光さざめく里
ニザ大森林の様相は、闇人族の一団が歩みを進めるほどに、頭上を覆い尽くしていた深緑の天蓋が、少しずつその威容を潜めていく。
見上げると首が痛くなるほどの高さを誇っていた中心部の巨木達は姿を消し、今や木々の背丈は半分以下へと落ち着いていた。幾重にも重なる葉の隙間からは、広く高い空が覗き、明るい陽光が柔らかな影を落として、一団の行く先を照らし出している。
ふと、吹き抜ける風の質が変わった。
ひんやりとした森の奥の静けさとは違う、軽やかな風。エルザは足を止め、開けた視界の先へと目を細めた。
その視線の先――東側の森の中には、木々が途切れることなく連なって、巨大な城壁のようにそびえる「生命樹」が見えた。ニザ大森林中心部の湖畔から、南へ向かいゴブリンの街へ。そして南東を通り円を描くように移動してきたこの旅も、いよいよ次の目的地に辿り着こうしている。
「もうすぐ……」
思わず零れた言葉と共に、エルザの翡翠の瞳に映る『オド』の景色が、変容を遂げていた。
森の中心部や小鬼族の街で視ていたような、濃密で煌めく光の流れではない。ここでは薄く淡い光の粒子が、風と戯れるように細やかな螺旋を描き、さらさらと流れている。
(でも……)
エルザはその美しい光の瞬きを見つめながら、微かな違和感に首を傾げた。
以前、闇人族の巡行でこの境界付近を訪れた時よりも、里の周囲を漂う精霊やオドの動きが、さざ波のように落ち着きなく、活発になっているのだ。
人間たちとの関わりが増えたせいなのか、それとも、別の何かが精霊たちを揺らしているのか。
徐々に近づいてくるエルフの里の気配と、自身の運命が交差する瞬間の訪れに、エルザは胸の奥が微かにざわめくのを感じた。
ポシェットから顔を出したナーは、器用にエルザの身体を伝い、すっかり定位置となった彼女の頭頂部へとその身体を沈める。
「ピピッ」
「ふふっ……」
エルザのざわめきをよそに、「準備完了」と言わんばかりの鳴き声を上げるナー。すっかり羽も生え揃い、いつでも飛べるようになったはずの小さな白綿鳥は、いまだ空を駆けることを知らない。
エルザは頭の上に座り込んだ愛鳥を手で撫でると、森駱牛の手綱を握るゼラへと駆け寄る。
「……師匠。もうすぐ里の入り口だけど、到着したら私たちはどうするの?」
頭の上のナーを気遣うようにそっと見上げながら尋ねたエルザに、ゼラはゆっくりと森駝牛の手綱を引き、その穏やかな歩みを止めた。
「……今日は里へは入らん。この周辺で野営の準備をする」
「えっ、里には入らないの?」
「あぁ。時季外れにこの大人数で押し掛ければ、人間達にも無用な混乱を招くからな」
ゼラは御者台から降り、後方に続く同胞たちへと指示を飛ばす。
「皆、天幕の準備を!里への出入りは明日以降、議長への正式な挨拶を済ませてから許可する!」
その言葉に、一団は足を止め、手慣れた動きで荷解きを始めた。慣れない旅に足が疲れ、幌台に乗り休んでいたウ=トトはゼラの声に目を覚ました。
「あれ……到着しちゃいましたか?」
寝ぼけた目を擦りながら顔を出すウ=トトに、エルザは優しく声をかける。
「トト、おはよう。今日はこの辺りで野営して、里へは明日入るって」
「んん…わかりました…! 僕、皆さんの手伝いをしてきますね…っ!」
そういって幌台から元気よく駆けだすウ=トトの背中を見送っているエルザに、荷物を降ろし始めたゼラが静かに声をかける。
「フィンとファエルに会うのは、日が落ちて里が静まってからにする。……向かうのは、私とエルザの二人だけだ」
「……うん……っ」
*
やがて日が完全に落ち、大森林が夜の帳に包まれた。森に自生している発光植物達が、日中に蓄えた光を淡く放ち、帳の降りた森をいっそう神秘的な世界へと変化させる。
エルザは、愛鳥を野営地の天幕にいるウ=トトに預け、ゼラと共にエルフの里へと足を踏み入れていた。そして、エルザの目に飛び込んできたのは、息を呑むほどに幻想的な夜の情景だった。
大きな木々の幹の内側に造られた居住区を、下草のように群生するヒカリゴケが暖かい色に染め上げている。頭上に架かる無数の吊り橋の足元には蓄光する大きなキノコがぼんやりと灯り、手すりに絡みつく鈴蘭は、夜風に揺れるたびにチカチカと星の瞬きのように光の度合いを変えていた。
自然のオドと共鳴し合う発光植物たちが、里全体を優しく、そして神秘的に照らし出している。
さらにエルザの耳を打ったのは、木々の高い場所から降ってくる、澄み切った声と音色だった。どこかの樹上で、森人族が爪弾く弦楽器の柔らかな音が響いている。それに合わせるように、別の木からは、森の精霊を讃えるような高く美しい歌声が風に乗って流れてきた。夜を愛する闇人族の厳かなハミングとは違う、軽やかで芸術的な、森人族特有の調べ。
「……すごく、綺麗」
その絵画のような景色と芸術的な音色に、エルザはすっかり魅了され、歩みを遅くした。
しかし、視線が里の中央――ひときわ巨大な大樹の根元へと向いた瞬間、夢見心地だった心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
里を訪れる際、絶対に近寄らないようにときつく言われていた場所。その内部に向かう足取りは、大樹へ近づく度に重くなる。あの場所に、母リアーナの過去を知り、血まみれのレオナから自分を受け取った二人の人物がいる。
里までの道中、何度も思い出した『月廻りの儀』の最中に視た出来事。その真実が、もうすぐ手の届く場所にあるのだ。
美しい森人族の里の景色に癒されていたはずの胸が、今は早鐘のように打ち鳴らされている。不安、期待、そして恐れ。様々な感情が入り混じり、エルザは自身の胸に手を当てた。
「……行くぞ、エルザ」
数歩先を歩いていたゼラが立ち止まり、静かに振り返る。その厳格で頼もしい師匠の顔を見上げ、エルザは深く、長く息を吐き出した。
「……うん」
震えそうになる足を両手で叩き、エルザは光に彩られた里の中心へと、真っ直ぐに歩みを進めた。
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