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クンツァイト  作者: 七海
<並縫い>
8/22

8.アカイロ

 

 放課後になって、楓が私のもとにやって来た。ふと、教室の端を見たが、そこに奴はいなかった。

 

 

「雫ちゃん、帰ろうか」

 

 

 楓は顔を綻ばせると、私の左手を掴んで、歩き出した。視界に邦彦が入った。

 

 

「雫ちゃん、コレ一ノ瀬君に渡してくれる?」

 

 

 邦彦はプリントを数枚握りしめていた。楓を見て、少しビクついていたが、私と目が会うと引き攣った笑みを浮かべた。

 

 

 私は首を捻った。

 

 

「え、どうして?」

 

 

「一ノ瀬君、体調悪いって帰っちゃって…。雫ちゃん、いつも一緒に帰ってるでしょ?」

 

 

 私の頬はヒクッと震えた。

 

 

 一ノ瀬透、お前のせいで変な誤解をされそうだよ。

 

 

 楓は、それを邦彦の手からゆっくり引き抜いた。

 

 

「いいよ、俺が渡しとく。一応、兄貴だから」

 

 

「ねっ」、と私に同意を求めたが、そう言われても頷くしかなかった。

 

 

 一体、このヒトは何がしたいんだろうか。

 

 

 もうとっくに怪我は治ってしまったのに、楓は毎日私のもとにやって来て…。

 

 

 透と一緒に私の送り迎えをした。

 

 

 潮の匂いがして私は顔を上げた。

 

 

 気づけば、今年の夏に通っていた海の家の近くだった。

 

 

 楓は、私の手を引くと、灯台がある出っ張った埠頭まで連れていき、自転車を止めて、乾いたテトラポットの上に座った。

 

 

「んー気持ちいい!雫ちゃんも、此方に来て座りなよ」

 

 

 潮風に揺れて楓の髪がサラサラ揺れた。

 

 

 そして、心地よさそうに目を閉じて伸びてから、灰色の地面をポンポン叩いた。

 

 

 私は頷くと、膝を抱えて其処に座った。

 

 

 潮がテトラポットの下にぶつっかて弾けては、それを繰り返している。

 

 

 カモメが鴉のような鳴き声で灯台の周りをくるくる回って、小さなカニが足元を這い、触覚に人感センサーがあるのか、フナムシたちは、ウジャウジャと岩陰に隠れて入った。

 

 

 私は遠くを見つめ、海の静寂しじまに耳を傾けた。

 

 

 久しぶりの海だった。

 

 

 この頃は、楓と透が私にベッタリ貼り付いて、私に自由がなかったから。

 

 

 大きく息を吐き、海の匂いを鼻一杯吸い込んだ。

 

 

 途端、私の中を海が駆け巡り、私はその身体を握りしめた。

 

 

 父さんの墓参りに行きたいな…。

 

 

 楓はそんな私の背を撫でた。

 

 

 私はビクリと跳ね上がり、驚いて楓を見た。

 

 

「雫ちゃんは、海が好きなんだね」

 

 

 私は目を見開いた。

 

 

 そう、私は海がスキだ。

 

 

 心の底から、海と同化したいと望んでいる。

 

 

「楓さんも…海、スキですか?」

 

 

 楓はくしゃっと笑った。

 

 

「うん。スキだよ。海も雫ちゃんのコトも」

 

 

 私はドクドクなる胸を抑えながら、楓を見ていた。

 

 

 楓の瞳は、狂気と憂いを孕んでいて、テトラポットに片手を着き、私の頬をゆっくりなぞった。

 

 

 頬を冷たい潮風と、それを撫でる楓の手からぬくもりが感じられた。

 

 

 私は呆けて楓を見ていたが、彼の目は、私の知らない男のヒトの顔だった。

 

 

「雫ちゃん、俺と付き合わない?」

 

 

 彼はそう言うと、私の手にその手を重ねて、至極真面目な表情をしていた。

 

 

「楓さん…冗談言わないでください…」

 

 

 眉を寄せて、睨んだが、私の身体は震えていた。

 

 

 いつも優しい楓が違うヒトに思えた。

 

 

