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【BL】泥酔している間に愛人契約されていたんだが  作者: 暮田呉子


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5/7

④嫉妬という名の夜

 公爵邸に連れて来られて、一週間が過ぎた。

 食堂で食事を共にしたのは、あの一度きり。それ以降、食事は毎回、部屋まで運ばれるのが当たり前になった。

 皿の温かさと共に届くのは、スープの優しい匂い――だが、その向かいの席にレナードの姿はない。

 使用人に尋ねても「閣下はお忙しく」と、言葉を濁されるばかりだった。


「……あいつの寝室、ここだって言ってたよな」


 小さく呟き、ベッドの端に腰を下ろす。誰もいない部屋はやけに静かで、雨の前のように重く湿っていた。

 避けられている――そう思うには、充分すぎる距離だった。

 それでも、アレックスとの時間は増えていた。

 剣術の稽古を終え、夕食を共にし、夜は眠るまでそばにいてくれと懇願される。甘えん坊で、素直で、どこか昔の彼を思い出させる。

 だからこそ、余計に胸がざわついた。

 あの少年を、レナードはどう見ているのだろう――と。



 夜、いつの間にか外には雨が降っていた。

 何気なく廊下に出ると、執務室の扉から灯りが漏れている。


「……公爵様、今日も寝てねぇのかよ」


 小さくため息をつき、ノックもせずに扉を押し開けた。

 机に向かう黒髪の青年が、わずかに眉をひそめる。灯の下、紙をめくる指の動きまで静かだ。

 その沈黙が妙に癇に障って、グレイはわざと机に寄りかかった。


「なぁ、愛人契約のはずだったよな? 教育の雇用契約なんて結んだ覚えはねぇんだけど?」

「貴方の働きぶりには感謝しています。……あの子の教育係は全員、解雇しました」

「……あ、そ。まぁ、俺の知ったことじゃねぇけどな」


 冷え切った応酬が続く。

 けれど、そこにあるのは怒りではなく、罪悪感と焦りだった。アレックスの身体の傷を見たとき、胸の奥が凍ったのはグレイだけではない。


「兄上は家を継ぐために、まだ二十歳そこそこで父になりました」

「……ふーん、貴族の男ってのは大変だな」


 グレイの呟きに、レナードの手がわずかに止まる。

 彼にとって家とは、誇りのようで呪いのようなものなのかもしれない。そして今、その重圧を受け継いでいるのは――彼自身だ。


「……明日も早いようなので、部屋へ戻ったらどうですか」


 声は低く、無機質だった。

 ただ、どんなに隠そうとしても洞察力の優れた相手には見破れてしまう。


「ハッ。なんだよ公爵様、嫉妬か? 自分の愛人様が、アレックスと仲良くしてるのが気に入らねぇって?」


 挑発気味の笑みを浮かべると、ペンの音が止まった。

 レナードがゆっくりと顔を上げる。 深い青の瞳が、冷たく、そして確かに熱を帯びていた。


「貴方は……本当に、人を苛立たせる天才ですね」

「よく言われる」


 グレイは笑い、レナードの机に腰を乗せた。

 距離が近づくたび、蝋燭の光がふたりの影を重ねていく。

 レナードの喉が小さく動き、胸の奥に押し込めていたものが形を持ちはじめる。


「けどまぁ、屋敷じゃ冷静沈着って言われてる公爵様が、顔真っ赤にして怒ってんのは、なかなか見物だな」

「……ッ、隊長……!」


 肩書きを呼ぶ声が、二人の間にある空気を震わせた。

 レナード自身も我に返ったようにハッとする。その唇が、戸惑うようにわずかに動く。しかし、言葉を取り繕おうとしても、もう遅い。


「公爵様が、そんな簡単に感情をさらけ出してもいいのかよ?」

「それは、貴方が……私を煽るから……!」


 見上げてくる青が、激しさと苦悩で滲む。

 その瞳の奥には、怒りでも羞恥でもなく、押し殺した情が燃えていた。


「私だって、我慢しているんです。……貴方の腕を見るたびに、胸が締めつけられる。貴方に触れる資格なんて──!」

「俺が勝手にやったことだ。おまえは何も悪くねぇ」

「それでも──」


 言葉が途切れ、沈黙が落ちる。外の雨音が強くなり、まるで二人をこの部屋に閉じ込めるようだった。

 レナードの手が、机の端をぎゅっと掴む。爪が白くなるほどに力がこもる。

 けれど、グレイはゆっくりと顔を近づけた。


「つくづくお前も、馬鹿だなぁ……」


 唇が触れる寸前、ふたりの呼吸が絡み合う。

 レナードはわずかに首を振りかけて――しかし、抗わなかった。抗えなかった。

 ――唇が重なった。

 触れた瞬間、雷鳴のような鼓動が胸を打つ。

 机の上の書類が舞い上がり、蝋燭の火が激しく揺れる。短く、けれど深い口づけ。痛いほどの切なさと、長い年月の距離が混ざり合う。

 唇を離したあと、グレイはレナードの頬に指を滑らせ、低く囁いた。


「ったく、締まりのねぇ顔して」

「……もう、黙ってください」


 諭すような声だった。

 けれど、抑えがきかなくなっているのは火を見るよりも明らか。グレイは自分の中に眠っていた感情を呼び起こされ、わずかに笑う。


「──グレイ」


 低く名前を呼ばれて、笑みが止まる。

 レナードの瞳が、柔らかく、どこか迷うように揺れていた。


「……何だよ」

「そう、呼んでも構いませんか?」


 淡々とした口調。だが、耳がほんのり赤い。

 グレイは苦笑して、そっとレナードの髪を撫でた。


「俺はもう、お前の隊長じゃねぇからな」


 その手が髪を抜け、頬に触れる。

 一瞬だけ、指先に伝わる温度が互いを確かめ合うように重なった。


「貴方は……本当に、人を惑わせるのが得意ですね」

「どーも」

「今の、褒めてませんよ」


 軽口の余韻が、雨に溶けていく。

 外の世界は冷え切っているのに、この部屋だけが息苦しいほどに熱かった。

 夜はまだ長く、ふたりの間には、消えない熱が残っていた。


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