もう半分の心 *アデリー
夏の青空のような瞳を細めて、その人は明るく笑う。
「なんでって、ひどいなあ。迎えに来るって約束したでしょ。でもアデリーのびっくりした顔が見られて嬉しい」
私が呆然としていると、父が慌ててやってきて応接室へと移動した。
組んだ足の上で指を絡ませたキリアンは、一年前よりも威風堂々として見える。
「ある程度下準備をしてきたが、ここからはオブリル士爵とアデリーの意志で進んでいくつもりだ。けして無理強いをするつもりはないから安心して」
安心してと言われても、圧を感じてしまって父と私に緊張が走る。
「まず、私と婚約者となるはずだった女性との婚約は成立しなかった。彼女には想い人がいてね。格下の貴族の嫡男なのだが研究者として優秀で、これまで日の目が当たることがなかった研究が国に富をもたらすことが判明して陞爵したんだ。そして国王からの褒賞として想い合うご令嬢と婚約された」
アルフレッドさまの元婚約者の令嬢がキリアンの婚約者となるはずだったのだが、その婚約に関する契約書に『王命であれば無効とすることも可能』という条項があったらしい。キリアンは、この条項の内容を彼女とその想い人に伝え、また研究結果を活かす場を与えた。
そして王命を得て、令嬢にもキリアンにも瑕疵なく婚約が解消できたそうだ。
「王命ならば私の両親も否はない」
父と私から「ほう」という返事ともため息ともつかない声が出る。
「ここからが本題。私には婚約者がいなくなったので新たに相手を探さなければならない。しかし、私の年齢と身分に合う女性は既に婚約済みであったり既婚であったり。……そこで。アデリーにはアディントン侯爵家の養女になってもらう」
「「は?」」
「同じ血族なので問題ない」
「いやいや」
父が焦っている。父とアディントン侯爵の仲を考えると、侯爵が了承するはずがない。キリアンがわざとらしくコホンと咳払いする。
「アデリーを養女に迎えることと引き換えに、ジラール公爵家と縁戚関係になるメリット、それから北の森の盗賊を放置したことを……ね?」
にこにことした笑顔が怖い。こんな人だっただろうか。
「それと、アディントン侯爵はエルシア殿の娘であるアデリーの力になりたいとおっしゃっていた」
「お母さま?」
父を見ると固い顔をしている。
「うん。……なので侯爵家の養女となる手続きが済み次第、ジラール公爵家から正式に婚約の申し込みをさせていただきたい」
「けれどっ」
焦ってしまって大きな声が出た。
「ジラール公爵、あなたのご両親がお許しになるはずがないではありませんか。だって私は……」
キリアンがちらっと父を見た。
「うちの両親は、マリアの名前は知っていますが容姿は知りません。兄は気難しくて使用人の入れ替えが激しかったし、両親は主に領地の本邸にいましたから。アデリーを見てマリアと結びつけることはありません」
「でもアディントン家とオブリル家の繋がりはわかるでしょう?」
「マリアに関する調査書は紛失しちゃったんだよね。アデリーの身上書はジョイが準備するし」
肩をすくめるキリアンに、父と私は少し頭が痛くなり「考えさせてください」としか返事ができなかった。
屋敷を出て馬を繋いでいる厩舎までキリアンを送っていく。今夜は領都に宿をとっているらしい。
「キリアンはいいの?」
「よくなかったらここまでしないよ。兄貴もさ、生きることを選べばよかったんだよ。俺より頭がいいのに。いや、いいからかまっすぐ進んでしまった。周りに後悔と悲しみだけを残してね」
「田舎者の私にあなたの妻は務まらないわ」
「俺も無作法な軍人だ。おまけに勉強から逃げまわっていたからなにもわからない。だから一緒に学んでいこう?」
「だからこそ賢くて社交界に慣れた奥方が必要なんじゃないの?」
「優秀な妻に対して卑屈になる俺が見たいと?」
キリアンは立ち止まり、隣を歩く私を見下ろした。
「君は賢くて冷静で行動力もある。充分やっていける。それに俺が守る。そのためには公爵家の権力を如何なく発揮するさ」
もう既に発揮している気がするけど。……ジョイさん、この一年大変だっただろうな。
「私の心の中からオーウェンは消えないわよ」
「もちろん。オーウェンは君の一部だ。悔しいけれど。それを否定するということは君のことを愛しているとは言えない」
どこまでも外堀を埋めてくるのね。
「私がいなくなったら、お父さまが一人になってしまうわ」
「配慮する」
「ふふっ」
キリアンは少し沈黙し、躊躇いがちに言った。
「なあ、君は……泣けたか? あれから、泣くことはできたか?」
キリアンは厩舎を通り越し、礼拝堂がある方へ歩を進めた。
オーウェンたちが眠る墓石の前に跪く。
ああ、誰かが言っていたわね。『あなたはどうして泣かないの? オーウェンの恋人だったんでしょ』って。
あの時はショックだったけど、泣けなかったのが正しい。オーウェンがいなくなっただなんて、泣いたら認めることになりそうだったから。
だから寝る間を惜しんで体を動かしたり王都に出たりした。
「アデリー。君がオーウェンとマリアの死を無理して乗り越えることはないと思う。けれど、涙を流して受け入れることでオーウェンとマリアも安心すると思うよ」
キリアンの言葉に息を飲む。
カラスの鳴き声が寂しい共同墓地。壮麗な大聖堂の横に広がる整然と美しい墓地。そして、今目の前にある白い墓石。
ねえ、オーウェン、お姉さま。それからアルフレッドさま。
いいのかな? 私、キリアンと生きていっていいのかな?
オーウェンがいなくなって、まだたった二年しか経っていないのにキリアンを受け入れていいのかな?
高い秋の空は青く済んでいて、柔らかな日差しが針葉樹の森を深い緑色に輝やかせている。
私の頬を涙が伝った。続けて私の喉から発せられるのは慟哭。立っていられずしゃがみ込んで泣きじゃくる私を、キリアンは優しく腕の中に閉じ込めた。
ねえ、オーウェン。お日さまのようなあなた。
この夏の太陽のような人と歩んでいってもいい?
私の心のもう半分を、この人と分け合ってもいい?
あと少し。
私が覚悟を決めるまで、あと少し。
【終わり】
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