 走って逃げ出したくなる衝動に駆られたのだが、彼は只、それを見つめていて、それから海に向き直ると、言葉を紡ぎ始めた。

 

 

「雫ちゃんは、男のヒトが嫌いだよね…。俺も嫌いなんだ」

 

 

 楓は寂しげに笑った。

 

 

「…嫌い?」

 

 

「うん。雫ちゃんは俺のコト嫌いじゃないでしょ?」

 

 

 私はゆっくり頷いた。

 

 

 楓は優しくて、くしゃっと笑う笑顔が、私は好きだった。

 

 

「透のコトは、何とも思ってないんでしょ?」

 

 

 私はまた頷いた。

 

 

 私は奴が嫌いだ。だって、私の世界に無理矢理侵入してくるから。

 

 

「…そして、君は俺に似ている。男のヒトが嫌いなら、徐々に慣れていくべきだよ」

 

 

 私は楓をじろりと見た。

 

 

 このヒトは、一体何を考えているのだろう。

 

 

 確かに、私は男のヒトがキライだし、女のヒトもキライだ。

 

 

「だから、俺と付き合おう?」

 

 

 楓は、私の顔を覗き込んだ。

 

 

 茶色い髪が夕日に照らされて、キラキラ光った。

 

 

 私は無性に彼の髪に触れたくなった。

 

 

 ヒカリだ。彼は光なんだ。私の暗く、深い深海を照らす細い一光だ。

 

 

「でも、楓さん。私、まだ貴方のコト、あまりよく知りません」

 

 

 私は、伸ばしそうになった手をギュッと握った。何かが、変わろうとしている。そんな気がした。

 

 

「今から、ゆっくり知ればいいんだよ。付き合うなんて、そんなもんだよ」

 

 

 当たり前のように、楓は言う。

 

 

 付き合う。恋愛。結婚。

 

 

 何処ドコが、ナニが、違うんだろう。

 

 

 付き合うコトは、スキじゃなくても出来るっていうコトなのだろうか。

 

 

 でも、父さんと母さんは愛し合ってなかった。

 

 

 だから、別れたんだ。

 

 

 所詮、愛なんてそんなモノなんだ。

 

 

「だけど、私…。愛なんてわかりません。付き合うコトがどういうことなのかも。何をするのかも…」

 

 

 楓は口をぱっくり開けて、間抜けた顔で私を見た。

 

 

 私は、只、俯いていた。早くこの場から逃れたかった。

 

 

「雫ちゃん…付き合ったコト、ないの?」

 

 

 私は、その声に顔を上げた。楓があまり間抜けた顔をしていて、私はクスッと笑ってしまった。

 

 

「楓さん、顔…」

 

 

 楓は、私の手をギュッと握って、顔を輝かせていた。

 

 

「そう、その顔だよ。笑顔だよ!君はもっと笑うべきだっ!」

 

 

 力強く豪語されて、私はびっくりして、身体を仰け反った。

 

 

「…楓さん!?」

 

 

 楓は、私の身体を引き寄せて、優しく抱き締めた。

 

 

「雫ちゃんには、笑顔が似合うよ…」

 

 

 耳元でそう囁かれ、楓のトクトク鳴る心臓の音が聞こえてきた。

 

 

 何故だか、異様に疼く私の胸を誰かに掻きむしって欲しかった。

 

 

「…ねぇ、駄目?」

 

 

 楓は、憂いの瞳で私を見ていた。

 

 

 何だか、ヘンだ。どうしてこんなに胸が疼くんだろう。

 

 

 だから、オカシくなった私は、コクリと頷いた。

 

 

「…考えておきます」

 

 

 そう言うと、彼は顔を綻ばせて、笑った。

 

 

 私は彼の胸に抱かれながら、ずっと下を向いていた。

 

 

 顔を上げる勇気がなかった。

 

 

 だって、私の顔は何故だか、火照っていたから。

 

 


赤いチューリップの花言葉は、(愛の宣言)。チューリップを匂ったことがありますか?鼻にフワッと広がる微かに甘く可憐な匂い。今回は、重要な話なので、季節は関係ありません。雫の成長を温かく見守って頂けたら幸いです。

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