賑わう市場の裏側で
大通りの市場は、行き交う小鬼族と闇人族の活気で満ちていた。
あちこちから、先に買い出しへ向かった闇人族たちが、小鬼族に身振り手振りをしながら熱心に交渉する声が聞こえてくる。
「ねえねえ、うちの丸薬と、その香草と干し肉を交換してよ」
「おおっ、こりゃあ闇人族の丸薬じゃないか! 上物だな。ちなみにこいつの効能はなんだい?」
グエンに手を引かれながら、エルザは姉弟子と商人のやり取りを横で大人しく聞いていた。次々と珍しい品が並ぶ屋台の連なりに目を奪われ、ふと向かいの通りへと視線を向けた時だった。
「おや、そっちの嬢ちゃん。その胸の袋に入ってるふっくらしたもの……とびきりの珍品かい? 物によっちゃあ、うちの看板商品と――」
「い、いや! これは交換品じゃないの! ぜったい駄目!」
声をかけてきた向かいの商人に、エルザは繋いでいない方の手でギュッと胸の袋を覆い隠し、ブンブンと首を横に振った。
あまりの必死な剣幕に、商人は目をパチクリとさせた後、豪快に笑い声を上げた。
「こりゃあ悪かった! 嬢ちゃんの大事な宝物だったか。詫びの印だ、これでも食って機嫌を直してくれや」
そう言って手渡されたのは、トウモロコシの丸焼きだった。表面にはたっぷりと甘い蜜が塗られ、直火でこんがりと焼かれた香ばしい匂いが、たまらなく食欲をそそる。
「わぁ……いい匂い」
「……じゅるり」
エルザが目を瞬かせていると、隣からあからさまな音が聞こえた。見上げれば、姉弟子のグエンが、エルザの手元にある丸焼きを羨ましそうに見つめながら、見事に涎を垂らしているではないか。
そのあけすけな様子に、商人は再び腹を抱えて豪快に笑った。
「こっちの綺麗な姉ちゃんも、よっぽど腹が減ってるらしいな! ほれ、お前さんにも一本おまけだ!」
「やったー! よっ!太っ腹!」
満面の笑みで差し出されたもう一本を受け取るグエンを見て、エルザは目を丸くし、それから二人は顔を見合わせた。
自然と、ふふっ、と声が重なって吹き出す。
「……いただきます」
温かいそれを、二人で並んで一口かじる。サクッとした歯ごたえと共に、蜜の濃厚な甘みと、鼻腔を抜ける香ばしさが口いっぱいに広がった。美味しい、と自然に顔がほころぶエルザの口元を、グエンが呆れたように笑いながら指先で拭ってやる。食べ歩きにはぴったりのご馳走を手に、弾むような足取りで市場の奥へと進んでいった。
*
一方その頃――。
ゼラは広場から進んだ先にある、ある建物の前に立っていた。周囲の家屋よりも一回りほど大きく、太い丸太をしっかりと組み上げて造られたニ階建ての木造家屋。小鬼族の長、ラ=ボボの住処である。
コン、コン。
ゼラが分厚い木の扉を短く叩くと、中からパタパタと軽い足音が近づいてきた。
やがてギィ、と扉が開き、そこから顔を出したのはラ=ボボではなく、まだ幼さの残る小鬼族の少年だった。
「はい!どなたで――あっ、ゼラ様!」
大きな銀色の瞳を瞬かせたその少年は、ゼラの顔を見るなりパッと表情を輝かせた。ラ=ボボの身の回りの世話をしながら、彼女から手解きを受けている少年、ウ=トトだ。彼の小さな指先には、同年代の小鬼族には珍しく、羊皮紙と羽ペンを握りしめていたであろうインクの黒い染みが付いていた。
「久しいな、ウ=トト。……ラ=ボボは中にいるか?」
「あっ、そ……それが……。先生は街の学校で使う新しい『教科書』を書き上げるんだって、三日前から奥の部屋に籠りきりで……。僕が運んだご飯にも、手をつけてくれないんです」
困り果てたように眉を下げるウ=トトを見て、ゼラは小さく息を吐いた。
「……三日、か。ならばそろそろ限界を迎えて這い出してくる頃だろう。中で待たせてもらっても構わないか?」
「あ、はい! もちろんです!」
パッと顔を明るくしたウ=トトに招き入れられ、ゼラは家の中へと足を踏み入れた。
乾いた古木と香辛料の仄かな匂いが漂う広間に通され、椅子に腰を下ろす。ウ=トトが手慣れた様子で薬缶を火にかけ、ゼラのために茶の用意を始めようとした、その時だった。
ギィ……と、奥の部屋の重い扉がゆっくりと開いた。
「トトォ……死ぬ、腹が減って干からびちまう……飯、何か飯をくれぇ……」
そこから這い出してきたのは、ボサボサの髪を振り乱し、衣服をだらしなく着崩した小鬼族の長、ラ=ボボだった。文明を築き上げた天才の面影は微塵もなく、弟子に向かって完全に甘えきった情けない声を上げている。
「あっ、先生! だから途中でご飯を食べてって言ったのに!」
ウ=トトは呆れたように言いながらも小走りで駆け寄ると、あらかじめ卓上に用意してあった、厚切りの肉と葉野菜を挟んだサンドイッチを素早くボボの手へ押し付けた。
「むぐっ、あぐ……っ、んぐんぐ……!」
目を白黒させながらサンドイッチを猛然と咀嚼するラ=ボボ。その間に、ウ=トトは鮮やかな手つきで彼女のボサボサの髪を梳かし、ズレた衣服の襟元を正し、あっという間に「長」としての威厳ある身なりへと整えていく。その一切の無駄がない流れるような連携は、日々の生活の中で完全に出来上がったものだった。
やがて、大きく息をついて喉を鳴らしたボボは、ふう、と満足げに口元を拭う。
そして、静かに茶を待っていたゼラへと、鋭い知性を宿した視線を向けた。
「……トト。悪いが、二階で『精霊との対話』の続きを読んでおきなさい。少し、大人たちの話だ」
「はい、先生!」
ボボの纏う空気が一変したのを感じ取り、ウ=トトはゼラの前に温かい茶を差し出して一礼すると、足早に二階への階段を駆け上がっていった。
パタパタという足音が完全に消え、広間に深い静寂が落ちる。
ゼラはゆっくりと、ウ=トトが淹れてくれた温かい茶に口をつけた。湯気の向こう側で、先ほどまでの情けない姿が嘘のように鋭い銀色の眼光を放つ友と、視線を交わす。
外の長閑な喧騒が、分厚い丸太の壁の向こうでひどく遠く感じられた。
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