12.リコリス
「若竹煮、きのこ汁、五目煮豆、小松菜の白あえ、お稲荷さんに、なすといんげんの揚げ出し、それから…」
「雫ちゃん、コレもののさまにお供えしてくれるー?」
その声に、私は机の上に並んだ料理を指差しながら、振り返った。
「なーに?あっ、おはぎだっ!オバちゃんのおはぎ大好きっ!コレ、いつ食べられる?」
私は嬉々として、オバちゃんの顔を覗き込んだ。オバちゃんは、ニターと気味の悪いくらいの顔で笑った。
「雫ちゃん、最近よく笑うわねぇー。此処に来たときは、死んだみたいに無表情で、何も喋らなかったのに。さては、彼氏でも出来たなぁーっ。あっ、わかった!バイトで来てた一ノ瀬君でしょっ!」
私はギョッとオバちゃんを見た。危うく、おはぎを落とすところだった。
「おっ、オバちゃんっ!違うよ!アイツなんかじゃないよっ」
私がオドオドして答えると、オバちゃんは「あらまぁー」と言って、私の頬を指でつついた。
「最近、来ないと思ってたらー。やっぱり、彼氏が出来たのねっ。うふふ…っ。いいのよ、良い傾向じゃない」
茹で蛸みたいに耳まで真っ赤になった回りを手の平で仰いだ。顔が燃えるように、熱い。何処かで叫びたくなるほどに。
「まぁまぁ…今度、連れて来てね。一応、保護者なんだからっ。それ、早く上げちゃって。節句のお菓子です。どうぞ~って言ったら、すぐ下げちゃっていいから」
そう言って、オバちゃんは台所に入っていった。私はその小さな背中を見ていた。
オバちゃん、寂しいこと言わないでよ…。私には、オバちゃんしかいないのに。俯きがちに、仏壇の前まで歩いていき、少々強めにと鐘を叩いて、手を合わせた。そこに、おはぎを置く。
視線の先は亡き父の遺影。誰にも明かせない想いを此処で晴らすのだ。
「…父さん、オバちゃんが寂しいこと言うんだ。私には、もうオバちゃんしかいないのに…」
仏壇の前で、虚しく自分の声だけが響く。父が生きていたときでさえ、こんなことは言えなかったくせに
。居ないと分かるとこんなにも、素直になれる自分になんだか腹が立つ。
母方の祖父母は、音沙汰なし。父方の祖父母は、京都に住んでいるのに、手紙も無かった。勿論、母さんからも…。麻由はどうしてるんだろう。元気かなぁ…。
気づけば、涙が溢れて来ていた。私は、皆に嫌われてる。
楓さんも、私の過去を知ったら、私のことを嫌いになるだろうか。楓さんとは、せっかくトモダチになれて、少しずつ私のココロの氷を溶かしてくれているのに、今、嫌われたら私…。
父さんが死んだとき、家の回りには野次馬がいっぱいいた。死んだ父さんに、一日中しがみついて、異常なまでに執着していた私を近所のヒトは白い目で見ていた。
「なんか、あの子気持ち悪いわねぇー」
「死体にしがみついてたなんて、本当は、殺したのあの子じゃないの?」
「可哀想にねぇ、まだ小さいのに…。旦那は、妻にも逃げられて…まるで昼ドラだわ」
「でも、現実に起こってるんだから、ちょっと面白いわよねぇー」
顔を寄せ合って、ヒソヒソ話し合う声が聞こえて、私はオバサンたちの前まで大股で歩み寄ると、忌々しいその顔を睨みつけた。
「…なっ、何?お嬢ちゃん…」
私の視線に勝てないのか、目を泳がすオバサンたちに怒鳴りつけた。
「うるさいっ!!くそ婆ァッ!何も知らないくせにっ!何も分かんないくせにっ!」
オバサンたちは、ギョッとして目を剥いた。私が怒り露に手を振り上げたとき、誰だか知らないオジサンに羽交い締めにされた。
それでも私は泣きながら、オバサンたちに思いつくだけの暴言を吐いた。
