14.また会う日まで
「はぁっ…はぁっ…ごめん、待った…?」
汗だくの楓さんを部屋の中に入れると、とりあえず、冷たい麦茶を差し出した。心内、私はまだ突然の楓の訪問に動悸で胸を抑えていた。
「ありがとっ…雫ちゃん…」
荒い息を吐いている楓は、顔を上げると一気に麦茶を飲み干す。落ち着け自分…!
「はぁ…生き返るっ!わっ、すごいっ!雫ちゃんの部屋、可愛いねっ」
楓は瞳をキラキラさせて、私を見た。
「あ…あのっ、コレは…」
「…雫、花が好きなんだってさ」
言い淀んでいた私に透が助け船を出した。ハッとして、透を見たが、透は知らんぷりをしてカレーを食べていた。
「そうなんだ?」
楓は顔を綻ばせて笑った。いや、強ち違う訳ではない。花は好きなんだけど…。
「…あっ、はい」
私はそれだけ言うと俯いた。
「楓さん、タオルいります?」
私は、急いで浴室に駆けていき、タオルをひっつかむと楓の前に差し出した。
「ありがとう。雫ちゃん」
楓の満面の笑みに心がチクリと痛んだ。嘘をついた訳でもないけど、なんだか…心苦しい。無理矢理笑みを創る。
「楓さん、カレーあるんですけどいります?」
「わぁーっ!よく知ってたね。俺、カレー好きなんだっ」
楓は本当に嬉しそうに一瞬私を見つめ、私に勧められた椅子へと座った。私はカレーの中にヨーグルトと林檎と蜂蜜を+(プラス)し、机に置いた。
「美味しそうっ!」
それを透がジロリと見ていた。バレたかな、甘口にしたコト…。私は冷汗を流して、楓を見ていた。
「…口に、合うといいんですけど…」
私がモゴモゴ言うと、楓はカレーを食べてパァーッと顔を輝かせた。
「美味しいよっ!雫ちゃんっ」
私は顔を綻ばせた。
「良かった…」
透の刺さる視線が痛くて、私は彼を盗み見た。
「…甘口」
その言葉に、私はギクリと身体を仰け反らせた。
「な…な…なっ!何かな、一ノ瀬君…」
挙動不審な態度をとっていると、透は小さく笑って、またカレーを食べ出した。私はホッと息をつき、椅子に座った。
まったく、一ノ瀬透がいると、いつも調子狂うなぁ。まぁ、お加減で今回は助かったんだけど…。
私は美味しそうにカレーを食べる楓さんの顔を暫くの間眺めていた。食べ終わると、楓はすぐに「じゃあ、お暇するね。カレーすごく美味しかったよ、ありがとう」そう言って扉へ向かった。
それから、楓さんにお萩を渡して二人をアパートの階下まで見送った。陽はすっかり傾いていた。私は一度、部屋に戻って、洗い物をしていたのだが、そのときチャイムが鳴った。私は首を傾げて、ドアを開けると、其処には汗だくの一ノ瀬透がいた。
「あれっ?忘れ物?」
私がそう言うと、透は頷いた。私は部屋を見回したが忘れ物らしきモノはない。怪訝な表情で、透を見ると、いきなり腕をグイッと引かれて、顔が近付いて来た。ギョッとした透の顔を手で押さえつけてガードした。そう、何度もホイホイキスされて堪るか。
二人の間で顔と顔が近付いたり、遠ざかったり、ギギッと骨がミシミシなる。私は透を睨んで声を絞り出した。
「…一ノ瀬君、なんでっキス…」
「…俺がしたいからだよ」
透がモゴモゴ言った。そのまま態勢を崩されて、壁に押し付けられて、股を足で割ると、私の頬を両手で掴んで、唇を乱暴に押し付けられた。
「ン゛―――ッ!」
いやいやと首を振ると、透の舌が歯列をなぞってカラダがビクリと震えた。
「ふぐ…っ」
しかし、声が漏れると、離れていって、透は私を見つめると触れるだけのキスをして、私の頭を軽く撫でた。
「…ごめん」
それだけ言うと、透は部屋から出ていった。
私はガクッと玄関のドアに手をついて青ざめた顔をした。
…キス魔だ。透といい、楓さんといい…キスをやたらにしてくる。二人はキス魔なんだ。
私は此れからの自分の行く末が恐ろしくなって、ドアを開けると、透の背中に叫んだ。
「謝るくらいなら、キスしないでよっ!!」
透はギョッとして私を見た。それだけ言うと、バンッとドアを閉めた。
やっぱり、アイツは変態なんだっ!
