。なんか中途半端だね」

「なんだと!」

 焔の手が、旭の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。

 あったかい。

 焔から伝わる体温は、心へと流れ込み、冷たくなった手足を温めていく。ぶっきらぼうに差し出されたホットミルクは、ほんのり甘くて、涙が出そうになった。

 焔の手は、ぼくを満たす。もしこの手を失うことがあれば、自分は闇と成り果てるだろう。ぼくはぼくのすべてを忘れ、形を崩し、地の果てまで焔を探して、彷徨い歩くだろう。

 焔なら、どうするだろうか。

 誰かを捜しているのだと、父はいった。誰を捜しているのだろう。どのくらい探し続けているのだろう。あとどのくらい、探し続けるのだろう。

「旭、どうした?」

「なんでもないよ」

「顔色、あんまりよくないな。ほんとに風邪ひいたんじゃないだろうな」

 焔の手が伸びて、旭の額に触れる。

「熱はないか」

「引いてないよ。おまじないが効いてるはずだからね」

「イヤミか、それ」

 笑い声が室内の温度を上げる。暖かい。なんでもない会話だけで、暖かくなる。ここを離れたくない。焔が作り出すこの空間を、手放したくない。

「もう寝ろ」

 焔が部屋の灯りを消す。

「焔は?」

「まだ仕事が残ってんだよ。太郎さん仕事溜めててさ」

「だめな父ですみません」

「いえいえ」

「じゃあ、おやすみ」

「おやすみ。また明日」

 また明日。

 焔の口癖だ。いつもの挨拶を受け取って、布団の中へと潜り込む。

 さっきから背中はまた痛みを増していた。熱を持つ。

 闇に触れられたものは、闇になる。闇は死だ。

 違う。死の方がまだましだ。死ねばそこで終わる。闇に終わりはない。

『それを留めるためには、自分に闇を与えたものを、消すしかない。』

 妖怪事典の最後の一文が、幾度も旭の頭の中を通り過ぎた。

 消さなければ闇になる。ぼくは、ぼくのままでありたい。家族を、焔を、なくしたくない。そのためには、異形と成り果てたあの魂を、消去しなければならない。助けたいと思ったあの闇を、自分がこの手で処すのだ。それしか自分に残された道はない。

 できるのか。自分にできるのか。

 背はじりじりと痛む。旭は無理矢理、瞼を閉じた。隣の部屋から焔の打つキーボードの音が溢れてきた。どこか遠いところで、犬のような遠吠えが聞こえた。


(第八章その1へ続く)

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