「父さんは、母さんをアイシテたっ!だから、全然カワイソウなんかじゃないんだっ!…ウッ!止めてっ!離してよっ!ウッ…ウッ…バカァ…皆、皆、キライだ…ウッ…ヒクッ…父さん…父さん…会いたいよぉっ!」
それを見ていた回りのオバサンたちは、目を背けた。現実から。ドラマなんかじゃない、クリアな世界を感じて目を背けたのだ。
「やいっ!人殺しっ!」
頭がガンッと鳴って、血が額に垂れた。私はそれを私に投げつけたガキを睨んだ。
「お前の父ちゃん、死んだんだって?お前がコロシたんだろっ!母ちゃんが言ってた。お前の父ちゃん、母ちゃんに逃げられたんだろ?だから、カワイソウな父ちゃんをお前がコロシてあげたんだって」
ガキたちは、ギャハハハと笑いながら、私を見た。まるで、自分たちは人殺しなんかしない良い子なんだって言うように、上から見下した。
「うるさいよっ!あんたたちもコロシてあげようかっ!」
私は、スクールバッグを頭の上に上げると、ガキたちはヒィッと仰け反った。
「母ちゃんに言ってやるからなっ!」
ガキたちは捨て台詞を吐くと、散らばっていった。私は、その手をゆっくり下ろした。
「人殺し…か」
うつ向くと、血と涙が滲んで服に垂れていた。
それから、オバちゃんに引き取られて、初めて私に会ったとき、オバちゃんは私を見て笑った。
「あらぁー、可愛いっ。お人形さんみたいねぇっ。覚えてるかなぁ?雫ちゃんが四歳ぐらいのとき、オバちゃん家に、1ヶ月くらい居たのー?」
私は、首を振った。途端、オバちゃんはハッとして私の髪を掻き上げた。
「どうしたの、この怪我っ!!近所の子にやられたの!?」
私は首を振った。違う。やられてなんかいない。悲しくなんかない。私はあいつらを睨んで、追い払った。だから、私は弱くなんかない。オバちゃんが私をギュッと抱き締めた。
「雫ちゃん、オバちゃんのコト、家族だと思って良いからね。辛いコトがあったら、何でも言ってね」
オバちゃんを見上げると、オバちゃんは悲しそうな顔で微笑んでいた。
ナンデ…?
オバちゃんは、本当に良くしてくれた。部屋に引きこもっていた私を、私の哀しみが落ち着くまでそっとしておいてくれた。
私は、それでもオバちゃんが信用出来なくて、オバちゃんが作ってくれたご飯を食べなかった。
一週間、立ったとき、さすがに起き上がる力も無くて、床に横たわっていた私をオバちゃんがゆっくり抱き起こした。
「…雫ちゃん、何か食べないと死んじゃうよ?」
私は力なく首を振った。
良いんだ、死んでも。父さんの元に行きたいから。死んでもう一度、父さんに会いたい。
流れる涙をオバちゃんがそっと拭った。痩せ細ったカラダ。父さんから受けた暴力の痕。父さんが生きていた証。私はそのカラダを抱き締めた。
「雫ちゃん…。このお萩はね、雫ちゃんのお父さんが子供の頃、好きだったのよ…」
オバちゃんは、そう言って、私の前に、そっとお萩を差し出した。粒が大きい綺麗に餡子にくるまったお萩。私は此処に来てから、初めて言葉を漏らした。その声は、久しぶりに誰かと話すせいか、か細くて、頼りなくて…。
「とぉ…さん?」
私が呟くと、オバちゃんはうんと頷いた。オバちゃんは泣きそうな顔をしていた。オバちゃんの手からお萩をとって、見つめた。
「父…さんの、好きな…おは…ぎ…」
オバちゃんは、またうんうんと頷いた。
私はその顔を見て泣き出した。そして、オバちゃんが作ってくれたお萩にかぶりついた。
「おいし…ヒクッ…ヒクッ…おい…しっ…」
私は泣きながら、お萩を食べた。その味は、当たり前だけどしょっぱい涙の味がした。
リコリスとは、お彼岸の時期に咲く彼岸花のことです。花言葉は、リコリス(悲しき思い出)。今回の話は、とても悲しいお話です。