2.カリヌイ
私は、かき氷を作りながら、一ノ瀬透を睨んだ。アイツは何故、私にキスしたんだ?意味が分からない私は、じっと一ノ瀬透というニンゲンを観察していた。オバちゃんが私の肩をトントンと叩いた。
「何?オバちゃん?」
オバちゃんは、いやらしい笑みを浮かべるとふふっと笑った。
「雫ちゃん、一ノ瀬君が好きなのは分かったけど、いい加減、その氷をなんとかしてくれないかねぇ?」
え?と、手元を見ると、かき氷だったはずのモノはまるでエベレストのように積み上がって、最早かき氷なのか何なのか私は目を疑った。
「これ、私が?」
呆けて呟くと、一ノ瀬が私に近づいて来た。
「何やってんだよ。ほら、俺がやるから、お前はバケツ持ってこいよ」
一ノ瀬にそう言われて、うん、と頷くと、私は店の裏に走り出した。なんだか、アイツに関わると録なことがない気がする。でも、今はそんな場合じゃないか。あの残骸となった氷の山をどうにかして片付けなければ…。
裏に行くと、東君が井戸から水を引いている所だった。私を見ると、くしゃっと笑った。
「これでしょ?」
東が、差し出したのは、私が望んでいた青いバケツだった。
「すごい!なんで分かったの?」
私が顔を綻ばせると、彼は照れたように笑った。
「だって、雫ちゃん。いつも、このバケツ持って行くでしょ?」
「え?」
東は、いつも私を見ていたのだろうか。そんなことに気がつかなかったなぁ、と考えて、ふと気がついた。
「雫ちゃん?」
「ああ、僕のことも邦彦で良いから、そう呼んで良い?」
勿論、そう答えると何だか照れ臭くて二人で頬を赤らめた。その時、冷たい声がして、私たちはカレを見た。
「何やってんの?」
冷めた瞳で、此方を見つめる一ノ瀬。何故だか怒っているような気がするのは、私の思い違いだろうか。カレは、私の腕を掴むと、歩き出した。
「あっ!バケツ!」
そう言って、振り向くと、邦彦君が此方に走って来た。
「雫ちゃん、はい…」
邦彦に手渡された青いバケツを掴んで、お礼を言った。
「ありがとう、邦彦君」
邦彦はそれを聞いて、くしゃっと笑った。一ノ瀬が握る掌に力が篭った気がした。
「一ノ瀬君?何時まで、握ってるの?私、片付けなくちゃ、お客さんが…」
カレの瞳は鋭くて、何だか狂気を孕んでいた。
「お前…」
その声に、ビクッとびくつくと、一ノ瀬は、ゆっくり私の手を離した。
「…」
沈黙が二人を包んでいた。先程の一ノ瀬は、まるで病院にいた白衣の悪魔や、私を見る父さんのようだった。カタカタ震える身体に気がついて、私は声を絞り出した。
「…あのね…私、行かなきゃ…だから。ほら、…片付け…」
途切れ途切れにそう言うと、一ノ瀬は目を細めて頷いた。それに何故だか、ほっとして彼の後ろをついて行った。
それから半日、カレとは口を利かなかった。何だか気まずくなり、私はカレに声をかけた。
「あの…一ノ瀬…く…」
その声は、海の店に来た女の子たちの声に揉み消された。
「ねぇ、ねぇ、君。ずっとこの海の家で働いてるよね。私たち、キャンプで此方に来てるの。一緒にビーチバレーしようよっ」
カレは、チラリと私に目をやると、それを逸らして弾けたように笑った。
「いいよ。俺、結構強いよ?」
そう言って、ビキニ姿の女の子たちに囲まれて、立ち去って行くカレを私は見ていた。
「…雫ちゃん!」
その声で振り向くと、邦彦がモジモジしながら立っていた。
「どうしたの、邦彦君?」
何か悪いことでも起きたのだろうか?じっとりと邦彦を見つめていたが、何処にも変わったところはない。だったら、何だというのだろう。
「あのさ、今日、バイトが終わったらさ、町に出掛けようよ…。今日、お祭りだし…」
私は小さく声を漏らした。そうか、今日は小さな田舎町の夏の唯一のイベントの日だ。
「だけど、私…浴衣持ってないし…」
溜め息をついた私を邦彦が励ますように言った。
