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月の静謐  作者: 奔らない筆
第一章 ー目覚めー
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十五年前



――エルフの里の中央にそびえる、ひと際巨大な樹木。その太い幹の内部にくり貫かれた議場は、分厚く重い木の扉によって完全に外界から閉ざされていた。

 国の方針や法律を議論する広い議場は今、かつてないほどの静寂に満ちている。


 その空気を震わせているのは、荒々しい息遣いだった。


 精霊たちや森の協力により、物理的な距離を圧倒的な速度で駆け抜けてきたのだろう。議場にある円卓には、闇人族ダークエルフの族長ゼラと、小鬼族ゴブリンの長ラ=ボボが、汗を流しながら肩で息をしていた。


 彼らの視線の先では、森人族エルフの議長フィンが、差出人に『リアーナ』と記された一葉の手紙の封を切り、その内容に絶句していた。


「……信じられん。ローベント王国が、陥落したというのか」


 フィンの重く沈んだ声が響く。手紙には、アゼニア帝国の業火に呑まれる国の惨状と、娘を森の片隅で静かに生かしてやってほしいという、母の悲痛な願いがつづられていた。


「待ってくれ……フィン」


 その言葉に遮るように声を上げたのは、フィンの傍らに立つ境界警備隊長ファエルだった。彼の腕の中には、血と泥に汚れた布に包まれた赤子が抱かれている。

 常に冷静なファエルの顔に、かつてないほどの動揺が走っていた。


「リアーナ様は手紙の中で、赤子を抱えた者を何と記している?」

「……『私の元侍女レオナ』、とあるが」

「っ……!」


 ファエルはギリッと奥歯を噛み締め、深く顔を歪めた。森でこの赤子を受け取った時、女は致命傷を負い、両目はすでに光を失っていた。意識も混濁し、泥と自らの血に塗れ、顔の判別すらつかなかったのだ。

 彼は最初、女をただの侵入者だと思っていたのだ。あの凄惨な姿の女が、かつてリアーナの傍らに控え、自分たちにも礼儀正しく微笑みかけていた、あの侍女レオナだっただなんて。


「……私は、彼女を冷たい土の上で死なせてしまった……」


 ファエルは血のにじむような声で呟くと、風の精霊へ『亡骸を安全な場所に運ぶように』と部隊への伝言を託す。そして、懺悔ざんげするように、腕の中の赤子を抱き直した。


 そして、再びの沈黙を破ったのは、フィンだった。

 彼は手紙の後半――『己が何者であるかを知らぬまま、ただ森の民として自由に生きられるように』という一文を読み上げると、ゆっくりと手紙を卓上に置き、冷徹な議長の顔を作った。


「長老たちが知れば、王家の血を引く人間の赤子など、直ちに始末しろと騒ぎ立てるだろう。彼女を森で生かすには、この出自を完璧に隠し通さねばならない」


 フィンは卓上の蝋燭ろうそくを引き寄せ、その炎を手紙の端へと近づけた。


「リアーナ殿の願い通り、この子は『ただの森の民』とする。そのためには、出自の証拠となるこの手紙は、今ここで焼き捨てるべきだ。完全に灰にしてしまえば、彼女の願いは果たされる」

「待て、フィン!!」


 バンッ、と円卓を叩き、ゼラが立ち上がった。同時に、ラ=ボボも鋭い声で同調する。


「お前の意見には反対だ! 燃やしてはならない!」

「なぜだ! これが残っていれば、いずれ必ず――」

「もしもだ」


 ゼラはフィンの言葉を鋭く遮り、ファエルの腕の中で眠る赤子を真っ直ぐに見つめた。


「手紙にある通り、この子の翡翠の瞳に、いつか王家の『千里眼』の力が目覚めてしまったらどうする? 得体のしれない力に、たった一人で絶望する日が来るかもしれない。その時、この子を絶望の淵から繋ぎ止める『証』が必要になるはずだ!」

「ゼラの言う通りだよ」


 ラ=ボボが『知識の女神ヴィディヤ』の銀眼を細め、静かに告げた。


「この子には人間のマナがない。それに、先刻の森とオドの異変、感じただろう?きっとただの人間じゃないんだ。……いつか真実と向き合う日のために、母親の愛の証明は残しておくべきだよ」


 激しい議論が、閉ざされた議場に交錯する。

 やがて――深い嘆息と共に、フィンは手紙から炎を遠ざけた。


「……ならば、誰がこの子を育てる。エルフの里に置いては、いずれ必ず長老ジジイ達に嗅ぎつけられるぞ」


 その言葉を待っていたかのように、ゼラは迷いなくファエルへ歩み寄った。

 そして、その腕の中から、壊れ物を扱うようにそっと赤子――エルザを受け取る。厳格な闇人族ダークエルフの長の顔が、いっそう覚悟を持った顔へと変わった。


「この子は、我が部族で預かろう。リアーナと同じように、この子には闇人族ダークエルフの血も流れていることだしな。それに、常に森を移動し、星の巡りを歩む我ら闇人族ダークエルフの巡行に紛れさせれば、長老クソ共の目にも触れん。手紙は私が厳重に保管する」


ゼラは、腕の中の小さな命をギュッと抱きしめた。


「今日からこの子は、ただの『闇人族ダークエルフ』だ。我ら森の民の一員として、誰よりも健やかに、自由に育て上げる」


 その言葉に、フィンも、ファエルも、ラ=ボボも、静かに頷いた。

 種族の壁を越え、掟を破るという重荷を背負ってでも、命を託した一人の母の祈りに応えるために。


 十五年前のこの日、ニザ共和国を統べる三人の長と、彼女を森へ抱き留めた一人の森人族エルフは、彼女エルザを守るべく動き始めた。





ここまでお読みいただきありがとうございます!

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