君は元カノで、幼馴染である。そして、好きな人の妹である。
「お姉ちゃん。この前彼氏と旅行行ったんだって」
勝手に俺のベッドの上を占領して、勝手に俺の本棚から抜き出した漫画を読んで、ゴロゴロしている腐れ縁が、そんなことを言った。
ボスン、ボスン、とその腐れ縁の女の白い脚が、俺の布団を叩いている。
跡がつくから、やめてほしいと言っているのに、一向に直そうとしないこの女。
コイツは落ち着かないと、すぐ足技が悪くなる。漫画をパラっとめくる音がした。もしかしたら、漫画のバトルシーンが佳境で、それでそわそわしているのかもしれない。
「……へぇ」
俺は努めて、平生の声を保った。動揺など悟られないように、いつも通りの声で言った。
何事もなかったかのように、俺はペンを走らせた。
反応したら、コイツの思惑通りになる。
おもちゃにされるのは、目に見えている。
ふわり、と鼻腔をくすぐる柑橘系の匂いが漂った。俺の肩には、明らかに俺のではない黒の長髪が数房ほど流れ落ちていた。
俺の肩に、腐れ縁の女が手を置いた。
「ねぇ、嫉妬した?」
「…………」
俺の気持ちを知ってる腐れ縁の女は、本当に意地が悪かった。コイツは、俺の慌てふためく姿を見ては、愉悦に浸りたいような、大変性格の悪い女なのだった。
否定しても、どうせ追及の手をやめてくれない。
ならいっそ、さっさと認めてしまった方が気が楽だというものだ。
俺は息を吐いた。カタン、とノートの上にペンを転がした。
「嫉妬したけど、だから何だ」
「…………何で否定しないのよ」
「はぁ?」
俺は斜め上を見上げた。腐れ縁の女は、妙に機嫌が悪かった。
何言ってるんだ、コイツ。
支離滅裂なのは、この女のお得意芸だ。じゃあつまりいつも通りなので、気にしなくていい。
俺は呆れたように首を捻って、もう一度ペンを握り直した。すると、耳を引っ張られたので、「痛い痛い痛い!!」と抗議した。俺が悲鳴を上げると、指が離れた。俺は自分の耳が生えていることを確認した。ほっと、息を吐く。
「おい」
「…………」
ベッドを背にして、ベッドの上に居る腐れ縁の女を見上げたが、生憎と向こうの反応は無かった。
沈黙である。
都合が悪いとすぐに黙るのだ。
コイツの頰でもつねってやろうかと本気で思ったが、昔泣かれたのを思い出した。
おかげで、小学生以来、コイツが俺に何かしらの暴挙を振るっても、やり返せなくなってしまった。
「おい、何だ。何で黙ってんの」
「いつもなら」
「は?」
「いつもなら、否定するじゃない」
それの何が気に食わなかったのか、全然分からない。
「嫉妬してない」「興味ない」と言ったら、俺が真実を吐くまで、コイツは執拗に揶揄ってくる。
俺も素直に言うのが癪なので、確かにいつもだったら粘って、コイツの追及を否定する。
それを、今日は隠さずきちんと言ったじゃないか。
何が気に食わなかったのか、さっぱり分からない。
「………いつもみたいに、否定してよ」
「何で?」
「何でもいいから」
「やだね。どうせお前、揶揄ってくるだけじゃないか」
「…………今日は、揶揄わないから!」
俺はベッドに頭だけ乗せて、眉根を寄せた。
分からん。……全然分からん。何がしたいんだコイツ。
「お前は、俺をとにもかくにも揶揄ってないと死ぬ病気だろ?」
「はあ?何言ってんの?」
「自分の胸に手を当ててみろよ。そして、日頃の自分を思い出すんだ」
「…………いや、今日は、別」
腐れ縁の女は、微妙に気まずそうな顔をした。
うん。普段は、認めるんだな?
稀有な病気を患っていらっしゃって……(哀れみ)。
「とにかくっ、素直に雅が自分の気持ち認めるのおかしくて、蕁麻疹出そうだから、いつも通りして!」
「俺が素直になったら死ぬ病気にまで罹ってんの、琴ちゃんは」
「琴ちゃん、呼ぶな!」
腐れ縁の女は、顔を真っ赤にした。幼い頃は、「琴ちゃん」呼びだったのに、何故烈火の如く俺は怒られているのか。
いいじゃんか、琴ちゃん?
「はいはい、分かった分かった琴ちゃん」
「だから、琴ちゃん呼ぶなって言ってるでしょーっ!?」
「可愛いじゃんか、琴ちゃん」
「可愛っ………っ!?」
腐れ縁の女は、さらに顔を真っ赤にした。
これは大噴火でも起こりそうなくらい、怒り狂っていた。
まあ仕方ない。彼女が俺を揶揄っていないと死ぬように、俺も彼女を揶揄わないと気が済まないタチなのだ。
「大体、うちのお姉ちゃんによこしまな気持ち向けてるのがキモいのよ!雅のくせに!」
「………うっ」
手厳しい彼女の言葉に、俺は言葉を詰まらせた。
彼女への反論パターンは何十通りも頭に浮かんだが、結局口にする前に消えて行った。
同級生の女子にキモい、と言われたのが精神的なダメージを受けたわけではない、決して。
彼女が指摘したことは、俺が思っていることでもあったのだ。俺は自分でも思っている図星を突かれると、非常に弱い人間なのだった。
「そ、……っ、それは別に俺の自由だろ!?純恋ちゃんと彼氏の仲をどうにかしようとかまったく思わないし、そもそもお前以外には知られてないレベルで綺麗に隠してんだからこっちは!」
「いや、キモい。うちのお姉ちゃんをそういう対象で見てるって時点でキモい……っ!」
「……ぐぐぐ……っ、か、関係ないだろお前には!?」
「ありますぅーっ!!私は妹として、お姉ちゃんが年下の幼馴染に変な目を向けられてないか、守る責務があるんですぅぅーっ!!」
「し、シスコン……!!」
「はあー?何とでも言えばぁ〜?未だに彼女の1人も出来たことがない、童貞くん?」
ぷぷぷー!!と俺を哀れみ笑うような、腐れ縁の女の笑みに俺は表情筋をピクつかせた。
こ、コイツ……!!
