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クンツァイト  作者: 七海
<並縫い>
9/22

9.ダリア

 

 私と楓さんは、ドラッグストアに寄って飲み物やお菓子を買った。

 

 

 あと、栄養ドリンクと解熱鎮痛剤も。

 

 

 その買い物袋を私が持とうとすると、楓は私の手からそれを優しく奪った。

 

 

「女の子が重たいモノ持っちゃ駄目だよ」

 

 

 そう言って、私の自転車の篭の上にのせた。

 

 

 それは、彼が持ったことになるのだろうか。

 

 

 それとも、私が持ったことになるのだろうか。

 

 

 とりあえず、私は笑った。

 

 

 暫く無言で歩き続け、気がつくと目の前には、一ノ瀬家が着いた。

 

 

 何故、此処に私がいるかというと、一ノ瀬透のお見舞いに来たのだ。

 

 

 私は奴が嫌いなのに、何故かって?

 

 

 それはもう、私の隣の人物の弛んだ顔を見ればわかるだろう。

 

 

「透も、きっと喜ぶよ」

 

 

 口元を弛ませて、楓は私を家の中へ導いた。

 

 

 いや、なんで奴が喜ぶんだ。

 

 

 私は此処に、無理矢理連れて来られたのだが…。

 

 

 私は広いキッチンに入り、さっき買ったモノたちを並べた。

 

 

「楓さん、冷蔵庫の中身使っていいですか?」

 

 

 既に、開け放たれた冷蔵庫から顔を上げると、楓はにっこり笑って頷いた。

 

 

 お菓子と飲み物やらを中に整頓された冷蔵庫の中に押し込むと、私は野菜室をあけて、薩摩芋と葱を取り出して切り始めた。

 

 

「何作るの?」

 

 

 楓は、オープンキッチンの向こうから、嬉しそうに此方を見ている。

 

 

「ただのお粥ですよ。私、大したもの作れないんで」

 

 

「作れってくれるだけ嬉しいよ」

 

 

 私は曖昧に返事をして、料理に集中した。

 

 

 鍋に火を点けて切った薩摩芋と冷ご飯とミネラルウォーターを入れて煮込んでいたら、後ろから誰かに抱き締られた。

 

 

 びっくりして振り向くと、楓がニヤニヤと締まりのない顔をしていた。

 

 

「きっと、良い奥さんになるよ。雫ちゃん」

 

 

「何言ってるの、楓さん。私は誰とも結婚なんてしませんよ」

 

 

 私はムッとして、楓を睨んだ。

 

 

 知ってるくせに、私が誰もスキになんてならないコト。

 

 

 階段から、ガタゴト降りてくる音がして、リビングのドアに顔を火照らした一ノ瀬透が入って来た。

 

 

 ひどく顔色が悪く、咽こみながら、壁に凭れていた。

 

 

「ゴホッ…ゴホッ!…雫、来てたのか」

 

 

 ヤジロベエのように大きくグラついた身体を、私は急いで駆け寄って抱き止めた。

 

 

 額に手を当てると、燃えるように熱かった。

 

 

「一ノ瀬君、酷い熱だよ」

 

 

 私は青い顔をして、透を見ると、透はゆっくり頷いた。

 

 

「ほら、上に上がって寝てな」

 

 

 楓は透の肩に手を回すと、奴を二階へと運んで行った。

 

 

 私は何故だか、奴のコトが心配だった。

 

 

 すっかり冷えてしまったお粥を前にして、私は小さく蹲っていた。

 

 

「雫ちゃん、もう帰る?送っていくよ」

 

 

 窓の外を見ると、すっかり闇に溶け込んだ群青色の空が見えた。

 

 

 私は力なく首を振った。

 

 

「透が心配?」

 

 

 私は顔を上げて、楓を見た。

 

 

 瞳には心配そうな顔をする私がゆらゆらと揺れながら映っていた。私は首を振った。

 

 

「だいぶ熱、下がったんだよ。病院に連れて行こうとしたけど、いいっていうからさ。頑固なんだから」

 

 

 楓は腕を組んでムスッとした顔をした。緊張が少しほどけて、私は立ち上がった。

 

 

「もう、帰ります」

 

 

 そう言おうとしたのに、彼は薬箱を開けて仰天した顔をしたから、私も驚いてそれを覗き込んだ。

 

 

「どうしたんですか?」

 

 

「薬が全然ないんだよ。おかしいなぁ、最近買ったばっかりなのに」

 

 

 楓は首を捻って、棚やら机の上やらを漁り出した。

 

 

「それなら、さっき買った解熱鎮痛剤が…」

 

 

 手を伸ばして、キッチンの上を見たが其処には何も無かった。

 

 

「あれ…、さっきまで此処にあったのに…」

 

 

 私も首を捻って、楓を見た。

 

 

 既に楓は、財布を持って外に向かうところだったので、私は焦って玄関まで追いかけた。

 

 

「何処行くんですか、楓さん」

 

 

 冗談じゃない。他人の家で、留守番なんて。

 

 