私はその事実を確認して、顔を掴んだ。
「暫く、口聞いてあげないんだからっ」
私はカラダをギュッと抱き締めた。
※
私は、頬を膨らませて墓地を歩いていた。オバちゃんは、その顔をみて言い辛そうな顔をしたが、口を開いた。
「雫ちゃん…、一体何が…」
私は、ますます頬を膨らませた。
「私…、お萩渡して来てって言ったよねぇ?」
私はチラリとオバちゃんを見た。しかし、オバちゃんは立ち止まると背後に黒いオーラを纏って笑顔で近付いて来た。私は、ギクッと腰を引いた。
「墓地でその顔…。オバちゃん、洒落にならないって」
オバちゃんは、私の頬を掴むと、横にグイグイと引っ張った。笑った顔が怖いなんて私、知らなかったよ、オバちゃん…。
「あーら、柔らかい頬だことっ。そんなこと言うのはこの口かしら。うふふふっ」
「あ゛ぅ…あぅっ…あぅ…」
私がモゴモゴ言ってると、オバちゃんがパチンと手を離した。急に離された頬が真っ赤になって痛い。
「ヒドイよっ、オバちゃんっ!」
涙目で睨むと、オバちゃんは口角を上げて、ニィーッと笑った。私はカラダを仰け反らせた。
怖い…。
「私、彼氏に慰めて貰いなさいって言ったわよねぇ…」
私はウンウンと首を縦に振った。とにかく、オバちゃんの怒りを沈めなければ…。
「…で、それは、出来たの?」
私は首を横に振った。するとオバちゃんは恐ろしい形相で私を睨んだ。
「…雫ちゃん」
「はひっ!」
オバちゃんの低い声に私の声が裏返った。
「…まぁ、泣いてないから、良いでしょう」
そう言うと、オバちゃんはニパッと笑った。身体の力がドッと抜けた。
知らなかったよ、オバちゃん。怒ると母さんよりも怖いなんて。
「ほら、雫ちゃん軽くはわいちゃって」
横を見ると、其処には父さんのお墓があった。私はオバちゃんから箒を受けとると、回りを徹底的に綺麗にしてから、墓石の上に手桶の水をかけた。冷たい水は、父さんの喉を潤わせてくれるだろうか。父さん…来たよ。私は、心の中で思った。
花瓶の水を入れ替えると、すっかり枯れた花を取り除き、白、黄、紫の菊の花を挿した。
オバちゃんが火をつけた線香から煙が立って臭いがしてきた。ちらちら見える赤いところが、まるで父さんの命のようだった。オバちゃんと一緒に手を合わせた。
「…雫ちゃんをこれからもお守り下さい」
オバちゃんの小さな声が聞こえる。父さん…、私忘れてないよ。最近は来なかったけど、毎日父さんを思わなかった日はないよ。生まれ変わっても、父さんの子供になりたいな。
しゃがんで祈っていた私の肩にそっとオバちゃんが触れた。
「雫ちゃん、行きましょ」
私は頷いた。立ち上がって歩き出したが、もう一度だけ父さんを見た。その後ろにはまるで血が垂れたような真っ赤に色づいた彼岸花が咲いていた。
…また、会いに来るね。
私は踵を返して、オバちゃんに歩調を合わせて歩き出した。
今回のサブタイトルはその名の通り、「また会う日まで」。リコリスの花言葉編はこれで最後です。
何とも言い難い何か胸に蟠る赤いものがぐっと残る感じでした。これが彼岸花のイメージかな、なんて思いつつとっても久々な投稿なのでした。