こっちが黙っとけば好き勝手言いやがってぇ……!!
ぷちん、と血管が切れる音がした。
言っただろう。俺は自分でも思っている図星を指摘されると非常に弱い人間なのだ。
大抵それは口論の勢いが弱まる形で現れるのだが、今は完全に怒りにメーターが振り切れていた。
「彼女なら居たことあるわ!!」
「ヘェ〜、ちなみにだーれっ?私の知ってる人ぉ?」
「お前それマジで言ってんのか!お前だろうが!」
「やだ、雅ったら、私で妄想してたの……っ、やだー、幼馴染がお姉ちゃんだけじゃなくて、妹にまで邪な目向けてるぅぅ…!!」
「お前なぁぁぁぁ!!」
俺がムカついて、ベッドの上のコイツを押し倒すと、コイツはしおらしく「きゃっ……!?」なんて言ってきた。相変わらず演技が上手いですね。
本当はヘッドロックでもかけてやりたかったが、暴力系は昔泣かせてしまったので、手が出せないのだ。俺の弱味である。
本音を言うならば、プロレスの技をかけてやりたいくらいだ。
俺はベッドの上で、腐れ縁の女に迫った。
俺が手をついたすぐそばで彼女の吐息が漏れた。
彼女は、顔を真っ赤にしている。
俺から目線を逸らすように、そっぽを向いて、自分の口に手を当てている。
その姿がやたら扇情的に見えるのは、気のせいだ。コイツは、容姿だけはすこぶるいいので、補正がかかってしまう。ただの俺の脳の誤作動だ。
「俺に告白してきたのは?」
「…………わ、私です」
「初めてキスしてきたのは?」
「……………っ、たし………」
「この家で誘っーーーーー」
「それ以上は言うな、バカぁっ!!」
ぐはっ。
俺のベッドの枕で、腐れ縁の女は俺の頭を思いっきり殴ってきた。
あまりに加減のない力だったので、脳震盪を起こしたんじゃないかと錯覚するレベルだった。しかし、自分の枕の匂いで正気に戻り、俺は自分の頭をさすった。
いきなり殴るなよ、バカ。
文句のひとつでも言いたかったが、彼女の瞳が潤んでいるのを見て、溜飲が下がった。
確かに、今のは俺が悪かった。
大人げなかった。
俺は代わりにバツの悪い表情を浮かべた。
彼女は、俺を殴った枕を胸に抱いて、俺をきっと睨みつけた。
「バカ、バカ、ほんとにバカぁ……っ!デリカシーない!無神経!女の敵!」
「ごめん。俺が悪かったです」
「そんなんだから、未だに私以外に彼女出来てないのよ!」
「それはただ作ろうとしてないだけーーーー」
「は?」
「すみません。何でもないです僕はモテません。悲しき日陰者です」
「それは流石に嘘つき」
「…………いや、事実だろ?」
「それ、マジで言ってるなら殴るわよ?」
彼女は、また枕を手にして拳を振り上げている。既に戦闘体勢だ。
マジで言ってるけど?
何でお前に殴られなくちゃならない。理由を二十字で簡潔に述べよ(配点:0点)。
腐れ縁の女は、ぷいっとまた俺から顔をそむけた。
ボソッと、呟く。
「…………雅は、お姉ちゃんだけ見てればいいの」
「さっきと言ってることが180度違うんですけども……?」
「うるさい」
何て情緒不安定な女なんだ。
「お姉ちゃんだけ見ててよ」
「………見るけど、何で?」
「どうせ叶わないもの。それで悲しんでる雅を私は笑い飛ばすの」
性格悪ッ!?
「………だから、雅はお姉ちゃんに片想いしてさ……それでーーーーー」
「ーーーー雅の恋愛経験は私で終わらせてよ」
俺は、小さく目を見開く。
そして、ややあと笑った。
「……いや、分からないぞ?まだ可能性はあるんだ!失恋の末に、俺はそのうち誰かと運命的な出逢いを果たーーーー」
「そんなのないから、安心しなさい」
「おい、夢くらい見させろよっ!?」
俺は、腐れ縁の女と、ぎゃーぎゃーと好き勝手言い合う。
頑固で、ワガママで、すぐに腹を立てる、困った困った腐れ縁の相手だ。
これは、そんな風早雅と、春川琴葉の日常譚である。
この2人の関係性が気になる!
お姉ちゃんが見たい!
という方は★評価で応援してくださると嬉しいです。
ていうか、好きな人の妹が元カノって、どういうことだオイ主人公。




