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クンツァイト  作者: 七海
<並縫い>
10/22

10.ハギ

 

 俺はつけっぱなしのテレビを前にして、寝間着姿でただ呆然として宙を見つめていた。

 

 

 テレビから何やらザワザワと雑音が聞こえてくるが、自分の耳には入らなかった。

 

 

 放心したまま、雫のコトを考えていた。

 

 

 昨日、お見舞いにやって来た雫は仲良く兄貴と、料理をしていた。

 

 

 俺の為にお粥を作ってくれた。熱が下がるまで、此の家に留まってくれていた。

 

 

 恥ずかしそうにしながらも、口移しでお粥を食べさせてくれた。

 

 

 雫の最後の言葉が頭の中を何度も何度も駆け巡っていた。

 

 

『アンタなんか大ッ嫌い!』

 

 

 そう言った雫は、ボロボロと涙を溢して、真っ赤な目で俺を睨んでいた。

 

 

 火のようにチラチラと垣間見える瞳には、怒りが渦巻いていた。

 

 

 俺はソファーに横になって、じっと天井を見つめた。

 

 

「雫の奴…何で、あんなに怒ったんだ?」

 

 

 暫くして、玄関のドアがカチャカチャ鳴って、リビングに兄貴が入って来た。

 

 

 横目でそれを確認すると、その顔は気持ち悪いくらいの満面の笑みで、俺は即座に顔を逸らした。

 

 

「透、体調はどう?」

 

 

 楓は、ダイニングの机の上に鞄を乗せて訊ねた。

 

 

「あぁ…うん。もう、だいぶ楽だよ」

 

 

 俺は、上の空で答えた。

 

 

「透が風邪引くの久しぶりだな。お前のは、一年に一回ぐらいだから、行事に変わりにいよな」

 

 

 楓はアハハッと笑いながら、上着を脱いで、椅子に座った。

 

 

 こっちに向けられた瞳がランランと輝いていて、何だか気持ち悪い。

 

 

 何か、良いコトがあって、聞いて欲しいんだろう。

 

 

 俺は仕方なく、兄貴に訊ねることにした。

 

 

「兄貴…、なんか良いコトあったの?」

 

 

 嫌々ながらそう言ったら、兄貴は待ってましたとばかりに、俺の近くにやって来て嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

 

「付き合うコトにしたんだよ」

 

 

 俺は肩眉を上げて、兄貴を見た。

 

 

「ふーん。良かったね。告白されたの?」

 

 

 どうでも良くて、うつ伏せになると、俺は漫画を開いて読み始めた。

 

 

 適当に流そう。

 

 

「んや、俺がコクったんだ」

 

 

 楓は、俺の背をバシバシと叩いた。

 

 

 痛い。

 

 

 兄貴をギロッと睨んだ。

 

 

「あっ、そう。ハイハイ、良かった。良かった」

 

 

 楓は、今度は俺の靴下をもぎ取り始めた。

 

 

 何なんだよ、こんなにはしゃいでる兄貴は一体何時振りだろう。

 

 

「もう、本当に嬉しくて、嬉しくて。何度も口説いてたからさ、やっとオッケー貰って…本当に俺さ、雫ちゃんのコト好きなんだ」

 

 

 顔を赤らめて、しゃがみ込む兄貴の最後の言葉に俺は一瞬、固まった。

 

 

 雫が…好き?

 

 

「兄貴、雫と付き合ってるの?」

 

 

 俺はドクドクなる胸を抑えながら、質問した。

 

 

「うん、そうだよ。雫ちゃんすごく可愛いよね」

 

 

 楓は、照れ臭そうな顔をした。

 

 

「雫は…兄貴のコトがスキなのか?」

 

 

 俺は呆然としたまま、気づけばそんなコトを口走っていた。

 

 

 そんなコトを聞いて、どうするつもりなんだ。

 

 

「んー。それは、まだ聞いてないなぁ」

 

 

 兄貴は、鞄から雑誌を取り出して、何でもないように答えた。

 

 

「え?付き合うって…」

 

 

「うん。付き合うよ。彼氏と彼女だ。だけど、まだそんなんじゃない」

 

 

 楓は、机の上にあった煎餅をガジッとかじった。

 

 

「そう…なんだ」

 

 

 俺はホッと息を吐いていた。

 

 

 なんで、落ち着いてんだ、自分。

 

 

 そうか、雫は俺と同じ匂いがするから、だから何だか落ち着かないんだ。

 

 

 ただの仲間意識だ。

 

 

「ねぇー、何処がいいと思う?」

 

 

 楓は、俺に開いた雑誌のページを押しやった。

 

 

「何が?」

 

 

「初デートの場所だよ」

 

 

 脈打つこめかみが何かを俺に知らせようとしていたが、俺はそれを無視した。

 

 

