降る雨に鳴く夜
本日も二話更新です! ぜひお読みいただければ嬉しいです...!
昨日から降り続く雨は、ニザ大森林の景色を新たな装いへと塗り替えていた。
分厚い丸太造りの壁を打ち付ける雨音。いつもなら穏やかにさざめく木々の葉音は、今は不気味な唸り声のように響き、森全体が息を潜めて嵐の過ぎ去るのを待っているかのようだ。
街の近くを流れる川は今にも氾濫しそうなほど水かさを増しており、ゼラをはじめとする腕の立つ闇人族たちは、早朝から土嚢積みや見張りを買って出て、家にはいなかった。
薄暗い家の中では、暖炉の火だけがパチパチと爆ぜて心細い明かりを落としている。
その火のそばで、ラ=ボボはふかふかの布に包まれた白綿鳥の卵に、真鍮製の小さな器具を当ててじっと目を閉じていた。
エルザとウ=トトは息を殺し、心配そうな眼差しでその様子を見つめている。外の激しい天候のせいか、卵に何か影響がないかと気が気ではなかったのだ。
やがて、小鬼族の長はゆっくりと目を開け、透き通るような銀色の瞳を細めて、ニヤリと笑った。
「……間違いないね。今日、生まれるよ」
「「本当に!?(ですか!?)」」
エルザとウ=トトの声が見事に重なり、二人はパッと顔を見合わせて歓声を上げた。
旅の間、エルザが胸元でずっと温め続けてきた命だ。それがついに外の世界へ出てくるという喜びに、エルザの鼓動までがドクン、と大きく跳ねる。
「こらこら、あまり大声を出すんじゃないよ」
はしゃぐ二人を見て、ラ=ボボは可笑しそうに肩を揺らした。
「殻の中のヒナは、外の音をよく聞いている。驚かして殻の中で縮こまっちまわないよう、優しく見守ってやるんだね」
そう言うと、ラ=ボボはゆっくりと立ち上がり、壁際に立てかけてあった傘葉草を手にした。
「ボボ様……? 外に出るの?」
「あぁ。川の様子や街に異常がないか、自分の目で確かめておかないとね」
ゼラもいない、ラ=ボボまで出かけてしまう。その事実にエルザとウ=トトが少しだけ不安そうに顔を見合わせると、ラ=ボボは二人の頭に温かい手をポン、と乗せた。
「案ずることはないさ。お前さんたちはここで、新しい命を迎えてやりな。……明かりを絶やさず、待っていておくれ」
「……はいっ」
「わかりました、先生!」
優しく微笑みかける師に、二人は力強く頷き返した。ラ=ボボは玄関へと向かい、傘葉草を頭上に掲げると、激しい雨の降る街へと足早に繰り出していった。
重い扉が閉まり、家の中には再びエルザとウ=トト、そして卵だけが残された。
シン、と静まり返ったのも束の間。
「ト、トト! どうしよう、今日生まれるって! 赤ちゃんのご飯とか、温かい寝床とか、どうすればいい!?」
「ええっと、まずは体温が下がらないように、暖炉のそばに浅い木箱と、もっと柔らかい真綿を用意しましょう! ご飯は……僕が森で採っておいた柔らかい木の実と果実をすり潰して、特製のペーストを作ります!」
「わかった! 私、箱と毛布を探してくる!」
先ほどまでの不安はどこへやら。新しい家族を迎える準備に、同年代の少年少女はすっかり舞い上がり、大人たちが不在の家の中をドタバタと駆け回り始めた。
今日、新しい命が生まれる。そして明日には、エルフの里へ向けた長い旅が始まる。不安がないと言えば嘘になるが、今はそれよりも、間もなく訪れる『誕生の瞬間』への期待で、エルザの胸はいっぱいに満たされていた。
*
やがて、窓の外が完全に深い闇に包まれ、夜の帳が下りる頃。
雨の勢いは少しだけ弱まったものの、依然として単調な音を立てて大森林を濡らし続けていた。二階の客間には、蜜蝋燭の柔らかな炎が灯されている。
毛布にくるまった卵を食い入るように見つめていたエルザの耳に、コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「エルザさん、起きてますか……?」
