揺れる幌台
湖畔を後にしてから、しばらく――
木漏れ日は葉の隙間から降り注ぎ、時刻は昼頃を過ぎたあたりだった。闇人族の列が大森林をゆっくりと進んでいく。吹き抜ける風が青葉を揺らし、心地よいざわめきと、遠くでさえずる鳥たちの声が森を満たしていた。
「モォォ……」
低く、穏やかな鳴き声と共に、木の根を越えてゆっくりと揺れる一つの幌台。
それを引いているのは、森駝牛と呼ばれる闇人族達の隣人だった。牛よりもふたまわりほど大きな体は、目元まですっぽりと覆うほどの分厚い毛に包まれている。背中には水を蓄えるための大きな瘤があり、長旅を支える彼らがいなければ、闇人族の移動は成り立たない。森の落ち葉やツタをのんびりと食べながら歩みを進めるその姿は、緊迫した昨夜の空気を忘れさせるほどに温和だった。
その幌台の御者台――手綱を握るために作られたささやかな木座に、エルザはゼラと並んで腰を下ろしていた。
エルザの両手の中には、拾い上げたばかりの白綿鳥の卵が、今も大切に抱き抱えられている。
「……少しは落ち着いたか、エルザ」
前を向いたまま、森駝牛の手綱を握るゼラが静かに口を開いた。
「はい。……その、迷惑をかけて、ごめんなさい。本当なら、自分の足で歩かないといけないのに」
「気にするな。その子を落とさぬよう、今は座っている方がいい」
ゼラはちらりとエルザの手元へ視線を落とし、ふっ、と短く息を吐いた。
「それに、森駝牛の歩みは森の呼吸と同じだ。こうして揺られていると、心も凪いでいく」
「……うん」
その言葉にエルザが小さく頷こうとした、その時だった。頭上の高い樹冠のあたりで、バサバサッと葉の擦れる大きな音がしたかと思うと、聞き慣れた明るい声が降ってきた。
「エルザー! 師匠ー!」
見上げれば、太い枝から枝へと、姉弟子が身軽に飛び移りながら追いかけてくるのが見えた。グエンだ。彼女は最後尾で列の見張りを手伝っていたはずだった。
しなやかな動きで2人の幌台まで追いつくと、グエンは真上の枝から、トンッ、と音もなく御者台の横へと飛び降りてきた。森駝牛の歩調に並んで歩きながら、得意げに息をつく。
「やっと追いついたー!」
「グエン。……見張りはどうした」
「この森に早々危険なんてないですよ! それよりエルザ、はい、これ!」
ムッとしたゼラをよそに、そう言ってグエンが差し出したのは、柔らかな獣皮と布で作られた、小さな首掛けの袋だった。内側には、卵が割れないよう緩衝材として、森駝牛の抜け毛を集めて作ったフカフカの毛糸がたっぷりと詰め込まれている。
「ずっと手で持ったままだとエルザも大変だし、何かの拍子に落としちゃうかもしれないでしょ? 私お手製の卵ホルダー!」
「グエン……これ、作ってくれたの?」
「まぁね! ほら、首にかけてあげるから、その子を入れてみな」
エルザは促されるまま首から袋を提げ、そっと両手の中の卵をフカフカの毛糸の中へと沈めた。森駝牛の毛は温かく、そして優しく卵を包み込む。これなら、両手を離しても割れる心配はなく、エルザ自身の体温もしっかりと伝わる。
「……温かい。ありがとう、グエン」
「へへっ、どういたしまして!」
ニカッと笑う姉弟子の頭に、ゼラが呆れたようにポンと手を置いた。
「器用なことだ。だが、次からは樹上を走る前に周りをよく見ろ。森駝牛が驚く」
「あはは、気をつけまーす!」
穏やかな風が吹き抜け、森駝牛が「モフゥ」とのんびり鳴く。
「じゃあ、私は後ろに戻るからね! その子、落とさないように!」
グエンはひらひらと手を振ると、再び身軽な動作で頭上の太い枝へと跳ね上がり、葉擦れの音と共に列の後方へと消えていった。嵐のように現れて去っていく姉弟子にエルザは手を振り返し、隣で手綱を握る師匠を見上げた。
「……師匠。私たちはこれから、どこへ向かうんですか?」
ゼラは揺れる幌台の上で前を見据えたまま、静かに答えた。
「まずは小鬼族の街だ。ラ=ボボのところで数日ほど滞在し、物資を整えねばならん」
「ラ=ボボのところへ……」
「今回は少しばかり……長い移動になる。そのためにも、街で補給する必要があるだろう」
「長い移動……?」
エルザは長い移動に軽い疑問を覚えながらも、久しぶりに小鬼族の街を訪れることができるという事実に、自然と顔がほころんでいく。
(ラ=ボボたち……元気にしているかな)
胸元の特製ホルダーに、そっと両手を添える。森駝牛の抜け毛で作られたフカフカの毛糸の奥で、まだ見ぬ小さな命が、トクン、と微かに脈打っているのがわかった。
木漏れ日が徐々に夕暮れへと変わっていく中、ゆっくりと進む幌台の揺れに身を任せながら、エルザは間もなく会える懐かしい顔ぶれを思い描き、静かに目を閉じた。
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