「大丈夫だよ。僕の妹に借りればいいよ」
妹、という言葉に私は脈打つ胸を抑えた。
「雫ちゃん?」
いけない。此処で冷静でいなくては、私が喚いて、オバちゃんにそれがバレたら、またあの養護施設のオジサンが来て、狭い車に押し込められる。それは、御免だ。
「あり…がとう…。じゃあ、バイトが終わったら、ちょっと待っててくれるかな?」
邦彦は、頷くと、パラソルを畳み始めた。もう夕方だ。借りた浴衣を纏ってお祭りへ。まるで日本のシンデレラね。だったら、王子様は誰だろう。ふと、一ノ瀬の顔が浮かんだが、まさか、と私は首を捻った。
※※※
お祭りは、人がワラワラいて、まるで蟻の行進の如く、人々は押し合いへし合いして、なんとか前に進んでいた。こんなに小さな町なのに、何故、こんなに人がいるのだろう。まさか、彼等は、地下世界か、空の彼方から飛んで来たのだろうか。しかし、その疑問は、邦彦がすぐに解決した。
「町おこしだよ。ほら、この町なんの面白味もないからさ、お祭りで、隣町とか、違う市から人が集まって来るんだよ」
「え?」
私は眉を寄せて、怪訝な顔をした。小さな町のお祭りにこんなに人が集まるだろうか。ちらっと過った疑問も、またすぐに邦彦が捻り潰した。
「この祭りの花火は凄いんだよ、雫ちゃん。一緒に見ようね」
くしゃっと笑う邦彦に私も合わせて笑った。
本当は其処まで期待してはいない。正直言って、家に帰りたい。あの誰もいないけど、自分の我が家へ。寂れたあの家へ。こんなに人がいるところは苦手だ。海の中に潜って海と同化したい。そうしたら、二度とこんなところに来なくてすむのに。
邦彦は、ぽりぽりと頬を掻くと、私を見た。
「喉乾いたでしょ。僕、何か買って来るよ」
あんなに、人が並んでいるというのに、邦彦は、一人で並ぶつもりなのだろうか。
「私も並ぶよ、邦彦君。時間かかるでしょ?暇つぶしに話でもしたら…」
そう言うと、邦彦は顔をボッと赤らめた。いきなりオロオロとし、落ち着きがなくなった。
「いっ!いいよ!雫ちゃんは、其処で待ってて!ずっと立ってるの辛いでしょ?」
邦彦はそう言うと、私が何か言う前に人混みに消えて行った。こんなに人がいては、一度離れたら見つかる可能性はほとんどないのに。私は人を掻き分けながら、邦彦を追いかけることにした。
暫く、人混みに抗っていると、邦彦らしき人物が目に入った。良かった。そう思って、手を伸ばしたとき、知らない男がその手を掴んだ。
「ねぇ、君一人?だったら、俺たちと遊ぼうよ」
何処かで聞いたような台詞だ。右左と目をやると、仲間らしき男たちが私を取り囲んでいた。たらりと冷たい汗が背を伝った。もしかして、この状況はまずいのかもしれない。私の腕を掴む男の目を見た。男はやはり狂気を孕んだ瞳で私を見つめていた。どうして私の回りには面倒が集まって来るのだろう。
神様はよっぽど私を嫌いなようだ。そう思った時、白い手がヌッと人影から伸びて来て、私をその場から掻っ攫った。
その人物は、はぁはぁ…と幾分荒い息を上げながら、私を睨んでいた。何が、悪いというのか、一ノ瀬透めっ。カレは紺色の浴衣を着ていた。肌けた胸に目のやり場にこまり、俯いた。
「バカヤロウ!」
コツンと額が鳴って、え?と見上げると、一ノ瀬透が私の額に頭を寄せて、くっ付けていた。
「心配したんだぞっ!」
「心配…?」
心配とは何だろう。相手を労ることだろうか、気にかけることだろうか。どちらにしろ、私はカレに心配して貰うようなコトは何もしていない。
「一ノ瀬君、何言ってるの?」
私は怪訝な顔でカレを見ると、ますます怒ったような顔をして、ホントにカレは怒り出した。
「お前は何も分かってないっ!!」
その怒鳴り声で、回りの人がギョッと一ノ瀬を見た。一ノ瀬は、物珍しげに見物する彼等を睨みつけると、私の右手を掴んで歩き出した。カレは一体何に怒っているのだろう。