 しかし、楓が玄関のドアを開いたとき、凄まじい勢いで家の中に風雨が駆け込んで来た。

 

 

 私は目を見開いた。

 

 

 群青色だったはずの空は、暗黒色になっていて、暗い大きな雲が辺りを包んでいた。

 

 

「こりゃ、嵐が来るかもね」

 

 

 楓はそう言うと、カッパを着込み、傘を差すと、外へと走り出した。

 

 

「え!?楓さん、嵐ですよ!」

 

 

 私は彼の背中に叫んだ。

 

 

 風が楓の傘を逆立てて、雨が凶暴かつ容赦なく当たり一面を叩きつけていた。

 

 

 こんな中で外に出るなんて、命知らずもいいところだ。

 

 

「弟が風邪なんだ。兄貴がしっかりしなきゃ駄目だろ?薬、買って来るよ。すぐに、戻るから。透よろしくっ!」

 

 

 彼は勇敢にも立ち止まって、それだけ言うと、闇の中に消えて行った。

 

 

「!?」

 

 

 私は暫く放心して、楓が消えた闇の中を見ていた。

 

 

 どうしよう。楓は戻って来るって言った。透をよろしくって。

 

 

 私が奴の面倒を見なければ、楓さんはきっと悲しむだろう。

 

 

 私はゆっくりドアを閉めると、キッチンに向かった。

 

 

 恐る恐るテレビのリモコンのスイッチを入れてニュースを見ると、どうやら台風9号が接近しているらしかった。

 

 

 今頃、海の辺りはひどいことになっているだろう。

 

 

 しかし、有難いことに、津波警報も強風注意報も出てはいなかった。

 

 

 楓が無事に帰ってくるといいのだが。

 

 

 いくらなんでも、此処まで来たら、私でさえ心配する。

 

 

 ヒトの心が通っていれば、当然なのだろうが…。

 

 

 重たい腰を上げて、冷えたお粥を温め、お盆の上に水とそれを乗せた。

 

 

 カタカタと揺れるそれを押さえて、私は二階へと上がって行った。

 

 

 長い回廊は薄暗く、ヒトの気配がない上に、えらく不気味だった。

 

 

 一番の原因は、窓からの何の光も得られないという演出のせいかもしれない。

 

 

 部屋が一杯あって、どれが透の部屋なのか分からなかった。

 

 

 私は一つずつノックして、ドアを開けた。

 

 

 五つめのドアを開けると、ベッドの上がこんもり膨み、そこだけ温かな光が差していた。

 

 

 私は、ベッドに近づいてベッドライトの横にお盆を置いた。

 

 

 ベッドの上には、スーと寝息を立てて寝ている一ノ瀬透がいた。

 

 

 結構気合を入れて此処まで来たのに、意外に拍子抜けだった、と私は思った。

 

 

「寝顔は、天使みたいなのに…」

 

 

 厭味なほど健やかな額にデコピンをお見舞いすると、長い睫毛が小刻みに揺れ、透はうっと呻いて、身を捩らせた。

 

 

「此処に置いとくから。起きたら食べて…冷めない内に」

 

 

 私は立ち上がって、身を翻した。

 

 

 役目は果たしたのだから、後は下で待ってればいいだろう。

 

 

 しかし、突然腕を引かれ、身体が傾いて気づけば透の上に跨がっていた。

 

 

「ねぇ、食べさせてよ」

 

 

「起きてたの?いつから」

 

 

「最初から」

 

 

 黒い暗黒色の瞳に映った自分自身を私は睨んだ。

 

 

 甘かった。

 

 

 こんなことで、奴が、私を解放するハズなんてないのに。

 

 

 やっぱりコイツは嫌な奴だ。

 

 

 でも、楓さんはコイツの面倒を見ろって言った。

 

 

 脳内会議を早々終えて仕方なく、私は彼の上を下りて、ベッドの端に座った。

 

 

 あーぁ、なんで私、こんなことしてるんだろう。

 

 

 熱いお粥を口でフーと冷まして、透の口元に持っていくと奴は上体を起こして悪戯に口角を上げた。

 

 

「口移しがいいな」

 

 

「絶対、ヤダ!」

 

 

 私が睨むと奴は何かの呪文のように呪いの言葉をかけた。

 

 

「俺のことヨロシクって兄貴に俺のコト頼まれたんでしょ?」

 

 

 様子を窺うような目が向いて、私はギョッと奴を見た。

 

 

「なんで知ってんの?」

 

 

「あんなにでっかい声なら、聞こえるって」

 

 

 奴は汗で張り付いた髪を掻き上げた。頬が赤く上気してる。私は彼の額に手を寄せた。

 

 

「熱いよ。キツイ?」

 

 

 透はコクリと頷いた。口移しなんてしたら、風邪が移るんじゃないだろか。

 

 

「どうしても?」

 

 

「うん、どうしても」

 

 

 彼があんまりせがむので、私は口の中にお粥を含むと彼の唇を覆った。

 

 

 すると、ぬるりとした艶かしいモノが私の中に侵入してきて、私は彼の胸を押した。

 

 

 

「ん゛!ン゛ン゛ー!」

 