「トト! うん、起きてるよ。入って」
扉の隙間から顔を覗かせたのは、特製の木の実ペーストを持ったウ=トトだった。彼は「お邪魔します」と小声で呟きながら部屋へ転がり込むと、エルザと並んで床にペタンと座り込んだ。
部屋の中央には、二人が昼間のうちに用意した柔らかい真綿の巣が置かれている。蜜蝋の暖かなオレンジ色の光に照らされた卵は、時折、中からコツン、コツンと微かな振動を伝えてきていた。
「……明日、いよいよ出発だね」
「はい。ゼラさんも、一階ですでに荷造りを終えて休まれています」
「そっか。……ねぇ、トトも本当に、私たちと一緒に来てくれるんだよね?」
膝を抱えながら尋ねるエルザに、トトは蜜蝋の揺れる灯火を見つめたまま、静かにこくりと頷いた。
「はい。先生の『課外授業』ですから。それに……僕自身も、街の外を見てみたいんです」
「トトはずっと、この街でボボ様と暮らしてたの?」
「物心ついた時からずっとです。僕のこの目は、先生と同じ『知識の女神ヴィディヤ』の加護らしくて……。先生の下で書物や森の理についての勉強ばかりしてきました」
トトはそこで一度言葉を切り、自分の前髪を少しだけ弄るようにして自嘲気味に笑った。
「先生は、僕の事を心配してくれていたみたいです。紙や理論から識ることだけがすべてじゃないんだって、言ってました。だから、エルザさんたちとの巡行に同行しろって」
「……そうだったんだ」
「本の中の『エルフの里』のことは知っています。『森の外』の事も少しだけ……。でも、それを自分の目で見て、肌で感じるのは初めてなんです。だから……正直に言うと、少し怖くて。でも、それ以上にすごく楽しみです」
トトの透き通るような銀色の瞳には、未知への不安と、それ以上の純粋な好奇心がキラキラと輝いていた。
望んだわけじゃない力(血)を持ち、自分の意志とは関係ない所で運命が動き出そうとしている。その点において、トトと自分はどこか似ているのかもしれない。エルザは不思議な親近感を覚え、ふわりと口元を綻ばせた。
「私も同じだよ。明日からの旅、少し怖いけど……トトが一緒なら、すごく心強い」
「エ、エルザさん……!」
トトが照れたように頬を掻いた、その瞬間だった。
――ピキッ。
部屋の空気を震わせるような、硬く、それでいて微かな音が響いた。
二人は弾かれたように卵へと視線を落とす。滑らかな白い殻の表面に、一筋の亀裂が走っていた。
「トト! 今、動いた……!」
「はい、中から嘴で叩いています! 驚かさないように、静かに見守りましょう」
息を詰めて見つめる二人の目の前で、ピキッ、パキッ、と少しずつ殻の亀裂が広がっていく。
やがて、一番大きな破片がポロリとこぼれ落ちた。そこから覗いたのは、濡れた白い産毛と、まだ開かない小さな二つの目、そして一生懸命に空気を求める淡い黄色の嘴だった。
「ピーッ、ピィッ……」
「あっ……!」
生命の産声。そのひ弱で、けれど確かに力強い命の響きに、エルザの目から自然と大粒の涙が溢れ出した。
暗く狭い殻を自分の力でようやく打ち破り、外の世界へと生まれ出た小さな命。それはまるで、明日から始まるエルザ自身の新しい旅路を祝福しているかのようだった。
「エルザさん、生まれましたね……!」
「うん……! すっごく可愛い……」
トトと顔を見合わせ、エルザは涙ぐみながら満面の笑みを浮かべた。手のひらに収まるほどの小さな新しい家族。胸の奥に立ち込めていた靄は、もうすっかり晴れていた。
エルフの里へ向かう、真実を知るための旅。その幕開けの朝は、もうすぐそこまで来ている。
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