 苛立ちながら返事を返す。

 

 

「…別に、何処でもいいんじゃん?そんなの兄貴が決めればいいだろ?」

 

 

 もうこれ以上、付き合ってらんない。

 

 

 俺は、ゆっくりと起き上がると、後頭部に両手を組んで歩き出した。

 

 

「やっぱり、海かなー。雫ちゃん、海スキだし…」

 

 

 その声に俺は勢いよく振り返った。

 

 

「だっ、駄目だ!」

 

 

 焦っていた。

 

 

 この夏の思い出が頭を過った。

 

 

 海に潜る雫。甘い唇。

 

 

 雫を何かに取られそうな気がした。

 

 

 楓は、きょとんとした顔で俺を見た。

 

 

「どうしたの、透。やっぱり、まだ体調悪い?」

 

 

 そうだ、体調が悪いんだ。なんでこんなに胸が疼くんだ。ヘンだ、おかしい。

 

 

 俺は髪を掻き上げた。

 

 

「あ…うん。まだ、少し…悪いかも…」

 

 

「そっかぁ。じゃあ、寝てな。やっぱり、海は止めようかな。もう、秋だし泳げないよね…」

 

 

 その言葉に、ホッと息を吐いたとき、床にキラリと光る何かを見つけた。

 

 

 俺はそれをつまみ上げた。

 

 

「俺が…あげた…ネックレス…」

 

 

 光る薄紫色の石は、何だか寂しげで、それをギュッと握りしめた。

 

 

「ふふっ。早く土曜にならないかな」

 

 

 俺はゆっくり二階に上がり、そのままベッドに倒れこんだ。

 

 

 ミシッと軋む音がした。

 

 

「また…受け取って貰えなかった…」

 

 

 一体、何故こんなに雫に執着しているんだろう。

 

 

 俺は雫に何を望んでいるのだろうか。

 

 

 俺は瞳を閉じた。

 

 

 これ以上、何も考えたくない。

 

 

 そのまま、意識が遠退いて逝った。

 

 

 ※

 

 

 二日後、ようやく学校に登校したとき、雫は俺をチラリとも見なかった。

 

 

 ずっと、兄貴と一緒にいた。

 

 

 二人で笑いあっていた。

 

 

 俺は一日中雫を眺めていた。

 

 

 三日分の、エネルギーを補充するように。

 

 

「…雫ちゃん、楓先輩と付き合ってるんだよね」

 

 

 東が何だか泣きそうな顔で俺を見ていた。

 

 

「あぁ、兄貴がそう言ってた…」

 

 

「一ノ瀬君は、何とも思わないのっ!?」

 

 

 荒い声に俺は驚いて東を見た。

 

 

 どうして怒るんだよ。

 

 

「…東?何、怒ってんの?」

 

 

 東がキッと俺を睨んだ。

 

 

 こいつが怒るのは、本当に珍しい。

 

 

「だって、雫ちゃん、楓先輩のモノになっちゃたんだよ?」

 

 

 違う。雫は、誰のモノにもならない。強いて言えば、海のモノなんだ。

 

 

「…付き合ってるだけだろ?」

 

 

 楓と雫の声が聞こえる。耳を塞ぎたかった。何も聞きたくない。

 

 

「雫ちゃん、明日明いてる?」

 

 

「あ…はい。明いてますよ?」

 

 

 ハッと楓を見た。兄貴は、デートに誘うつもりなんだ。

 

 

 雫は何も知らず、純粋無垢な顔で、楓を見上げていた。

 

 

「何処か行きたいんですか?」

 

 

 雫はクスリと笑った。

 

 

「うん!雫ちゃん、コスモスの丘に行こうよ。今はね、コスモスが満開でキレイなんだって」

 

 

「誰に聞いたんです?」

 

 

 ちょっと困った顔をして雫は楓を見た。

 

 

「わぁーっ!雫、初デートだねっ!うらやましいっ!」

 

 

 山辺和夏の声に雫は、ボッと顔を赤らめた。

 

 

「ちっ、違うよっ!」

 

 

 慌てて手を振る雫に、楓は少しふて腐れた顔をした。

 

 

「…違うの?俺とじゃ、イヤ?」

 

 

「えっ…ちがっ…違わない…です…」

 

 

 その声は段々、小さくなり、やがて雫はうつ向いた。

 

 

「何だよ、あれ…」

 

 

 俺はガンッと机に頭を打ち付けた。

 

 

 なんであんなに恥ずかしそうな顔してんだよ。

 

 

「一ノ瀬君?」

 

 

 俺は窓枠に正確に嵌まった空を見上げた。

 

 

 その中を蜻蛉が横切った。

 

 

 何だか無性にその窓を壊したくなった。

 

 


ハギ(萩)は落葉低木。秋の七草の一つ。花言葉は、(物思い)。

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