 

 お粥はもうないってば。

 

 

 私は奴の胸を強く叩いた。

 

 

 私を力強く掴む腕はビクともしなくて、そのまま腕を引かれてベッドに転がされた。

 

 

 奴は私を上から見ていた。私は幾分荒い息を上げながら、奴を睨んだ。

 

 

「ねぇ、もう好きになった?」

 

 

 奴はそう言って、顔を近づけて来た。

 

 

 恐ろしくなって、枕を押し付けようと掴んだら、枕の下になんと、あんなに探しても無かった薬の山があるではないか。

 

 

 一瞬、驚愕して言葉が出なかった。

 

 

 しかし、沸々と込み上げてきた怒りで、私は奴を怒りを込めて睨みつけた。

 

 

「何で、コレが此処にあるの!?」

 

 

 私は、透の鼻先にさっき買ったはずの解熱鎮痛剤を突きつけた。

 

 

「さぁ、なんでだろう?」

 

 

 此処まで来てしらばっくれるなんて一体どんな神経してるんだろう?

 

 

「楓さんは、アンタの為に嵐の中で薬を買いに言ったんだよ!?」

 

 

 私は、グシャリとその箱を握りしめた。

 

 

 なんて、酷い奴。

 

 

「だって、雫がずっと兄貴といるから…」

 

 

 私は透の行動に一瞬、怒りも忘れて、透を見た。

 

 

 なんで、アンタが泣きそうな顔してんのよ。泣きたいのは、コッチなのに。

 

 

「私、一ノ瀬君のコト、心配してたのにっ!」

 

 

「…うん」

 

 

 透は頷いた。私の瞳から怒りからか、ボロボロと涙が零れ落ちた。

 

 

「楓さんも貴方のコト、すごく、凄く心配してたのにっ」

 

 

 私は顔を歪ませて透を睨んだ。

 

 

 最早、言い訳の余地もないのか、透はただ、私の言葉に頷いていた。

 

 

「…うん」

 

 

 奴を無性に殴りたくなった。

 

 

 だけど、ソレを必死で堪えていた。

 

 

 しかし、透の次の言葉で、怒りが頂点に達し、私の中で何かが、音を立てて切れた。

 

 

「雫、俺が好きだって言ってよ」

 

 

 私は、透の頬をありったけの力を込めて殴った。

 

 

 バシンッと乾いた音が異様に部屋に響いた。

 

 

 奴は冷たい瞳で私を見ていた。

 

 

 だけど、その頬は真っ赤に腫れ上がっていた。

 

 

「アンタなんか…アンタなんか…アンタなんか、大ッ嫌いよっ!!」

 

 

 私は透に怒鳴りつけると、部屋を出て、階段を駆け降りた。

 

 

 一瞬、垣間見た透の表情はえらくショックを受けたかのように見えたが、それどころではなかった。

 

 

 リビングルームに置いてあった自分の鞄を乱暴に掴んだとき、私は足から崩れ落ちた。

 

 

 身体中を煮えたぎるような怒りが渦巻いていたのだが、足を止めた瞬間、鎮火されたように、燻り始め、やがて雨が降り始めた。

 

 

 涙が小雨のまま、静かに私の制服のスカートを濡らした。

 

 

 私は拳を固く握りしめていた。

 

 

 透を殴った右手がまだジンジンして痛かった。

 

 

 私はその手を掴んで恐怖に震えながら見つめた。

 

 

 殴ってしまった。

 

 

 父さんのように、私はカレを殴ってしまった。

 

 

 ズシン、と重いその事実が重く圧し掛かり、身動きがとれないように身体が重かった。

 

 

 涙が止めどなく溢れて出し、私はポケットからライラック・ピンクのネックレスを取り出した。

 

 

「ごめん…ごめん…なさいっ…ヒクッ…ヒクッ…ごめん…なさ…」

 

 

 私は何度も何度も、誰かに向かって謝った。

 

 

 その懺悔を一体、誰に聞いて欲しかったんだろう。

 

 

 床が軋む音がして、私は顔を上げた。

 

 

 其処には驚いた表情の楓が立っていた。

 

 

 足元がビッショリ濡れて、片手に持った白いビニール袋から、たった今、帰って来たのだろう。

 

 

 彼はショックを受けた表情から、なんとも言えないような複雑な顔に変わった。

 

 

 ゆっくり近づいて、そっと私を包み込んだ。

 

 

 まるで、壊れ物を扱うように、やんわりと細い腕が、私を囲っていた。

 

 

 こごえるよな寒さの中で、温かいひとつのガスランプがやって来たように、肌に熱が伝わった。

 

 

「ごめんね、遅くなって。怖かったの?」

 

 

 まるで海の中にいるような気分になり、私は彼にしがみついて何度も何度も頷いた。

 

 

 彼は嗚咽を漏らしながら、涙でぐちゃぐちゃになった私の唇に顔を押しつけると、熱い熱いキスをした。

 

 

 私は、そのまま彼に身を委ねた。

 

 

 


ダリアは秋の花。花言葉は、(不安定・気まぐれ)です。

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