地の底の円卓
森人族たちは、決して己の都合で木々を傷つけ、住まいを建てることはない。
彼らは森の精霊やオドを通じ、木々に「その身の内に住まわせてくれないか」と静かに語りかけ、許しを乞う。そして住処を得る見返りとして、その木の周囲を守り、決して枯らさぬよう生涯をかけて寄り添い続けるのだ。
ゆえに、彼らが一度契りを交わした木から離れることは、生涯を通じてほぼあり得ない。新たな住処を求めて旅立つ若者や、定住を忌み嫌う変わり者もごく稀に存在するが、彼らは同胞の目にも奇異に映り、変わり者として扱われるのが定めである。
だからこそ、里の中央に天高くそびえる巨木を見た時、エルザはてっきり、その遥か上層へと昇っていくのだとばかり思っていた。
しかし予想に反し、二人は今、巨木の根元から地の底へと続く螺旋状の階段を、静かに下りている。
先ほどまで鼓膜を心地よく撫でていた、森人族の神秘的な調べや歌声は、もう一切聞こえない。外界の風の音すらも届かない深い静寂の中、階段を下りる二人の足音だけが、コン、コン、と等間隔に木霊している。
まばらに群生する発光植物の淡い光が、薄暗い空間と、一段前を下りるゼラの横顔を照らし出していた。その表情は、不器用で優しい『師匠』のものではなく、闇人族を統べる厳格な『族長』の顔つきに変わっている。
静まり返った空間に、自分の早鐘を打つような心臓の音が響いてしまわないかと、エルザはそっと胸元を押さえた。やがて、螺旋階段が終わり、ぽっかりと開けた地下空間へと辿り着いた。
エルザは顔を上げ、息を呑んだ。目の前に立ち塞がっていたのは、ゼラの背丈のゆうに三倍はあろうかという、巨大で分厚い木造の扉だった。
表面には、精霊の姿や森の営みを描いた緻密な紋様が、森人族たちの手によって丁寧に彫り込まれている。その圧倒的な意匠は、この扉の奥が森の秩序を守るための場所であることを示すような、途方もない荘厳さを物語っていた。
ゼラはただ静かに、巨大な両開きの扉の真ん中へと進み出る。エルザが息を詰めて見守る中、ゼラは扉の中心――緻密な彫刻が交わる円環の部分へと、そっと右手を添えた。
そして、暗く静まり返った地下空間に、低く、しかし凛と澄んだ声を響かせる。
「三つの種子が地に落ちて、一つの太き根を張らん。――我ら森の同胞、星の巡りより深き理の底へ」
ゼラの声と掌から伝わる微かなオドに呼応するように、扉に彫り込まれた精霊の紋様が淡い翠と銀の光を帯びて、トクン、と脈打つように瞬いた。
ズズズ……ッ、ギィィィ……。
地の底を震わせるような重低音と共に、見上げるほど巨大な両開きの扉が、ゆっくりと内側へ動き始める。しかし、完全に開け放たれることはなかった。大人一人が、あるいは二人が肩を寄せ合ってようやく通り抜けられる程度のわずかな隙間を作ったところで、その重厚な動きはピタリと止まる。
細く開かれた扉の向こう側からは、微かな蜜蝋燭の暖かな光と共に、インクと古い羊皮紙が幾重にも重なったような、乾いた匂いが漏れ出してきた。
「行くぞ」
短く告げると、ゼラはその隙間へと音もなく身を滑り込ませる。
エルザはごくりと喉を鳴らし、震える足にギュッと力を込めると、師匠の背中を追って、真実の待つ議場へと足を踏み入れた。
*
細く開かれた扉の隙間を抜け、エルザが足を踏み入れた先は、円形に開けた地下空間だった。ひんやりとした静寂の中、部屋の中央にある円卓だけが、暖かな蜜蝋燭の炎によってぽつりと闇の中に浮かび上がっていた。
その円卓に両肘を突き、深く考え込むようにして座っているのは、銀縁の眼鏡をかけた一人の森人族の男性だった。知的な顔立ちには、隠しきれない疲労と苦悩の影が落ちている。
そして、その傍らで静かに控えているもう一人の男性の姿を認め、エルザは張り詰めていた胸の奥で、少しだけ安堵の息を吐いた。
細身でしなやかな体躯を持つ一般的な森人族とはまるで違う、隆起した分厚い筋肉。服の上からでもはっきりとわかる武骨で屈強な体格と、無口で不愛想なその佇まいは、彼らが森の賢人であるという常識を疑わせるほどの威圧感を放っている。
しかし、エルザにとっての彼は、彼女が巡行で里の近くを訪れるたびにふらりと様子を見に来ては、不器用ながらも色々と世話を焼いてくれる『優しいおにいさん』のような存在だった。
張り詰めた空気の中、ゼラが静かに歩みを進め、エルザもそれに続く。
円卓の前に辿り着くと、エルザは当然、闇人族の長であるゼラが木座に腰を下ろすものだと思っていた。しかし、ゼラは自らは座らず、エルザの背中をそっと押し、彼女をその席へと座らせたのだ。
そして、戸惑うエルザの小さな肩に両手を置き、前を見据えて静かに口を開く。
「待たせたか?」
その短い問いかけに、円卓に肘を突いていた眼鏡の森人族が、ゆっくりと顔を上げた。
「いや、問題ないよ。整理する時間があったと思えば」
「そうか、ならいい」
「いや、良くはないんだけど……」
彼は大きなため息をつき、ずり落ちかけた銀縁の眼鏡を中指で押し上げた。それから、レンズの奥にある理知的な瞳で、木座に座るエルザを真っ直ぐに見つめる。疲労の滲んでいた彼の声が、少しだけ穏やかで、慈しむような響きへと変わった。
「……僕とこうやって顔を合わせるのは初めてだね、エルザ。僕はフィン。この里の議長を務めている。そして隣にいるのは……紹介するまでもないか。僕の兄のファエルだ」
フィンの言葉に、ファエルは腕を組んだまま何も言わず、ただ僅かに顎を引いて頷いた。その不愛想な態度の裏にある、いつものように自分を気遣う確かな温もりを感じ取り、エルザは小さく微笑み返した。
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