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月の静謐  作者: 奔らない筆
第一章 ー目覚めー
12/22

二人の師

本日は2話投稿。夜にもう1話上がりますので、お楽しみに...。


 少年が淹れてくれた温かい茶は、旅のわずかな疲労を内側からじんわりと解きほぐしてくれた。ゼラはもう一度だけ口をつけ、音を立てないように慎重に湯呑みを卓上へと置く。


(エルザたちは今頃、楽しんでいるだろうか......)


 その平和な光景と、これから自分が口にする現実との落差に、ゼラは密かに胸の奥を重くした。だが、そんなゼラの密かな逡巡しゅんじゅんなど、目の前に座る友にはとうにお見通しだったらしい。


 湯気の向こう側で、ラ=ボボの銀色の眼差しが真っ直ぐにこちらを見つめていた。先ほどまで弟子に泣きついていた情けない姿は完全に消え失せ、大森林の小鬼族ゴブリンを束ねる『長』が、静かに座っている。


 やがて、その張り詰めた静寂を破るように、ボボが少ししゃがれた声で口を開いた。


「……で。あのをどこへ連れて行く気だい?」


 挨拶も前置きもすべてすっ飛ばした、単刀直入な問い。ゼラは小さく息を吐き、(参ったな)と内心で独りごちた。隠し立てするつもりは毛頭なかったが、こちらの口が開くよりも早く、こうも正確に核心を突かれるとは思っていなかった。


「……相変わらず、底意地の悪い目をしているな。お前は」


 ゼラの口から微かな苦笑と共に漏れた言葉に、ラ=ボボはフンと短く鼻を鳴らした。


「わざわざ巡行路を外れてこの街に来てるんだ。おおよそ、月廻りの儀でエルザに何かあったんだろう?」

「……その通りだ」


 ゼラは短く肯定すると、静かに言葉を紡ぎ始めた。


「先日の月廻りの儀で、あの娘の王家の血が目覚めたようだ。……十五年前のあの日。崩れていく王都と母親リアーナ、そして森にたどり着くまでの記憶を視たそうだ」

「なるほど……それで、手紙を見せたんだね?」

「あぁ、あの子には知る権利があった。それは私たちも同じ想いだったろう?」


 十五年前の会議の折、ゼラとラ=ボボはフィンの意見に反対し手紙を残すことを主張した。それは彼女たちが両親を知らず育つであろう赤子の未来を憂いて決めたこと。


「だから、あのをエルフの里へ連れて行く」


 ラ=ボボの銀色の瞳が微かに細められた。


「フィンとファエルに会わせる気かい?なるほど……商人達には、明日知らせておくよ」

「話が早くて助かるよ」


 ラ=ボボは深く息を吐き、長い指先で卓上をトントンと一定のリズムで叩き始めた。彼女が思考の海に潜る時の癖だ。

 やがて、その指がピタリと止まる。


「なぜ、行路を外れてまであいつらに会わせる? あの娘の安全だけを考えるなら、これまで通り森の中で過ごせばいいはずだろう。お前さんは、あの娘に何をさせたいんだい」


 痛いところを突かれたように、ゼラはわずかに目を伏せた。だが、すぐに顔を上げ、真っ直ぐに友を見つめ返す。


「あの自身に、選ばせたいのだ」

「選ばせる?」

「十五年前……ローランド王国に何が起きていたのか、レオナの最期や母親リアーナのことを、ファエルたちから直接聞かせる必要がある」


 ゼラの声は静かだったが、そこには彼女エルザの保護者として、揺るぎない覚悟が宿っていた。


「真実を知らずに庇護され続けるだけの生は、ただの鳥籠だ。すべてを知った上で、自らの足でどう生きていくのかを……彼女自身に決断させるべきだと、私はそう考えている」

「……」


 ラ=ボボは何も言わず、ただ静かにゼラを見つめ返した。


「……難儀な母親を持ったもんだね、あのも」


 やがて、ラ=ボボはふっと息をつくと、それまでの張り詰めた空気を緩めるように、ひどく悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「だが、そういう不器用なところは嫌いじゃないよ。……ところでゼラ。トトのことなんだがね」

「彼がどうした?」


 唐突に話題を変えた友に、ゼラは怪訝な顔をした。


「あの子を、お前さんたちの巡行に同行させてくれないか。エルフの里までで構わない」

「……トトを?」

「あぁ。『課外授業』さ」


 ラ=ボボは楽しげに目を細め、二階の天井へと視線を向けた。


「あの子は私と同じ、『知識の女神ヴィディヤ』に愛された銀の瞳を持っている。他の種族達に比べても、稀有なほど賢い子だよ。……だがね、書物に囲まれた狭い部屋の中でだけ賢くなったところで、外の世界の広さを知らなきゃあ、いつかその膨大な知識に押し潰されちまう」

「……」

「それに、あの子には少し息抜きが必要だ。毎日私の世話と勉強ばかりじゃあ、息が詰まるだろうからね。同じ年頃の……それこそ、エルザたちのような連中と一緒に森の空気を吸い、外の世界を見るべきなんだよ」


 そこでラ=ボボは卓に肘をつき、ゼラに向かってニヤリと笑ってみせた。そのしたり顔に、ゼラは小さく息を吐いた。

 エルフの里へ向かうという決断の裏で、この友はちゃっかりと愛弟子の見聞を広めようと画策していたのだ。長としての計算と、師としての深い思慮。そして友への気遣いが入り交じった、断りようのない提案だった。


「……わかった。あの子の安全は、この私が保証しよう」


 ゼラのその言葉を聞き、ラ=ボボは二階へと向かってよく通る声を張り上げた。


「トト! 荷物をまとめな! お前さん、3日後にはゼラたちと一緒に『外への課外授業』に出るよ!」

「……は、はいっ!?」


 二階から、慌てて階段を踏み外しかけたようなどたばたとした足音と、ウ=トトの素頓狂な声が降ってくる。ゼラは驚きに目を丸くして、目の前の友を見た。


「……お前も大概、難儀な師だな」

「ハッハッハ。褒め言葉として受け取っておくよ」

 悪びれもせず笑うボボの頭上で、さっそく荷造りを始めたのか、バタバタと慌ただしい物音が響き始める。先ほどまでのひりつくような静寂は、もうどこにもなかった。

 ゼラはすっかりぬるくなった茶を一息に飲み干すと、やれやれと微かに口元を綻ばせた。





ここまでお読みいただきありがとうございます!

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